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Pigs will fly

Eoin Moore

2002 D 102 Min. 劇映画

出演者

Andreas Schmidt
(Laxe - ベルリンの警官)

Thomas Morris
(Walter - ラクセの弟)

Laura Tonke
(Inga - ヴァルターの同居人)

Kirsten Block
(Manuela - ラクセの妻)

Hans Peter Hallwachs
(ラクセとヴァルターの父親)

Udo Kier
(Max - インガの伯父)

見た時期:2003年1月

明けましておめでとうございます。早いもので、書き始めてからもう半年。今年もよろしくお願いします。

ストーリーの説明あり

力作です。ドイツ人はハリウッドと違いそれほど強くハッピーエンドにこだわりませんが、マイルドな終わり方を好む傾向はあるようです。終わる時に必ずしも全てめでたしでなくてもいいのですが、何かしら救いのある決着を望む傾向は多少あるようです。そういう点ではこの作品は異色かも知れません。しかし出演者や制作に関わった人たちが気にするほどの事は無かったかと思います。インタビューの時司会者がしきりに「作るのに勇気が要ったでしょう」というような言い方をしており、答える主演俳優2人も似たような返事をしていましたが、ドイツ人の神経にこたえるほど厳しい結末でもありません。現実はこんなものだろうと納得できる終わり方をします。

主演の1人ラクセを演じた俳優には多少勇気が要ったかも知れません。この作品中のアンドレアス・シュミットの演技には上手いと感じさせない上手さがあります。《俳優が演じていて、それが上手い》と見える俳優もありますが、《これが地じゃないか》と思えてしまう上手さを持った俳優が時々います。アンドレアス・シュミットはそちらの方で、この日のインタビューに現われなかったのでほっとしました。

日本で公開される可能性はあまり高くないと思われるので内容をご紹介します。これを読んでから見てもやはり怖い話です。見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ あらすじ

話はベルリンで始まります。画面に映った薬局などの様子から、壁が開く前東ベルリンのエリートが住んでいた区ではないかと思われます。公団住宅のようなアパートがたくさん並んでいる近代的な地域です。主人公のラクセは制服警官。まじめで同僚とも仲が良く、これといって問題の無い生活を送っているように見えます。

勤務明けなのか、妻が働いている大きなスーパーにやって来て、買い物を始めます。妻マヌエラも勤務が明けるらしく、2人で食事に必要な物を買ったりしています。ところがスーパーのチーフがマヌエラに親しそうに話しかけたため、ラクセはちょっと気にします。マヌエラが制服を着替えている間駐車場で待っているラクセは1人で激しいヒステリーを起こしています。マヌエラが来るとまた普通に戻ります。家で買って来たパラソルをベランダに取り付けたりしているうちにラクセはまたかっとなり、マヌエラをめちゃくちゃに殴りつけ、手をねじ上げ重症を負わせます。救急車が呼ばれ、マヌエラは入院。夫は家に帰るように病院の人から言われます。引き金になったのはスーパーの出来事で、妻と上司の間に何かあると思い込んだためのようです。

画面で見えるのはこれだけですが、話の具合からドメスティック・バイオレンスの典型的なケースだろうと想像がつき、マヌエラがこういう目に遭ったのは1度切りではない様子です。最初の暴力シーンと、その直後、病院に見舞いに来たラクセとマヌエラの会話から、ラクセが普通でない事が分かります。しかし周囲の人にはそういう事がばれていない様子。

これまでは何とかごまかして来られたようですが、今回の入院では病院が奥さんに書類にサインをさせたため、ラクセは公式に告訴されます。 入院するほどの怪我をすると、病院には通報する義務があり、「痴話喧嘩です」では済まなくなります。そのためラクセは停職。

話を伝えに来たラクセの言い方では、まるでマヌエラのせいでラクセがトラブルに巻き込まれたかのようなニュアンスですが、この時はまだそうはっきり言うわけではありません。その直後、ラクセは「アメリカに行く」と言い出します。妻殴打事件の後アメリカに住んでいる弟ヴァルターに電話をしているうちに、アメリカに暫く行きたくなってしまったのです。

