映画のページ
2002 D 93 Min. 劇映画
出演者
Benno Fürmann
(Philipp Gerber - パウルの会社の販売員)
Martin Müseler
(Paul Reiser - 自動車代理店の経営者)
Nina Hoss
(Laura Reiser - 母子家庭の母親)
Antje Westermann
(Katja - フィリップの婚約者、パウルの妹)
Astrid Meyerfeldt
(Vera - ローラの同僚、親友)
Soraya Gomaa
(Françoise - パウルの婚約者)
見た時期:2003年9月
気軽に楽しめるエンターテイメント作品もちょくちょく出るドイツですが、他方でこういう作品を作り続けている人たちもいます。ドイツではどちらかと言えばこのタイプの作品の方が主流。残念です。人間関係を描くのが好きなドイツ映画界。色々掘り下げるのはいいのですが、観客にどういう風に伝わるかまでは配慮しておらず、監督が言いたい事止まり。この辺が喧喧諤諤の議論になりながら、支持者も集めているアレックスなどと違うところです。
アレックスと同じくカンヌでゴールデ・パルムにノミネートされたファニーゲーム という作品がありました。監督は喧喧諤諤の議論に持ち込みたかったようですが、ドイツではわりとあっさりやり過ごされています。ファニーゲーム もアレックスも Wolfsburg も観客に不快感をもよおさせるという点では共通しています。度合いから言うと Wolfsburg は多少控えめ。しかし不快感をもよおさせるシーンがいくつか重なった結果、後味が悪いです。
意図して不快感を起こさせる映画を作る時はその最終目的をよく考慮しないと失敗します。例えばアレックスでは監督の《人を護りたい》という気持ちが究極の表現で伝わって来るのですが(《こんな蛮行をしては行けない》というメッセージがはっきりしていました)、ファニーゲーム にはそれが無かったように思います。ファニーゲーム では《画面に暴力を出さなくても暴力は描ける》という監督独自の理論を証明するためだけに映画という手段が使われていたように思えます。皮肉なことに犯人は無傷で逃げおおせ、その後も犯行の理論を展開させ続け、《またやるぞ》という意図が見え見え。不必要に観客を恐がらせて終わります。せめて《こういう輩がいるから気をつけろ》ぐらいのメッセージは残しても良かったのではないかと思います。映画作りには大金がかかっており、欧州では寄付金や税金が使われていることも多いのです。そうなると「少しは役に立つことをしてくれ」と言いたくなってしまいます。
Wolfsburg は轢き逃げ事件の後の被害者の家族と加害者の人間関係を描いた作品ですが、加害者の周囲の人間関係を描くところで、不快な物の言い方をする兄妹を出してみたり、話の本筋とは関係の無い所で観客をドキッとさせるようなシーンを入れたりしています。やましい事ができびくびくして暮らしている主人公の心理状態を表わしたのかもしれないと好意的に解釈もできますが、あまり表現が上手ではありません。ハイスミスを映画化した作品の方が分かり易いです。
ストーリーの方は割に単純で、事件にまつわる人間関係に重点を置いています。この作戦は正しいと思います。人間関係を描いていながらストーリーも二転三転したのでは、観客はじっくり見ていられません。主人公のフィリップは車のセールスマンで、成績もまあまあ、店主パウルの妹カーチャと婚約もしており、前途洋々。兄にかわいがられ甘やかされているカーチャはジコチューで、フィリップはあまり晴れ晴れとした気分ではありません。客の所へ向かうちょうど今も電話で喧嘩の最中。携帯に手をかけようとしてちょっと油断した隙に子供を轢いてしまいます。将来を気にしたフィリップは現場から逃亡。子供は「赤い。フォード」とだけ覚えています。
