君不見死爲忠魂菅相公, 靈魂尚存天拜峰。 又不見懷石投流楚屈平, 至今人悲汨羅江。 自古讒間害忠節, 忠臣思君不懷躬。 我亦貶謫幽囚士, 思起二公涙沾胸。 休恨空爲讒間死, 自有後世議論公。 |
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囚中の作
君 見ずや 死して 忠魂と爲(な)る 菅相公(かんしゃうこう),
靈魂 尚(な)ほ 存す 天拜峰。
又た 見ずや 石を 懷(いだ)きて 流れに投ず 楚の屈平(くっぺい),
今に至るも 人は悲しむ 汨羅江(べきらかう)。
古(いにし)へ 自(よ)り 讒間(ざんかん) 忠節を 害(そこな)ふも,
忠臣 君を 思ひて 躬(み)を 懷(おも)はず。
我も 亦(ま)た 貶謫(へんたく) 幽囚(いうしう)の士,
二公を 思ひ起こして 涙 胸を沾(うるほ)す。
恨むを 休(や)めよ 空(むな)しく 讒間(ざんかん)の爲に 死するを,
自(おのづか)ら 後世 議論の 公なる 有らん。
◎ 私感註釈 *****************
※高杉晋作:天保十年(1839年)〜慶應三年(1867年)。幕末の尊皇攘夷運動の志士。長州藩士。病歿。
※囚中作:元治元年(1864年)の作で、脱藩の罪により、三〜六月の間、野山獄に投ぜらる。その際の作品。格調の高い慷慨の詩である。文字の重なりがやや多いが、幽囚中の作に言うべきことではなかろう。
※君不見死爲忠魂菅相公:諸君、ご覧なされ、死んでは忠義の霊魂となった菅原道真公を。 ・君不見:諸君、ご覧なさいよ。詩をみている人(聞いている人)に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不見」「君不聞」がある。使用法は、七言が主となる詩では「君不見□□□□□□□」とする場合が多い(李白「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如絲暮成雪。」 )が、「君不見…」の後は必ずしも一定でない。顧況「君不見古來燒水銀,變作北山上塵。藕絲挂身在虚空,欲落不落愁殺人。」杜甫の『兵車行』「君不見青海頭,古來白骨無人收。新鬼煩冤舊鬼哭,天陰雨濕聲啾啾。」白居易『新豐折臂翁』「君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。」など。 ・死爲:死んでは…となる。 ・忠魂:忠義の霊魂。忠義の精神。忠肝。 ・魂:たましひ。必ずしも死後天上に昇る霊魂のことのみでなく、精神活動も指すが、ここでは、死霊のことになる。 ・菅相公:菅原道真公。平安時代の政治家、文学者。承和十二年(845年)〜 延喜三年(903年)。若年で詩歌を作り始め、神童と称され、やがて文章博士にまでなる。晩年、政争に巻き込まれ、九州の太宰府に左遷され、その地で世を去る。死ぬまで帝を怨まずに慕った詩作に『九月十日』「去年今夜侍清涼,秋思詩篇獨斷腸。恩賜御衣今在此,捧持毎日拜餘香。」がある。 ・相公:宰相の敬称。参議の唐名。菅原道真は、右大臣であることから使われている。相に任ぜられる者は、必ず公に封ぜられたことによる。
※靈魂尚存天拜峰:(その)霊魂は、なおも天拝山の峰に残っている。 ・靈魂:たましい。霊。魂。 ・尚存:なおもある。今もなお残っている。 ・天拜峰:福岡県筑紫野市の太宰府跡南3km、二日市(いち)にある259mの山の名。天拝山のこと。 菅原道真が太宰府に左遷された時、ここに屡々(しばしば)登り、遙か京の方を望みながら、天に無実を訴えたという。
※又不見懷石投流楚屈平:また、ご存じだろう、(国を憂い、世を慨(なげ)いて、)懐(ふところ)に重しの石を入れて、入水自殺をした楚の国の屈原のことを。 *国を憂い、自分を理解する者がいない世を慨(なげ)いて、汨羅(べきら)に身を投じて自殺した屈原の故事に基づいた詩句。 ・又不見:また、(こういうことも)知っているだろう。 ・懷石:石を懐に入れる。入水自殺のためにふところに重しの石を入れたということ。『史記・巻八十四・屈原賈生列傳 第二十四』では「於是懷石遂自汨羅以死。」と記されているのに基づく。 ・投流:身投げをする。入水自殺をする。 ・楚:戦国時代の楚の国のこと。戦国七雄の一。長江中流域を領有し、戦国中期まで斉や秦などの諸国と覇を争った。後に、秦の圧迫を受け本拠を東に移したが、紀元前223年、国都・郢〔えい;ying3〕を陥され、秦に滅ぼされた。屈原没後50年ほどのことである。