ミステリ&SF感想vol.189

2011.08.27

メルカトルかく語りき  麻耶雄嵩

ネタバレ感想 2011年発表 (講談社ノベルス)

[紹介と感想]
 1997年に刊行された『メルカトルと美袋のための殺人』以来となる、“銘探偵”メルカトル鮎と友人(?)の推理作家・美袋三条が登場する作品集。書き下ろしの「密室荘」以外はすべて雑誌「メフィスト」に掲載された作品ですが、収録作はいずれも“アンチ○○”*1ともいうべき人を食った趣向で統一されており、オーソドックスな(本格)ミステリを期待される向きにはおすすめしにくい、かなり読者を選ぶ一冊であることは間違いないでしょう。たとえていえば、“「この先行き止まり」の立て札のに「ここが行き止まり」の札を立てた”*2かのような、全体としてこの趣向での“究極”の一冊といっても過言ではない、実に挑戦的な作品集です。お読みになる方はくれぐれもご注意を。
 個人的に最も面白かったのは「収束」ですが、ベストというべきはやはり「答えのない絵本」でしょうか。

「死人を起こす」
 高校三年の夏休みに、風変わりな屋敷に泊まりに来た男女六人の仲間たち。だが、酔って別室で寝ていたはずの一人が、なぜか窓から転落死してしまう――そして一年後、“銘探偵”メルカトル鮎に解決を依頼した一同は再び屋敷を訪れたが、メルカトルと美袋の到着が遅れた間に……。
 どこへどう持っていくのかがなかなか読めない展開が魅力。そして意表を突いた真相もさることながら、非常に面白い解決の構図が見どころでしょう。しかし最後はこれでいいのか(苦笑)

「九州旅行」
 美袋の書いた原稿を消去してしまった代わりに、次の作品のアイディアを提供しようと申し出たメルカトルは、美袋の住むマンションの同じ階の一室で、背中を包丁で刺された男の死体を見つけ出した。さらに作品に使えそうなネタを探して、メルカトルと美袋は現場の様子を調べ回るが……。
 発端からしてどことなくコメディ風の愉快な(?)作品で、死体を前にメルカトルと美袋が演じる小芝居には失笑を禁じ得ません。そして、メルカトルの解決が(読者と美袋にとって)思わぬところでのサプライズにつながっていくのがお見事です。

「収束」
 とある宗教家が、五人の信奉者と二人の使用人とともに暮らす、小さな島の屋敷。その“聖室”に収められている“祝福の書”――神に選ばれた者が読めば、死後復活できるという――を狙っている者がいるらしい。依頼を受けて訪れたメルカトルと美袋だったが、嵐が到来した深夜に……。
 冒頭から殺人場面が描かれてまさかの倒叙ミステリなのかと思いきや、いきなりおかしなことに。この作品もまた謎解きの構図が面白いことになっていますが、やはり解決を最も効果的に演出する見せ方が非常に秀逸です。

「答えのない絵本」
 ある高校で殺人事件が発生。被害者は四階の理科準備室にいた物理教師で、硬質ガラスの灰皿で何度も頭部を強打されていた。事件が起きたと思われる時間帯、四階から誰かが出入りした形跡はなく、容疑者はその頃四階の各教室にいたとされる生徒たち二十人に絞られたのだが……。
 ある意味では最も好みが分かれそうですし、私自身もそれほど好きな作品とはいえないのですが、もはやこの趣向ではこれ以上の作品は生み出し得ないのではないかと思わされる、徹底した作り込み――そしてメルカトルの怒涛の推理に圧倒されます。あとは……ネタバレ感想をご覧下さい。

