犯人選挙/深水黎一郎
まず、加藤大祐が気にしていた“《delenda Kengo》”
(158頁)と記された紙片が、睡眠時随伴症の間に大祐自身が書いたものだったという真相がずるい(苦笑)。いや、“加藤大祐”のあだ名が“大カトー”になるのは納得ですし、大祐が問題にした文法の誤り(163頁)も、“肝心の語学力が低下していたために、初歩的な文法を間違えてしまった”
(237頁)というよりも、慣れ親しんでいる“delenda Carthago”にそのまま“謙吾”を当てはめた(ラテン語で考えたのではない)とすれば、受け入れやすくはあるのですが……。
- 1.天枢界 犯人は渡会千帆
現場の合鍵を持っているため、密室状況が問題にならないのが他の選択肢との最大の違いで、(1)被害者との膂力差をどう克服するか、(2)“千帆犯人説”を否定する洸一の推理(96頁~97頁)をいかにしてひっくり返すか、が見どころとなります。
(1)については性行為の最中の犯行で、マスコミに知られるのを恐れて(*1)偽装を施したというのも妥当なところでしょう。(2)については、他の住人に嫌疑がかからないようにドアの鍵をかけつつ、外部からの侵入の可能性を遺すために窓の鍵は開けておいたということで、自分に不利な証言もやむなしという心境もわからないではありません。
*1: 千帆が読んだという、
“かつてマスコミは(中略)第四の権力と言われたものだが、今では権力を通り越して、時に暴力になり得る”
(198頁)という本は、もちろん『第四の暴力』のことでしょう。
- 7.揺光界 犯人不在
“犯人不在”ということは、まず考えられるのは自殺か事故死(*2)ですが、天井に
“太い梁が剥き出しになっている”
(36頁)という伏線(*3)を踏まえれば、自殺の可能性は十分あり得るでしょう。洸一の推理(54頁~57頁)では、(1)自殺の動機がない、(2)現場に凶器がない、(3)絞殺による自死は不可能、という三つの理由で自殺説が否定されていますが、(1)は比較的わかりやすい(*4)ですし、(2)も千帆が偽装した可能性が高く、自殺にトラウマがある(72頁)という理由もしっかり用意されています。(3)は絞殺ではなく縊死だったということで、“神様”が指摘する(208頁)ように解剖の結果が明示されていないのは確かです。
*2: さすがに某国内短編((作家名)麻耶雄嵩(ここまで)の(作品名)「答えのない絵本」(『メルカトルかく語りき』収録)(ここまで))のようなわけにはいかないでしょうが、「開票結果」で紹介されている
“病死”
(289頁)というのは考えもしませんでした。
*3: 大祐が指摘するように“チェーホフの銃”
(208頁)ではありますが、七つの解決を“共存”させるためには伏線が多数必要なので、中にはわかりやすいものがあっても致し方ないというか、“チェーホフの銃”というならばむしろ、能面(23頁)や青いタイル(35頁)まできちんと拾わなければならなかった、ということになるでしょう。
*4: 亜沙美の絵が直接のきっかけになっしまったのが何ともいえないところですが。
- 2.天璇界 犯人は山田龍磨
密室トリックは、得意のディアボロを使ったもの。ロープを結びつけたディアボロを、自室の窓から投げ上げて屋根越しに現場まで届かせるという曲芸で、窓から(下ではなく)上に脱出するのがユニークですし、洸一が夢うつつで聞いた
“雷鳴のような音”
(69頁)が伏線になっているところもよくできています(*5)。凶器もディアボロの紐で、ハンドスティックのおかげで掌に痕が残らないのもうまいところ。動機は、謙吾がジャグラーを貶めるような発言をしたためで、それがジャグラーならではの犯行につながっているところがよくできていますが、肝心の発言が大したものではないのが何とも悲劇的。
*5: とはいえ、他の世界では“雷鳴のような音”は生じなかった(224頁)というのは、いささか釈然としないものがあります。
- 3.天璣界 犯人は槇洸一
密室トリックは、死体発見時に千帆の目を盗んで鍵をフックに戻す“早業トリック”で、正直なところ、最多得票の割にあまり面白味はありません。
この解決での見どころはやはり、“問題篇”からは予想もつかない洸一のサイコパスぶりでしょう。ルマールというマニアックな凶器の選択から、被害者を決めた理由、
“計画的犯行の実行には、それなりの心の準備が必要だ”
(122頁)とうそぶきながらメールチェックの時間で犯行に及んだカジュアルさ、果ては大祐の推理を得々と否定していったその裏に隠された心理と、何とも凄まじいものがありますが、多重解決が“一人の人間の多重キャラクター、多重素性にならざるを得ない”
(223頁)という“神様”の指摘には、目から鱗です。- 4.天権界 犯人は比嘉伊緒菜
密室トリックはドローンを利用して窓から脱出したというものですが、ドローンを上昇させてから急降下させることでパラシュートを展開させるというアイデアが非常に秀逸(*6)。また、捜査会議でリョウタ刑事がパラシュート説を口にして先輩刑事に否定される場面(131頁~132頁)で、パラシュートについて要領よく説明されていることが、巧みな伏線になっているのも見逃せないところです。
