December.31,2000 PRIVATE EYE 2000自選ベスト10
ついに大晦日だ。なんだかんだと言いながらも[毎日更新]を続けてしまった。まったく一年我ながら、しょーもない文章を書き連ねてまいりましたが、ここでこの一年に書いた文章の中で、自分なりに心に残っているものをベスト10形式で振り返ってみたいと思います。主に『蕎麦湯ぶれいく』に書いたものが中心になりますがね。
第10位 まずは軽く、3月22日に書いた【しかと】 [しかと]という言葉の語源が分かって、面白くなって書いたもの。自分では割と気に入っているのですがね。
第9位 9月20日に書いた【ワンマンバス運転手】 日光で乗ったバスの運転手があまりに面白いことを言うので、そのときのことを思い出してモノローグの形で文章にしてみました。本当にあったことです。
第8位 12月16日に書いた【心霊写真?】 こちらは『江戸っ子かばパソ演芸場』に特別編として書いたもの。おふたりの方からメールを貰いました。しかし、あの写り込んでいたものの正体はいったい何だったのだろう? あの最後に書いたように、実は心霊現象かもしれないという不思議なことが幾つかあったのだ。しかしそのことを、この年末や年始に書くのもどうかと思っていたので、あえて書かなかった。来年しばらくしてから書いてみようかと思っています。
第7位 3月6日に書いた【携帯電話】 会話体を混ぜ込んでみました。『江戸っ子かばパソ演芸場』でもそうですが、会話体というのは打っていて躁状態に突入してしまう傾向があります。サカナにされたみなさん、ごめんなさい。でもあれ誇張はありますが、ほぼあった出来事です。そういえば今月の初め頃は、『蕎麦湯ぶれいく』も『言いたい放題食べ放題』も全部会話体にしてしまったっけ。マンネリ打開の苦肉の策でした。秋の競馬コーナーもいつしか会話体にしてしまった。携帯電話を持つようになって10ヶ月。本当に必用になるのは月に一度程度です。よく考えたら急ぎでない用は、ほとんどメールでやるようになっていたんですね、私。普通の電話もほとんど使わなくなってしまった。
第6位 5月5日に書いた【初任給】 これはTAVERNにも飛び火して、場外乱闘のような展開となり、私もワクワクとしていたのですが、某くんが何を慌てたのか、よっぽど人に知られたくない過去があったらしく、「いいかげんにしなさい!」の一言で終わってしまった。これから面白くなるところだったのに。よおし、また火をつけてやろうっと。
第5位 4月1日に書いた【小説もどきを書いてしまった】 京極夏彦の『どすこい』を読んだのと、筒井ワールドで『走る取的』を見たことから、リチャード・マシスン原作、スティーヴン・スピルバーグの監督第一作『激突!』のパロディのようなものが頭の中に浮かんできて、どうしても書かないではいられなくなってしまった。前日の『言いたい放題食べ放題』で予告まで書いてしまった。80%くらいまでは出来ていたのですが、当日になって最後のオチが突然浮かんできたときには、「やったー!」と思いましたね。本当は、もうひとつ小説のパロディが浮かんで、内容からいって12月にアップするのがベストだと思っていて、放っておいたのですが、今月になったら、なんだか面倒になってしまった。来年の12月にやろうかなあ。
第4位 自分では、こんなの読んだってつまらないだろうと思うのですが、不思議と人気があるマンション管理組合理事会もの。4月11日と6月3日に書いた。続きを書けと言われるのですが、これといってあと面白いようなネタがないんですよ。
第3位 1月21日に『言いたい放題食べ放題』の方に書いた【菓子パン】 始めは普通に書いていて、ふっと思い出したのが神田北陽という講談の人が演じた新作落語。あの調子で菓子パンを語ってみたら面白いんじゃないかと思いついた。そうしたら、どんどん悪乗りして、ムチャクチャに暴れまわっているだけの文章になってしまった。でも好きなんですがねえ。
第2位 『江戸っ子かばパソ演芸場』の文章はどれも思い入れが多くて、出来不出来はありますが、自分としては全て大好きです。アイデアがなかなか浮かばなくて苦しんでおりますが、浮かんでいざ打ち出すと躁状態! もう打っていて、こんなに楽しいコーナーはない。どれかひとつと言われれば安渕くんに受けた、1月8日の【アドビ・フォト・ショップ】ということにしておきましょうか。オチは最初から決まっているときと、決まっていないときがあるのですが、最後に追いこまれて浮かんできたものの方が面白かったするから不思議です。
