ヴェロニカの鍵
[紹介]
本当に描きたいもの――“ヴェロニカ”を描けなくなった後、美術教室の講師をしながらも何とか団体展に出品する作品を描いてきた画家・久我和村は、締め切りの前夜になって必要な絵の具を切らしていることに気づく。近隣に住む友人の画家・郷寺秀に絵の具を借りようと、彼の住む砂浜近くの家を訪れた久我だったが――翌日、共通の友人である香田庄乃とともにそ知らぬ顔で郷寺を訪ねた久我は、施錠されたアトリエの内部で、胸に千枚通しの刺さった郷寺の死体を発見する。警察はこのところのスランプを苦にした郷寺の自殺と判断したのだが――久我は前夜、郷寺がアトリエではなく隣の応接室で死んだことを知っていた……。
[感想]
飛鳥部勝則の第六長編である本書は、デビュー作『殉教カテリナ車輪』以来となる画家を主役とした作品ですが、そちらのように図像解釈学が前面に出されてこそいないものの、「あとがき」にも記されているように(*1)主役の人物像や“失われた青春もの”という一面など『殉教カテリナ車輪』に通じるところがあり、多分に“原点への回帰”といった意味合いも込められているのかもしれません。
全編を通じて焦点が当てられているのは、主人公・久我和村の画家としての生き様。創作の壁に突き当たり、挫折を経て、もはや諦念に包まれたかのように淡々とした姿も印象に残りますが、学生時代からの友人の死をきっかけに浮かび上がってくる、暗くも輝かしい“失われた青春”の欠片たちは、我が身に突き刺さってくる感があります(*2)。そしてその中に織り交ぜられた芸術的/観念的な要素も非常に興味深いもので、さすがは飛鳥部勝則といったところです。
その一方で、帯には“首のない怪物、密室殺人、移動する死体。”
とそれらしい言葉が並べてある(そしてそれは嘘ではない)ものの、警察にはあっさり自殺と判断されるところからしても、ミステリとしてはかなり地味に映ってしまうのは否めないところで、一見すると“ミステリ”部分と“画家”部分とが乖離し、“ミステリ”部分が“画家”部分に完全に負けているようにも思えます。が、しかし、「あとがき」に“謎が《徐々に解かれていく経路の面白さ》”
を狙ったと書かれているのを踏まえてみると、むしろ両者はしっかりと奥深いところで融合しているように思われます。
実のところ本書では、謎解きの試みはかなり早い段階から何度も繰り返されているのですが、それがしばしば――典型的には題名にもなっている“ヴェロニカの鍵”、あるいは“ゴッホが殺人を”といったような――芸術的な要素と結びついた風変わりな形をとっているのが大きな見どころ(*3)。と同時に、“謎の解き方”の裏返しである“謎の作り方”もまた“ミステリ”部分単独ではなく“画家”部分と分かちがたく結びついており、飛鳥部勝則にしか書き得ない独特の“画家ミステリ”といえるでしょう。
(最終的な解決までくるとさすがに)驚きは少ないものの、ある意味で印象に残るフーダニット、そして最後に残されたインパクトのあるホワイダニットといったあたりも好みですが、“失われた青春”の完全な終焉であるとともにそこからの解放でもある、もの悲しさの中にも一抹の明るさが漂う結末の味わいがまた何ともいえません。『堕天使拷問刑』などの“派手な”作品とは違った、しかしこれも実に飛鳥部勝則らしい作品です。
2011.02.05読了 [飛鳥部勝則]
造花の蜜(上下)
[紹介]
裕福な夫・山路将彦と離婚し、息子の圭太を連れて実家に戻った小川香奈子は、スーパーでふと目を離した隙に圭太を誘拐されかける。ようやく見つかった圭太は、誘拐犯が「お父さん」と名乗ったというのだが――そして一月後、圭太が蜂に刺されて病院に運ばれたと連絡を受けた香奈子は、圭太がなついている実家の工場の従業員・川田とともに慌てて駆けつけようとするが、幼稚園に連絡を入れてみるとなぜか話が食い違う。幼稚園の先生は、香奈子と川田が圭太を迎えに来たというのだ。やがて電話をかけてきた犯人は「誘拐ではない」と言い張り、身代金も「くれるならもらう」とうそぶくが、白昼の渋谷スクランブル交差点にて前代未聞の身代金受け渡しが行われることになって……。
[感想]
単行本が刊行された時期の問題で各種年間ベストからは漏れている本書ですが、本来であれば上位を争うのが当然だったはずの、実にユニークな誘拐ミステリの傑作。定番ともいえる幼児誘拐を題材としながらも、惜しげもなく次から次へと加えられていく連城三紀彦らしいトリッキーなひねりに、読者は翻弄されるよりほかありません。