定職中の警官が事件の処理も終えずにそう簡単に外国に出られるものなのか、アメリカはドイツ人にビザを求めないのか、事件に関わっていたり前科のある外国人がそう簡単にアメリカに入国できるのかなどは分からなかったのですが、とにかくラクセはアメリカに行ってしまいます。行くという話を聞かされた時には、話を丸く収めるのに協力しているかのように見えたマヌエラもあきれて「私が入院しているっていうのに、あなたは休暇に行くのか」と言います。このあたりからラクセが身勝手な考え方をする人間だという事がはっきります。観客の方はこのあたりでラクセが妻にまだ1度も「怪我をさせてすまない」と言っていない事も気になって来ます。このあたり脚本の出来がいいです。こういう人物のタイプを知らない人は、《ひどく身勝手な奴だなあ》という印象を受け、それも正しいですが、こういう人物と付き合ったことがある人には《そうなんだよ、まったく》と思える描写です。

アメリカに着いたラクセは弟のヴァルターに迎えられ、彼の家に行きます。ドイツではよくある暮らし方ですが、ヴァルターは一軒家を借りて、数人で一緒に家賃を折半して暮らしています。台所トイレや風呂などが揃っていて部屋がいくつかあるので、部屋の数ぐらいの人が一緒に住むことができます。昔のテレビ・シリーズザ・モンキーズを覚えている方、ああいう風な共同生活です。もっとも住民はバンドを組んでいるわけではないので、職業や経歴、年齢などはばらばら。

ラクセはこの暮らし方に戸惑ったようで、変な質問をします。同居人の女性lとし親しくしているヴァルターを捉まえて、「彼女と関係しているのか」と聞いてみたりします。その彼女が食卓で自分の友達の話をするので、またそれについて変な質問が飛び出したりします。最初このシーンを見ていて「ベルリンから来ていて何でこんな質問が出るのか」と思いましたが、ラクセは東ベルリンの人という設定なのかも知れません。勤務地が東だというだけでなく、以前から住んでいたのも東なのかも知れません。

西側では70年代、80年代とアパート、一軒家に関わらず、若い人の間ではそういう生活の仕方が主流を占めていました。お金の節約という利点ももちろんですが、近所の人との付き合いも良くなり、自分のアパートで1人孤独に暮らさずに済みます。買い物に一緒に行ったり、家では料理を一緒に作って食べたり、恋人でなくても一緒に映画や展覧会に行く相手ができますし、日曜には一緒に公園に行ってバレーボールをやったり、とオタクにならずに済む方法が色々あります。数人で遊ぶモノポリーのようなゲームが流行ったのもこの頃です。今外務大臣をやっているフィッシャーという人もそういう共同生活の経験者の1人です。こういう家やアパートは WG (Wohngemeinschaft) と呼ばれています。特に中心になってやっていたのは大学生です。

その頃東側では皆が仕事を持ち、格安のアパートに入れる時代で家賃を折半する必要性は無く、それぞれの人が自分の家、アパート、部屋を確保していました。また誰がどこに住んでもいい時代でもありませんでした。東では高校の成績の順番によって大学に入れるか、どの学部に配属されるかがきっちり決められ、大学入学というパスポートを手にした人はその先のキャリアがかなり開けるものと決まっていました。それで大学で落第しないように勉強に明け暮れる毎日。WGなどで学生生活を謳歌する余裕はありませんでした。何しろこの人たちの大半が将来外交官、エンジニア、教師、学者などになるのですから。卒業試験もかなりきっちりしていた(厳しかった)ようです。この辺制度が全く違い、目的も違うので、西側が良い、東側が良いと決められませんが、みんな必死で勉強。ごく1部 WG もあったようですが、若者のカルチャーだ、ファッションだなどと騒いでいる暇はなかったようです。

ヴァルターは大分前に母親と2人、父と兄の元を去り、現在はサンフランシスコの蚤の市で本を売る仕事をしています。英語も上手で、同居人とも仲が良く、大金持ちではありませんが充足した生活を送っています。そこへ訪ねて来たラクセ。最初の戸惑いは去り、一応 WG に溶け込みます。ドイツから来ている同居人インガとひょうんな事から関係ができ、ラクセはインガの恋人気取りです。インガは問題を抱えていて、ルンルン気分ではありません。