「密室荘」
 メルカトルと美袋は、信州にあるメルカトルの別荘を訪れていた。“密室四の四”という地名が気に入り、依頼者から買い取ったというその別荘を、メルカトルは〈密室荘〉と名づけたのだ。しかしその〈密室荘〉で、思わぬ事件が起こることになった……。
 分量からみてもボーナストラック的な書き下ろしで、身も蓋もない言い方をすれば(以下伏せ字)“パターンを網羅してみた”(ここまで)というだけの作品ですが、本書においては“それ”が重要ともいえるように思います。いずれにしても、メルカトル(と美袋)のファンであればニヤリとせざるを得ない状況なのは確かで、本書の掉尾を飾るにはふさわしいともいえるでしょう。

*1: 例によって伏せ字箇所の文字数は適当です。
*2: あるいは、この方向への“退路”を完全に塞いだ、ということもできるかもしれません。

 なお、本書に関しては、オオヤナオさんとtwitterを介して意見交換させていただきました。あらためて感謝いたします。

2011.05.12読了  [麻耶雄嵩]

鏡陥穽  飛鳥部勝則

2005年発表 (文藝春秋)

[紹介]
 同僚との飲み会からの帰宅途中、麻田葉子は暗い小道でいきなり浮浪者風の男に襲われる。無我夢中で抵抗するうちに、そのはずみで葉子は男を殺害してしまった。慌てて警察に連絡しようとした葉子だったが、理想の恋人・水谷武を失うことを恐れて悩んだ末に、死体を海に捨てることを決意する。しかしその夜の行動を武に誤解され、ぎくしゃくした仲になったまま三日後、友人の結婚式に出席した葉子は、彼女が殺した男と瓜二つの男に声をかけられる。刑事と名乗ったその男・久遠仙一は、葉子の殺人と死体遺棄を知りながら、謎めいた言葉を残して姿を消すが、やがて葉子はその言葉どおり、鏡の陥穽に囚われていくことに……。

[感想]
 異端のミステリ作家・飛鳥部勝則による、現在のところ唯一のホラー、というよりも怪奇小説の長編。ミステリ要素も若干ないではないとはいえ、端正な本格ミステリであったデビュー作『殉教カテリナ車輪』からすると隔絶した印象で、他の作品以上に読者を選ぶものではありますが、『バラバの方を』あたりから見え始めたグロテスクな要素が前面に出され、『ラミア虐殺』から後の『堕天使拷問刑』『黒と愛』へとつながる独特の作風*1でまとめられた、飛鳥部勝則ならではの作品といえるでしょう。

 巻頭には(作者自身の筆によるものではないものの)稲垣考二という画家の絵画が数点配され、その一つにちなんだ「プロローグ 『床』」から物語が始まっているあたり、初期の絵画ミステリを思わせるところがあります。しかしその絵画は、これ以上ないほど本書にぴったりはまっている*2というだけでなく、これまでの作品に付されていた飛鳥部勝則自身の観念的ともいえる絵画とは異なり、グロテスクなイメージとテーマを至極ストレートに表現したもので、つまりは本書を特徴づけるアイデアを巻頭から堂々と示唆するという大胆さが何ともいえません*3

 さて、四部構成の物語の中で、上にあらすじをまとめた「第一部 葉子」はまだしも穏当というか、怪奇小説の導入としては比較的オーソドックスですが、主人公・葉子の前に現れた謎の男・久遠が少年時代の出来事を語る「第二部 鏡」が強烈で、飛鳥部作品の中でも有数の怪人物が冒頭から凄まじい変態ぶりを発揮し、ついには――どちらかといえば古風な道具立て((一応伏せ字)〈鏡と分身〉(ここまで))とは裏腹に――悪趣味きわまりないエロ・グロ・ナンセンスの狂宴へと突入します。物語もまだ半ばのこの時点ですでに、読者の大半は唖然とさせられずにはいられないでしょう。