物語序盤から、オーソドックスな誘拐事件とは一味違う雰囲気が顕著で、誘拐犯が“お父さん”と名乗ったりなかなか身代金を要求しなかったりする一方で、離婚した被害者の両親、とりわけ母親が何か被害者に関する公にできない事情を抱えていることが匂わされ、誘拐ミステリとしては珍しく当初から謎が存在する――“これから何が起こるか”だけでなく、“過去に何が起こったか”にも読者の興味が向けられる形になっているのが面白いところです。
その秘密を思わせぶりに引っ張りつつも、誘拐ミステリらしく身代金受け渡しが大きな見せ場となっているのはもちろん――どころか、犯人の要求が二転三転した挙げ句に落ち着くそれは、白昼堂々、渋谷のスクランブル交差点の真ん中というあまりにど派手な状況。犯行はおよそ不可能としか思えない中、早い段階から見え隠れしていた“蜂”と“蜜”というモチーフを一気に前面に押し出し、困惑を誘う奇妙な形で実行に移される身代金受け渡しは、強烈すぎるほどのインパクトをもたらしています。
……というところまでで、実はまだ物語の半ば。後半(ハルキ文庫版で下巻)に入ると、直前の派手なイベントから一転して少々地味にも映る展開が始まりますが、前半とはやや趣の違うサスペンスは十分に読者を引き込む力を備えていますし、そこで――“蜜”と“蜂”を添えて――描かれていく“造花”の妖しい魅力は何ともいえません。そして、最後から二番目の章「罪な造花」でついに明らかにされる、アクロバティックな真相が圧倒的。と同時に、作者ならではの巧みな“仕込み”に思わずうならされます。
“本編”が決着した後の、形の上では最終章となる「最後で最大の事件」は、いわば“ボーナストラック”的な後日談。“本編”がこの上なくきれいに幕を閉じているだけに、蛇足めいた印象もないではないのですが、しかし“本編”と同様に事件を通じて白日の下にさらされる家族の真実は印象的ですし、これまた何とも人を食った真相が秀逸。“ここ”で“このネタ”を持ってくる大胆さにも脱帽ですが、それとともに浮かび上がってくる構図(*1)が実に見事です。誘拐ミステリ史に残るべき、必読の傑作であることは間違いないでしょう。
なお、ハルキ文庫下巻の岡田惠和氏による解説は、若干ネタバレ気味(*2)なのでご注意ください。
“本書の凄みはタイトルにて「造花」であることを謳っている点にあります。(中略)そうした凄みが立ち上がってくるのが最終章です。実に奥ゆかしくも挑発的な構成です。”との指摘で気づかされました。ここに感謝いたします。
*2: 解説の冒頭には
“ここから先に読んでも、大丈夫だと思います。”(下巻312頁)とあるのですが、私見では下巻315頁最後の三行はアウトだと思います。
2011.02.10 / 02.14読了 [連城三紀彦]
匣の中の失楽
[紹介]
探偵小説マニアの大学生たちを中心とした十二人の“ファミリー”。その一員であるナイルズこと片城成は、“ファミリー”がそのまま登場する実名探偵小説『いかにして密室はつくられたか』の執筆を宣言する。《さかさまの密室》が扱われるというその小説の中で、最初に殺害されることになっていたのは曳間了。ところがその翌日、曳間は倉野貴訓の部屋の中で現実の死体となって発見される。しかも、倉野が戻ってきた時にはまだ建物の中に犯人らしき人物がいたにもかかわらず、建物の出入り口は外側から鍵がかけられていた――《さかさまの密室》だったというのだ。残された“ファミリー”は事件を自らの手で解決すべく、それぞれ独自の推理を展開するが……。
[感想]
雑誌「幻影城」に連載された竹本健治の衝撃的なデビュー作(*1)にして、いわゆる“三大奇書”――小栗虫太郎『黒死館殺人事件』・夢野久作『ドグラ・マグラ』・中井英夫『虚無への供物』(*2)と合わせて“四大奇書”とも称される、ミステリ史において異様な輝きを放つ傑作です。
まず目を引くのが、大学生たちを中心にほとんどが探偵小説マニアの若者ばかりという登場人物で、全編を通じて交わされる“濃い”やり取り、そして探偵小説に淫したような雰囲気は、後の“新本格ミステリ”初期を代表する作品(*3)の先駆けともいえるでしょう。また、その登場人物たちの“人形”にちなんだネーミング(*4)は、本書のテーマの一つと思われる(一応伏せ字)“操られ”(ここまで)を暗示するだけでなく、“人間を描く”ことへのアンチテーゼ的な意図もうかがえるように思います。
