暑くてたまらない9月上旬だった。その後凄まじい雨が降ったりして天候が落ち着かず、その上、参加するバンドやウクレレサークルのイベントが重なったりして、すっかり山から足が遠退いてしまっていた。
最近はプールもジムもさぼり続けているから、筋力が落ち、すっかりメタボ体型が定着してしまった。身体が重くなると動きたくなくなるのは自然の摂理。体力低下を自覚できるほどになると、もう山歩きは出来ないのではという恐怖感が襲ってくる。
この悪循環を断ち切るためには山に行くしかない。そう決心して決めたのが羊蹄山。天気予報を見ると中旬以降は雨模様が続くらしい。その前に決行しようと慌しく準備をして家を出た。
登るコースは前々から考えていた喜茂別コース。4つあるコースの内で未踏のコースだ。ほぼ直線的に急勾配を登るコースは、4コースでいちばんきついといわれている。
運動不足の身には重たいコースだが、時間をかけて歩けば登れないことはない。
前日の内に登山口までの下調べを済ませ、その後「京極温泉」の湯船に浸かって戦略を練った。風呂から上がり、施設内の食堂で夕飯を済ませてから「噴出し公園・道の駅」の駐車場に車を停め、寝袋の中で夜を明かした。
登山口をスタートしたのが午前6時。背に朝の陽射しを浴びながら、急勾配が続く登山道をゆっくり登って6時間。ついに羊蹄山の頂に立つことが出来た。急ぐ気持ちを抑えながら、自分をコントロールしながらの登りだった。おかげで太ももの痙攣や、ヒザの痛みを感じることなく登り切ることが出来た。
人気のある比羅夫や真狩の登山コースからは多くの登山者が登って来ていた。火口壁の岩に腰を下ろし、黄金色に染まり始めた「お釜」から吹き上げてくる涼風を身体に受けながら、しばしの時間疲れを癒した。
下りてから、また「京極温泉」で汗を流し、1時間ほどの仮眠をとってから家路についた。
充実した山登りの後遺症は、ひとつのマメと、太ももの筋肉痛。心配していた足爪の痛みは生爪を起こすこともなく収まりそうで、一安心だった。
ちなみに羊蹄山はアイヌ語で「マッカリヌプリ」「マチネシリ(雌岳)」と呼ばれていたという。江戸時代に入り和人がこの山を「後方羊蹄山(しりべしやま)」と呼ぶようになり、それがいつの間にか「ようていざん」と呼ばれるようになったようだ。「後方羊蹄山(しりべしやま)」は「後方」を“しりべ”、「羊蹄」を“し”と読むのだそうだ。
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GPSログ
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喜茂別コースは初めて登るコースなので、前日の内に登山口の場所や道路状況を調べておく。当日、登山口まで車が通れなくて困った経験は結構あるから、下調べしておくと安心だ。
道道脇には赤い屋根の廃屋と、傾いた標識が立っているから入り口は分かり易いが、ここから登山口まで続く600mほどの林道は雨で掘られ、車高の低い乗用タイプだと車底を擦る可能性がある。
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登山口には登山届けボックスがあり、横にはスズメバチの注意書きがあった。まっすぐ延びる林道にはゲートがあり、チェーンで施錠がされていた。
この林道を車で入ることが出来れば、1時間近くの短縮になるのでは思いながら身支度を整えた。
少し暑いようだが、半そでを重ね着し、麦わら帽子をかぶってスタートした。
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林道の先にはこれから登る羊蹄山の姿が見える。あの山頂まで歩くのかと思うと気が重くなって来る。はたして何時間で登れるのだろうか。そんなことを考えながら歩みを進めた。
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林道は蛇行しながら上に延びているようだ。登山道はその間を突き抜くように真っ直ぐにつけられている。林道と交差して分かり難い所には案内標識が立っている。
草が朝露に濡れ、スパッツやズボンを濡らす。しかし気にするほどでもなく、ただ黙々と歩く。
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何度か林道を横切って進むと、これで林道の終点かと思われる場所に出る。登山道はここから尾根に上がるように延びている。ここも案内標識がなければ迷ってしまいそうな所だ。
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尾根に上がってからは、どんどん登山道の斜度が増して来る。陽も登り始め、背後から容赦なく照り付けてくる。噴出す汗に降参し、シャツを1枚脱いで下着シャツだけで歩くことにする。
汗の臭いに敏感な蚊たちは、たちどころに攻撃を開始し始め、あっという間に腕を数ヵ所刺されてしまった。
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このコースはほとんどが直登で、上部でわずかにジグを切った道がある。かなり登っていると思われるのだが、視界が開けないからGPSの高度計で位置を確認するしかない。このコースには合目を知らせる標識がまったくないのだ。
とにかく噴き出る汗でのどが渇く。スポドリをこまめに飲んでのどを潤し、要所要所で大休憩を取りながら、トマトやエネルギーゼリーで体力を保った。
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4時間ほどの苦闘で、やっとハイマツが見られるようになり、まもなく森林限界に出て視界が大きく開けた。
この分なら、山頂までは6時間は掛かるだろうと覚悟し、大休止を取って気勢を整えた。ここで無理をすると太ももの痙攣が起きることを、これまでの経験で自覚している。