 壮絶な体験談の余韻も覚めやらぬまま、物語が再び現在に戻ってくる「第三部 <反転>葉子</反転>から「第四部 <反転></反転>では、間に一応の決着を挟みながらも事態がエスカレートしていき、終いにはやりたい放題の展開。終始一貫して“恐怖”はさほどでもなく、ひたすら読者に“黒く虚ろな笑い”をもたらすシュールな光景の連続といった趣で、時おり顔をのぞかせるミステリ的な小ネタがかもし出す“場違い感”もまた、本書の奇妙な味わい――いい意味での“バカ小説”といえるかもしれませんが――を強調しているように思われます。

 それでいて、思わぬところから静かで美しい結末を取り出してきてみせるのが、実に作者らしいところ。個人的には、冒頭からは予想もつかない“超展開”で読者を思うがままに振り回した後、その“超展開”を単に収束させるだけでなく“別のところ”――“超展開”とまったく無関係ではないものの、いわばその“裏側”のようなところから静謐な結末を持ってくることで、彼岸と此岸の間を越えて悟りに至ったかのような境地をもたらす、というのが“その筋”で“涅槃”*4とも称される独特の作風ではないかと考えているのですが*5、本書はまさにそのままの“涅槃”小説といえます。前述のように間違いなく読者を選ぶ怪作ですが、好きな人には偏愛ものの一冊となるのではないでしょうか。

*1: これはあくまでも飛鳥部勝則の一面にすぎず、すべての作品に共通するものではありません。
*2: もっとも、巻末の「あとがき もう一つの鏡陥穽あるいは稲垣考二について」によれば、“ところで『鏡陥穽』という小説は、おかしなことに、稲垣の絵にインスパイアされて書いたものではない。(中略)稲垣の絵を作品に組み込むことは、執筆が最終局面に入った段階で思いついたことである。”とのことです。
*3: 個人的な印象では、飛鳥部勝則はもともと“読者に対して親切”な部類に入る作家ではあるのですが……。
*4: “涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。また、涅槃は如来の死そのものを指す。涅槃仏などはまさに、死を描写したものである。「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる。”「涅槃 - Wikipedia」より)
*5: この考え方からすると、『ラミア虐殺』は微妙に“涅槃”ミステリから外れるようにも思われますが、そこは今後の検討課題ということで。

2011.05.14読了  [飛鳥部勝則]

七つの海を照らす星  七河迦南

ネタバレ感想 2008年発表 (東京創元社)

[紹介と感想]
 幼児から高校生まで、様々な事情により家庭を離れた子供たちが暮らす児童養護施設・七海学園。就職して二年目の保育士・北沢春菜は、担当する子供たちの言動に手を焼かされることも多かったが、児童相談所の児童福祉司・海王さんにかかるとそんな子供たちの心も解き明かされ、みんな“本当にいい子”になってしまう。と同時に、学園に伝わる“七不思議”も少しずつ解明されていくが……。

 第18回鮎川哲也賞の受賞作である本書は、いわゆる“日常の謎”*1小粒な謎を積み重ねた連作短編集で、最後のエピソードで各短編が一つにつながる〈連鎖式〉の構成も含めて、若竹七海『ぼくのミステリな日常』や加納朋子『ななつのこ』などの系譜を継いだような東京創元社らしさ(?)を感じさせる作品です*2

 純粋にミステリとしては、さほど目新しさやインパクトがあるとはいえませんが、細かい伏線や“連鎖”の手際など全体的に手慣れた印象を与えるのは確かです。が、本書を最も特徴づけているのはやはり、児童養護施設とそこで暮らす子供たちに光を当てた社会派的な視点ということになるでしょう。しばしば子供たちの抱える事情に言及され、それを生み出した周囲の環境に暗然とさせられる部分もありますが、物語の軸はあくまでも子供たちに向けられる暖かい視線であり、安心して読むことができる一冊に仕上がっています。

 なお、同じく七海学園を舞台とする続編『アルバトロスは羽ばたかない』は、ミステリとしてもよりパワーアップしたものになっていますので、ぜひ本書と併せてお読みください。

