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山中 仙室 有り
桃李 言(ものい)はず 春 幾(いくばく)か 暮れぬる,
煙霞 跡 無し 昔 誰(たれ)か 栖(す)みし。
(『和漢朗詠集』、『平家物語』「少將キ歸」)
◎ 私感註釈 *****************
※菅三品:従三位菅原文時。道真の孫。
※山中有仙室:山の中に仙人の住み処があった。この聯は同題の律詩第三聯になる。『和漢朗詠集』では、聯ごとに分けて掲載している。同集からまとめてみると次のようになる。「丹竈道成仙室靜,山中景色月華。石床留洞嵐空拂,玉案抛林鳥獨啼。桃李不言春幾暮,煙霞無跡昔誰栖。王喬一去雲長斷,早晩笙聲歸故溪。」と仙人の住み処の跡を詠っている。『平家物語』三之卷「少將キ歸」では、本ページの聯の部分が引用されて出てくる。雰囲気は異なるが陶潛の『歸園田居』其四「久去山澤游,浪莽林野娯。試攜子姪輩,披榛歩荒墟。徘徊丘壟間,依依昔人居。井竈有遺處,桑竹殘朽株。借問採薪者,此人皆焉如。薪者向我言,死沒無復餘。一世異朝市,此語眞不虚。人生似幻化,終當歸空無。」といった、廃墟を訪ねた時の歌である。
※桃李不言春幾暮:(毎年一度、廻り来る春を告げる)モモやスモモは、自らはもう、何年経ったかは、語りかけては来ない。 ・桃李不言:古諺。『史記』にある。桃李は、それ自身の徳のために、自らが働きかけることがなくとも、人々は慕い寄ってくる。『史記』卷一百九「李將軍傳 第四十九」の末尾部分に「太史公曰:『…李將悛悛如鄙人,口不能道辭。及死之日,天下知與不知,皆爲盡哀。彼其忠實心誠信於士大夫也。諺曰:桃李不言,下自成蹊。此言雖小,可以諭大也。』」と出ている。「桃李不言,下自成行」ともいわれ、徳操の意で広く使われている。この作品では「下自成蹊」の意はなく、ただ、春を告げる桃李を詠っている。 ・幾暮:(一年の始めである春が)何回過ぎ去ったことだろう。何年経ったことだろうか。
※煙霞無跡昔誰栖:(仙境の象徴である)雲煙が跡形もなくなくなって、嘗て誰が住んでいたのかさえ分からなくなっている。 ・煙霞:もや。かすみ。実際に降りている雲霞の外に、仙境であることの表現でもある。 ・無跡:痕跡が無くなっている。 ・昔:以前。むかし。 ・誰栖:誰か住んでいたのか。
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◎ 構成について
七言律詩の頸聯である。次の平仄は、この作品のもの。
○●●○○●●,
○○○●●○○。(韻)
平成16.4.24 4.25完 |
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