日記のフリ 日記というよりは、気になったこと、興味のあることを忘れないようにメモしてる、ってほうが正しいので「フリ」。
日付ごとにアンカー付けています。e.g. http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/diary0410.htm#20041001
2004年10月
読・観・聴・その他
10/31(日)
私鉄・JR・都営地下鉄と乗り継いで1時間程度のところまで出かける用事があった。少しの動悸とやたらに凝る首。緊張してるんだろうかと思った。でも、JRで座れたので比較的楽だった。
10/30(土)
友達5人と集まる。2人から「顔色が良くなったね」と言われる。「あのときは言わなかったけど、夏に会ったときはなんだか青白かった」。へーえ……。会ったあとも疲れなかった。
ピアノは続けています。平均律は1番2番、それぞれプレリュードとフーガが終わって、先週11番のプレリュードを課題にもらったところ。が、1週間の練習時間のうち2日間、間違えて11番フーガを練習してしまった。きょうも練習できなかったし、ちょっとまずい。他にはショパンのワルツ。今の先生とはショパンを勉強したことがなくて、ショパン自体も、むかーしワルツを1曲(Op.69-2)だけやったのみ。Op.64-1(いわゆる「子犬のワルツ」)、Op.70-2とOKをもらって、今週はOp.69-2。先生はショパンが好きなので(?)「やりましょう!」ということになったけど、正直言うとワルツかあ……と気乗りしなかった。練習していても、「日本人はワルツが苦手らしい」というのがなんとなくわかるなあ、とか。でも、Op.69-2は弾いていると気持ちがいい。聴いていて好きなのは、Op.42と作品番号なしのホ短調遺作。
10/28(木)
マフラーを巻きました。
以前と違う病院に行ってきました。古ぼけた雰囲気に安心感。待合室には漫画から専門書まで本がたーくさん(まるで収まりきれなかった先生の本が置いてあるみたい)。奥まった場所があったり、ロッキングチェアーがひとつ置いてあったりする。先生は60歳過ぎくらいの男性で、診察するときの距離が内科の診察とかわりないくらいの近さ。先生の雰囲気も雑然としているところも前の先生とはまったく異なって、なんとなくほっとする。こういう印象って大事だと思う。にこにこ聞いてくれるし。場所が縁側でお茶でもあれば……というような雰囲気。
先生に、今あまり人付き合いをしない代わりに夢でしていて疲れる、という流れから、メールはしています、と言うと、メールって1日どれくらいくるものなの? と聞かれたので、私は携帯メールは殆どしないし1人の人だったら多くて1日1通って感じですけど、と答えると、40通とかいう人がいるんだよね、そういうのって大変じゃないのかなあ、と言う。私が、携帯だと、そうだね、だけで送信したりもするし、短いのをたくさん送ったりしますね、と言うと、昔と通信手段は変わったんですねえ、とおっしゃった。
薬を決められたように飲むより様子を見ながら自分で調節できれば一番いい、とのこと。薬によって効き方違うでしょ、いろいろ試してみなさい、と。つまり、“薬は飲んでも飲まれるな”。「こんな小さなもので気分が変わるなんて、って思ってるでしょう」とズバリ言われて、「そうなんです。すごく悔しいです」と言ったら、「そういう気持ちがあるなら大丈夫」と言われた。面白いのが、1日3回14日分はいいとして、「食間」、てところ。2種類の薬を42錠ずつ。飲み方は君に任せた! って感じです。院内処方。これだけあると飲みきれないなーって感じがして、薬なんかに飲まれるかって思うから不思議。“負けるもんか”(バービーボーイズ)
それにしても、中越地震のことを思うと、頭の中のままならなさごときに振り回されてじたばたしている自分が情けないよ。昨日から頭が下がりっぱなしですが、ハイパーレスキュー隊隊長の、車の中に生存者がいるとわかってから「一握りの砂も石も落とすまいと思った」という発言に重みを感じました。
10/27(水)
最近続く嫌なイメージの支配と毎晩見る夢に疲れきってしまいました。月曜火曜と薬を飲んだら楽になれたので、またしばらくお世話になろうかと思いました。薬の在庫がある今のうちに初診の予約を取っておこうと電話をしたらアッサリ取れてしまったので明日行ってきます。
10/26(火)
ルキノ・ヴィスコンティ『白夜』(フランス=イタリア・1957)。「幸せな日だけ目を覚ますお伽話の主人公にしてあげたい」「恋する男を信じるな」。ラスト間際はマストロヤンニの恋のささやきオンパレード。しかし、予想はしていたものの、やはり、語らない者にもっていかれてしまった。ナタリア、彼、そしてマリオ(マストロヤンニ)の3人がひとつの画面の中におさまるそのシーンの構図の残酷さ、そして、彼の視点からはマリオが見えないのだと気付く安堵。それは、マリオに同調して涙ぐみ、かつ、ナタリアたちの再会に涙した私の心の矛盾と一致している。ナタリアの勝手さに頭に来ていてはもったいないのだ、と気持ちが切り替わるほど、マリオのせつなさとモノクロームの美しさ(特に雪!)がしみてくる映画だった。最後の最後には、マリオが小さくなってゆくシーンに犬だもの。弱ってるときに優しい気持ち差し出されると弱いんだよ!
