日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0304.htm#20030401
2003年4月
読・観・聴・その他
桐野夏生『光源』
田岡由伎『お父さんの石けん箱』
桐野夏生『錆びる心』
村山由佳『星々の舟』
小池真理子『恋』
杉山平一「星空」
森絵都『永遠の出口』
『嵐山光三郎の徒然草・三木卓の方丈記』
『一期一会』
中村一義『金字塔』
ルネ・デカルト『方法序説』
小林カツ代『自分でつくるこれ、うましっ!』
ルーマー・ゴッデン『人形の家』
杉浦さやか『東京ホリデイ』
小林正弥『非戦の哲学』
『アルプスの少女ハイジ』第1話から第3話
成瀬巳喜男『女の中にいる他人』@東京国立近代美術館フィルムセンター
フランク・キャプラ『オペラハット』@新文芸坐
『アルプスの少女ハイジ』第4話から第6話
チャールズ・ビドー『ギルダ』@新文芸坐
ジョージ朝倉『水蜜桃の夜』『少年少女ロマンス(1)』『恋文日和(1)(2)』
ロブ・マーシャル『シカゴ』@新宿ピカデリー
『あのころの宝もの』
魯迅
松枝茂夫訳『藤野先生』
『アルプスの少女ハイジ』第7話から第12話
山田詠美『PAY
DAY!!!』
矢沢あい『天使なんかじゃない』(1)(2)(3)(4)
4/30(水)
いつになく風の鳴る音が気になって眠れず、何度も寝返りをうっては落ち着かなかった。いやな夢から醒めた瞬間、眠っていたことに気付く。もう朝だった。大きな風、その音に対して恐怖を感じる。ホームに立って電車が通り過ぎる時の風と音もそう。
矢沢あい『天使なんかじゃない 完全版』(1)(→Amazon)(2)(→Amazon)(3)(→Amazon)(4)(→Amazon)集英社。
なんといっても、マミリンとケンくん。軸になる翠と晃には魅力を感じられなかった。笑顔の人と一緒にいるのは気持ちのいいものだけれど、翠のようにいつも笑顔でいられたら多分私は疲れてしまう。
マミリンの素直じゃない、かわいげない、でも優しくてけなげってところに惹かれた(サクラ大戦でいうすみれさんだな)。彼女は自分と正反対の性格である主人公に対して「私は翠になりたい」と心情告白するけれど、マミリンのがずっと素敵だよ! と私は言いたい。そして、おちゃらけた言動のかげに翠への恋心をひた隠しにした挙句、それでもやっぱり告げずにはいられなくなるケンくんの、おちゃらけと真面目の落差が痛々しくて涙が出そう。
4/29(火)
6時の光から7時の帳へ。電車に乗って降りるまで。
4/28(月)
山田詠美『PAY DAY!!!』新潮社,2003(→Amazon)を読み終えた。“不在”の人を思うということ。語り思い出すところにその人は“いる”。それでいくつかの顔を思い浮かべながら読んでいた。物語自体にはあまり魅力なかった。あまり身が入ってないと自覚していたくらいだから尚更かもしれない。
気持ちが伝染して少し苦しい。
本を読みながら思い出した友達との共通の友達から数ヶ月ぶりにメールが来た。元気? 私もようやく浮上してきたよと必要最小限の近況報告。タイミングに驚き、どこかでつながっている線を感じて安心する。山田詠美を読みながらCykiのことを思い出していたよ、と返事をすると、私も時々Cykiちゃんのことを思い出している、と。同じ気持ちだと知って泣きそうになる。
そして苦しさが少しやわらぐ。
4/27(日)
たんぽぽの綿毛が地面の上をふわふわ舞っていた。コンクリートの上にも土の上にも。
友達に「最近なにに興味ある?」と聞かれて口から出た答えが「ツボかな……」。
買ったまま使わずにいた『体のツボの大地図帖』マガジンハウス,2000(→Amazon)を見ながら押してみたり、図書館で代田文彦『お医者さんがすすめるツボ快癒術』講談社,2002(→Amazon)を借りて読んだり。後者では「お灸」をすすめていて、あまりに気持ちよさそうなことを書いているので先週東急ハンズに行ったときにせんねん灸を買ってしまいました。最初、手の親指と人差し指の間のツボ(はさんで押すと痛いところ)にすえて試してみたらジンジンと効く感じが面白かったので、あちこちにほいほい使っていたらあっというまに残り3つ。新しいのを買ってきました。ただ、難点は煙くさくなること。