第1位 これはもう当然でしょう。10月21日【座長植木等、楽屋初日風景】 この一年を通じて最大の出来事は、ひょんなことから中日劇場の植木等の楽屋で植木等本人に話を聞くことができたこと。この憧れのスターと話せて、すっかりパワーを貰えた気がします。今年は、何とか笑える文章が書けないかと思ってやってきたところがあります。泣いても笑っても一生なら笑って過ごしたい。どれかひとつでも、パソコンの画面を見た人にニヤリとでも笑ってもらえたら、それで私は満足です。[毎日更新]なんて今年一杯でやめようと思っていたけれど、こうなったら、行けるところまで行ってみようかなあ。
♪一つ山越しゃ ホンダラダ ホイホイときたもんだ。
ホンダララ、ホンダララ、ホンダラホダラダ、ホーイホイ・・・・・・・
December.29,2000 だって知らなかったんだもん
20年くらい前のこと。駅の売店で『夕刊フジ』を買った。別に毎日買うというわけではなかったのだが、たまたま読むものがなくて『夕刊フジ』を買ったのだった。習慣で100円玉一枚置いて、その場を去ろうとしたら、売店の女性に怒られてしまった。
「『夕刊フジ』は110円になったんですよ!」
あっ、そうなのかあ、値上げしたんだあ。私は慌ててもう10円を渡しながら、こう言った。
「すいません、値上げしたんですね」
そうすると、キツイ調子の女性店員の一言が返ってきた。
「もう先週から料金が変わっているんですからね!!」
これ余計な返事だよなあ。こっちは『夕刊フジ』を毎日買っているわけではない。月に2〜3回買う程度なのだ。本当に知らなかったのだよ。これでもこっちは客なんだからさあ。それはないよなあ。この店員さん、何か面白くないことがあったのかなあ。それで虫の居所が悪かったのだろうか。
話は、突然昨日のことに飛んでくる。築地の場外市場は普段は料理のプロと観光客くらいしかいないのだが、この時期は正月用品を求める人達で大混雑だ。プロの人達は、目的の店が決まっているからサッサッと歩くのだが、素人さんたちは一軒一軒覗きながらだから、狭い道は渋滞してしまう。プロの人達にとっては迷惑だけれど、まあ一年に一回のこと、我慢しなければ。ただ問題はだ! 普段プロ相手に商売している店までが、正月用品を売る店に変わってしまうのが困りものなのだ。中には素人を見下しておかしな能書きをたれているところもあって、どうも嫌な気分になる。
築地に行くと、月に一度くらい寄る惣菜屋がある。餃子、焼売、フライ類、サラダなど、簡単に調理できるものを売っている。弁当屋とか、ランチを売る店にとっては重宝な店である。ウチもここで焼売を買う。ここの焼売を買って冷凍しておき、夜の酒のツマミのメニューとして加熱して出しているのだ。
この店、60代と思われる夫婦と30代の息子、それにやはり60代と思われる女性の4人でやっているのだが、この4人、年中喧嘩ばかりしている。傍で聞いていて嫌な気分になるのだが、便利なので利用していた。
さて、昨日のことである。足りなくなった材料などをいくつか買ったあと、この店に立ち寄った。
「上シュー50ね!」(上の焼売を50個くださいという意味)
するとだ、店主曰く、
「上シューはないよ! 焼売は25日までって言ったでしょ!!」
知らなかったのだよ、本当に。よく見るとこの店の商品も正月用品一色に変わっていた。ここで最後に焼売を買ったのは、今月の初め頃。そのときは、そんな話聞いてない。別にそんなにツンツンと言わなくたって、「すみません。焼売は25日までの販売となっておりまして、また来年よろしくお願いします」って何故言えないのだろう。
以前から、この店の雰囲気が嫌いだったのだが、もうここで買うのはやめだ! 近くで、もう一軒いい店を見つけた。ここは感じがいいし、焼売も旨い。
December.25,2000 ありがとうございました
本日、明治座千秋楽。今月は村上弘明座長公演『腕におぼえあり』(藤沢周平『用心棒日月抄』より)でした。池内淳子様、紺野美沙子様、野村真美様、横山通乃様、阿藤海様、青山良彦様、桜井センリ様、藤井多重子様他、今月は本当に多くの役者さんからご注文をいただき楽屋に出前させていただきました。ありがとうございました。