やられました。
ネタバレすぎてほとんど真っ白。
テノヒラジョウミャクって言葉が怖いー。
10/25(月)
鈴木由美子『アンナさんのおまめ』(5)講談社コミックスKiss(→Amazon)。テーマは変わらず、しかしマンネリにならないように新しいキャラクターが登場して飽きずに楽しめる。犬って、こんなにかわいいものなのかあ……。そうなんだろうね。最終話にじーん。スネたとしても、暗くいじけないところも、リリのいいところ。
今市子『百鬼夜行抄』(12)朝日ソノラマ(→Amazon)。久しぶりのこちらも面白く読んだ。
川口まどか『死と彼女とぼく』(1)講談社漫画文庫(→Amazon)。こちらも、『百鬼夜行抄』同様、「見えてしまう」人たちが登場するんだけど、「見えることの辛さ」がぐぐっとせまってきて読むのがキツい。加えて、描写が怖く、1巻をやっと読み終わったところで残念ながら全5巻を読み通すのは無理そうだと思った。
10/24(日)
親戚に怪我はなかったようだ。
昨日、「トム・クルーズが悪役である意味があったのだろうかと思った」と書いた。確かに「悪役」という意外性(?)に惹かれてみたのは事実で、そのことに対する気持ち、自分に対する回答のつもり。でも、そう書くこと自体に意味がないし、おかしなことを書いていると思ったので打ち消し線を。
桐野夏生『残虐記』新潮社(→Amazon)。想像力より強力な物語はない。“敵”の想像力に対抗するには、自分の想像力を持ってたたかうしかない。『グロテスク』とともに、実際の事件を想起させる物語だったわけだけど、『グロテスク』よりも迫力不足のわりに読んでいる間の気分があまり良くなかった。桐野夏生の想像力と実際の事件の被害者の想像力では、桐野夏生のほうが“負けている”んじゃないかとふと思った。そして、その“負け”を桐野夏生は知ってて書いているような。いさぎよさはあるんだろうけど、反面、逃げている、そんな気がした。
10/23(土)
18:30からの映画を待っている間、電器屋さんにいたら、いきなりぐらぐらっと揺れた。かなり大きいし、いつまでも揺れているので気分が悪くなるほどで、そのうちTVに震度が出た。6+の表示に驚いた。地震じゃ払い戻しなんてないだろうなあと思いつつ、待っている間に一度、そして映画の予告の間にも揺れた。
父の実家が長岡で、親戚もいるため、帰宅後実家に電話してみたところ、「TVで電話は繋がりにくいからしないようにと言われたし、明日の朝かけてみる」と言っていた。地震の科学館で震度6強まで経験したことはあるけど、あの揺れは恐怖以外のなにものでもなかった。
みた映画は、マイケル・マン『コラテラル』(米・2004)。トム・クルーズが悪役である意味があったのだろうかと思った。「悪」の裏に隠された秘密の一つでもあるのかと思ったらなにもない。ジェイミー・フォックスのマックス役のほうが断然オイシイ役。しかし、隙を見せて鞄取られたり、最後は撃たれたり、弱い殺し屋だなあ。6年のキャリアってこんなものなの?