もうここまで来たら無理をしなことだ。
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大きく視界が開けた眼下には、ここまで樹間からしか見えなかった尻別岳が下方に小さくなって見える。右には洞爺湖、その左には室蘭岳やオロフレ山が見える。
途中で見られた雲もすっかり消え去り、素晴らしい青空が広がっている。これまでの苦労が吹き飛んでしまうかのような光景に我を忘れ、しばしの間たたずんでいた。
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喜茂別の町の上空に目を向けると、少しもやった大気と、きれいに透き通った大気とがくっきりとした境目を見せていた。よくある現象なのか、珍しい現象なのかは分からないが、平地では見ることの出来ない現象なのは確かだろう。
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ついに山頂が見えて来た。ここまでとうに5時間を過ぎている。普通のタイムなら、もう山頂で食事を終えたあたりだろうか。もう焦る必要はないが、しかしここからが長い。山頂に見える人たちがなかなか大きくならない。さえぎる物がないから、時おり流れる涼風が心地良い。
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ついに山頂に到着。ちょうどお昼時だったので、登山者の多くは昼ご飯の最中だった。下着シャツ1枚では恥ずかしいので、山頂標識まで行く前に脱いだシャツを重ね着した。
管理人のお昼はバナナ2本とスポドリ。持って来たおにぎり2個に手を付けたいと思うほど食欲は湧かなかった。やはり思っている以上に疲れているのだろう。
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山頂で談笑する若者たち。山に若者が多くなるのは嬉しいと管理人は単純に考える。どんな所にも若者の力は欠かせない。そう、日本の未来にも。
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山頂から火口壁伝いにある旧山頂を見る。その後ろには積丹岳や余別岳など、積丹半島の山々が見える。
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大火口「お釜」越しにニセコの山々を見る。ニセコアンヌプリやイワオヌプリ、目国内岳や岩内岳、そして雷電の山並みが確認出来る。
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太平洋側に目を移せば、左から白老三山、ホロホロ山と徳舜瞥山、そしてオロフレ山へとスカイラインが延びている。手前は尻別岳。
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札幌方向に目を移せば、京極町の町の向こうに無意根山がそびえ、右に中岳、並河岳、喜茂別岳と並んでいる。右奥には札幌岳や狭薄山、空沼岳といった札幌近郊の山々が見える。
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噴火湾を越えて駒ケ岳、ニセコの山々を越えて狩場山、札幌近郊では余市岳や定山渓天狗岳。素晴らしい眺望で、いつまでも座って山座同定を楽しみたいが、下山も安心出来ない急勾配の登山道だから、早めに下ることに越したことはない。
1時間の山頂滞在時間は、あっという間に過ぎ去ってしまった。
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下りはヒザを痛めないように慎重に下りた。ヒザは一度痛めたら急な回復は困難なので、要注意。普段は飛び降りるような場所も、慎重に足を下ろして通過した。
予想外だったのは足爪の痛さ。靴ひもをきつく結んだのだが、予想以上の急勾配でつま先の当たりが激しく、途中で気になるほどだった。
林道に出てやっと登山が終わったことを実感した。あれほど小さく眼下に見えていた尻別岳が目の前に大きくそびえているのだから、どれ程の高さから下りてきたのかが実感出来た。
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林道から振り返ると、羊蹄山が「また来いよ!」と言っているようだった。また羊蹄山に登ることはあるかも知れないが、たぶん喜茂別コースからは登らないだろう。管理人にとってはそれだけハードで登り応えのあるコースだった。
登って見たから言えることで、登って見なければ分からない。これも山の楽しさだろう。
届出ポストの中にある登山者名簿を見る限りでは、羊蹄山4コースの中でいちばん登山者の少ないコースなのだろう。シーズン中でも1〜2日に一人ぐらいと思われた。
実際、この日も好天だったにもかかわらず、このコースを登ったのは管理人ひとりだけだった。
それでもコースの整備は素晴らしく、笹もきれいに刈り払われて歩き易く、標識も要所に分かり易く立てられていた。
健脚自慢の人は、一度挑戦する価値は大いにあるコースだろう。あのため息の出るような急勾配、また登りたいと思う日が来るのだろうか。
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2日もお世話になった「京極温泉」。広い浴場と休憩所、そしてあまり混んでないのが良い。道路を挟んでの道の駅も、トイレがきれいで清潔感満点。24時間営業のコンビニも近くにあって、車中泊には最高の環境だ。またニセコの山歩きの時は利用したいと思う。
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