彼女にはウド・キアーという金持ちの伯父がいて、パスポートを取り上げられています。そのためもぐりの仕事しかできず、深夜レストランで働いたりしています。ラクセにはそれが気に入りません。強引に夜の仕事を辞めさせ、ゲーテ・インスティトゥート(ドイツ語学校兼ドイツ文化紹介機関)で働かせようとします。インガは人にあれこれ言われるのが好きな性格ではありません。そのため時々もめ、1度ヴァルターの目の前でインガが殴られます。

このあたりから問題の焦点が絞られて来ます。ラクセとヴァルターは子供の頃ドメスティック・バイオレンスの環境で育っていました。何度か危険な目に遭った後、母親は下の子ヴァルターを連れて家を去り、ラクセは父親と家に残ります。父親は現在ベルリンでキオスクをやっています。この経験がラクセをドメスティック・バイオレンスに走らせ、ヴァルターを反暴力主義に傾かせました。兄弟が2人いると大抵2人は正反対になってしまうというところが悲しいです。子供は2人とも同じように苦しんだはずですが、1人は正しい道を選び、もう1人は間違った道を選んでしまいます。この辺はフレイルティー 妄執の2人の息子の運命と同じです。

役を演じるためにアンドレアス・シュミットとトーマス・モリスはかなり状況を勉強したようです。家庭内暴力の被害者と加害者の自助会にも顔を出したとモリスが言っていました。その経験が脚本に織り込まれていたのでしょう。そう言えばウィリアム・マポーザーがイン・ザ・ベッドルーム でニタっと笑いながらアンドレアス・シュミットと同じような怖さを出しています。

この WG の人たちは時々カフェに行って詩を読み上げたり、他の人の詩を聞いたりするのを楽しみにしています。似たようなシーンは Elling にもありました。自分たちがドメスティック・バイオレンスの家庭に育っていることをあまり意識していないラクセに問題を分かりやすく示すため、ヴァルターは自分たちの子供時代の苦しみを語る詩を作って読み上げます。ヴァルターには何年も前から分かっていた自分たちのトラブルですが、ラクセはそういう事に意識の中で蓋をしてしまい、これまで無かった事として生きていたようです。弟の詩を聞いて複雑な顔をするラクセ。

インガとの関係が続いている中、時々ドイツの妻からラクセに電話が入ります。インガとの関係では頼まれもしないのに保護を買って出る兄のようなタイプの恋人。独立心の強いインガからは嫌がられることもあります。ある日妻から舅が脳溢血で死んだと連絡が入ります。それでヴァルターと2人で帰国します。

葬儀が終わりラクセはこれからどうするか決めなければなりません。警察の同僚はラクセの事件をうやむやにする手助けをしたらしく、ラクセは次の月曜日から勤務について良いことになります。

ところがある日ヴァルターの姿が見えず、妻のマヌエラもちょうど家を出るところでした。ヴァルターはラクセのアパートでなく父親のキオスクに泊まっていました。妻はラクセが暴力を止めるとは思えないということで、離婚を希望します。その話でもめマヌエラは再び殴られる寸前まで行きます。最後のところでラクセが思い止まったのは、ちょうどそこに飾ってあった父親の写真が目に入ったから。

というわけでベルリンにいても家庭は崩壊。ラクセは結局弟とアメリカに戻ります。家で歓迎されますが、WG は新しい方向に動き始めます。同居人だったアメリカ人女性はパートナーと新居を構えることになります。ラクセはインガと2人で家を買うと言い出し、川向こうに安い家を見つけます。インガは2人きりの家より WG の方がいいと言います。インガは妊娠していて、堕ろすか産むか迷っていましたが、産む決心。子供の父親はラクセではありませんがラクセは子供を堕ろすべきではないと考えています。妻を殴る男ですが、他のモラルは普通の人よりしっかりしていて、見ていてこの落差に驚くことが多かったです。ヴァルターは蚤の市に来るブロンドの女性に惹かれていて、デートをしようと試みます。

このように全てが良い方向に決着しそうに見えます。インガは仲違いしていた伯父を尋ね子供の事を報告。この伯父は悪人ではないのですが、インガの生活が荒れるのを嫌がり、自分の家で働けばいいと考え、パスポートを取り上げていました(ウド・キアーが普通のおじさんを演じるところに注目)。しかし子供ができ、ラクセと一緒に暮らすという話に喜びます。