夜、窓を開けても寒くなくてむしろ気持ちがいい。
4/26(土)
魯迅 松枝茂夫訳『藤野先生』全国学校図書館協議会,1985(→Amazon)を読んだ。魯迅が仙台の医学専門学校で医学を学んだ際に藤野先生と出会うが、あるきっかけで医学を断念し文学を志すことを決める。藤野先生とのじんとするエピソードと同じくらいそのきっかけが心に残る。
ビデオ『アルプスの少女ハイジ』2巻から「第7話 樅の木の音」「第8話 ピッチーよどこへ」「第9話 白銀のアルム」「第10話 おばあさんの家へ」「第11話 吹雪の日に」「第12話 春の音」をみた。夏の終わりから春の訪れまで。ペーターのおばあさんに招かれる「第10話 おばあさんの家へ」にかなしくて涙が出る。おばあさんは目が見えなくて、それを知ったハイジが目が見えるようになるためのアイデアをいろいろ出すんだけど、もう絶対だめなのだとわかってワンワン泣くのです。
4/24(木)
『あのころの宝もの』メディアファクトリー,2003(→Amazon)を読み終わる。
12人による12の短篇集。これは読んでよかったなあ。狗飼恭子、加納朋子、久美沙織、近藤史恵、島村洋子、中上紀、中山可穂、藤野千夜、前川麻子、光原百合、三浦しをん、そして横森理香。
「町が雪白に覆われたなら」。大切なものが「ここ」じゃなくても、どこかに「ある」というだけで。
「モノレールねこ」。一等お気に入り。デブの“モノレールねこ”を媒体にした小さなやりとり。かつての最後のやりとりの復活なるか。ガンバレ。でも実現しそうだね。
「賢者のオークション」。封印には、自分では封印を解けないという魔法がかかっている。
「窓の下には」。残酷な記憶の扉。宝ものは、宝ものだからこそ共有できないときもある。
「ルージュ」。懐かしい友達に会ったときに優越感も劣等感も感じずにいたいんだろうと思う。
「シンメトリーライフ」。この物語の中では、赤ちゃん=凝縮された愛。愛の縮図。愛の歴史。
「光の毛布」。男女の会話の男女を入れ替えれば一昔前の会話に。“光の毛布”には感動する。
「アメリカを連れて」。犬の散歩をしてるまに。時はそれほど流れてないのに。
「わたしたち」。こういう過程をじっくり読むのは息苦しいものですね。
「届いた絵本」。唯一、文体が苦手でした。「手ぶくろを買いに」の話を初めて知った。新美南吉っていいなあ〜。
「骨片」。幽玄の世界? なんとなく。カラーではなくモノクローム。相手が既に骨ならば自分が骨になるまで待つしかないか。
「プリビアス・ライフ」。少しずつ学習を重ねるreincarnation。
4/23(水)
銀行の隣にある建具屋さんの入口には小さな木のおもちゃがいろいろ並べてあって、値段も付いているようなので売物に違いないだろう。近づいて見ると欲しくなりそうだから、買うべき必然があるときに近寄って見てみようと思う。
友達が、「見事なアフロを見た(どうやら目の前にいたらしい)。ブラシを使って髪をといていた」というのが羨ましくていいなあと思っていたら、アフロの人を見ることができた。でも、目の前じゃなくて遠目にだったし、たぶん友達の見たアフロには負けていると思った。
ロブ・マーシャル『シカゴ』(米・2002)@新宿ピカデリー。ハリウッド! ミュージカル! 派っ手〜! ここまでミュージカルだとは思ってなかった。ミュージカルは、歌と踊りだけじゃなく、フォーメーションも楽しめるんだ、なんて思った。濃い強い女たちをさんざん見たあとにリチャード・ギアが登場するので、良くも悪くもその顔がひどくホニャーとして見えた。女って、怖えぇな。
4/22(火)
ジョージ朝倉の漫画を4冊。すべて講談社コミックスフレンドB。
『水蜜桃の夜』(→Amazon)。『少年少女ロマンス(1)』(→Amazon)。『恋文日和(1)』(→Amazon)。『恋文日和(2)』(→Amazon)。
短篇集『水蜜桃の夜』の中では「愛の暴走」がいい。彼と片時も離れられなくて仕事もクビになり彼の会社にまで出現し、彼から「今度来たら別れる」と宣告されたけど彼女は……。破天荒な愛情表現への応えかたがカッコイイ。モラルがどうこうじゃないです。