「第一話 今は亡き星の光も」
 学園にやってきてもなかなか打ち解けようとしない葉子。彼女は、前の施設で親しかった先輩・玲弥に取り憑かれているという。別の施設に移った翌日に急死したはずの玲弥は、葉子の窮地を助けに蘇ってきたというのだが……。
 “日常の謎”の定型を踏襲したような展開をみせ、比較的ささやかながらも本書ならではの謎と解決が盛り込まれた、いかにも手堅い印象のエピソードで、冒頭の一篇としてはまずまずでしょう。

「第二話 滅びの指輪」
 学園近くの廃屋に現れるという“幽霊”の正体は、戸籍のないまま一人で暮らす女の子・優姫だった。保護された彼女が学園に入所して六年、専門学校への進学希望に周囲は学費の心配をするが、優姫は思わぬ額の貯金を……。
 発端で語られる少女の過去から、そこはかとなく不穏な謎、予想だにしなかった真相、さらに何ともいえない後味の結末に至るまで、個々のエピソードの中では最もインパクトのある一篇。ある手がかり(の扱い)も面白いと思います。

「第三話 血文字の短冊」
 再婚した暁には、学園で暮らす沙羅と健人の姉弟を引き取りたいという父親。だが沙羅は、父親が夜中に電話で「私は沙羅が嫌いだ」と話していたという。そして沙羅の不安を煽るように、学園に伝わる怪談“血文字の短冊”が……。
 春菜が親友の佳音に謎を語る、安楽椅子探偵形式のエピソード。ある程度の部分までは見当をつけやすい一方で、そこから先は少々アンフェア気味というのが困ったところですが(苦笑)、読み終えてみると個人的には悪くない印象です。

「第四話 夏期転住」
 十二年前の夏、学園に一週間だけいた“幻の新入生”。学園の子供たちが夏期転住でやってきた山荘で、俊樹が出会った女の子・直は、ある日現れた追っ手に追われて非常階段を駆け上がったところで、消え失せてしまった……。
 進行するハードな事態を子供の視点というオブラートに包み、人間消失というミステリらしい謎を扱いながらどこか幻想的な雰囲気にまとめた一篇。状況が限定されていることもあり、消失トリックはある海外古典ミステリを連想させるものになっていますが、そこに加えられたひねりが興味深いところです。

「第五話 裏庭」
 学園の裏庭にある“開かずの門”は、普通では手の届かない高さに取り付けられた錠で閉ざされていた。にもかかわらず、まるで宙に浮き上がっているかのように、外から扉の上を越えて錠を開けようと伸びてくる女の子の手が……。
 謎よりも物語――子供たちをめぐる事情の方に重点が置かれた一篇……という感じで読み進めていくと、思わぬところに仕込まれたネタに不意討ちを。地味ながらもよく考えられたエピソードだと思います。

「第六話 暗闇の天使」
 道路工事で臨時の通学路となったトンネルには、女の子が六人で入るとなぜか七人目の声が聞こえてくるという噂が。実際に十五年ほど前、学園の子供たちがそこで奇妙な体験をしたらしい。そして今、不思議な出来事が再び……。
 過去と現在で繰り返される奇妙な出来事が扱われ、(一応伏せ字)多重解決(ここまで)風になっているのが面白いところです。真相にはやや釈然としないところもないではないですが……。

「第七話 七つの海を照らす星」
 七海学園に伝わる“七不思議”のうち最後の“七番目の不思議”とは、誰も知らない謎だという。子供たちにそれを聞かされた春菜は困惑を覚えるが……。
 物語全体を一つにつなげる最後のエピソードですが、(一応伏せ字)いきなり“解決篇”に突入することで読者に考える暇を与えない構成(ここまで)がなかなか興味深いところ。“連鎖”の手際もよく考えられていて、謎の作り方/解き方が物語としっかり結びついているのが秀逸。そして印象深い結末もまた見事です。
 ただし、ここで明かされる“趣向”の一つが――これ自体は面白いと思うのですが――“もし、私がこのことを小説に書くんだったら(後略)(294頁~295頁)といった形で読者に示されているのが少々残念。作者が影響を受けているという*3ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』の“メタ趣向”を念頭に置いたものなのかもしれませんが、“人間を描く”ことに力が注がれた本書にあっては、それが“小説の登場人物”であることを読者に意識させてしまうのは逆効果ではないかと思います*4