いずれにしても、数多い登場人物全員が際立った個性をもって描かれているわけではない上に、[紹介]でもお分かりのように作中で書かれる実名小説『いかにして密室はつくられたか』がかかわってくる物語は、作中に盛り込まれた膨大な薀蓄も相まってかなり複雑で、決して読みやすいとはいえないところがあるのは確かです。しかし本書の魅力は、読み進めていくうちに立ち上ってくる眩惑感・酩酊感にあると思われるので、少なくとも初読時には細かい記述を丹念に拾うよりも、大筋をつかみながらどんどん先へ進んでいくことをおすすめします。
ミステリとしての大きなネタについては、予備知識なしで読む方が楽しめると思いますのでここでは触れません(*5)が、どこか幻想味を帯びた事件の謎に対して、様々な分野の知識を総動員して時に珍妙ともいえる――しかし本書にあってはさほど違和感のない――推理(*6)が繰り広げられる、一般的なミステリとは一味違った風変わりな推理合戦が大きな見どころであることは間違いないでしょう。そして、無数の推理が構築されては破棄された行き着く先は、これまた一般的なミステリとは一線を画した……。
……というわけで本書は、読者によって様々な読み方を許容する作品であり、読むほどに色々と考えさせられるとともに、読み返すたびに新たな発見がありそうな、実に懐の深い一冊といえるでしょう。読了した際にわき上がってくる大きな達成感(苦笑)まで含めて、まさに“奇書”と呼ばれるにふさわしい特異な傑作です。
なお、去る2011年4月29日に本書を課題本として「エアミステリ研究会」の読書会が行われました。当日の様子は「エアミス研読書会第7回(竹本健治『匣の中の失楽』)」にまとめてありますので、興味がおありの方はご覧下さいませ。
*2: 私自身は恥ずかしながらいずれも未読なのでよくわかりませんが、本書にはこれら“三大奇書”の影響を受けている部分があるようです。
*3: いうまでもありませんが、綾辻行人『十角館の殺人』や有栖川有栖『月光ゲーム Yの悲劇'88』など。
*4: 例えば、“曳間了(ひくま・りょう”→“ピグマリオン”、“倉野貴訓(くらの・たかよむ)”→“グランギニョール”など。
*5: もし必要ならば、「匣の中の失楽 - Wikipedia」や「匣の中の失楽とは (ハコノナカノシツラクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科」などをご参照下さい。
*6: 個人的には、“エクゴニン”に基づく推理(「三章」)の突拍子もなさが気に入っています。
2011.02.25読了
シンフォニック・ロスト
[紹介]
三年生が引退した北園中学吹奏楽部。ホルン担当の二年生・泉正博は、同じパートで憧れていた先輩・工藤麻衣子の心ない言葉を耳にして、それを見返すためにも練習に打ち込む。だが、吹奏楽部の晴れ舞台となる定期演奏会でソロを担当するはずだった泉は、なかなか練習の成果を発揮することができないまま、ついには引退した工藤先輩にソロを明け渡すことになってしまう。ところが、かねてから吹奏楽部で囁かれていた“部内でカップルができると片方が死ぬ”という怪しい噂そのままに、工藤先輩は突然の怪死を遂げたのだ。部員たちが恐怖と疑心暗鬼に陥る中、定期演奏会の日程が近づいてくるが……。
[感想]
本書は、二階堂黎人との合作で『ルームシェア』を発表した(*1)後、『マーダーゲーム』(いずれも講談社ノベルス)でソロデビューを果たした作者・千澤のり子の(単独名義での)第二作で、自身の演奏経験(*2)を生かして中学校の吹奏楽部の活動を生き生きと――とりわけ上達の喜びと伸び悩みの焦りを通して門外漢にもわかりやすく――描き出しつつ、そこに事件を絡めることで胸を打つ切ない構図を浮かび上がらせた、青春ミステリの傑作です。
まず目を引くのが、主人公・泉正博の演奏に対するストイックな姿勢で、冒頭の強烈なエピソードを一種の“バネ”として、ひたすら楽器の練習に打ち込むようになっていく姿が印象的。もちろん、青春小説らしい恋愛模様も盛り込まれている――どころか実はモテモテ(←死語?)だったりするのですが、帯に“草食男子ミステリー”