阿藤海様、昨年ご出演の際には、お蕎麦好きと聞き及んでおりましたが、一度もとってもらえず、寂しい思いをいたしましたが、今月はほとんど毎日のご注文、ありがとうございました。また、大部屋の女優さん10人に、お蕎麦の差し入れ、確かにお届けいたしました。
December.22,2000 掃除好きなホームレス
ずいぶん前から、江戸橋のたもとに住み着いているホームレスがいる。船乗りのような帽子がトレードマーク。ゴテゴテとデコレーションしたリヤカーが、彼の住家だ。段ボールにマジックで、「刃物砥ぎます」と書いてあって、近隣の家庭の包丁を砥いで生活費にしているらしい。
ときどき、ちょっと離れたところにも出張してくるらしくて、人形町でも、その姿を見かけることがある。自転車に乗ってやってくるのだが、買い物篭にラジカセを入れ、音楽を鳴らしながら走っている。一時、ハンドルの両側に大量のサイドミラーをくっつけていたことがあって、流していた音楽が、ザ・フーの『マイ・ジェネレーション』。意識しているのか、偶然だったのか、もろモッズって感じで笑ってしまったことがあった。
もう10年以上前だったろうか、ある年の夏から、私の家の近くに印象的なホームレスが住みついていた。やはりリヤカーを住家にしている男で、段ボール集めがわずかな収入だったらしい。この男、段ボールを集めていないときは、とにかく一日中、街の掃除をしているのだ。竹箒とちり取りを持ち、自分のリヤカーの周りの道路を掃いている。すっかりきれいになってしまうと、だんだんと範囲を広げ、けっこう遠くまで掃いていく。陽気な性格らしくて、街の人とも親しく話したりしていた。
秋ともなると大変だった。枯葉が大量に散ってくる。掃いても掃いても、切りが無かった。それでも彼は嬉々として掃いている。もう大忙しである。そんなに掃除が好きならば、清掃員の職なんていくらでもありそうなものだが、住所不定の人間には、就職は難しかったのだろうか?
年が明けてしばらくしてからだ、その掃除好きのホームレスが突然に姿を消してしまった。何があったのだろうか? 就職先でも決まったのだろうか? それとも・・・。寒い2月の道路に、彼のリヤカーがポツンと置き去りにされていた。彼愛用の、竹箒とちり取りが荷台に吊り下げられていて、冷たい北風に揺れていた。
December.18,2000 小宮さんのライフワークになりそうな芝居
このところ、どうもホームレスという存在が気になる。以前には考えられなかったことだ。福田光夫さんではないが、何だか人事ではないような気がする。暖房の効いた書斎で、こうやってホームページをいつまで打っていられるのか? よく自分がホームレスになった夢を見る。寒さに震えながら段ボールで囲んだ空間で薄っぺらい布団の中で横たわっている自分。
そんな折、小宮孝泰&ラサール石井のふたり芝居『淋しい都に雪が降る』を見た。都会のある公園。ベテランのホームレス、小宮が噴水のところで眠っている。そこへ、新入りのホームレスである石井がやってくる。ホームレスになりたての石井は右も左も分からず、小宮にべったり。しかし小宮は孤独を愛する性格で、あまり干渉を受けたくない。そうなんですね、他の人との付き合いを絶ちたくてホームレスになる人もいる。
ホームレスのノウハウを石井に教えた小宮だが、あんまりベッタリと石井が寄ってくるので鬱陶しくなる。「施設があるから、そこへ行って職を捜しながら暮らせばいい」とアドバイスを与え、公園から追い出す。ところがまた、石井は舞い戻ってくる。「どうも、あそこは性に合わない」 施設のムードが性格に合わなかったのである。
そして、ふたりのホームレスの奇妙な生活が始まる。コントのようなエピソードの積み重ねで、見る者を飽きさせない脚本で約2時間、あっという間だった。初演が1991年。小宮、石井ともに35歳。2年後に再演。そして、9年後の今年再々演。ふたりとも44歳。設定としては、ふたりとも70代ということになっているから、いくらか実年齢に近づいてきた。
特に小宮さんの演技には驚かされた。70代のホームレスにすっかり成りきっている。いつもと違い、モゴモゴと呟くようなセリフ回しなのだが、それでいて必用な情報はちゃんと聴き取れている。ラスト近くで、ひた隠しにしていた過去が暴かれていくシーンのふたりの演技は圧巻!