一言で言えば、「殺し屋6年、タクシー運転手12年に敗れる」の巻。
10/22(金)
吉野朔実『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』角川文庫(→Amazon)。この中で一番読んでみたくなったのは、『十皿の料理』。読んで、そして食べに行ければ最高だなあ……。とは思うけれど、現実は厳しく実現は難し。内田也哉子・志村季世恵『親と子が育てられるとき』岩波アクティブ新書(→Amazon)。内田也哉子って素直な人だ。
10/21(木)
ポール・トーマス・アンダーソン『マグノリア』(米・1999)。同じ歌を口ずさむところと蛙の雨の偶然性を比べて歌のほうがありえないと思えるのは、歌のほうが“クサイ”からかしらん。絡まりあう人と人との間に挟み込まれていたのは愛。……なんて簡単に言い切ってしまうのは憚られることに、こうして書きながら気付いた。最後のシーンでの微笑みが映画全体を包み込むようにやわらかく、なんて魅力的だったことか。
ていうか、素直に感動してしまいました。真正面向いているようでいて、どこかに「テレ」を感じられた。そこが好きなんだと思う。
10/20(水)
増村保造『妻二人』(日・1967)。パトリック・クェンティン『二人の妻を持つ男』が原作。読んでいないのでわからないけど、もしかしたら、原作は「正義を取って愛情に目をつぶる」点がもっと感じられる物語なのかもしれないと思った。心理が入り組んでいてなかなか面白いのだから、もっと深遠なつくりにできたら良かったのに。
10/19(火)
夢の中でいろいろなことに答えを出したり、買い物しに行ったり、アドバイスしたりされたり、嫌いな人に会ったりして疲れてまーす。
石井輝男『黒線地帯』(日・1960)。悪人が悪人らしく撮られている。天知茂がいかしてます(半ば死語? でも、この映画に対しては、“いかしてる”と言いたくなる)。断然かっこいい。たとえば、ラストシーンでの足の開く幅がちょうどいいんだ。
10/18(月)
勝手に薬をやめて2週間。ときどき「うぎゃー」となるが、なんとかやりすごせそうだし睡眠もとれている。なにより、不健康な考えにとらわれなくなったと思う。薬をやめての悪い変化が特にないと思ったので、きょうの診察をキャンセルした。
10/17(日)
黒沢清『ドッペルゲンガー』(日・2003)。役所広司本人は、どう思いながら演じたのだろう。「いったいどちらなのか」は終盤へ向かうにつれどうでもよくなってきたのに、ラストで「金と女」がわかりやすく出てきた瞬間、再び、「どちらなんだろう」と意識させられた(それが良いか悪いかは別として)。人工人体が壊れる/壊すというのは、カッコつけすぎな気がした。
眼鏡がゆるんだように思いながら過ごしていたここ数日、レンズを磨こうとしたとき、鼻当てが片方外れているのに気付いた。一応はかけられるから、かえってわからなかった。鼻当てを交換しに行く。
カゴメ野菜生活 soft をやっと飲めた。バナナが加わるとこんなに甘くなるものなのか。子供用歯磨きを思い出す。
日本シリーズの解説者の中に水野晴郎にそっくりな声の人がいて口調も似ているのでウケた。いったい誰だったんだろう?