*1: こちらに書いたように、個人的に“日常の謎”を“一部の登場人物のみが“謎”として認識し得る、日常生活の中のささやかな“異変””ととらえているので、はっきり“七不思議”とされている本書の謎はそこから外れます。
*2: さらにいえば、語り手の春菜と主に謎解き役をつとめる海王さんとの関係が、北村薫『空飛ぶ馬』に始まるシリーズを思わせるところも、東京創元社らしい雰囲気をかもし出すのに一役買っているように思います。
*3: “特にジョン・ディクスン・カーの存在は大きく『三つの棺』には大きな影響を受けているという。”「七河迦南 - Wikipedia」より)
*4: といいつつ、(一応伏せ字)他にどのような形が可能だったか(ここまで)を考えると、難しいところではありますが……。

2011.05.19読了  [七河迦南]

アルバトロスは羽ばたかない  七河迦南

ネタバレ感想 2010年発表 (東京創元社)

[紹介]
 児童養護施設・七海学園で働く保育士・北沢春菜が、学園の子供たちとの日々の中で出くわす、不可解な出来事の数々。
 春。学園のピクニックで訪れた山頂広場で、不意に暴れ出した少年。彼は春菜に、かつて母親に崖から突き落とされたという体験を語る。だが……「ハナミズキの咲く頃」
 夏。養護施設対抗のサッカー大会で決勝戦が終わった直後、抜け出す隙もないはずの会場から、一方のチームの選手が全員消失してしまった……「夏の少年たち{ザ・ボーイズ・オブ・サマー}
 初秋。前の学校でお別れの時にもらった寄せ書きを、うれしそうに見せる少女。しかしその寄せ書きが消えてしまい、別の少女が疑われることに……「シルバー」
 晩秋。突然学園に押しかけてきて「娘に会わせろ」という強引な父親は、ついに逆上して刃物を取り出し、対応した春菜は人質にとられてしまう……「それは光より速く」
 そして冬。文化祭が行われている最中の高校で起きた、校舎の屋上からの転落事件に、七海学園にも衝撃が走る……。

[感想]
 作者・七河迦南の第二作である本書は、第18回鮎川哲也賞を受賞した前作『七つの海を照らす星』に続いて児童養護施設・七海学園を舞台に、主人公の保育士・北沢春菜をはじめおなじみとなった人物たちも多く登場する続編です。本書を単独で読むことも可能ですが、やはり前作から順番に読むことをおすすめします。

 前作は最後につながる連作短編集(→〈連鎖式〉を参照)の体裁を取っていましたが、本書は「冬の章」の合間合間に「春の章」・「夏の章」・「初秋の章」・「晩秋の章」カットバック的に挟み込まれた構成。一見すると「冬の章」を“外枠”にした“枠物語”のようでもありますが、四つのエピソードには独立した謎とともに「冬の章」へと至る“流れ”がはっきりと組み込まれ、全体としてより長編に近い形となっています。

 「春の章 ―ハナミズキの咲く頃―」は、真相――というか“行き着くところ”はかなり見えやすくなっているきらいがありますが、そこに説得力を持たせるための伏線がじっくりと描き込まれているところがよくできています。

 「夏の章 ―夏の少年たち―」では人間消失ならぬ“集団消失”*が扱われています。トリック(の原理)だけを取り出すとさほどでもないように思えるものの、それを“どうやって実現したか”という意味でのハウダニットが実に見事。個々のエピソードの中では間違いなくベストでしょう。

