マイクロトフの帰還の日は、発見から一週間も後だった。
妖花にとらわれて衰弱してしまった身体が回復するのにそれだけの時間がかかったのだ。マイクロトフの体力の低下は、本来なら剣を振るう事すら出来ないほどの酷い有り様だったらしい。これで良くぞ妖花を退治できたものだと医師が驚いたほどだったというから、回復に時間がかかるのも無理は無かった。
しかし、帰還が遅れても青騎士たちの表情は明るい。
着任早々にこれほどの騒動をおこしたにも関わらず―――望まれている。
―――わたしもおまえを望んでいるんだよ。
どんな顔をして会えば良いのかという不安はある。だが不安よりも何よりも、再び会えるのだという喜びの方が勝るのだ。自分の感情に嘘はつけない。一週間の間に、カミューは何とか自分の気持ちに折り合いをつけていた。
何度も夢を見たのだ。
繰り返し夢の中で見るたびに男の顔は徐々に切なさを増していった。このまま諦めたり逃げたりすれば、あっさりと消えてしまいそうに感じて、カミューは真っ向から自分の感情を認めることにしたのだ。
マイクロトフの憮然とした顔、怒った顔、笑う顔。そのどれもが今や失い難く、愛しくてならない。
―――マイクロトフ。
おまえがいないとわたしはだめになりそうだ。
遥か遠く空の下、かの男がいるだろう土地に向かって呼び掛ける。いや、今頃はこの城に向かって来ているだろう。
「もうすぐですな」
ぼんやりと窓の外を眺めていたカミューに、副官の声がかかる。
ここのところずっと心配をかけていた。碌に食事もとれずやつれて行く一方だったから仕方ない。だが最近は復調してきたためか、副官の表情から憂いも消えてきた。
「そうだな…もうすぐだ」
微笑を浮かべて見せると、副官は軽く頷いて再び己の執務に没頭し始めた。
予定では今夕、帰還する。
それまでに執務を終わらせたいと考えるカミューだった。
―――そうだ…花瓶の水も変えなければ。
そう。マイクロトフから託されていた赤い花はまだ枯れてはいなかった。
「守れそうだな……」
「は?」
つい、呟いていたらしい。顔を上げた副官に何でも無いと手を振ると、密かに苦笑する。
―――重傷だ。
こうなれば是が非でもあの男に、約束通り枯れていない花を見せてやらなければ。しかし、萎れかけた花を見て、どんな顔をするのだろうか―――。
そうして、再びぼんやりと窓の外に視線を戻している団長に、副官はそっと溜め息をつくのであった。
「だったら、夕暮れ時までゆっくりしてらっしゃいな」
昼を過ぎて執務に余裕が出来たカミューは、城下のフィーナの店へと出向いていた。
あれ以来忙しさにかまけて、有力な情報をもたらしてくれた彼女に礼のひとつもしていないと今更気付いたのである。出会い頭に丁寧な礼を述べると、彼女は少し困ったような顔をして「お礼なんて良いのよ」と応え、カミューのために扉を大きく開けて迎え入れてくれたのだった。
「でも安心したわ。すっかり顔色が良くなっているもの。ちゃんと食事をしてるのね?」
「人並みにはね」
肩を竦める青年に、フィーナは大袈裟に片眉を持ち上げると、仄かな湯気が立ち上るティーカップを差し出した。
「ならお茶をどうぞ。団長さん」
そうしてカミューの向かいに座る歌姫だったが、一息つく間も無いうちに自分のティーカップに添えた指を跳ねさせた。
「そうだわ」
ハッとして顔を上げたフィーナは身を乗り出してカミューの袖を指で摘んで引き寄せた。
「『つきたちの花』という唄だったかしら。このあいだ街角でそれを聞いたのよ。かわいい花売りの娘が歌っていたわ。青騎士団長さんにも聞かせたと嬉しそうに話してくれたから……あなたが言っていた唄だと思ったの」
勢い、立ち上がったフィーナは丸い卓を回りこんで、掴んだままの青年の袖を引っ張りその身体の向きを変えさせた。そして自分はカミューから手を離すとそろりと後退し、壁を背にして立ち止まると深く息を吸いこんだ。
「歌ってあげるわ」
機嫌良くそう言うフィーナに、カミューは一瞬呆気にとられる。だが直ぐに、暖炉の前で縫い物をしながらの鼻歌であれ、舞台上で照明を浴びての熱唱であれ、歌うことは彼女の喜びであり人生だったなと思い至る。
「聴かせてもらうよ」
ゆっくりと両手を組み合わせると、カミューは深く椅子の背にもたれて聴く体勢を整えた。そして室内に、歌姫の穏やかでありながら張りのある歌声が響き始めたのであった。