10/15(金)
黒沢清『回路』(日・2001)。言葉で説明しすぎて、こっけいな箇所あり。しかしまあ、これではどちらが良いのかわからないね、確かに。途中は「死にたくない」と思ってたのに、次第に「どっちも同じか」と思えてくる。
10/14(木)
H・C・ポッター『牧童と貴婦人』(アメリカ・1938)。原題は“The
Cowboy and the Lady”。メアリーの伯父さん、ユーモアと良心の人、彼がいてくれて良かった。ああいうおじいさんになりたいなあ。「そんなうまくいくか」なんて考えず、「きっとうまくいく」と思いながらみつづける。極悪人が出ない映画っていいもんだ。
10/13(水)
内田春菊『南くんの恋人』文春文庫(→Amazon)と業田良家『自虐の詩
上・下』竹書房文庫(→Amazon)を読んだ。心の中にショックと浄化がないまぜになって渦巻いてる。今夜はこれ以上なにも考えられない。
10/12(火)
吉野朔実『瞳子』小学館(→Amazon)。「お葬式」の話がとても身近に思えた。瞳子のおとうさんの雰囲気が父に少し似ていて、瞳子がおとうさんに対して思っていることは私と酷似している。「ガールフレンド」でも、森澤の気持ちも彼女の気持ちもわかる。
10/9(土)
法月綸太郎のサイン会@三省堂に行ってきました。「久しぶりの長編が出て嬉しいです」と言ったら、「今度はもう少し早く書けるようにします」のようなことをおっしゃってました。発売日から時間があったのに結局読めないままサイン会に行って、少し心苦しい。丁寧で腰の低そうな人だなあという印象でした。それに、目が薄い茶色でとてもきれいなのが印象的でした。
新宿の風景がところどころ変わっていて少しとまどった。そんなに来ていなかったんだなあ、と。
“雨をみくび”ってウロウロしていたら、夕方帰るころにはいかにも台風という状況になっていた。丸の内線が神田川の影響で止まってるらしいだの、中央線がどうのだの、池袋駅の構内は水漏れの場所もあちこちに。山手線も混んでいて窓には雨が強く当たっていて。でも、自宅最寄駅に着くと風は強いものの雨は少なく、なのに夜8時までの商店街が軒並み閉店していた。台風はすでに通り過ぎたあとのようだった。
帰宅すると、スカパーに録画予約しておいたはずのキリンジライヴが時間が過ぎているのに録画されていない! あわてて番組をつけると、ちゃんと見られる。なんで〜、と悔しい思いでそこから録画ボタンを押す。あーあー。でも、途中で「17日26時からと、12月に再放送します」と字幕が流れ、ほっとした。
10/8(金)
矢口史靖『ひみつの花園』(日・1997)。
ときおり混じる静止画のようなシーン、なのに物語の進みが早いという妙なテンポが面白い。目的のためなら手段を選ばず、その徹底ぶりと、急がば回れの精神があっぱれすぎ(でも、なんかその気持ちわかる……)。当初の目標を達し、愛しそうに黄色いトランクを抱える彼女は、これからどうするのだろう? 「物語」はオシマイ? と思ったら嬉しい展開。「目的」が「目的」でなくなる瞬間、それが一番のカタルシス。彼女の「物語」は続くのだ。
あと、彼女をライバル視して(目的)、水泳をはじめちゃった(手段)女の子がえらいことになってるのも良かった。「これは自分の努力です」って言うところがいいんだ。
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明日は、ぬれネズミになります。ああ、素敵な長靴があれば。
10/7(木)
槇村さとる『恋のたまご』(4)講談社ヤングユークイーンズコミックス(→Amazon)。少し物足りないくらいの地に足のついたまとめかた。でも、こういうふうに安心して読み終わることができる物語はいいものだ。
鈴木由美子『アンナさんのおまめ』(1)(2)(3)講談社コミックスKiss(→Amazon)。“勘違い”しちゃってるリリの描き方は、「憎めないかわいらしさ」をうまく体現している。彼女に振り回される周囲の人たちは、「可愛さあまって憎さ100倍」とは「逆の感情」を気付かぬうちに抱き、彼女を守り愛してしまうんだと思う。「憎らしいのにほっとけない」、これはすごい存在だ。クリスマスのマフラー、パンケーキ、ケーキの基本、二世帯住宅の話が特に好き。リリ、かわいい。リリはとてもかわいい。
思いきって包丁を持ち、にんじん、れんこん、ブロッコリーを切った。少しドキドキしたけれど以前ほどではない。月曜日に先生に言われた「やってみたら意外にできるかもよ」の言葉は当たっていた。でも、悔しいから次回の診察時には包丁を持てたことを言わない。……いい患者じゃないな。眠剤も火曜日以外飲んでいない。飲み続けていたものをいきなりやめると良くないと聞いていたので、火曜日夜に飲んだところ、翌水曜日、最悪にダウナーな気分になった。それで、今の私には不必要、あるいは眠剤の中でも重い薬になってきたと感じた。もう薬を飲みたくない。次回で通院を終わりにしたい。
10/6(水)
読んでいる日記の3つが同じ日に歯医者のことを書いていた。読んでいる絶対数が少ないので、これはかなりな確率。面白い。歯医者に行きたくなってきた。
10/5(火)
昨晩、夜11時を過ぎたら眠くて眠くて仕方がなくなった。眠剤はあとで飲もうとちょっと横になったら朝になっていた。11時半頃就寝、6時半起床、最高ではないか!
