粵海重關二虎尊, 萬龍轟鬥事猶存。 至今遺壘餘殘石, 白浪如山過虎門。 |
虎門 を過 る
粵 海の重 關 二虎の尊 ,
萬 龍轟鬥 せし 事猶 ほ存 む。
今に至るも遺壘 殘石 を餘 し,
白浪 山の如くして虎門 を過 ぐ。
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◎ 私感訳註:
※康有為:清末の思想家、政治家。戊戌(1898年:光緒二十四年)の変法の主役。1888年〜1898年。原名は祖詒。字は廣廈。号は長素、更生。康南海や南海先生と称される。広東南海県の官僚の家庭出身のため、前記のように称された。戊戌変法が挫折した後、康有為や梁啓超は日本へ亡命するが、帝政維持を主張する団体を組織する。満州民族の王朝打倒を呼号する革命派とは、異なる考えを持っていた。
なお、戊戌の変法とは、1898年(光緒24年)に宣布された変法維新(欧化、近代化の改革運動)の政治運動。その由来は、アヘン戦争後、国威の衰頽が顕在化し、やがて、日清戦争(中国側の呼称:甲午戰爭)後、日本の欧化の優越性を目の当たりにしすることで、自国の後進性の改革の必要性と、西欧列強の対清朝中国蚕食という現実に直面して、危機感を持った先覚者が、政治の改革と軍備の改善を図り、日本の明治維新後の政府と帝政をモデルにした救国改良運動にある。康有為や梁啓超がその中心であった。やがて、1898年(光緒二十四年)に光緒帝によって宣布された変法維新は、百三日後、西太后慈禧のためにあえなく挫折する。それ故「百日維新」とも称される。
※過虎門:虎門を過ぎる。 *アヘン戦争の初期の戦闘の跡地である虎門砲台跡を見ての詩。 ・過:よぎる。 ・虎門:現・広東省東莞にある小山。珠江が内陸から香港・マカオの間に到って外洋に出る際に経る小山。河口の獅子洋三角洲の東南側にあり、珠江河口近くの獅子洋を扼している。アヘン戦争の時には、虎門砲台があり、イギリス軍と砲撃しあったが、イギリス軍によって虎門砲台とそこの将兵は全滅させられた。そのことに思いを致しての詩。
※粤海重関二虎尊:広東の海の二重の砦(である)、大虎山と小虎山の砲門(で)。 ・粤海:広東の海。毛沢東に『和柳亞子先生』「飮茶粤海未能忘,索句渝州葉正黄。三十一年還舊國,落花時節讀華章。牢騒太盛防腸斷,風物長宜放眼量。莫道昆明池水淺,觀魚勝過富春江。」がある。 ・重関:二重の砦(とりで)。 ・二虎:大虎山と小虎山。珠江の河口部分の洲にある小山。南側が大虎山で北側が小虎山。 ・尊:門。量詞(=数量詞)で、大砲を数える量詞。(「三十尊大炮」=(三十門の大砲))。
※万竜轟闘事猶存:多くの勇者が、ドカーン ドカーンと砲撃戦をした事は、いまだになお記憶に留(とど)めている。 ・轟闘:ドカーンと砲撃戦をする。 ・轟:ドカーン、ドカーン(と大砲を撃つ音)。(大砲を)撃つ。 ・事:事件。ことがら。 ・猶:いまだに。なお。 ・存:留(とど)める。
※至今遺塁余殘石:今に至るまで、打ち棄てられた砦には、残骸の石材を余しており。 ・至今:今なお。今に至るまで。 ・遺塁:遺された堡塁。打ち棄てられた砦。 ・余:あます。
※白浪如山過虎門:白い浪が、山の如く(大きくなって、)虎門を通り過ぎ(ていった)。
◎ 構成について
2019.10.16 10.17 |
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