『少年少女ロマンス』。憧れの王子様を待ち望む蘭の前に現れたのは、外見は王子様なのに過去ひどくいじめられたいやーな思い出がある右京。過去は過去、今は優しくなって自分のことが好きらしい……と蘭が心を許し始めると右京の意地悪な仕返しがー。っていうか、好きな女の子の髪の毛をザンギリにするなんて、「好きな女の子には冷たくしちゃう男の子」としてもやりすぎです。大笑い。あまりに意固地で素直な態度から程遠い右京の姿が見もの。その点、王子様=右京と受け入れ始めた蘭のほうは芯が通ってて強い。
短篇集『恋文日和』(1)(2)。印象に残ったもの。
「図書室のラブレター」。“ラブレター”のまだ見ぬ書き手に出会うまで。まーた男の子は女の子に雪投げて反撃です。まったく素直じゃない。“ラブレター”がシンプルで抑えたロマンチックさのあるところがいい。
「あたしをしらないキミへ」。外見やイメージを素敵に裏切る純情なラブレターとその行動。恋はギャップに宿る、か。
「雪に咲く花」。好きな人には笑ってて欲しいし。「俺 ずっと笑わしてやりたいなぁ」。
「イカルスの恋人たち」。“本当の自分”は誰か一人が知っていてくれれば、それでいいのかもね…。
4/20(日)
新文芸坐でフランク・キャプラ『オペラ・ハット』(米・1936)とチャールズ・ビドー『ギルダ』(米・1946)。
『オペラハット』。以前みたのは2001年10月7日でした。
伯父さんの(欲しくもない)遺産が転がり込んだ田舎出の“シンデレラ男”が都会に出てくる。時の人である彼に取材目的で近づいた女性記者、最初は自分の昇進と休暇のためだったんだけど彼の人柄に触れて本当に好きになってってしまう。こんなことはもうやめよう、彼にも正直に言おうと思っていた矢先、彼にバレてしまう。彼、ショックで立ち直れない。彼のお金目当ての人たちに裁判をおこされちゃうけど失恋の痛手からか弁護人もつけず自分の弁護もしない……。
ゲイリー・クーパー扮する“シンデレラ男”は意外に短気でカッとして殴ったりもする。お金に群がる人たちのつっこみに対する答えが、(以前にこの映画をみているはずなのに)予想できなかった。そうなんだ、善良というのはただ単に優しいだけだったりバカ正直というのとは違うのだ。農場計画で屋敷にやってきた人たちがゲイリー・クーパーに感謝の発言をするシーンでは涙ぐんでしまう。そして、キャプラ映画の裁判では、いつも判事さんがきちんと公平(当たり前なのだが)。ユーモアと正義。やっぱりキャプラはいいな。
『ギルダ』。ああ、これが『ショーシャンクの空に』の中でポスター貼られてたリタ・ヘイワースかあ、と。「憎んでいる」という言葉をもっと前から「愛している」に言い直していればまわり道せずに済んだのに。
ビデオ『アルプスの少女ハイジ』1巻から「第4話 もう一人の家族」「第5話 燃えた手紙」「第6話 ひびけ口笛」をみた。
4/19(土)
成瀬巳喜男『女の中にいる他人』(日本・1966)(内容紹介)@東京国立近代美術館フィルムセンター。
E・アタイヤ『細い線』を翻案にしたらしいです。さすがに絶版みたい。
殺人を犯して罪の意識に耐えられないから身近な人に告白し、そして自首しようとする。そりゃ苦しいだろうし自首するのは正しい。でも。
夫に殺人を告白された妻のほうは晴天の霹靂、なのに夫は「少し楽になったよ」なんて呑気なことを言っている。妻は子供もいるこの生活がどうなってしまうのかと不安でたまらず「自分たちが黙っていればわからないではないか」と夫の自首を止める。おまけにこの映画の中では、殺した女の夫から「自首するなんて馬鹿げている。忘れてくれていい」なんて言われてしまう。それでも自首しようとする夫に対して次第に「自分が楽になりたいだけじゃん」という意地悪な気持ちがわいてきてしまう。そう思う私の感覚もおかしいのかもしれない。でも、彼にとっては、自首するよりも「人を殺した」ということにおびえながらびくびく毎日を暮すほうが、よっぽど罰になるのではないかと思ったのだ。
正確なセリフを覚えていないのだけど、夫の「明日の朝、自首するよ…。表の門から堂々と出てゆきたい」と告白を聞いて、妻は「裏の門からこっそり出すしかなくなった」と決断する。怖いながらも印象的だった場面。
4/17(木)
ふいに「ジョルダノ・ブルーノ」という名前が浮かんで、作家の名前だっけ? とgoogleで調べたら違った。なんでいきなり頭の中にやってきたの?