「慣れない民族歌の音律だったから、三度も歌ってもらったの。でも、不思議な力強さのある曲で歌詞も情熱的ね。青騎士団長さんがつい聞きとめてしまったのも分かる気がするわ」
歌い終えた後、フィーナはそう感想を漏らしてカミューに微笑んだ。すると、唄を聴いている間ずっと目を伏せて微動だにしなかった青年は、ゆるりと顔を上げると意外なほどの切ない表情で微笑を浮かべた。
「ありがとうフィーナ……でもわたしはその唄を聴かなかった方が良かったかもしれない」
青年の儚げな声にフィーナは軽く目を見開く。だが直ぐその瞳に優しい情を込めると、青年の前に歩みより膝をついた。
「そうね。だってこの唄は、あなたを愛するものならつい足を止めて聴かずにはおれない……そんな唄だもの」
囁いたフィーナの顔を、カミューは凝視する。その顔が苦しげに歪んで、耐え切れず持ち上げられた両手に覆われた。
「フィーナ……」
指の間から漏れ出でた声は悲痛を通り越して、ずたずたに傷付いた者のものだった。
「カミュー」
そっと青年の肩に歌姫の手が添えられる。
「ごめんなさい。今のあなたに聴かせるべきではなかったわね」
その唄を聴きとめたマイクロトフとフィーナ。唄の歌詞が聴くものに知らしめるその情熱と愛情は、自然と聴き手が想いを寄せる相手に向けられるのだろう。
マイクロトフは、この唄を聴いてカミューを考えたと言ってはいなかったか。
これほどの……これほどの恋歌とは思いもよらなかった。あまつさえ男は、唄を聴いた後に武骨な質のくせに花まで買い求めた。唄の礼とは言えよりにもよって赤い花束を―――その意味するところは、深く考えずとも解ってしまう。
つまりマイクロトフは、カミューを愛していたのだ。
深く、焦がれるほどの想いをその胸に抱いていたのだ。カミューが男の不在によってそれに気付く遥か以前に。成就を願っていたかどうかはともかく、ああも心情の読み易い男が少しもカミューに悟らせなかった想いとはいかなるものか。
「でもカミュー。もう気付いているのでしょう? あなた自身の本当の心」
「フィーナ、わたしはマイクロトフを愛しているよ」
「………」
フィーナは束の間、息を止めてゆっくりと瞬きしたが、直ぐに緩く息を吐き出して微笑を浮かべた。
「そう」
歌姫の声に、カミューは顔を覆っていた両手を離すと、それを目の前で強く握りこんだ。
「マイクロトフが無事で良かった。―――でなければわたしは、わたし自身の愚かさに取り返しがつかないところだった」
そして青年はそっと自身の肩に置かれていた歌姫の手を取ると、それを軽く握った。
「フィーナ……ここで謝るのは、これまで色々と助けてくれたあなたへの侮辱になると思う。だから礼を―――ありがとうございます。そして願わくば、これからも良き友人でいてくれませんか」
「図々しい人ね」
フィーナの瞳が憤りに揺らいだ。その口許は不満を浮かべ、吐き出された言葉は遣り切れなさに満ちていた。だが握られた手は払われてはいない。
「本当に困った人……そんな事を言われて頷く女がいると思うの?」
青年はだが黙って微笑むばかりだ。
そしてフィーナは、そんな青年の笑顔を決して憎みきれないと解っていた。そればかりか男女間の恋愛を越えた、また別の愛しさを感じるのだとも。
「……その辺のつまらない女じゃ、何を馬鹿なと泣いて刺されるわよあなた。でも良かったわね。わたしはその辺のつまらない女じゃないわ」
不意に空気を変えて告げられた歌姫の言葉に、カミューは笑みを深めて頷いた。
「ええレディ」
感謝します。
名ではなく、レディと。親しさを一線画したその呼び方が、彼らの恋愛の終わりを意味したのだった。
そろそろ戻ると立ち上がるカミューに、フィーナは「大通りまで送るわ」と言い、一緒に戸をくぐって外の通りへと出た。
「最近は日暮れが早くなったわね。これからどんどん寒くなっていくんだわ」
西の空からの日差しは、昼間の頂点からくる強烈さは無く軽い眩しさがある。これで少し経てば今日の天候なら淡い紅色の夕暮れに変わるのだろう。
石造りのロックアックスの街は、北東に険しい岩山と山脈を控えている為に夏などは特に日暮れは短い。しかし秋から冬、刹那紅色の夕日に照らし出され、赤く染まった街並みは例えようも無く美しい。マイクロトフはそれを見るまでに帰るだろうか。
そうして二人並んで空を見上げつつ大通りまで歩いた。ところが、常に無い騒がしさに首を傾げたフィーナが「何かあったのかしら」と呟く。一瞬後、ハッとしてカミューは足早に大通りへと足を踏み出し、そしてそれを見た。