とあるように恋愛よりもホルンを優先するような泉には、かつて“不本意ながら絶食男子”だった私としてはもどかしさとともに羨望と嫉妬を禁じ得ず、多大な心理的ダメージが……まあ、それはさておき(苦笑)。
同じ吹奏楽部のメンバーが、しかも恋愛に“うつつを抜かした”ことへのペナルティであるかのように、不気味な噂通りに相次いで命を落とすことで、部員たちの心は様々に揺れ動いていきますが、そのあたりの様子が丁寧に描かれているのも好印象。そしてまた、(「目次」からも明らかなことですが)物語が“三月二十五日”
――定期演奏会の日に向けて突き進んでいくように構成されているのが巧妙で、それによって生じるタイムリミットサスペンス的な雰囲気が物語を引っ張っている感があります。
ミステリとしては、真相の“ある部分”は比較的たやすく見抜くことができるようでありながら、その全貌は容易には見通すことができない、といった感じの技巧を凝らしたネタが秀逸。トリックには既視感のある部分もありますが、全体を眺めてみるとそのユニークな扱い方が光っています。そして何より、真相の全貌が明かされると同時に“あるもの”が姿を現す結末には、心を動かさずにはいられません。ミステリ部分とテーマとがしっかりと結びついた、非常によくできた作品といえるでしょう。
なお、作者のtwitterでは本書を読み終えた読者向けにあるクイズ(←これ自体には本書のネタバレはないのでご安心を)が出題されていますので、答がわかった方はぜひご回答を(*3)。
*2: 「『聖地巡礼』真梨幸子/『シンフォニック・ロスト』千澤のり子|講談社ノベルス」の「一問一答」中に、
“中1のときの定期演奏会で吹きました。”とあります。
*3: ちなみに私自身もだいぶ考えたつもりですが、恥ずかしながら何も思いつきません。
2011.03.09読了 [千澤のり子]
私たちが星座を盗んだ理由
[紹介と感想]
雑誌「メフィスト」に掲載された三篇に書き下ろしの二篇(「終の童話」・「私たちが星座を盗んだ理由」)を加えた、作者としては初めてのノンシリーズの短編集です。それぞれの作品に関連はありませんが、いずれも(程度に差はあるものの)北山猛邦らしい残酷さを潜ませた童話的な雰囲気と、いわゆる“最後の一撃”に近い、結末ぎりぎりのところでの“どんでん返し”の趣向で統一されています(*1)。
童話的な雰囲気は、例えば「終の童話」の異世界や「恋煩い」の“おまじない”のような道具立てなどにストレートに表れていますが、(誤解を恐れずにいえば)極力“現実”を細密に描くことなく抽象化(あるいは単純化)するスタイルによるところも大きいのではないかと思われます(*2)。例えば“世界”については、必要最低限の説明にとどめるのみならず、固有名詞を避けて普通名詞を多用することで抽象化が図られていますし、登場人物名のほとんどが片仮名表記や愛称のみとされている(*3)のもその一環でしょう。このスタイルをどんどん推し進めていくと、“むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。”
に行き着くことになるわけで、物語が童話的な雰囲気を帯びるのも自然なことかもしれません。
もっとも、童話における抽象化(単純化)がおそらく普遍化――“どこでもある”物語になっていく――に伴うものであるのに対して、北山猛邦は“現実”のディテールを削ぎ落とすことで“どこでもない”――“何処にも属さない”
(本書のある箇所から引用)物語を目指している、という印象を受けるのですが……。
一方、“どんでん返し”の趣向に関しては、“北山猛邦は「終わりゆく世界」を書く作家”
との観点から、“登場人物たちを取り巻く極々小さなひとつの「世界」”
すなわち“(若干ネタバレ。要反転)「人間関係」(ここまで)”
の“終末”ととらえた「私たちが星座を盗んだ理由/北山猛邦 - 富士山、ヴォルケイノ?」の考察にうならされましたが、童話的な雰囲気の根底に流れるロマンティシズムとの関係からもう一つ付け加えるならば、(一応伏せ字)主人公たちが心に描いていた“物語(ロマン)”(ここまで)の“終末”ともいえるのではないでしょうか。そしてそれは、(一応伏せ字)カバー袖の“主人公たちの物語は余白に続く。”
という作者の言葉(ここまで)とのコントラストによって、一層強調されているように思われてなりません。