小林正弥『非戦の哲学』ちくま新書,2003(→Amazon)を読み終わる。8章以降に蛇足感があって少ししつこいのを除けばいい本だと思った。この本のタイトルからすると仕方ない、か。過去の小泉発言の箇所を読んでいると、情けなさ、むなしさ、怒りが復活して疲れる。日本の取るべき立場に対して著者と同意見。日本国憲法にも触れていたので、憲法そのものや、それに関する意見をあらためて読み直したい気持ち。ただ、(自分の意見とは違う)改憲派の意見を読んでいるとやきもきして疲れそうだ。自分で考えるためにも、相手の意見を聞かないといけないことはわかってはいても。
ビデオ『アルプスの少女ハイジ』1巻から「第1話 アルムの山へ」「第2話 おじいさんの山小屋」「第3話 牧場で」をみた。
4/15(火)
駅で見かけた「3秒あれば、恋はできる。」のポスターが素敵だった。
杉浦さやか『東京ホリデイ』祥文社黄金文庫,2003(→Amazon)。いつもいいですね、この人の書く/描くものは。旧古河庭園の本館見学ツアーと朝倉彫塑館はお気に入りです。また行きたくなりました。大好きな茶房(最近行ってない)も載っていました。
「○○さんへ」というタイトルのメールが届いたので、「誰だろ。なんで私の本名知ってるんだろ?」と中を開くと、「○○さん メールで、こんにちは!」なんて書いてあるから「凝ったスパムメールだなあ」と思って読んでみたら父からだった。こっちのメールアドレスを知らせてもなかなか送ってこないので「薄情だね」と伝えてもらったらやっと来た。
4/14(月)
昨日の日記の、柏餅・サンド+オルゾーラテ(ドトール)・ソフトクリーム、って変だ。甘いもの食べすぎ。
あまり行かない場所での体力仕事、ツカレター。でも、そこに行ったからこそ、帰り道に某コーヒー屋さんの豆と円錐型のコーヒーペーパーを買うことができた。
ルーマー・ゴッデン 瀬田貞二訳『人形の家』岩波少年文庫(→Amazon)。人形は人間次第で生き死にが決まる。そして自分の意思で行動できるわけじゃない。人形にできるのはただ「強く思い願う」ことだけ。自分の気持ちが人間に伝わるようにと。読んでいる最中から人形に優しく接しようと誓う物語なのに、同時に思い出すのは、昔、犬のぬいぐるみをあたためてあげようとストーブに近づけたら毛を焦がしたこと。それに、今自分が持っている人形って雛人形くらいだ。年に一度は外に出しているけれど、「ちんちくりんでいやになっちゃう」なんて悪口を言ったらかわいそうだったね。
本の中からメモ。
『グロスターの仕立屋さん』の中でこういってるでしょ、『縫い目はとても細かくて----あんまり細かすぎるので、ネズミがぬったとしか思えないくらいでした。』(p.72)
→註:1902年にかかれたビアトリクス・ポターの絵本で、グロスターに住むまずしい仕立て屋がクリスマス前に市長の娘さんの結婚衣装をぬっているが、つかれてできないでいると、ネズミがみんなしあげてしまうという物語。(p.81)
ちゃんと絵本があるんだね! →『グロスターのしたて屋さん』(→Amazon)……“ねこのシンプキン”が気になる。
あとがきで知ったのが、映画『黒水仙』(未見。昨年、フィルムセンターで上映するも見のがす)とジャン・ルノワール『河』(未見)の原作者だったということ。
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生まれ変わるなら木がいいと言った人がいて、木々があおあおしてくる季節になるといつも素敵な考えだと思い出す。でも、それが「おおきな木」(→Amazon)だったらかっこよすぎるし、せつない。花が咲くか紅葉する木だったら、その季節には見上げてもらってあとは小石のように忘れられて、いいかも。
4/13(日)
投票所へ行き、図書館へ寄り、クリーニングを出し、和菓子屋で買った柏餅をパクつきながら隣駅まで。本を売り、本を買い、TSUTAYAを覗き、ドトールでお昼を食べ、ナチュラルハウスに寄って「ちょっちゅね」を買い、妹宛ての荷物に入れる。コンビニに寄り、荷物を送る。生協で買い物、ミニストップでソフトクリームを買って帰る。午後3時。昼寝しそうになるのを我慢。
