445(よし子)のページ「今日という日」日高よし子更新2009年4月30日 2:07 445TOPへ 今日という日TOPへ 詩歌集『夢幻』へ マイメードソングへ

 「知ってる?4月28日・主権回復記念日/祝日制定運動』
 今日は先の昭和天皇の御誕生の日だが、その前日の4月28日は今から57年前の昭和27年、日本が連合国と講和条約を締結し『主権を回復した日』である。産経新聞正論欄の小堀桂一郎東京大学名誉教授の”主権回復記念日がなぜ必要か”には【戦争終結からこの日までの6年8ヶ月の間軍事占領という形で執拗に日本帝国の破壊工作を継続していた。・・言論・報道・出版の自由に対する圧迫と毀損が、深く広く、且つ陰険な手口だった。戦時体制からの解放を謳歌した戦後民主主義の旗標の下で我が言論界一般が、実は屈辱的な表現の自由との逼塞とその後遺症たる言論の自己規制という病気から恢復出来ていない実態、昨年秋の前田母神前空幕長の筆禍・失脚事件などは独立国家としての主権の尊厳という意識は、旧敵国や近隣諸国に向けての敗戦国民としての恐縮・謝罪の感情に呪縛されたままになっている。しかもその緊縛の手綱を握って放さないのは今や占領の主役を演じた旧敵国でなく、直接の戦争相手でなかった中国共産党政府の脅迫に常に恐々たる我が日本国の閣僚達であるという倒錯した構図が、国際社会の視線にさらされてしまった。アメリカGHQの今やそれよりはるか後の世代為政者が先人達の用意しておいてくれた『拒否できない日本』(関岡英之氏の警世の指摘)という好餌の旨味を享受する、という構図になっている。日本人はいつまで奪われ、毟られつづけるのか、国家主権の尊厳の意識の欠如甚だしい。政府、国民もその意識を覚醒する為『主権回復記念日』を祝日とする運動を始めたのが平成9年のこの日のことであった。今年もその記念日祝日化訴えの国民集会を催す。】以上要約
 
 この小堀氏の主権回復記念日制定運動は産経新聞を見ているので知っていた。
確かにいまの日本にこそこの主権意識が必要だろう。以下は青柳恵介氏著『風の男・白州次郎』より、【サンフランシスコ講和条約とも言われるがこの講和条約締結調印式出席の吉田茂首相含む全権大使団一行6名の中の一人に白州次郎がいた。この時の外務省の書いた吉田首相の演説草稿を白州が下読みしたがまず英文だった。それを白州が書き直した。当日吉田首相が巻物を広げて呼んでいるのを見たアメリカ側の人間は、あれはトイレットペーパーか、と言ったとか。】又【全権大使の内、備え付けのペンを使わず自分の万年筆で書いたのは吉田首相だけだったので大変反響を呼んだ】(白州次郎著『プリンシプルのない日本』より)という。その吉田の姿を白州は『嬉し涙』とともに讃えている。
 『ここなのだ』日本人が持つべきもの、思い出すべきものは。(これを書き乍ら昨年ノーベル賞受賞の益川俊英氏が列席者の中唯一自国語<日本語>で演説したという事を思い出した)。
 裏が表か、表が裏か、分らないが、戦後日本は『文化』を主に全否定と、全肯定が成り立った。それは思想と歩を一にした。根底にあったのは『敗戦国悪玉』だった。戦争経験者存命者が多い頃はまだマシだったものが、その時期から遠去かり本当の証言者が少なくなるほどに近隣国も含めてその思想は酷く酷くなっている。講和条約というのは東南アジア諸国等への賠償金も提示し、了解され、それまでの相互国間の心情をも水に流し平和の為に手を繋ぎあおうと関連国列席の下各首脳がその主旨にサインし締結した条約であり、これに列席しなかった国からは何等敗戦国は将来に於いてその責を問われる事はないという一文まである。ここが大事な箇処で中国側からは代表として台湾の蒋介石が出席したのである。又当時ソ連(現ロシア)は列席しなかった。
 だから講和条約時に日本が放棄させられた北方四島、樺太もロシアのものではないのは明らかなのだ。まず『放棄』させられたという事は、その当時迄日本国のものだったということが前提だからである。戦争が終り武器を放棄した日本の北方四島に旧ソ連が侵略しずっとその侭の状態が現在も続いている。それは戦時国際法違反の連合国同士のヤルタ会談という密約上のものであり、又当時の日ソ中立条約を一方的に背いた旧ソ連の違法行為の所為である。

 小堀氏提唱のこの『主権回復の日』祝日制定法案化を成立させる事は、これまでの戦後の日本の歴史認識をもっと開放させ、日本人に何故『洋風』ばかりが良くて、自国の『和風』が忌まわれるのかという事まで、考え方の根っこの部分を自由にさせる効能薬になると思える。すべて戦後は否定、自国日本否定からはじったことなのだから。
 戦勝国アメリカの『日本亡国』作戦は見事に日本人を亡国病にした。おまけに旧ソ連発祥の共産主義にも日本は覆われた。ダブルで他国に日本人は精神を変異させられてしまった。
 戦前人と戦後人を見比べ、とみにそう想う。『重病』の日本精神を甦させられるのはきっとこの
(講和条約発効)『主権回復の日』祝日制定法案成立だろう。
 「講和条約」を識る、語るという事は日本の敗戦(理由をも)を知ることであり、その占領下施政をも知る。そして、敗戦から現在までの日本を知るという事でもある。
 
  ”元旦に 日章旗なく 古都京都 悔し涙も 嬉し涙も 継がぬ日本
                    (平成21年1月1日詠首)