なーんだ眠れるじゃん。
一日いい気分〜なんて思ってたのに、夜中に女子高生とおばあさんが刺されたというニュースがTVで流れて、吐きそうなくらい気分が悪くなりスイッチを切る。
昨日、「食欲がない←→料理したくない・できないの悪循環」て書いたけれど、「料理したくない・できない」というより、「誰かが作ったものを食べたい」んじゃないかと思えてきた。食べる量は少ないにせよ、買ったものを食べることはできるし、外で食べることも大丈夫だ。「人が」じゃなくてもいい、機械が作ったものでも構わない。「私以外の何か」が作ったものならば。ただ、「誰かと一緒に食べたい」と異なるのは確か。昨日も先生に「やってみれば案外簡単にできるかもしれないわよ。包丁を使わなくたって料理はできるんだし」って言われたけど、それは「頭では」わかっている。誰かに無理矢理包丁を持たされたり、先生に「次回の診察までに何か私に作ってきなさい」なんて状況に追い込まれたら、するかもしれない。……考えただけで気分が悪くなる。でも、そんなにしてまで料理作らないとだめですか。やっぱり甘えなのか。こんな分析やっぱり無意味か。
10/4(月)
通院日。
「食欲がない←→料理したくない・できない」の悪循環。これはもう薬でどうこうじゃないだろう。先生は「何かの象徴かもね」というけれど、薬を飲むよりその象徴を知りたいし、考えてみたいんだ。一番最初診察してもらったときの先生自身の話をもう一度聞かされて少々食傷。私は先生のカウンセラーじゃない。そのくせ、自分が今思っていることを自分なりに分析して話すと、「自分の物語にしばられるな」のようなことを言われる。「過去を思っても仕方ない」というようなこととか。これからのことだってちゃんと考えている。現在を過去と切り離して考えられるわけないと思うのに。私は過去からの自分の時間をめぐる旅をしたいんだよ。やっぱり、2週に1度、たかだか10分を積み重ねても話した気にならない。この先生からは薬をもらうだけだ、と、もう割り切ることにする。
今日からの2週間も抗不安剤(セルシン)+眠剤(ユーロジン)という先週と同じ処方だけど、そろそろ抗不安剤もいらないような気がしてきている。正直、デパスをやめた先週の月曜日から水曜日までは不安で気分も悪かったけど、木曜日からは大丈夫な気がしてきたし、デパスが必要ないならばその他の抗不安剤ももういい(それくらい、デパスってのは「効く〜」と実感できる薬で本当に好きだった。でも別れようと思った)。あとは、眠ることさえできれば。眠りに関しては、まだちょっと自分で把握できてない。以前の短期型に戻しても平気なのかどうか。
10/3(日)
土屋ガロン/嶺岸信明『オールド・ボーイ』双葉社アクションコミックス(→Amazon)全8巻を一気読み。
名前を聞いたことがあるなあというかすかな記憶はあったものの、これがカンヌで賞を取った韓国映画の原作だというのも、その映画が秋から公開されるのも知らなかった。「男の復讐劇」とシンプルに言い切れない物語。「男」? それとも、「男たち?」と単数形にするか複数形にすべきかでも迷う。肉体を鍛えて肉体でたたかうというのでもない、頭脳戦・精神戦というほうがしっくりくる。こんな展開ならば、生半可な「理由」では、お馬鹿映画の危険性もはらむというのに、それは杞憂だった。これを映画化するなんて、勇気がいったことじゃないかなあと思う。どんなに難しい演技を求められたことだろう。でも、カンヌでグランプリ取ったんだよね。ふえー。映画の公式サイト。
10/2(土)