城へと向かう青騎士たち一行の背中―――。
「もしかして青騎士団長さんなの?」
追いついたフィーナが背後からそんな事を言う。
予定より随分と早い。だが一行は確かに数日前に送り出した青騎士たちの面々のようだ。そして一行の中には見慣れない一台の馬車がある。
石畳の大通りをガラガラと音を立てて、城へと遠ざかって行くその馬車をカミューは暫し息を詰めて凝視していた。
まだ、馬に乗れるほど回復はしていないと言うことか。
だが―――。
「何をぼっとしているの? 早く戻りなさいよ。ほら、ああもう見えなくなってしまったわ」
上り坂の大通り。人の歩みよりは早い馬の歩みに、一行の姿は坂上の向こうに消えた。
「レディ、それではこれで失礼を。お見送り感謝します」
素早く歌姫の手を取りその甲に羽根で撫でるが如きの口付けを落として、カミューは真紅のマントを翻したのだった。
城に戻ったカミューは、正門前の階段を駆け上った。そして見張りの騎士を掴まえる。
「マイクロトフは戻ったのか?」
すると聞いた赤騎士ではなく、反対側に立って見張りをしていた青騎士が「はい!」と答えた。振り返ると嬉しそうな笑顔がある。
「馬車でのご帰還のため、こちらではなく馬を通す方の門から城にお戻りです」
「そうか」
確かに衰弱して馬車での帰還の身で、この階段を昇るのは辛いかもしれない。しかし、それでは直ぐに医務室に向かうだろうか。そう思い至るなり、カミューは見張りの騎士二人に務めを労う言葉を残して城内へと足早に踏みこみ、そして一直線に医務室へと向かった。
その道程、見かける青騎士のどれもがこれまでとは打って変わった、安堵と喜色に満ちた表情をしていた。カミューのそれも多分、彼らのものとあまり変わらないだろう。いや、若干切羽詰ったものはあったかもしれない。
予想通り、医務室の前には青い騎士服の一群が揃っていた。
青騎士団の隊長たちであった。
「これはカミュー様!」
「マイクロトフは、中に?」
彼らの前に足を止め、カミューは医務室の扉を見つめて問うた。
「はい。我等が思ったよりはお元気そうなお姿でしたが、副長が是非にと。中で医師の診察を受けておいでです」
「そうか」
ふっとカミューの肩から力が抜けた。だがまだどこか緊張が残る。この目でその姿を確かめないことには、この緊張は解けないだろう。
「どうぞお入りくださいカミュー様」
赤騎士団長のそんな様子を見抜いたらしい大隊長の言葉に、カミューは「ああ」と頷いた。
「そうさせてもらおう」
そして扉に手をかけた。
開けた扉から真っ先に目に入ったのは、医師に向かってこちらに背を向けている男の黒髪だった。
「カミュー様」
青騎士団の副長が真っ先に気付いてこちらを向く。そしてそれに誘われるように、黒髪の主がカミューを振り返った。髪の色よりも深い黒瞳が真っ直ぐに見つめてくる。
「……カミュー」
「………」
咄嗟に声が出なかった。
今しがた呼ばれた自分の名前。それを紡ぐ男の低い穏やかな声が耳の奥で何度も繰り返し響く。じんと目の奥が痺れた。そして―――、
「マイクロトフ」
カミューもまた、男の名を呼んだ。
「あっマイクロトフ様」
不意に医師が慌てた声を上げる。また副長も驚いて一歩踏み出た。突然に立ち上がったマイクロトフのために。
医務室の中に他に人はいない。それほど広くは無い診察室―――立ち上がったマイクロトフはたった数歩でカミューの前まで歩み寄った。そして、腕を伸ばすといささかの躊躇も無く赤い騎士服の青年を抱き絡めたのであった。
「会いたかったぞカミュー」
突然の抱擁に驚いたカミューだったが、耳元で響いたその言葉に誘われた腕がマイクロトフの背を抱き返す。
「……ああ」
吐息に混じって吐き出された応答。
「あぁ、わたしもだマイクロトフ。良く戻った……おかえり」
「―――ただいま」
カミューはその耳と目と手で、男の帰還を実感したのであった。
■選択肢(A-7) さてこのあとカミューを…
喜ばせてあげたい
酷い目にあわせたい
■選択肢(A-1)に
戻る
や、やっと選択肢が置けました…
そしてやっと再会!(泣) しかも抱擁! あ〜〜長かったぁ
しかし書いていて詰まると読み返して話の流れを確かめたりしますが
詰まった場所まで来ると「つ、続きは?」と呟いてしまう
自分で書いてるくせに果てしない矛盾ですね(笑)
2000/08/27
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