ルネ・デカルト 谷川多佳子訳『方法序説』岩波文庫,1997(→Amazon)を読み終わる。
小林カツ代『自分でつくるこれ、うましっ!』日経ビジネス人文庫,2002(→Amazon)。どうやら基本的には一人暮らしの男の人向けのようだった。料理名・材料・作り方、というきちんとしたレシピ集ではなく、エッセイのような文章のなかに簡単な料理の作り方が書いてある。身近な材料で、ちょちょいと作れるものばかり。それがテンポの良い文章に乗って次から次へと出てくるのでとっても楽しいし、読んでいるとお腹がすいてくる。キャベツや白菜丸ごとの使いきり方法や、おいしい枝豆のゆで方にはなるほどと思った。枝豆については夏になったら試してみたい。
で、私は正直言うと鍋が苦手なのですが、鍋嫌いってあまりいないみたいで、そう言うと変わり者みたく思われる。小林カツ代もそうなのだと知って味方を得た気持ちです。
それはともかく、じゃあ、冬に食べたいものは他になんだ? といったら、鍋ですか。実をいうと、私は鍋、ダメ。皆で囲んで食べる鍋というのはどうも……。和気あいあいでよい、と思っているかもしれないけれど、それはそれでいいんですが、ただ、早い話、全部、茹でたもの、でしょ。で、ポン酢で食べる。結局、みんな、同じ味。飽きませんか、食べているうちに? しかも、煮すぎてクタクタになった春菊とか白菜とか、縮こまってキシキシの魚とか。淋しい。(pp.111-112)
4/9(水)
スピッツのトリビュートアルバム『一期一会』(MUCT-1003)(→Amazon)は思ったより良くなかった。そんな中、もう一度聴いてみたくなったのが中村一義による「冷たい頬」。声が好きだと思ったんだけど、聴きなおしたらそうでもなかった。
で、せっかく気になったのだから、中村一義『金字塔』(PHCL-5055)(→Amazon)を聴く。気に入ったんだか気に入らないんだか、いいんだか悪いんだか、自分でよくわからない。音、外してるの? といった感じのズレズレしたところが不思議と耳に残る。15曲目と16曲目の間の長い長い“空白”(10分弱)の終わりの曲が一番いいんじゃないかと…。ボーナストラック16曲目は、約7分無音(?)のあと、ひょっこり始まりあっさり終わる。
4/8(火)
さいけつとレントゲンで3,960円也。安心料と思っても3割負担は大きいなあ。
『嵐山光三郎の徒然草・三木卓の方丈記』講談社,2001(→Amazon)。古典を(たとえそれがどんなに名訳であったとしても)現代語訳で読むと魅力半減なのがよーくわかった。というより、現代語訳されたものは、もはや徒然草でも方丈記でもなかった。作品というものは内容と文体の両方で成り立っている? そうだなあ、だって、樋口一葉を現代語訳で読む気はしない…。
4/7(月)
姪が、乳歯が幼稚園で抜けたとき、その歯にちがついていたのを見て顔が青ざめたらしい、というのを妹から聞いて「私に似てるね」と言ったら「ほかにも似てると思うよ。マイペースなところ」「マイペースってどんな」「あまり、まわりのこと気にしないんだよ。自分のやりたいことやるっていうか…」。しっくりこない。
森絵都『永遠の出口』集英社,2003(→Amazon)。自分の経験とまったく同じってわけじゃないのに、鍵穴にぴたっと入るような感覚だった。あるいは自分が経験しているような、いたたまれなさ。いつだって、自分のいる世界なりの出来事や悩みがある。意外だったのがユーモアのうまさ。
4/6(日)
普段歩く道にも桜は多くあったんだと気付いたので川べりに行くのはやめにした。
隣駅までの道に「〜サクラ」という立看板を見つけて気になり、矢印を追う。歩いたことのない方向へ連れていかれて少し不安になったころ、サクラにたどりついた。小さなお祭りになっていて、近所の人たちがおまんじゅうやジュースを売っていたり、お囃子があったり。サクラのクリアホルダーをもらってしまった。市長も来ていた。このサクラはどうやら世界に1本しかない品種らしく、樹齢約400年。花はまだ蕾で、来週には咲きそうだという。
