欲低臨雪隱, 雪隱中有人。 咳拂尚未出, 幾度吾身振。 |
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野
低(た)れんと 欲して 雪隱に 臨めば,
雪隱の中に 人 有り。
咳拂(せきばら)ひ すれど 尚(な)ほ 未(いま)だ 出(い)でざりければ,
幾度(いくたび)か 吾(われ) 身振(みぶる)いす。
◎ 私感註釈 *****************
※銅脈先生:狂詩家。寶暦二年(1752年)〜享和元年(1801年)。江戸時代後期の京都の人。本名は畠中頼母。号して觀斎。銅脈先生、滅方海、太平館主人、片屈道人などと狂号した。これら狂詩の用語は、日本語の語彙を漢語風語法で、配列させて作っている。押韻はしているが、平仄には拘っていない。
※狂詩:漢語や日本語の語彙を使っての一種の竹枝詞。漢詩版の狂歌といえ、和歌の世界の狂歌に該る。平仄は自由。節奏も日本語のそれを重視して、漢魏以降の伝統的な節奏と無関係になっている。語彙は日本語も使う。つまり漢語韻文としてのリズムは無視して、日本語としての味わいを重視している。一句の文字数と押韻は近体詩に倣う。狂詩の分類も近体詩のそれに擬す。
※至野雪隱:公衆便所へ行く。 ・野雪隱:公衆便所。共用便所。文革時代の中国でもトイレを詠じたものに『茅坑』「天下英雄豪傑,到此低頭屈膝;世間貞女節婦,進來解帶ェ裙。」がある。
※欲低臨雪隱:うんこを出したいので、便所へ行ったら。 ・欲:…したい。ほっする。 ・低:たれる。(うんこを)たれる。排便する。日本語としての用字。 ・臨:のぞむ。その場所に行く。身分の高い人が、低いとされる所に行く。 ・雪隱:トイレ。せっちん。
※雪隱中有人:便所には、誰かが(先に)入っている。 ・有人:誰か人が(入って)いる。蛇足になるが、現代語でも、トイレに人が入っている時には、この表現を使う。
※咳拂尚未出:咳払いをして、(待っている者がいることを伝えたが)、なおもまだ出てこない。 ・咳拂:せきばらい。日本語としての用字。 ・尚未:なおもまだ。 ・出:(トイレから)出る。
※幾度吾身振:何回、わたしの体は、幾たび身震いをしたことだろうか。 ・幾度:何回となく。 ・吾身:わたしの体。 ・振:身震いをする。(用便をこらえて、体を)震わせる。日本語としての用字。
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◎ 構成について
韻式は「aAA」。韻脚は「(隱)人振」で、平水韻上平十一真(人振)。「隱」は仄字。次の平仄はこの作品のもの。
●○○●●,(韻)
●●○●○。(韻)
○●●●●,
●●○○○。(韻)
平成16. 8.15 8.17完 平成24.10. 1補 |
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