きっとこの芝居、おふたりのライフワークになるに違いない。おふたりが本当に70代になったときの、この舞台が見てみたい。ラサール石井が三木のり平、小宮孝泰が森繁久弥のようになった30年後の舞台。そのときまで、私も長生きしなければ。そして、ホームレスになっていないように、頑張って地道に働こう!
December.13,2000 Nくん、こんなマンションどう?
忘年会の席で、「最近のPRIVATE EYEは旅行の話ばかりでつまらない」とNくんにはっきりと言われてしまい、動物占いでいうところの[ゾウ]である私は、オロオロしてしまった。何しろ、読者数の少ない私のホームページである。もうつまらないから読まないなんてNくんに言われてしまったら、貴重な読者をひとりなくすことになってしまう。さて、どうしよう。Nくんが面白がってくれる話題を何か捜さなければならない。というわけで、あれから三日三晩、夜も眠れず(ウソだけど)、食事も喉を通らず(ウソだけど)考えた末、あの忘年会のときのNくんのことが思い出されてきた。
Nくん、なぜか、私のウチに配達された新聞のチラシを長いこと眺めていた。それは、この近くの新築マンションの売りだしのチラシだった。それで私は声をかけたのだった。
「Nくん、こっちに越して来るつもりなの?」
「いやさ、マンションのチラシって、買う気が無くても眺めているのが好きなんだ」
「ふうん」
「間取りをみたりしてさ、『うん、この部屋はボクの部屋にしよう』とかさ、今のマンションの家具をどう配置しなおそうかってさ」
なるほど、そう言われれば、私もそういうことを思いながら、ボンヤリとチラシを眺めていることがある。もっともNくん可哀想に、誰かがこんなことを言ったものだかから、現実に返ってしまった。
「Nくんなんてさ、家にめったに帰らないんだから、新しいマンション買ったって意味ないじゃん!」
そうだ、そうだ、その場面を思い出した瞬間に、私は去年完成した近所のあるマンションのことを思い出したのだ。完成以来、数戸の住民から出前の注文が来るようになり、今でもよく出前を持っていく。その私が密かに[ダンジョン・マンション]と呼んでいるマンションのことを書こうと思う。
最新のマンションが、ほとんどそうであるように、このマンションも入口はオートロックになっている。住民は鍵を使って入るが、外来者はインターホンを使って住居者と話て、マンションの入口のドアを開けてもらわなければならない。最初に出前を持って行ったときに戸惑ったのは、この入口だった。
インターホンで、相手先の部屋番号を押し話をすれば戸が開くのだろうが、戸なんてどこにもないじゃないかと思ったのだった。びっくりしましたね、相手と通じたら、インターホンの左隣のこの青い壁だと思っていたものが、突如「ゴゴゴゴゴー!」と左から右に動いて、中に入れるようになったのです。こ、これはRPGゲームにあるようなダンジョンの入口みたいだなと思いましたね。ところが、中に入ってもっと驚いた!
