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Sebastián Cordero

2004 Mexiko/Ecuador 108 Min. 劇映画

出演者

Damián Alcázar
(Vinicio Cepeda - 自動車事故の責任者)

John Leguizamo
(Manolo Bonilla - レポーター)

Leonor Watling
(Marisa Iturralde - 取材班の1人)

José María Yazpik
(Ivan Suarez - カメラマン)

Camilo Luzuriaga
(Capitan Bolivar Rojas - 捜査担当の警官)

Gloria Leiton (Esperanza)

Luiggi Pulla (Robert)

Henry Layana
(Don Lucho - 子供を失った男)

Tamara Navas
(Dona Etelvina)

Alfred Molina
(Victor Hugo Puente)

見た時期:2005年8月

2005年ファンタ参加作品

ストーリーの説明あり

比較的具体的な話が続きますが、驚愕の結末はばらしません。

エクアドルの映画を見たのは生まれて初めてです。上映されたのはファンタの始めの方で、佳作と言えますが小さな気になる点がありました。凄い優秀作の前に上映というのはいいタイミングでした。

物語は2つの事件の重なり合い。交通事故が起き、少年が轢かれて死んでしまうのが事件の発端です。自分にも同じぐらいの年の息子がいるおっさんヴィニシオが別なおっさんルーチョの息子をはからずも殺してしまう結果になります。事情あって今後子供が望めないルーチョにはもう1人息子がいたのですが、最近町で起きている《ババオヨ・モンスター事件》と呼ばれる事件の犠牲になったばかり。少年を狙った連続殺人事件です。2人目の息子まで失った時怒りが頂点に達し、おっさんは切れてしまいます。事故で付近に集まって来た群衆も一緒に切れてしまい、加害者になってしまったヴィニシオはリンチに遭います。全身にガソリンをまかれて火をつけられてしまいます。

今年のファンタにはカメラがテーマになる作品と、火傷がテーマになる作品が続出。これもその1つです。

ちょうどこの時、町にいたレポーターのチームが騒ぎをテレビ・カメラに収めます。エスカレートして撮影の対象になっている事故の加害者、同時にリンチの被害者になっているヴィニシオの命が危ないと判断し、レポーターのマノロははからずも彼を助けることになります。ちゃっかり取材に十分な時間撮影した後で助けるというところにレポーターの野心が見え隠れします。

喧嘩両成敗で子供をひき殺してしまったヴィニシオと、彼を焼き殺そうとしたルーチョは両方とも警察に留め置かれています。ヴィニシオをマノロが留置場に訪ねると、ひどいことになっていました。子供を轢き殺したということで、一緒に入っている他の男たち、看守などから良い扱いはされず、全身糞まみれにされ、火傷の治療もちゃんと受けていないのです。ただこのシーンを見ているだけでもひどい状態ですが、火傷の傷がまだ開いている所に細菌たくさんの糞をかけられたのでは、細菌感染を起こして命に関わります。このシーンは目に見える以上に危険です。普通ああいう火傷をした人は数日隔離され絶対に細菌感染を起こさないように予防対策が取られます。加害者兼被害者ヴィニシオはそれどころか留置されている間にさらにリンチに遭い、今度は殺される危険もあるとマノロに訴えます。もっと安全な場所に移してもらいたい様子。

その頃町では連続少年誘拐暴行殺人事件が起きていました。犠牲になった子供の数は無視できず、警察もマジで取り組んでいます。マノロに救出を訴えてもあまり色よい反応が得られなかったヴィニシオは「自分は少年事件の手がかりを知っている、ある男から聞いた」ともらします。「話の続きを聞きたかったら、自分をここから救出しろ」というわけです。マノロは当地でスター扱いのレポーターで、マイアミの局のために働いています。

ティームのメンバーはカメラマンと準備を進める女性の3人で、この話をどう扱うかについて議論を戦わします。皆修羅場を何度もくぐって来たベテランで、多少モラルを曲げることにためらいはありませんが、どこまでが《多少》でどこからが《やり過ぎ》かで意見が分かれます。

少年たちは殺されるだけでなく、性的な被害にも遭っており、犯人逮捕はどの面から見ても急がれます。警察と取材班は犯人逮捕をしたいという点では一致していますが、そこに向かうまでの方法、法律をどの程度順守するかなどでは意見、解釈が大きく分かれます。

事件の犯人は映画の最後に分かり、苦い結末になります。しかし犯人探しよりそこに至るまでの取材班の様子、エクアドルの町の様子が重要なテーマで、そこに観客に訴えるものが十分盛り込まれています。社会派の犯罪映画です。

エクアドル共和国というのは私にとっては地理の授業で首都の名前を覚えるぐらいの意味しかありませんでした。語学を勉強し始めてからは赤道が通っている国だぐらいの認識しかありませんでした。実際には資源に恵まれ、山も海岸もある自然にも恵まれた国なのですが、開発はされておらず、貧しい生活を強いられている人々が多いそうです。そのあたりの様子はたっぷり見られます。土地の人の生活を知るという意味だけでも一見の価値があります。

最初なぜあんな家の建て方をするんだろうと思っていたシーンがあります。貧しい人が多く、粗末な木造の家が密集するのですが、棒で支えてかなり上の方に住居を作っているのです。ここは季節によって水が押し寄せて来るのかも知れないなどと思いました。ニューオルリンズがこういう家の建て方をしていたら被害が少なかったかも知れません。再建する時には是非1階はガレージ、居間は2階にすることをお薦めします。

事件を通してレポーターがどういう行動を取るのかも批判的に描かれています。30歳、40歳で職業的に成功した人が必ずしも精錬潔白ではいられないというところが上手く描かれています。どこかでモラルと折り合いをつけ前に突き進む、それが成功の秘訣ということなのかも知れません。ジャーナリズムのあり方は日本でもドイツでも時々問題になりますが、この作品の主人公もやらせとは言わないまでも、自分の意図に合うようにカメラマンに指示を出し、自分が持って行きたい方向に理論を展開します。

その彼が事実に裏切られた時どうなるか、それがこの作品の最後の部分で、そこは詳しくばらしません。この作品が日本に行くかどうかは分かりません。少なくとも有名な俳優が出ているので(ジョン・レグイザモアルフレッドモリナ)、名前に引かれて買う映画のバイヤーが出ることを期待しています。

1つだけ気になった欠点をご紹介。ジョン・レグイザモというのは有名な作品にも顔を出していますが、これまで英語だけを聞いていました。彼がスペイン語に堪能だと聞いても驚きませんし、この作品ではもっぱらスペイン語を話していますが、時々意味も無く英語が飛び出してしらけてしまいます。レポーターのティームは皆他の国でも仕事をするでしょうから、英語とスペイン語の両方ができるというのは自然。しかしレグイザモだけが英語をしゃべり、その英語を理解した共演の俳優がスペイン語で応対するというのはホテルの部屋などの内輪の会話の時は奇妙に見えます。監督にどういう意図があったのかは不明。

この点を除けは、主演の俳優は皆気合が入っており、町の様子は自然な撮り方で分かりやすく、群集や助演も場面に良く合って雰囲気を盛り上げています。やりようによっては結末を《驚愕の結末!!》に持って行くこともできます。この作品ではそれを押さえ気味にして、レグイザモの複雑な表情で終わりにしています。この辺は監督の選択だったのでしょう。

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