当時、中原の諸国と風俗、言語を異にし、漢民族からは蛮夷の国とみなされていた。 ・屈平:屈原のこと。平は名、或いは字ともいう。戦国時代の楚国の王族・屈姓の出身。嘗て楚の懐王に三閭大夫に任じられる『史記』巻八十四に「屈原者,名平,楚之同姓也。爲楚懷王左徒。」とある。しかし、やがて疎んじられ、頃襄王のとき、讒言のため、職を解かれた上、都を逐出されて各地を流浪した。その放浪の折り、多くの慷慨の詩篇辞賦を残した。やがて、秦が楚の国都・郢を攻めた時、遂に汨羅(湖南省長沙の北方)に身を投げて自殺した。時に、前278年の五月五日である。現在、湘陰の北、汨羅市よりも岳陽よりに屈子祠がある。 『楚辭・懷沙』の乱に「曾吟恆悲,永歎慨兮。世既莫吾知,人心不可謂兮。懷質抱情,獨無正兮。伯樂既沒,驥焉程兮。萬民之生,各有所錯兮。定心廣志,余何畏懼兮。曾傷爰哀,永歎喟兮。世溷濁莫吾知,心不可謂兮。」とある。 『懷沙』は「懷石」のことともいう。ちなみに、端午の節句の供え物(粽)は、屈原を悼んでのものと伝えられる。
※至今人悲汨羅江:今に至るも、人々は汨羅江(でのそのできごと)を悲しんでいる。 ・至今:今までずっと。今に至るも。 ・人悲:人々は悲し(んだ)。 ・汨羅江:湖南省長沙の北方にある川。屈原が入水自殺をしたところ。
※自古讒間害忠節:昔より告げ口をして人の仲を裂く讒言は、忠義の節操(の士)を迫害してきたものだった。 ・自古:昔から。昔より。南宋の文天祥『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經,干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮,身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐,零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死,留取丹心照汗。」とある。 ・讒間:〔ざんかん;chan2jian1○○〕告げ口をして人の仲を裂く。 ・害:害する。そこなう。いためる。 ・忠節:主君に尽くす節義。忠義の節操。忠義の操(みさお)。
※忠臣思君不懷躬:主君に忠節を尽くす臣下は、君主を思って我が身のことを顧みない。 ・忠臣:主君に忠節を尽くす臣下。 ・思君:君主を思う。 ・不懷:思わない。 ・躬:〔きゅう;gong1○〕(我が)身。身体。みずから。
※我亦貶謫幽囚士:わたしもまた、配流(はいる)されて、幽囚の身である。 ・亦:…もまた。 ・貶謫:官位を下げて遠方の地へ移されこと。配流(はいる)。白居易の『琵琶行』序に「自敍少小時歡樂事,今漂淪憔悴,轉徙於江湖間。予出官二年,恬然自安,感斯人言,是夕始覺有遷謫意。」とある。 ・幽囚:囚われてとじこめられること。 ・士:りっぱな人物。日本ではさむらいも指す。
※思起二公涙沾胸:(菅原道真と屈原との)お二方を思い起こせば、涙が胸をうるおしてくる。 ・思起:思い起こす。想起する。 ・二公:お二方。ここでは、菅原道真と屈原になる。 ・涙沾胸:(涙が)胸をうるおす。 ・沾:〔てん;zhan1(tian1)○〕うるおす。
※休恨空爲讒間死:恨むことをやめよう、むなしく讒言のために死んだとしても。 ・休:やめる。よす。 ・恨:うらむ。 ・空爲:むなしく…となる。
※自有後世議論公:自然と、後の世で議論が公正に行われることになろう。後世、おおやけになり、広汎な議論が興ることだろう。 ・自有:自然と…となる。 ・後世:後(のち)の世。後の世の人。 ・議論:(当時の長州藩を取り巻いていた)俗論派、正義派の相剋を指す。 ・公:おおやけ。あからさま。表向き。公正。公平。
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◎ 構成について
韻式は「AA(A)AAA」。韻脚は「公峰(江)躬胸公」で上平一東(躬公公)、二冬(胸峰)。三江(江)独用。東韻冬韻と、江韻とは、通用できない。次の平仄はこの作品のもの。「論」は、動詞(討論する)では○、名詞(言論)では●になる。
○●●●○○○○●○,(韻)
○○●●○●○。(韻)
●●●○●○○●●○,
●○○○●○○。(韻)
●●○○●○●,
○○○○●○○。(韻)
●●●●○○●,
○●●○●○○。(韻)
○●○●○○●,
●●●●●◎○(韻)
平成16.8.18 8.19完 12.26補 |
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