これが、中に入ったところの廊下なんです。ちょ、ちょっと壁が異様でしょ。なんていうかなあ、それこそ、ダンジョンの中に入ったみたいなんです。そしてまた、壁のところどころに付けてある造花の青い葉が、なんか、いかにもって感じなんですよ。
中がまた、迷路のような構造になっていて、この先にあるエレベーターで相手先に届けてから、また1階の廊下に戻ったら出口がわからなくなってしまった。どこを見回しても出口がない。「ああ! ボクはもうこの迷路の中から一生出られないのではないだろうか」と思った途端に、また壁が「ゴゴゴゴー!」と開いた。
これが、入口の裏側だったんですね。これ、ちょっと見ただけだと、ただの壁だもの! この前に立つと右の青い戸(壁)が自動ドアで開く仕掛でした。どう? Nくん、このマンションに引っ越して来ない?
December.7,2000 大浴場ひとり占め必勝法
西伊豆・戸田(へだ)の[ときわや]は、いい旅館だった。中でも、屋根の上に作られたような展望露天風呂はとても気持ちがよかった。
テレビの旅番組って、必ず旅館に泊まってお風呂に入るシーンがあるのが[お決まり]になっているでしょ? 大浴場や露天風呂の広い浴槽に、ひとりのんびりって、「ああ、いいなあ、自分もあんなところで手足を伸ばしてみたいなあ」なんて思う。ところが、実際に行ってみると、浴場には自分以外にもお客さんがいっぱい。これでは町の銭湯とたいして違いがなくなってしまう。特に大きな旅館は宿泊客も多いから、どうしても、大浴場ひとり占めというわけにはいかない。かといって、小さな旅館だと宿泊客は少ないけれど、風呂場も小さくなってしまうことが多い。どうしても、大きな風呂にひとりで入りたいというア・ナ・タ、必勝法を教えましょう。
その1 チェックイン直後
例えば、チェックインの時間が15:00と決まっている旅館に泊まるとしましょう。そうしたら、15:00ジャストに旅館に飛びこみます。フロントで記帳、部屋へ通されて仲居さんの挨拶、説明を聞いたら即、浴衣とタオルを引っ掴んで大浴場へ直行! まず、かなりの確立で誰もいません。実はもっといい方法がある。例えば15:00チェックインの場合、反則技を使って1時間前の14:00くらいに旅館に到着してしまうのです。「思ったより早く着いてしまったのですが、まだ用意はできていないでしょうねえ?」と聞くのが礼儀。大抵の場合、「まだ従業員の休みの時間なのですが、お部屋の用意は出来ていますから、どうぞお上がりください」ということになる。こうなるともう、こっちのもの。まあまず1時間は大浴場だろうと露天風呂だろうと自分ひとりのもの。ただし、仕事前に従業員が入っていることがあるのでご注意。
その2 夕食時間
夕食を決められた時間の1番早い時間に持ってきてもらいます。食事を済ませたら、風呂へ。この時間帯も、まず誰もいない。みなさん食事中なのです。ただし、夕食で酒を飲みすぎないこと。血圧が上がって風呂に入ると、心筋梗塞を起こす恐れあり。ほどほどの飲酒にしなければ。
その3 深夜
まあまず、1時すぎまで起きている人はいないでしょう。夜中の2時ごろが狙い目。早めに眠り、目覚ましをかけて夜中に一度起き出して風呂へ行くのが私の習慣。真夜中の露天風呂でひとりって風情があります。でも、ちょっと怖いです。早朝になると、けっこう早起きの人がいて、何人か入っていたりする。
その4 午前8時15分〜30分
もし、日曜日以外だったら、ここはアナ。NHKの朝ドラの時間なのです。まずみんな朝食を摂りながらながら見ている。
その5 チェックアウト直前
朝食後、最後りひと風呂を浴びて帰ろうという人は、けっこういる。この際、チェックアウト時間ギリギリになってから風呂へ行く。さすがに慌しい時間帯だから誰もいない。
さて、おまけ。下の写真は、戸田の帰りに寄った修善寺の[どっこの湯] こらこら[何処の湯]という駄洒落は使い尽くされておりますぞ! 漢字で書くと[独鈷の湯] もう十数年前にオートバイで行ったときに入ったことがあった。今思うと観光客のいっぱいの中で我ながらよくぞ入ったと思う。
December.4,2000 ロサンジェルス(?)
