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2003 USA/D 109 Min. 劇映画
出演者
Charlize Theron
(Aileen - 売春婦)
Kaitlin Riley
(Aileen - 10代)
Cree Ivey
(Aileen - 7才)
Christina Ricci
(Selby - アイリーンの恋人)
Bruce Dern
(Thomas - アイリーンの知人)
Lee Tergesen
(Vincent Corey - セルビーの父親の知人)
Annie Corley
(Donna - ビンセントの妻)
Pruitt Taylor Vince
(Gene - アイリーンの客)
Marco St. John
(Evan - アイリーンの客)
Marc Macaulay
(Will - アイリーンの客)
Scott Wilson
(Horton - アイリーンの客)
見た時期:2004年4月
今年のオスカー主演女優賞を取った作品です。キッドマンは偽の鼻をつけて、セロンは偽の歯をつけての受賞。1年前のニコール・キッドマンに比べ、シャーリーズ・セロンはそれなりに労働をしてオスカーを取ったという感じがします。キッドマンはただ鬱っぽい顔で眉間に皺をよせ、暗い小声でぶつくさ言っていたらオスカーが来たという印象で、この年は不満でしたが、その前の年、力いっぱいこれまでと違うジャンルに挑戦したのに貰えなかった過去があるので、2年で帳尻が合ったという印象。セロンの方はそれまでのブロンド美人の印象で充分イメージを固定しておき、それにうっちゃりをかけての勝利ですが、力を注いだ作品で大きな賞を取ったという意味では納得が行きます。私はわりと彼女が好きなので、この結果には喜んでいますが、演技力の方はこの程度は軽くこなす無名の助演俳優がたくさんいるということはコメントしておきましょう。しかし貰った賞が励みになってその後もっと良くなる人もたくさんいますから、祝福。私が感動したのは彼女の演技でもオスカーという賞でもなく、大統領から電話が入り、本人も大喜び、この人には帰れば歓迎してくれる国があるんだなあというところ。
私はいろんな場所にいい思い出があり、その時その時「そこに住み着いた」という気持ちだったので、帰る所がいくつかあり、また、逆にそういう「故郷」が私と一緒に旅して回っているので、困難に遭遇した時にも随分助けになりました。その上インターネットなどがあると、「当時の思い出」だったはずが、すぐ繋がるので「現在」にもなり得ます。ですから自分に故郷が無いと感じたことが無かったのですが、ドイツに来て色々な人と知り合い、精神的な故郷の無い人が多い、それこそ過半数がそうなのではないかと思うようになって来ました。国が違うからなのか、世代が違うからなのかは分かりません。孤独な人間が多いのです。
孤独と言えば本当は誰でも孤独なのですが、それが悪影響を及ぼすかどうかが問題です。どこかに行けば誰かと話ができると知っていて、たまたまある時1人だというのと違い、自分が1人切りなのだということを意識せず、「1人切りなのだったら、友達を探そう」と対策に乗り出すことを始めていない人が多いのです。アルコール、ドラッグなどもそれが遠因になっているケースが多いと思います。
モンスターはレズビアン映画と誤解を招きそうですが、実は孤独を扱った作品です。配給会社がどういう宣伝をするかはまだ分かりません。ベルリンはゲイの町ですからレズビアン映画と言うとその客層にアピールするでしょう。連続殺人物ですから犯罪物が好きという観客にもアピールするでしょう。実話が好きだというので映画館に来る人もいるかも知れません。オスカーを取った映画だと言えばそれでも通用するでしょう。しかし孤独な人間の映画と言うと、そっぽを向かれてしまうかも知れません。自分も孤独だと思っている人には痛い所を突かれたと思われてしまいますし、孤独だということを認めたがらない人も避けて通るでしょう。セロンはゴールデン・グローブも取り、ベルリンでも賞を取ったので、グローブ + オスカー + ベルリンの熊賞と宣伝するのが無難なセンかも知れません。