工場で同僚のべラと共謀して商品を万引きしている最中のローラの所へ警官が2人やって来ます。観客はてっきり警備員に知られて窃盗で捕まえに来たのだと思いますが、警官は息子の事故を連絡に来たのでした。重態。病院に飛んで行きます。ここでわざわざ万引き話を出す必要はありません。「普通に貧しく暮らしている工場労働者」だけでも全くかまいません。
フィリップは事故の後あれこれ考えた末、病院に出向き、おり良くコーヒーの自動販売機の前で被害者の母親にも出くわすので、告白を試みます。ところがタイミング悪く、子供が昏睡状態から覚めたので、看護婦に呼ばれたローラはフィリップを放り出して息子の病室へ。
子供の症状が小康状態になったので、ローラは家へ衣類を取りに行きます。病室に戻ってみると子供はおらずベッドがありません。このショックは経験者でないと分かりませんが、神経にこたえます。1度知り合いに付き添い病院に行った事がありました。手術は夜で、大した怪我ではなかったのですが、手術が終わる時間を言われていて、時間通り病室に行ったら、ベッドが無いのです(?!)。その後何時間かたってようやく昏睡状態の知り合いが運ばれて来ました。単に手術の開始が遅れたので終了も遅れただけでした。しかし身内に麻酔の専門医などがいると、わけも分からず病室で待つ間良からぬ事を想像してしまいます。監督はこの辺の恐怖を良く知っていたのかも知れません。人間ドラマの副題にホラー映画とつけてもいいかも知れません。しかしファンタに出品した作品ではないので、こちらはホラーの心づもりができていません。映画の宣伝でもドラマというカテゴリーに入っています。
さて、事無きを得た友達と違い、ローラの方は本当の悲劇。息子は様態急変で死亡。看護婦が連絡しようとしても携帯の電池が切れていました。これも私の神経を逆撫でしました。わざわざこの時に携帯の電池をこういう風にする必要があるのか。この他にもフィリップとパウルの会話、フィリップとカーチャの会話など至る所に観客やフィリップが一瞬別な解釈をしてしまうような、ドキッとするシーンがちりばめてあります。これでフィリップの生活状況を描写するということなのでしょうか。それにしてはフィリップを演じるベンノ・フュールマンがどことなく現実から逸脱した、道に迷った王子様みたいな雰囲気で、現実そのものといった出で立ちのベラとローラにうまく噛み合いません。
息子を失い社会の底辺で生きていたローラは自閉症に近い症状になり、家にこもってしまいます。幸い工場で一緒に働いているベラが励まし、何とかまた仕事に戻ります。子供が死んでしまったことを間接的に知ったフィリップは苦悩がおさまりません。現場を車で通ったりしているうちにある日、ローラが入水自殺をしている現場に居合わせます。幸いまだ死んでおらず、フィリップは人助けをした青年という風にローラから受け取られます。その後時々会ったりしながら、ローラの生活を援助し始めます。
フィリップにしてみれば元に戻せない息子の死以外のところでできるだけの事をしたいという考えがあるのでしょう。警察につかまっていない自分の運の良さは自覚しています。ずるい男ではないようで、ローラに新しい仕事口を世話してやったり、明るくなるように持っていったり努力をしており、本人はかなり苦悩もしています。ローラの方はそんな事は全然知らないので、自殺を止めてくれた親切な男性、ちょうど今女性と別れたばかりで体が空いていると解釈しています。こういうところで不自然になってしまう映画が結構多い中、本作品の誤解ドラマは自然に流れます。
一方ローラはベラと一緒に臨時私立探偵をやっています。息子の言い残した言葉を頼りに、付近の赤い車を捜し始めています。地図を壁に張り、警察さながらの活躍ぶり。消去法で徐々に無関係な車、場所を消しています。フィリップはローラのアパートを訪ねているのでローラが捜査をしていることを知っていますが、妨害もせず、この話には一切触れません。いつの日か彼女が彼の車に行き当たるとしても自然に任せるかのようです。