 「初秋の章 ―シルバー―」は一転して地味にも感じられますが、寄せ書きの消失に加えてもう一つの謎が盛り込まれ、「冬の章」の主役となる少女・鷺宮瞭がクローズアップされるなど、重要なエピソードとなっています。全体を包む暗めの雰囲気に、こちらの胸にも苦いものが残りますが、海王さんとのやり取りを経て前を向く春菜の姿が救いといえるでしょうか。

 「晩秋の章 ―それは光よりも速く―」では何と“人質立てこもり事件”が発生。“日常の謎”どころかサスペンスな展開に驚かされますが、思いもよらぬその結末にはまた驚愕。さらに、予想外のところから取り出される“真相”にも意表を突かれます。

 そして「冬の章」では、校舎屋上からの転落事件を中心に、「春の章」から「晩秋の章」に登場した人々を巻き込んだ物語が展開され、様々な推理の果てに解き明かされる真相は、途方もない衝撃をもたらします。作者の手腕は実に見事で、衝撃度という点では、少なくとも近年読んだ作品の中では有数といえますが、それは同時にあまりにも強烈な痛みを伴うものではあります。

 とはいえ、前作でもみられた“克服と成長”というテーマは本書にも受け継がれており――前作に比べて海王さんの“見せ場”が少ないのも、春菜自身の“成長”の表れといえるでしょう――最後には希望を秘めた前進が描かれています。というわけで、作者にはさらなる七海学園の物語を期待せずにはいられません。評判にたがわぬ、必読の傑作です。

 なお、去る2011年6月4日に本書を課題本として「エアミステリ研究会」読書会が行われました。当日の様子は「エアミス研読書会第8回(七河迦南『アルバトロスは羽ばたかない』)」にまとめてありますので、興味がおありの方はご覧下さいませ。

*: 前例もありそうな気がするのですが、意外に思いつきません(単なる“集団誘拐”ならばいくつか思い出せるのですが……)。

2011.05.25読了  [七河迦南]

マーダーゲーム  千澤のり子

ネタバレ感想 2009年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 小学六年生八人のグループが始めた“マーダーゲーム”。それぞれ自分の嫌いなものを〈スケープゴート〉として学校のどこかに隠し、それを見つけ出して飼育小屋の裏に置くことで“殺した”〈犯人〉が誰なのかを推理するというもので、リアルでスリリングなゲームになるはずだった。ところが、開始してしばらくの間は順調に進んでいたゲームが、提案した杉田少年の思惑をも超えて次第にエスカレートしていく。飼育小屋のウサギが殺され、ゲームに参加している女子生徒の髪の毛が切られ、さらに惨劇が――親友さえも信用できない疑心暗鬼に一同を陥れ、独りほくそ笑んでいるはずの〈犯人〉は、一体誰なのか……?

[感想]
 “宗形キメラ”名義で二階堂黎人との合作『ルームシェア』を発表した作者の、単独名義でのデビュー作である本書は、小学六年生の仲間たちが学校で密かに始めたゲーム――ネット上でもファンの多いカードゲーム〈汝は人狼なりや〉(→Wikipedia)をもとにした“マーダーゲーム”の顛末を描いた作品です。作者いわく、“ミステリともホラーともサスペンスとも名づけにくい、奇妙な味の作品”(カバー折り返しより)とのことですが、ミスディレクションと伏線の妙を味わえる佳作です。

 読み始めて早々、物語の序盤が少々読みづらいのが気になるところで、その主な原因となっているのは主に二つ――ルールの説明の煩雑さ、そして頻繁に視点が移動する多視点描写のわかりくさですが、これはどちらもある程度やむを得ないように思われます。