かなり昔に読んだ小さな物語を再読したくなって探し、読む。杉山平一「星空」。鮎川哲也・島田荘司編集『ミステリーの愉しみ2 密室遊戯』立風書房,1992の中の一篇で、実質4ページ。ある会社の新製品につけられるのは、いつも星の名前。そこに秘められた謎。鮎川哲也曰く“上品で、指が触れればハラハラと散ってしまいそうな、そしてあくまで推理小説に固執した作品”(p.464)。
4/5(土)
奇しくも同じモチーフを含んだ2冊。
村山由佳『星々の舟』文藝春秋,2003(→Amazon)。
『天使の卵』から『翼』までは出るたびに読んでいたけれど、その後は「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズ以外読まなくなっていた村山由佳。久しぶりに読んで「大人っぽくなった」と思ったのは、年齢が高い人の物語が含まれていたのもあるのかな。長編というより連作に近い。視点が変わりながら、一冊の中で時間はゆっくりと進んでいく。曲がりくねったトンネルの入口から光が入り、壁に当たって屈折しながら出口へ向かって通ってゆくような物語。一人一人にその人ぶんの人生の重さがあって、量ることはできないし、比べることもできない。
..
小池真理子『恋』早川書房,1995(→Amazon/文庫a・文庫b)。
単行本の裏表紙には「倒錯した恋」って説明されているけれど、読み終えるとどこが倒錯だったのかと不思議な気持ちになる。矢野布美子から信太郎・雛子への恋が全然“倒錯”ではなく“真っ当な”恋だったとしか思えない。そう思わせるように描いた著者がすごいのか。
p.352の「思い出が……」という部分を通過したとき、「思い出」という言葉に対しての認識が変わり、あたたかい言葉として感じた。それまで残酷とすら思っていたのが溶けていく感覚。
静謐な27章、感情を極度に排した終章に涙。終章を読んで、全てを知ることができる読者の特権を矢野布美子に譲りたいと思った。あの終章をそっくりそのまま渡したい。
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雨と風の中、隣駅まで歩いたのは失敗だった。雨も風も冷たいし強い。頭痛の予感にも震えながら帰宅し、あとはひたすらぬくぬく過ごす。そしてやっぱり頭が痛くなったので薬を飲んで帽子をかぶって寝た。
4/3(木)
桐野夏生『光源』文藝春秋,2000(→Amazon)。なぜ「後日談」?
「後日談」の破壊性ったら! これがなくても物語は成立した。そのくせ、それを読んでしまった後では、それなしなんてもうありえない。高見の熱情(?)が作者も物語も超えてしまったとでもいうか。超えて、そしてどこへ?
田岡由伎『お父さんの石けん箱』角川文庫,2003(→Amazon)。著者の父は山口組三代目・田岡一雄。娘から見た父の思い出。頭の中にもともと田岡一雄像もなかったし、ただ“ヤクザ”のお父さんてどんな感じなんだろうと思って。愛溢れる家族。だからこそ、別方面から見た田岡一雄ってどんななんだろう? と興味を持ってしまった。
桐野夏生『錆びる心』文藝春秋,1997(→Amazon/文庫)。「虫卵の配列」「羊歯の庭」「ジェイソン」「月下の楽園」「ネオン」「錆びる心」の6編。「錆びる心」が一番いい。ページをめくってそこに続きがないことにあっけなさと余韻を感じた物語。近しい関係になりつつある擬似家族のメンバーがバラバラに配置され物語が閉じるのが好きなのだと思った。繁子、梅子、ミドリは物理的に離れ、そして絹子と康夫の二人は一緒に草の上にいるけれど片方が殻を閉じればそこに距離が発生する。他人。
「夜中に庭に出て寝転がりたいんですよ。芝生の上に仰向けに寝て、夜気を嗅いだり、星を見たり、草の匂いにむせたりしたいんです」(p.223)
私も。
4/2(水)
今年はいつもの年以上に桜を思わなかった。土曜か日曜には近くの川沿いの桜並木を歩こうと思う。
4/1(火)
私はどうして本を読むのだろうと考えてひとりになりたいからだと思った。
本を広げ境界線をつくり邪魔しないで黙っててひとりにして、と。