「ロスの空港に着いてさあ、エアポート・バスに乗ったわけ。ねえ、聞いてるの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねえ、聞いてるのって言ってるんだよ。返事くらいしてよ」
「ばかばかしくて、聞いてられるか、ばか!」
「ロスから市内って、けっこう時間がかかるんだね。1時間近くかかっちゃった。何しろ、山をひとつ越えるんだよ。途中にゴルフ場があったりしてさ。ちょうど、山の天辺に来たら、ロスの街が見えてさあ、いやあ、ついにボクもロスへやって来たんだという感動があったね。市内に着いた時は、もう夕方近くになっていてね―――」
「ちょっと待て! ロスで撮った写真はあるんだろうな!」
「えっ! 写真? 写真、写真と。ああ、あった、あった、これだよ、これ。あの遠くに見えるのがロスの街並」
「なんだか、小さな港町じゃないか! それに何なんだよ、手前に写っている鳥居は!」
「えっ! 鳥居? ああ、これね。最近さあ、アメリカでは日本ブームでさあ。こういうの建てるの流行っているんだよ」
「嘘つけ! これはどう見たって日本の風景だろうが! ははあ、これは西伊豆の戸田(へだ)だなあ? やっぱりセコイ、近間一泊旅行だろ!」
「違うって! これはロスなんだって!」
「ふうーん、それで、ホテルはどこへ泊まったというのだ!?」
「ホテル? ええっとホテルね、ホテルっと。ああ、そうだ、思い出した。ホテルはね、トキワーヤ・ホテル」
「トキワーヤ? 聞いた事ないな、そんなホテル」
「えっ、そうなの? 有名なんだけれどなあ。メイン・ストリートにある」
「写真は? ちょっと写真見せてみろ!」
「ええっと、どこかにあったなあ。ああ、これこれ」
「おい、ひらがなで[ときわや]って書いてあるぞ!」
「えっ! あ、あのさあ、だから、最近は日本ブームなんだって。ひらがなを使うのが流行っているんだよ」
「[創業明治参年]って書いてあるぞ!」
「あっ! あのさ、最近はアメリカでも西暦じゃなくて元号を使うのが流行って・・・」
December.1,2000 海外旅行(?)
「ねえねえ、先日、ちょっと旅行へ行ってきたんだ」
「またかよ。おい、このコーナー、何やってんだよ。ちょっと待てよ、先月は高尾山への町内会のバス日帰りだろ。その前が名古屋一泊旅行のことを書いてたよな。さらにその前が本所防災館、その前は日光一泊旅行、その前が大阪一泊旅行って、8月から4ヶ月もかけて日帰りか一泊の旅行の話ばかり書いてるじゃないか。けっ、どうせまた伊豆あたりに行ったというセコイ話だろ?」
「あっ、・・・・・・・・」
「どうだ、図星だろ?」
「ち、違わい!]
「ほう、何処へ行ったというんだ?」
「あっ、」
「どうした、どうした!」
「アッ、えーと、ア、アメリカだ」
「アメリカ? いつそんなところへ行ったんだよ。何日間行ったっていうんだよ」
「えーとね、一泊二日」
「な、何ー?」
「あっ、違う違う、一週間だ」
「お前、最近そんなに留守してたっけ? アメリカって言っても広いぞ。アメリカの何処へ行ったんだ? ハワイか?」
「ええっと・・・・・、そうだウエストコーストだった」
「ウエストコースト? ほんとか?」
「あ、ああ」
「じゃあ、成田から飛行機で」
「いや、東京から」
「えっ! 羽田からアメリカへ行ったのか?」
「あっ、えーとね、そうそう、そうだった」
「で、エアラインはどの航空会社だった?」
「エアライン? ええっとね、あれは確か、お、おどり、そうそう、オードリー航空」
「オードリー航空? 聞いた事ないな」
「そうだ、これがボクの乗った飛行機」
「これは電車じゃないか。あれ? 踊り子って書いてある。これ、踊り子号じゃないか。ははあ、ウエストコーストって、西伊豆のことだろう!」
「ち、違わい! 写真を間違えたんだ。本当に乗ったのはこっちだった。悪い悪い」
「おい、これは絵だろ、絵! おい、どこへ行くんだ、こら! 逃げるんじゃない!」