全体は実話。本当にこういう女性がいて、2002年に死刑。6人から7人ほど殺しています。最初の事件は正当防衛。子供の頃から不幸な育ちで、かなり若い頃から体を売っていた女性アイリーンの伝記です。監督はあまり深く感情移入してお涙頂戴にせず、なぜこういう風になったのかをアイリーンの視点から描いています。極度の感情移入を押さえたところが成功の理由だと思います。この点同じくオスカーを取ったミスティック・リバーは監督の誘導が強いという印象。モンスターは観客に色々な感じ方の選択肢を残そうとした演出で、モンスターの方が好感が持てます。
映画が始まる頃にはホームレスのおばさん。年はおばさんというほど行っていないようですが、日々の苦しい生活が顔に現われ、おばさん風。1人だけ親切にしてくれる男がいて、それがブルース・ダーン。彼はきれいに年を取り、感じのいいおじいさんになっていました。若い頃はノイローゼ男ばかり演じていましたが、わりと好きな俳優です。
彼女の日常がざっと説明され、すぐにクリスティーナ・リッチ演じるセルビーと知り合いになります。セルビーは中流階級の父親の知人宅に住んでいました。話の端から彼女も孤独なのが分かります。本人はレズビアンになっていて、そういうバーにいる時にアイリーンと知り合います。アイリーンはレズビアンではなく、そこがどういうバーか知らずに入って来たので、最初嫌悪感を示しますが、自分にまともに口を利いてくれた少女が現われたのですぐ反省。謝って仲良くなります。
それから暫く2人の楽しい時間が描かれます。ちょっとその辺の食堂で話をするだけでもアイリーンの心は和み、生まれて初めて人間らしい感情がわいて来ます。それまでの彼女の人生は聞かされる方にとっては「またか」のお涙頂戴。しかし彼女の肉体と感情はずたずたで、これまで必死に生きて来たのが分かります。ここで幼児の頃から被害者だった人間とそういう事と一切関わり無く生きてきた「健全な」「普通の」人との間の深い溝が見えます。自分にそういう事が起きていない人は決して彼女を理解せず、受け入れないのです。
ブルース・ダーン演じるトーマスは現在は妻子ある普通の市民。その彼がなぜ彼女に親切にするかというと、彼はアイリーンとは事情が違いますがやはり修羅場をくぐっていて、彼の心を理解する人もまた非常に少ないからです。
セルビーは微妙な立場。彼女はかなり孤独ですが、アイリーンやトーマスのくぐって来た修羅場は経験していません。する気もない。ですから実際にはアイリーンとセルビーの間には橋がかかっておらず、セルビーはアイリーンの側に歩み寄る気は全くありません。アイリーンはしかし修羅場しか知らない人生を送って来たので、そこまで深く考える余裕はなく、まともに口を利いてくれたセルビーにのめり込みます。
ここから彼女の人生は坂を転がり落ち始めているのですが、本人は気づきません。アイリーンはセルビーと会う直前正当防衛で男を1人殺しています。そういう殺伐とした中で慰められるような体験をし、レズビアンでないのにセルビーに調子を合わせて彼女と関係を持ち始めます。セルビーの愛を得るためなら何でもするという姿勢です。
この成り行きを見ていて、ちょっと考えさせられました。ベルリンはゲイの町で、人口のかなりのパーセンテージがゲイかレズビアンなのですが、その中の何割が性的な選択でなく、育った家庭の事情、成り行き、孤独などから精神的な慰めを求めてゲイの世界に飛び込んだのかという疑問を持ったことがあるのです。ベルリンという町がゲイに対してリベラルで、変な差別をしないという点は評価でき、それぞれ皆平和に暮らしています。特別視されないということがどんなことか、その価値を分かっている人も多いようです。どういう成り行きで現在ゲイなのかなどというのはみなまちまち。それはそれで構わないのです。