凶器はこれまた耳慣れないガロットで、229頁の図を見ると意外に扱いやすそう(?)ではありますが、やはり問題となる膂力差をクリアするのは情交後という状況。ということで動機は、謙吾に脅迫されていたことによる怨恨で、謙吾の人物像がこれまでの解決とまったく違ったものになってしまうのが強烈です。
*6: ただし、少なくともドローンが
“空中停止{ホバリング}”
(226頁)をしている間は、パラシュートの方は自重で落ち続ける――ちょうど着地した後と同じ状態になる――はずなので、要注意です。
- 6.開陽界 その他の人物が犯人
選択肢に名前のある千帆・龍磨・洸一・伊緒菜・葉留人以外の“その他の人物”、しかも
“視点人物は犯人にはなり得ません。”
(192頁)と明言されて大祐と亜沙美が除外されているとくれば、“犯人をどこから持ってくるか”(*7)が眼目となりますが、あとは捜査関係者くらいしか目につかないのが難しいところです(*8)。しかして、直接登場していないものの言及はされている
“大家のおばあさん”
(14頁)という、まったく予想外の犯人に仰天。当然合鍵を持っているので、チェーン錠がかけられるより前に建物に侵入しておきさえすれば、密室の問題がクリアされるのは確かですが、さすがにこれは想定できませんでした。これまた予想外の“ミッシング・リンクもの”に転じる大家さんの動機は、謙吾・大祐(29頁)29頁や亜沙美(88頁)など水泳の達者な住人たち、全員の年齢が近いこと、よく考えると少々うさんくさい
“日本学業支援会”
(14頁)に面接と、それなりに伏線も用意されています。そして、まさかの毒殺という真相もすごいところです。*7: 他の選択肢と違って、“作者が誰を犯人として想定しているのか”もポイントになってくるという意味で、これだけは“犯人当て”(の要素を含んでいる)といえるかもしれません。
*8: 捜査関係者の中でいえば、「開票結果」で紹介されている“リョウタ刑事”
(288頁)はなかなか面白いと思います。
- 5.玉衡界 犯人は森葉留人
死亡推定時刻に洸一と酒を飲んでいたというアリバイは、大祐が推理した(151頁~153頁)とおりのアリバイトリック。そして凶器は釣り糸で、掌に残った痕を隠すために釣りから戻ってこなかったというのも大祐が考えた(120頁)とおり。
ここで、〈開陽界〉に続いて再登場した大家さんが解説する密室トリックは、何と秘密の通路を使って現場に侵入した(*9)という“反則技”で、“館もの”――というよりも、
“中村さん”
(265頁)でおわかりのように綾辻行人〈館シリーズ〉――のオマージュという真相に唖然。303号室が“他の部屋より少々手狭”
(21頁)だったり、壁に飾られた能面が時々傾いていたり(23頁)、302号室との間に比べて304号室との間の壁が厚かったり(31頁)……といった伏線があります(*10)が、(“問題篇”の記述ではないものの)〈開陽界〉で明かされた大家さんの(以下伏せ字)犯行の動機(ここまで)が(以下伏せ字)綾辻行人『時計館の殺人』を髣髴とさせる(ここまで)ことこそが、最大の伏線といえるかもしれません。大家さんの動機は〈開陽界〉と同じく死んだ孫娘の復讐ですが、その動機が九年前に生じたことと整合させるために、
“築三〇年超”
(13頁)と称していた大泰荘が実は築三年半だったという真相まで用意されているのに脱帽。葉留人の動機は、謙吾が九年前の事故の件を公表しようとしたためですが、〈開陽界〉の中に(ミッシング・リンクに)
“気付きながらも黙っていた人間が一人だけいた”
(244頁)とさりげなく伏線が張られているのが巧妙です。*9: 謙吾が千帆に合鍵の返却を求めていた(125頁)ことに、鍵の交換のためと説明がつけられているのがうまいところです。
*10:“青いタイルは、表記からして周囲から浮いとったじゃろうが!”
(265頁)という“神様”の指摘は、“伊比利亞{イベリア}半島”
(35頁)などの漢字+ルビ表記のことでしょうが(作中の人物である大祐は表記を認識できないはずですが、まあそこはそれ)、『花窗玻璃』や「北欧二題」(『人間の尊厳と八〇〇メートル』収録)を読んでいるとさほど違和感がないので、スルーしてしまいました(苦笑)。
先行読者投票には参加できませんでしたが、私が投票するならやはり、“飛び道具”を期待して「6.開陽界 その他の人物が犯人」でしょうか。
「第二部」から登場してくる“神様”が作者であることは、大祐ならずとも明らかですが、「作者巻頭贅言」で“この小説の中では、三人の人間が死にます。”
(7頁)とされているとおりの、三人目の死者が出る結末がお見事。“犯人選挙”という企画からすれば、最多得票の〈天璣界〉が作中でも選ばれるのが筋かもしれませんが、大祐が犯人を決めてしまうのはしっくりこないところですし、そもそも大祐は作者の都合で――“観察者”の立場に据えるために――死ぬことになったわけですから、(作者には失礼ながら)これ以上ない幕切れといっていいのではないでしょうか。