クララ殺し/小林泰三
[注意]
前作『アリス殺し』で使われているトリックに触れている箇所がありますので、(いらっしゃらないとは思いますが)前作を未読の方はご注意ください。
前作『アリス殺し』で明かされたように、地球の登場人物は“アーヴァタール”にすぎず、〈不思議の国〉や〈ホフマン宇宙〉にいる“本体”とリンクしている――というのがシリーズの基本的な設定で、前作をお読みになった方であれば、二つの世界の誰と誰がリンクしているのかという“人物の対応関係”を誤認させる、“アーヴァタール誤認トリック”が仕掛けられていることは予想できるでしょう。しかるに本書では、“人物の対応関係”が隠されて先入観などによる誤認が生じる叙述トリック的な仕掛けではなく、〈ホフマン宇宙〉の人物が“人物の対応関係”を偽装することで、ビル/井森を(ひいては読者を)騙す形となっているのが目を引きます。
その手段の一つが、クララとくらら、ドロッセルマイアー(ホフマン宇宙)とドロッセルマイアー(地球)のそっくりな容貌ですが、くららが“金髪で瞳が青かった”
(20頁)のは“カラーリングとカラコン”
(22頁)だとあっさり明かされていますし、ドロッセルマイアーも右目の絆創膏と鬘の印象が強いので、(ビル/井森をみても明らかなように)〈不思議の国〉と地球の間で“本体”と“アーヴァタール”の相似がなかったことを考え合わせれば、偽装である可能性が頭に浮かんでもおかしくはありません。
しかし、〈ホフマン宇宙〉が舞台の「1」と地球が舞台の「2」の間で“話が通じている”こと――地球のドロッセルマイアーとくららが蜥蜴のビルを知っていること(*1)が、もう一つの手段として“アーヴァタール”の誤認を強力に支えているため、トリックを見抜くのは容易ではありません。実際には、〈ホフマン宇宙〉のドロッセルマイアーからマリーへ(225頁)、さらに地球のくらら(マリー)から偽ドロッセルマイアーへ(*2)とビル/井森の話が伝えられたわけですが、裏でそのような“伝言ゲーム”が行われているとは考えにくく、“本体”と“アーヴァタール”の間で意思の疎通がなされているのだと思い込まされてしまいます。
かくして、地球のくららと偽ドロッセルマイアーがそれぞれ、〈ホフマン宇宙〉のクララとドロッセルマイアーの“アーヴァタール”を演じることが可能となっているのですが、その“逆方向”の偽装――〈ホフマン宇宙〉のクララを地球のくららの“本体”だと見せかけるのが難題です。〈ホフマン宇宙〉のドロッセルマイアーにはマリー(くらら)から地球での出来事を伝えることができるものの、マリーの計画ではクララが“伝言ゲーム”に加わるはずがないので、地球でくららと井森が出会った後の〈ホフマン宇宙〉では、ビルとクララ(やドロッセルマイアー)のやり取りが本来ならば不自然なものになるはずです(*3)。
ところが、ドロッセルマイアーが“クララはわたしと同じく地球上にいる自らのアーヴァタールをはっきりと自覚しているのだ。”
(30頁)と、クララの“アーヴァタール”を知っているような言葉を口にした上で、クララとビルで“実験”をすると宣言しても、クララがまったく異を唱える様子がないため、クララとドロッセルマイアーがどちらの世界でも協力関係にあるとしか考えられず、“アーヴァタール偽装トリック”がさらに補強されることになります。マリーの計画をクララが乗っ取ったという、『クララ殺し』という題名そのものをミスディレクションとしたそれ自体が意外な真相が、さらにこのような形でトリックを支えているのが秀逸です。
そして、偽装トリックによって“余った”状態となっている、クララとドロッセルマイアーの“アーヴァタール”(本物)の扱いも実に巧妙。クララの“アーヴァタール”が偽ドロッセルマイアーの役をつとめていたのは、あまりにも収まりがよくて少々できすぎな印象もないではないですが、偽ドロッセルマイアー役の募集条件で気づいたというのは納得できるものです。一方、ドロッセルマイアーの“アーヴァタールは小林泰三ワールドの有名人・新藤礼都(*4)ですが、登場のタイミングや井森の協力者という立場などによって、スキュデリの“アーヴァタール”だとミスリードする仕掛けが非常によくできています(*5)。
偽装/誤認 | アーヴァタール | 真相 |
---|---|---|
クララ | くらら | マリー |
ドロッセルマイアー | ドロッセルマイアー | クララ |
スキュデリ | 新藤礼都 | ドロッセルマイアー |
― | 徳さん | スキュデリ |
本書では、数多く登場する〈ホフマン宇宙〉の住人たちのうち、地球に“アーヴァタール”がいることが明らかになったのは、ナターナエル(諸星隼人)を含めてわずか五人だけですが、これはもともと地球側の関係者が少ないことに加えて、〈ホフマン宇宙〉の住人の“アーヴァタール”がレアケースだと思わせることで、マリーの“アーヴァタール”が存在する可能性を隠蔽する意図があるのではないかと考えられます。そして上の表に示したように、〈ナターナエル/諸星隼人〉以外の“本体”と“アーヴァタール”の組み合わせはすべて偽装/誤認だったという真相は、やはり豪快です。