私が見ていてもう少し何とかならないものだろうかと思うのは、友情というものの考え方が狭く、男同士の友情、女同士の友情、男女の友情などが友情として深まらず、固まらず、わりと早くゲイとか、恋愛という風になってしまうのです。日本では「男2人の篤い友情」などというのは珍しく無く、映画を作る時には好まれるテーマです。女2人でも学校時代からの友達として結婚しても続くなどという話は全く普通。それで2人が何かに感激して抱き合っていても、すぐゲイだ、レズビアンだという話にはなりません。日本はそのあたり人間関係に余裕があって、すぐレッテルを貼らないように思えるのです。男2人の友情が篤く、結婚して妻子ができても時々そちらを優先などという話も聞きますし、「奥さんがやっかんで」と口では言っても、世間ではわりと認め合っているように思えます。こういう人間関係がドイツではあまり育っておらず、男2人、女2人が仲良くすると、周囲から簡単にゲイの世界に押しやられてしまうように感じたことが時々ありました。そのあたりを考慮しながら見ると、アイリーンとセルビーの関係も本当のレズビアン関係と言って良いのか考えてしまいます。
アイリーンはトーマス(ダーン)でもセルビーでも他の誰でも、彼女の話を同じ目の高さで聞いてくれる人がいれば心が和んだのではと思うのです。体を売る仕事も選択として最良ではありませんが、お金をためていずれ自分のバーを開くとか、何かしら目的を持って生きて行くのにそういう友人が必要だったのではないかと思うのです。ベルリンは売春が以前から職業として認められている地区で、売春を本職にしている女性が大学で社会学だか心理学だかを学んで卒業寸前まで行ったということがニュースに出るような町です。ですから本物のアイリーンがベルリンで生活していたら、話は全然違ったものになったでしょう。彼女は生家でつまずきその後間違ったルートを歩き続けて破滅に向かってしまった人です。その人生の途中で1度だけ愛情を見つけたと思ったらそれもだめだったという視点で監督は撮っています。セロンはその方針に賛成したようで、撮影にあたって本人の手紙を何度も読んだそうです。
クリスティーナ・リッチには敢闘賞をあげてもいいかも知れません。これまでの印象は極端なメイクで無軌道な若者といったようなものだったのですが、スリーピー・ホローでは180度方向転換。淑女になっていました。モンスターではわりと好感の持てるメイクで、やや穴のトーラ・バーチに似た雰囲気。事件に巻き込まれたようなスタンスを取りながら、その実ずるさが見えるという易しくない役です。しかし上手にこなしていました。これまでの若さに任せた演技ではなく、俳優として通るような演技です。セロンも頑張っていましたが、リッチの裏切りの演技があって余計セロンの絶望が引き立ちます。
司法取引でもあったのか、アイリーンを有罪に持ち込むためにセルビーは決定的な裏切りをします。セルビーはアイリーンが人を殺している間、教唆と取れないこともない行動をしています。自分は決して手を汚しませんが、アイリーンがどうやって金を工面しているか承知しているような面があります。結果としてアイリーンを深みに誘う形になります。そして最後は彼女を捨て保身を図ります。で、アイリーンは死刑。
アメリカでこの事件は女性による最初の本格的な連続殺人として有名になり、マスコミは彼女の事件をネタに稼ぎまくったそうです。セルマ&ルイーズという映画もこの事件を元に作られたのだそうですが、両方を見てもそれほど共通点は見つかりません。本人は最後これ以上無駄に税金を使って延命しないでくれと当局に訴え、控訴などを止め、死刑を望んだのだそうです。
セロンはアイリーンを悪用しないため、死刑が中止になった場合面会をする、死刑が決定になったら死ぬまでの時間を本人の自由にさせるという風に考えたため本人と会っていませんが、写真を比べるとかなり似ています。アイリーンの手紙を読み、録画などを見て態度を研究したようです。彼女は普通ドイツでは男性が取るような体の動きをし、目は始終落ち着かないか、怯えたような、驚いたような表情をしています。これまでのどの役とも違う出で立ち。良く勉強しています。
セロン自身人生の一部も劇的で、女性の置かれる辛い立場に関しては良く分かっていたようです。モンスターの宣伝にはそういう生い立ちも利用されていますが、オスカーを貰った後、「そろそろそういうのは止めたい」と発言したとか。自分の現在置かれている立場をきっちり理解しているようです。
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