やや毛色の違う「嘘つき紳士」が若干浮いている感はありますが、いずれの作品もよくできていると思います。その中であえて個人的ベストを挙げるならば、「妖精の学校」でしょうか。
- 「恋煩い」
- 一年も前から名前も知らない先輩に恋している女子高生・アキは、幼なじみのトーコに教わったおまじないを試してみる。すると早速、先輩が落とした生徒手帳を拾って届けることになり、ついに先輩と言葉を交わすことができたのだ。しかしそこからなかなか進展させることができずに悩んだアキは、噂話で知った色々なおまじないをさらに試してみるが……。
- 作者としては異色の女子高生を主人公にした恋物語で、どこに謎が出てくるのかよくわからないまま、主人公の苦悩に引き込まれていきますが、終盤のどんでん返しは実に鮮やか。そして何よりも、最後の一行の破壊力が抜群です。
- 「妖精の学校」
- ベッドで目覚めた少年は以前のことを何も思い出せないまま、“ヒバリ”という名前を与えられて、子供たちが妖精になるための『妖精の学校』の一員となった。ここは絶海の孤島、学校の先生と“魔法使い”たち以外は子供たちばかりの、楽園のような島だった。いくつかのルール、特に「『虚{うろ}』に近づいてはならない」というルールを守りさえすれば……。
- この(一部自粛)話をこんな風に書けるのは北山猛邦くらいではないかと思われる(*4)、その持ち味が存分に発揮された快作。記憶を失った少年の視点で綴られる物語は、“現実”から切り離されたような不思議な味わいに満ちていますが、結末で(暗)示される真相とのギャップが何ともいえません。
- 「嘘つき紳士」
- 借金の返済に追われている俺は、駅前の人混みの中で携帯電話を拾った。そのケータイから持ち主の個人情報を手に入れた俺は、その男が交通事故死したことをニュースで知る。そのケータイへ、田舎に残されてニュースを知らないらしい男の恋人・キョーコからメールが届き、俺は持ち主になりすましてキョーコから金を引き出すことを思いついたのだが……。
- “振り込め詐欺”を扱った、北山猛邦らしからぬ“現実的”な1篇。とはいえ、それがどことなく“現代の童話”的な展開をみせていくあたりは、作者ならではといえるかもしれません。読み返してみるとじわじわくるものがある作品です。
- 「終の童話」
- 人を石に変えて喰う怪物“石喰い”に襲われ、多くの人々が石像と化した村。大事な人を石に変えられたウィミィ少年は、その石像を大事に守り続ける。そして十一年後、西の国からやってきた“探偵”ワイズポーシャが、怪物の呪いを解いて石像を人間に戻すことに成功し、時間をかけてすべての石像を救うと宣言する。しかしその矢先、思わぬ事件が起こり……。
- 怪物や呪いが存在する異世界を舞台に、奇妙な謎と解決が盛り込まれた“異世界本格”の佳作。しかしそれ以上に、運命に翻弄される主人公・ウィミィの想いが印象に残ります。作者が容赦なく突きつける結末の重さには、言葉もありません。
- 「私たちが星座を盗んだ理由」
- 子供の頃、病で長く入院していた私の姉のため、幼なじみの夕{ゆう}兄ちゃんは七夕の夜に星座を一つ盗んでみせた。姉は数日後に亡くなったが、首飾り座が確かに星空から消えているのを目にしたという。夕兄ちゃんは夜空から盗んだ首飾り座を姉に――それから二十年が経ち、久々に夕兄ちゃんと再会を果たした私は、あの七夕の夜のことを尋ね、そして……。
- 作者がラストでどこへ持っていこうとしているのかが、ある箇所で見えてしまうのが少々残念ではありますが、氷川透さんの指摘(これとこれ)を受けて気づかされた、見事な構成に改めて脱帽。
“全てはラストで覆る!”とあるので、これを書いてもネタバレにはならないかと思います。
*2: 今にして思えば、デビュー作『『クロック城』殺人事件』を読んだ際に抱いた(設定やガジェットに関して)
“説明/掘り下げが不足したまま終わってしまう”という不満も、作者のスタイルを把握していなかったがゆえのものといわざるを得ません。
*3: 本書の登場人物のうち、姓+名が表記されているのはわずかに二人だけ、それも物語の進行上やむを得ない事情によるものです。
*4: あるいは、「吸血狩り」(『人獣細工』)を書いた小林泰三ならば。
2011.03.17読了 [北山猛邦]
【関連】 『千年図書館』