 まず前者については、最初にベースとなる〈汝は人狼なりや〉の概略、続いてそれを“現実”に移し変えた“マーダーゲーム”のルール、さらにゲームの進行状況に応じた追加・変更と、一読してすべてを細部まで把握するのが困難なのは確かです。しかしながら、“元ネタ→アレンジ→修正”という過程を経てルールが作り上げられていくのは(特に参加者が小学生たちであることも考慮すれば)むしろ自然で、そのあたりを“リアル”に描いてあるといえるのではないでしょうか。

 また後者については、ゲームの進行につれて疑心暗鬼に陥っていく参加者たちそれぞれの内面を描き、サスペンスを高めるためには多視点による描写は必然といえますし、その中で(一応伏せ字)誰が〈犯人〉なのかを読者に気取らせないために“わかりにくさ”を残す(ここまで)ことは(かの“名作”*1を引き合いに出すまでもなく)不可欠だと考えられます。

 いずれにしても、読み進めるにつれて問題は解消されていくことになりますので、ゲームが実際に始まるまでは――特にゲームのルールについては――細かいところにとらわれすぎないように読んでいくのが吉かと。

 “殺人ゲーム”はミステリにしばしば登場します*2が、本書の“マーダーゲーム”のユニークな特徴は〈スケープゴート〉の存在です。この〈スケープゴート〉を間に挟むことで〈犯人〉と〈被害者〉が切り離されている――〈被害者〉が“殺された”ことを知るのが(〈汝は人狼なりや〉と同様に*3)事後であるのみならず、〈犯人〉も何が誰の〈スケープゴート〉なのか事前には(一応)わからない――のが興味深いところで、本来は〈被害者〉が〈犯人〉と直接関わらない“安全な”設定であっただけに、ゲームが変貌した後の参加者たちの恐怖が強まっている感があります。

 taipeimonochromeさんのご指摘*4もあるように、ゲームと小学生の組み合わせが絶妙なのは確かで、決して斜に構えたりはせず真剣な姿勢でゲームに臨み、それが(大人の場合にはありがちなように)読者の目に滑稽に映ることもなく、テンションが保たれたままサスペンスに転じていくのがうまいところ。多視点描写のすべてを俯瞰できる読者としては、事件をめぐる小学生たちの言動にもどかしい思いを禁じ得ない部分もありますが、それも小学生らしさの表れといえるもので、マイナスの印象はありません。

 物語が進むにつれて少しずつ謎がほぐれていく終盤、探偵役による最後の謎解きの中で浮かび上がってくるのは、作者の大胆不敵な企み一見するといささかアンフェアとも思えますが、全編を覆うミスディレクションの中にも細かい伏線が注意深くちりばめられており、それを丹念に拾っていくと繊細な技巧にうならされます。(ここまでくると)さほど驚きはないものの、ゲームのすべてにきっちりと決着をつける結末も印象的。前述のように難点もないではないですが、全体的によく考えられた作品であることは間違いないでしょう。

*1: 海外作家(作家名)アガサ・クリスティ(ここまで)の“アレ”。
*2: 例えば、有栖川有栖『月光ゲーム Yの悲劇'88』、ジョン・ディクスン・カー『眠れるスフィンクス』、ナイオ・マーシュ『アレン警部登場』など。
*3: 〈汝は人狼なりや〉については、作中で“人狼役の人だけ目を開けて、誰を殺すのかをゲームマスターに合図し、その後、みんなが目を開けた時に、〈この人が殺された〉とゲームマスターが発表する。”(14頁)と説明されています。
*4: “ゲームを実際のコロシに盛り込んだ本格ミステリというものは往々にして、時にゲームに翻弄される登場人物たちの振る舞いを俯瞰した場合、そうした「設定」そのものに違和感を覚えてしまうものもなきにしもあらず、なのですが、本作ではガキンチョが件のゲームの登場人物であるという設定によって、そうした違和感をうまく脱色させているところが面白い。”「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » マーダーゲーム / 千澤 のり子」」より)

2011.05.31読了  [千澤のり子]