さて本書では、このようにして成立させてある“アーヴァタール”の誤認を、巧みにアリバイトリックに応用してあるのが見どころ。“アーヴァタール”を介することで、〈犯人〉(*6)が〈被害者〉になりすまして証言できるわけですから、何でもやりたい放題にできる……ようでいて、“本体”が死ねば“アーヴァタール”も死ぬことを踏まえると、“本体”を襲う事件が起こる前の出来事――事件と直接関わりのない出来事しか証言できないという制限があるので、犯人(マリー)の“不在”を自ら証言するアリバイトリックに仕立てるのが最も効果的なのは確かでしょう。
マリーがカーニバルの山車に乗っている丸一日の間にクララが殺されたと偽装するために、くららは“〈ホフマン宇宙〉でマリーが山車に乗るところを目撃した”と証言してから自殺したわけですが、当初の計画では見かけの犯行時刻を遅らせるトリックだったのに対して、マリーが山車に乗る前にクララを殺しそこねたために、見かけの犯行時刻を早めるトリックに転じているのが面白いところで、“アーヴァタール”の死によって間接的に“本体”の死が確定するという設定を生かした、実にユニークなトリックといえるのではないでしょうか。
さらに、命を狙われた側のクララがマリーの計画をアリバイ工作ごと乗っ取ることによって、クララは“すでに殺された”と認識されているためにマリー殺しの容疑を免れる――つまり、今度はアリバイトリックから“バールストン先攻法”へとスムーズに変容するのがお見事。くららの死体が発見されてそのまま“復活”してこない一方、井森(ビル)が何度殺されても“復活”することで、くららの死が〈ホフマン宇宙〉の“本体”の死に起因することが強調されている(*7)のもうまいところで、“アーヴァタール偽装トリック”や題名の『クララ殺し』と相まって、クララに疑いを向けるのは非常に困難となっています(*8)。
スキュデリからの依頼に関する受け答えで偽ドロッセルマイアー(くらら)がドロッセルマイアーの“アーヴァタール”でないことが露見し、井森の身長に関する表現でドロッセルマイアーの“アーヴァタール”の存在が明らかになり、マリーに関する“論理的”な発言が最後の決め手となる――という具合に、真相解明につながる手がかりが不用意な失言ばかりなのが若干気になるところですが、いずれもスキュデリの仕掛けた“罠”が巧妙だったともいうべきかもしれません。
マリーの死がまだ明らかになっていない段階での、“論理的にマリーは犯人ではない(中略)被害者なのだから”
(144頁)というオリンピアの台詞はあからさまに怪しいので、この時点でオリンピアが犯人であることはほぼ見当がついてしまいます(*9)が、クララやマリーとは関わりが薄そうなオリンピアが“どうして/どのようにして犯人になるのか”が謎として残りますし、犯人の正体(クララ)から読者の目をそらす効果もあるのではないでしょうか。いずれにしても、物語序盤から明かされているドロッセルマイアーの人間を“改造”する能力がうまく生かされているのは確かですし、クララが迎える凄まじい最期(?)につながるところもよくできています。
*2: 偽ドロッセルマイアーの正体を考えればこの情報伝達は不要ですが、くらら(マリー)の立場/視点では当然必要となります。
*3: そもそものマリーの計画を考えてみると、地球でくららが井森に捜査を依頼した後は、ビルとクララが接触するのはかなり危険なことになるはずなので、そのあたりはドロッセルマイアーにうまくやるように任せていた、ということでしょうか。
*4: 小林泰三ファンにはいうまでもありませんが、『密室・殺人』や『モザイク事件帳』(『大きな森の小さな密室』)などに登場しているほか、『因業探偵 新藤礼都』では連作の主役をつとめています。
*5: もっとも小林泰三のファンであれば、おなじみの“徳さん”(→『密室・殺人』など)が登場したところで、“徳さん”の方がスキュデリの“アーヴァタール”にふさわしいと考えた方も多かったかもしれません。
*6: “本体”ではなく“アーヴァタール”なので括弧書きしています。
*7: ナターナエルの死と諸星隼人のイレギュラーな“復活”を盛り込んであるのは、その特殊な事情(→詳しくは『AΩ[アルファ・オメガ]』を参照)にまで言及することで、通常は“本体”の死と“アーヴァタール”の死がリンクしていることを強く印象づけるため……かもしれません。
*8: ……といいつつ、『ミステリーズ!』での連載第1回には、
“クララが殺った!”という煽りがあったような記憶が……(こちらのツイートにもありますが)。
*9: 実のところ、ドロッセルマイアーはクララを誰とでも入れ替えることができたわけで、オリンピア(クララ)の“論理的”な発言がなければクララの所在がつかめないようにも思われますが、クララと入れ替えられた相手の処理に着目したスキュデリの推理はお見事です。
2016.07.09読了