朝11時からBSで野球を見たあと、出かけました。久しぶりにパニーノ・ジュストで食べてから、枕を探しに。といっても、あちこち見て回る体力がないので、行ったのはデパートの中にあるロフテーの枕工房のみ。首の後ろと背中との間の距離を測ってもらった結果、高さは1〜2cmのものがいいとのこと。あとは素材。長年使っていた普通のクッションぽいやつ(パンヤ?)に近い感触の羽毛とそば殻を試させてもらうと、同じ高さなのに、180度と言ってもいいくらい感じ方が違う。羽毛は「ふわ〜」、そば殻は「しっか」、そしてそば殻のほうが高さを感じる。繰り返し交互に試させてもらったけれど、いろいろ話を聞き、感触も覚えたところで、しばらく考えてみることにした。
決めかねている間に、秋の服を見て歩いた。着たいと思う服があって買った。好きなブランドに絞って見たから、そんなに歩き回ったわけじゃないのに、プールのあと耳の中に水が入ったように耳が「わーん」と響く感じになってしまったり、ぼーっとしたり、ふらっとしたり、なんだかすごく疲れてぐったりしてしまった。
生の果物ジュースが飲みたい……と思いつつ、力尽きて近くにあったヴィドフランスへ。黒ごま+豆乳+バナナのジュースで少し落ち着く。しかし今日はもうこれ以上何もいらない。
その後、ロフテーに戻ってそば殻枕に決め、買って帰ってきた。枕も嬉しいが、洋服を買うのは楽しい。
10/1(金)
9月は充実してました。なんてことは、昨日書くべきか。10月もそうありたい、の思いをこめて9月へ愛をおくるよ。キリンジのライヴと堂本剛の『[si:]』の存在が大きかった、のめりこんだ。『[si:]』は、脇をかためる演奏もいいんだよなあ、ギターの響きや間奏もカッコ良くて。堂本剛のギターの師匠が土屋公平ってのもすごい(先月見た、MUSIC
ON! TV の「堂本剛特集」による)。土屋公平って、あのストリート・スライダーズだよねえ。
と、今も『[si:]』を聴きながら書いている。
ここ最近、寝ているときに小さい石がシーツの上に発見されるので謎に思ってた。その理由が、枕カバーを外してわかった。私の枕は片側がクッション、片側が小さな石の入った(痛くない。夏に涼しい)ものなんだけど、その石側の布が破れてた……。つまり、枕カバーを替えるときに、破れたところから出た石がシーツに落ちてたってことだったんだ、と。さようなら、私のよだれが染み込んだ枕。そろそろお別れしたいと思っていたの。これで心おきなく買い換えられるわ! やっぱり枕はそば殻が好きなんだよな……。外国では sobakawa pillow!!! でも、しょっちゅう干さないといけないからなあ。ともかく、自分に合った枕で安眠したい。それから、一度でいいから、俵屋の布団で気絶しそうな心地よさを味わってみたい。
カラオケ発明者にイグ・ノーベル平和賞。「カラオケを通じて世界の人たちが互いに我慢することを学んだ」。あの大きいメダル、いい。
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選択の余地を残しておきたい。それとも、ただの我慢か勝負か。なんであれ、自分相手のチャレンジっていいもんだ。
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私は多分甘えたいのだ。小さな小さな女の子のように。素直に。甘えかたを知りたいのだ。身に付けられるものならば。生まれて何年も経つというのに、やりかたのわからないことがある。それは少し悔しくて、でも、私がこの先もずっと、考えたり悩んだりしていくことの一つであり、私の一部なのだと思う。