ところがこの2人の様子を隠れてのぞいていたラクセはウド・キアーの伯父が彼女の肩に手を回したり、ひざに触れたりするのを見てまた発作のようなヒステリーを起こします。ベルリンで妻を殴る直前に起こしたヒステリーと同じぐらい激しいものです。家に戻ったところで爆発、インガをめちゃくちゃに殴ります。止めに入ったヴァルターは非暴力主義にも関わらず、ついにラクセを殴ってしまいます。家族暴力の問題点を知り尽くしているヴァルターをこの1発が苦しめます。

最後はラクセは家を追い出され、金門橋をうろついています。何度か飛び降りようとした挙句、できずに歩いて行きます。

このあたりのシーンはダニエル  ブリュールDas weisse Rauschen と似ているのですが、ブリュール演じるルーカスが自分の問題をある程度理解して、生きていく決心をするのに対して、ラクセにはまだ自分の事が良く分かっておらず、この先どうして良いか分からないまま放り出されたという感じがします。 しかし子供を産む決心をしたインガを守るという意味でヴァルターは自分の弟でもインガから遠ざけざると得なかったのでしょう。

ラクセがこの後どの方向に向かうかは未知数。唯一の希望は、ベルリンで妻を殴る寸前に思い止まったこと。ヴァルターが長い時間をかけて自分の抱えた問題、苦しみに境界線を引くことができたのだから、ラクセにもできると希望的観測を持ちたいところですが、アンドレアス・シュミットの演技の良さが祟って、《まだ何とも言えない》という印象で終わります。

★ 撮影の裏話

ちょうどインガとヴァルターを演じた2人が映画館に来ていたので、話を聞くことができました。

撮影が行われたのは9月14日から。11日に大事件が起きた直後で、サンフランシスコでは金門橋が狙われるという噂があったため、FBI が警備に当たり、撮影などはもってのほか。空港と橋のシーンはゲリラ作戦で撮ったと、おもしろい話を聞かせてもらいました。警備の人にお情けで10分もらって撮影したり、本当に隠れて撮影し、警備らしき人が近づいて来たら一目散に逃げ出したり、終いには撮影の準備を整える係りの女性が捕まってしまい、与太話で相手をごまかして撮らせてもらったりと、映画は暗い話ですが、撮影の方は陽気な冒険物語でした。11日の事件があまりに凄かったので、撮影という形で気を紛らわせることができて良かったと2人とも言っています。この時期にアメリカにいた人たちはかなりのストレスだったようです。

誰がどんな質問をしてもいいということだったので、お邪魔虫の私も登場。滅多に聞ける機会がないので、ウド・キアーのことを聞いてみました。ウド・キアーについてインターネットなどで調べてみてもあまりたくさん資料はありません。公式にはどの監督に重用されているなどという仕事の事が載っているだけです。

ローラ・トンケにはウド・キアーとの共演シーンがあるので「ウド・キアーはどういう人か、撮影の合間はどういう感じだったか」と質問。答は意外にも、「子供のような人」でした。洋服を着て、室内で撮るシーンがあるのに、その家にプールがあったので喜んで裸になり、水の中に入ってしまったりしたんだそうです。「チャーミングな魅力のある人だ」とも言っていました。

はじめにも書きましたが、この映画が大受けするとは思えず、テレビでも(ハッピーエンドでないので)深夜の放送になるようなタイプ。しかしまじめに作ってあり、肩が凝るような作りではなく、話の流れに乗って納得しながら見て行けます。教育映画として作ったわけではないでしょうが、実際にドメスティック・バイオレンスに悩んでいる人などの役にも立つのではないかと思います。被害者と加害者の両方の事情、立場に同じぐらいのバランスを置いています。なぜラクセがこういう事になってしまったのか、なぜヴァルターがああいう性格になり、外国で暮らしているのかなどということが分かりやすく説明されています。そしてラクセの事情が理解できたからそれで許すといった甘さがなく、こういう暴力は例え自分がかつて被害者であっても受け入れられないのだという結論で終わっています。

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