偶作 |
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武田信玄 | ||
鏖殺江南十萬兵, 腰間一劍血猶腥。 豎僧不識山川主, 向我慇懃問姓名。 |
鏖殺す 江南 十萬の兵,
腰間の一劍 血 猶ほ腥し。
豎僧は 識らず 山川の主,
我に向かって 慇懃に 姓名を問ふ。
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◎ 私感註釈
※武田信玄:大永元年(1521年)〜天正元年(1573年)戦国大名。当代一流の戦略家、戦術家。甲斐、信濃、飛騨、北関東を支配する。元亀三年(1572年)に上洛の軍を起こし、遠江の三方ヶ原で徳川、織田軍をやぶったが、軍旅の途次、伊那の駒場で病没した。
※偶作:たまたま作った(詩)。明・朱元璋に『無題』「殺盡江南百萬兵,腰間寶劍血猶腥。山僧不識英雄漢,只顧嘵嘵問姓名。」があり、この武田信玄の作もそれに基づいて作られている。(明・朱元璋は1328年(天暦元年)〜1398年(洪武三十一年 )の人で、武田信玄よりも二百年ほど前に活躍した。明の初代皇帝。廟号は太祖。)作者が身分を隠して寺院を訪れた際、僧侶は相手がこの地の領主であることが分からずに、何度も「どちら様でしょうか」と煩く問い訊ねてきたきたことへの返事の詩。
※鏖殺江南十萬兵:南方の国々の十万の敵兵をみな殺しにして。 ・鏖殺:〔あうさつ;ao2sha1○●〕みな殺しにする。 ・江南:河の南の地方。普通は長江下流の南岸の地方を謂い、明・朱元璋の詩作「殺盡江南百萬兵」では、朱元璋が長江を渡って金陵を占領、浙江に進み、江西の陳友諒、蘇州の張士誠などを降したときの中国南部を舞台とした戦闘を指すが、ここではその言葉のリズムを借りて、武田信玄が戦闘を繰り広げた南の地域。今川との戦いでの駿河地方、また、北条との戦いでの上野や武蔵、相模一帯のことになろうか。 ・十萬兵:(敵国一国分に相当する)多くの(敵)兵。
※腰間一劍血猶腥:腰にさしている一振りの刀は、まだ血なまぐさい臭(にお)いがしている。 ・腰間:腰のあたり。腰のまわり。「腰間一劍」で、腰にさした一振りの刀。 ・猶:(引き続いて)なおもまだ。なおも。 ・腥:〔せい;xing1○〕なまぐさい。生肉や脂(あぶら)の臭いがしてなまぐさい。
※豎僧不識山川主:糞坊主は、この山河の主人公である領主が分からないので。 ・豎僧:〔じゅそう;shu4seng1●○〕小僧。小坊主。(僧侶を卑しめた表現としての)糞坊主。 ・豎:〔じゅ;shu4●〕子ども。こどもの召使い。小者。人を卑しめた表現。 ・不識:知らない。分からない。 ・山川主:山や川を含む大地の主人公である領主。
※向我慇懃問姓名:わたしに対して鄭重に(くどくどと、わたしの官・)姓名を尋ねてくる。 ・向我:わたしに向かって。 ・慇懃:〔いんぎん;yin1qin2○○〕心をこめて念入りに。礼儀正しく。極めて叮嚀に。鄭重に。ねんごろに。副詞。=殷勤。 ・問:尋ねる。問う。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「平腥名」で、平水韻下平八庚。平仄はこの作品のもの。
○●○○●●○,(韻)
○○●●●○○。(韻)
●○●●○○●,
●●○○●●○。(韻)
平成21.4.10 4.11 |
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