そして来るべきものが来てしまいます。フィリップとローラの恋愛。人生の変更を決心し、カーチャと別れ、パウルの会社も辞めます。ローラを訪ね「故郷に帰るつもりだ」と言います。それまで普通にレストランに行ったりドライブをしたりのデートを重ねていましたが、ついにその夜海岸で・・・。その直後に悲劇がクライマックスに。車に水を取りに行ったローラは突然フィリップの車が赤いだけでなく、ナンバーに気づきます。
FO RD の後にナンバーが続きます。FOは車が登録されている、車検を行う町のイニシャル。日本で言えば多摩、千葉などにあたります。ドイツでは管轄区が小さいので、ほとんどの町が自分のイニシャルを持っています。ベルリン、ミュンヘンなど大きな都市ではこの文字が1字で、B とか M。中程度の都市では2文字。他にハンザの町ハンブルクなどは、ハンザの H も入るので HH の2文字。もっと小さい町では3文字です。RD 以下の文字と数字は普通のナンバーです。フィリップが乗っているのは Audi 社の NSU Ro 80。1977年に作られた車種で、ロータリー・エンジン。非常に珍しい車種です。マツダがこの会社のライセンスで生産しています。このように車が Wolfsburg に色々な形で出てくるのには種も仕掛けもあります。監督が意図してやっているのです。Wolfsburg というタイトルは単なる町の名前ですが、Wolfsburg は車の町。以前野原で何もなかった所にある日いきなり町を作ろうってんで、住宅を建て、工場を建て、でき上がった町です。そして、モータウンの光と影 を期待したのかどうかは分かりませんが、車の町にしようってんで、VWの工場ができています。VW (ファウ・ヴェー)というのはドイツ人がフォルクスワーゲンを呼ぶ時の言い方です。話を元に戻して、車種がアメリカのフォードでなかったので、ローラはフィリップが犯人だとは最初思いつきませんでした。フィリップが最初シルバーグレーの車でローラを送り迎えしていたことも気づくのが遅れた理由でしょう。せっかく仲良くなったのにこの運命は過酷ですが、フィリップは最初から覚悟ができていたようで、この後の多少劇的なショーダウンでも落ち着いています。
試写の当日はベンノ・フュールマン、ニーナ・ホス、クリスチャン・ペッツォルドがゲストで来ていました。驚いたことにホスはブロンド。映画では黒く染めています。ベンノ・フュールマンという俳優は使われ方が悪いのか、本人の責任なのか今一つ好きになれません。どうも心から楽しんで映画制作に参加しているという雰囲気ではありません。同じくよく売れている若手のユルゲン・フォーゲルとかなり違います。迷いの年齢にさしかかったのでしょうか。
フュールマンは良く売れている、重要な監督から重用される俳優の中に入っている人です。現在30才ちょっとで、10年ほど前からテレビで活躍をはじめ、徐々に劇映画に進んでいます。私が見たのは以下の通りで、1999年から2003年の間に制作されたものばかり。有名な監督の作品か、大評判になったものがほとんど。唯一それほどのびなかった Freunde が映画としては1番出来が良かったです。しかし俳優の実力から言うと共演した Erdal Yildiz の方が力がありました。
最初は「ベンノ・フュールマンは見かけが良いからそれで売れた」という印象で、私は「いや、それは誤解で、本当は実力を持っているのだ、こんなに有名な監督から使ってもらっているのがその証拠だ」と、考えを変えるチャンスを今か今かと待っていました。しかし今回 Wolfsburg を見て、やはり最初に受けた印象の方が正しかったのか、コースを元に戻そうかと考えているところです。
まだ迷ってしまうのは Wolfsburg の最後の方にちょっとだけ「上手になったか」と思えるシーンがあったからです。完全に大根役者と言ってしまうほどのアラは出ないので、決めつけるのが難しいです。デトレフ・ブック、ユルゲン・フォーゲル、ダニエル ・ ブリュールですと、どんな作品に出ても本人の才能がちらつくのです。驚いたことにうち2人は俳優学校に行っていない、1人は映画制作の学校で監督になる方法などを学び卒業していますが、入学する前にもう大きな映画祭に参加して評判を取ってしまったという天才。マスコミの扱いから言うとしかしベンノ・フュールマンの方がやや上。グッバイ、レーニン! で大ヒットを飛ばしてからようやくダニエル ・ ブリュールも扱いが良くなった感はありますが。このほかにコメディー専門ですが、マニトの靴のミヒャエル・ヘルビッヒも達者な人です。しかしフュールマンは何とアメリカのリー・シュトラスブルクの学校で演技を勉強しているのです。ベルリン生まれですが、話しているのを聞いていると全然ベルリンの訛りは無く、やや南っぽいアクセントがあります。
上映後の質疑応答では3人いろいろな事を言っていましたが、どうもピントが外れているような感じ。司会者もあまり乗っていませんでした。例えば車のシーンが大切だとか、車を上手に運転できる人が主演に必要だという話が出たのですが、フュールマンの運転が上手だというような印象の残るシーンは無く、どちらかと言えば危なっかしい運転。唯一おもしろい発言は、監督の一言「ドイツではロードムービーは撮れない」。これは実に正しい(!)、納得せざるを得ません。ドイツは日本と似たような治安状態で、数時間車を飛ばしてよその州に入ったら、警察も追って来ないなどということは絶対にあり得ません。それどころかフランスやスイスに逃げてみても手配は続きます。スペインに行っても連絡を受けたら警察は来ます。「州境を逃げ切ったら目の前は未知の世界」という展開はあり得ないので、犯罪に関係があってもなくても「目の前は冒険だらけ」という風にはなりません。恐らくイタリアへ行ってもスペインへ行っても Wella のシャンプーがあり、M&M のチョコボール(先日このチョコボール早食い競争があり、ギネス・ブックの記録が破られました。ライバルのネッスルも似たようなチョコボールを出しています。欧州中どこへ行っても買えそうです)があるでしょう。自分の知っている物がよその国でもすぐ手に入ります。欧州は砂漠や荒野を目の前にして、この先何があるか分からないという世界ではないのです。考えようによっては森がそういう役目を担っていますが、木がたくさん生えていて、車では入って行けないし、高速道路の建設されている所ではバッチリ人とカメラに管理されています。そして森の中では森林警備隊が自然保護をしようってんで、その辺を歩き回っています。いざとなったらヘリも飛んで来ます。これでどうやってロード・ムービーを作れって言うんだ - 監督の言う通り無理です。
インタビュー中にフュールマンと監督が「悪い事をした人があまりにもあっさり告白してしまって許されてしまう社会だ」というような発言をしていました。やった事の責任に耐えられずすぐ白状してしまう人が多い、短く言うと安易な人間が多いということです。私もこの発言には同感ですが、それがこの映画について何を言っているのか、フィリップがもっと苦悩するべきだという事なのか、それとも逆にフィリップはここまで苦しんでいるのだと言いたいのかが分からないというあいまいな映画でした。北野武の Dolls ですとその辺はしっかり押さえてあり、自分で蒔いた種は自分で・・・という姿勢がはっきり出ています。
ま、それでも見て損をしたという作品ではありません。招待券だったので、こちらの懐も苦しまずに済みました。しかし、ファンタで色々おもしろい作品を見てしまい、ドイツ映画でも最近おもしろいものが色々出ていたので、ちょっとかすんでしまった感があります。
色々文句を言いましたが、最後に良い点も。ホス演じる交通事故の被害者の母親ローラは良い出来です。彼女の苦しみは上手に出ていました。彼女とべラの友情も現実的で、不自然さを感じさせません。ホスは同じくフュールマンと共演した Nackt と全く違う役を演じています。
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