讀太平記 | ||
篠崎小竹 | ||
元弘皇紐乱如麻, 誰意忠良萃一家。 輦下疾風無勁草, 山中晩節有黄花。 東魚西鳥天心應, 前虎後狼人事差。 當日攝河張陣地, 空使志士憶褒斜。 |
元弘の皇紐 乱れて 麻の如く,
誰が意か 忠良なる 一家を萃む。
輦下の疾風に 勁草 無く,
山中の晩節に 黄花 有り。
東魚 西鳥 天心に 應へ,
前虎 後狼 人事 差ふ。
當日 攝河に 陣地を張り,
空しく 志士をして 褒斜を 憶は使む。
弘化 丁未(ひのとひつじ)の秋七月 小竹散人 篠崎弼
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◎ 私感註釈
※篠崎小竹:天明元年(1781年)〜嘉永四年(1851年)。江戸時代後期の儒者。名は弼(たすく)。字は承弼。通称は長左衛門。小竹は号になる。別号は畏堂。大坂の人。
※讀太平記:この書は、伊勢丘人先生が骨董屋さんの蔵の中の山から見付けられて入手されたもので、釈文も伊勢丘人先生に依るところです。印の解読も伊勢丘人先生に依ります。 *詩題はなかったので、詩で詠まれた内容から判断して仮にこのようにした。『太平記』卷六「正成天王寺未來記披見ノ事」に「天王寺未來記」に関しての記述「當人王九十五代,天下一亂而主不安。此時東魚來呑四海,日沒西天三百七十餘箇日。西鳥來食東魚,其後海内歸一三年。如獼猴者掠天下三十餘年,大凶變歸一元。云云。 」がある。この部分に基づいて、この詩は作られたのだろう。
『太平記』卷六「正成天王寺未來記披見ノ事」部分 『太平記』卷六「正成天王寺未來記披見ノ事」
※弘化丁未秋七月小竹散人篠崎弼:弘化四年(1847年)の孟秋七月 篠崎小竹 名は弼(たすく)。 ・弘化丁未:弘化四年(1847年)「丁未」は「ひのとひつじ」で、十干と十二支の組み合わせて、一番目の「甲子」から数えて第四十四番目。十干とは、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸のことをいい、十二支とは子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥のことをいう。 干支は、この十干と十二支の組み合わせによる序列表示をいい、十干のはじめの「甲」、十二支のはじめの「子」から順次、次のように組み合わせていく。 甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、(以上、10組で、ここで十干は再び第一位の「甲」に戻り、11組目が始まる)甲戌、乙亥、……(ここで、十二支は「子」に戻り、13組目は)丙子、丁丑…となって、合計は以下の60組になる。蛇足になるが、江戸時代の「丁未」年はその六十年前の1787年(天明七年)、そのまた六十年前の1727年(享保十二年)、その六十年前の1667年(寛文七年)、その六十年前の1607年(慶長十二年)である。反対に明治は1907年(明治四十年)、大正は無く、昭和は1967年(昭和四十二年)である。なお、その後は2027年(平成三十九年)である。 ・秋七月:陰暦・七月で孟秋(初秋)。 ・小竹散人:作者の篠崎小竹のこと。「小竹」は作者の号。「散人」は、号の後に添える語。 ・篠崎弼:篠崎小竹のこと。「弼(たすく)」は名。
※元弘皇紐乱如麻:元弘(元年に後醍醐天皇が起こした元弘の変)で、皇統は乱れに乱れて。 ・元弘:建武の中興直前の元号。ここでは元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が起こした元弘の変(元弘の乱)を謂う。元号の元弘は、南北朝時代直前の大覚寺統(=後醍醐天皇側=後の南朝側)の元号で、元弘元年(1331年)〜元弘三年(1333年)。なお、翌1334年は建武元年で建武の中興の年。 ・皇紐:天皇の血統。皇統。皇系。 ・乱如麻:乱れて麻の如し。麻のように乱れた。鎌倉時代の末、皇位継承を巡って皇統が大覚寺統(後醍醐天皇側=後の南朝側)と持明院統(後の北朝側、幕府側)に分裂した。やがて、後醍醐天皇の下、皇統が大覚寺統に統一されたが、まもなく崩壊。吉野に逃れた大覚寺統(南朝)と、足利尊氏に擁立された持明院統(北朝)の皇統が相争い、乱れたことを謂う。「乱」は、「亂」の省略字形の俗字。
※誰意忠良萃一家:誰の考えで、忠義の人と善良な人が一家として(大覚寺統の下に)集まったのだろうか。(それは後醍醐天皇の叡慮である)。 ・誰意:だれの考え。 ・忠良:忠義の人と善良な人。忠義心が強く善良なこと。 ・萃:〔すゐ;cui4●〕あつめる。あつめる。あつまりたかる。とどまる。
※輦下疾風無勁草:天子の車のもとには、風に倒されないつよい草は無く(正中の変では土岐頼兼、多治見国長、足助重範などを失い、元弘の変では日野資朝らを失った)。 ・輦下:〔れんか;nian3xia4●●〕天子の車のもと。また、首都。ここは、前者の意。 ・疾風無勁草:「疾風に勁草を知る」の逆、「困難に遭遇して、その人の節操の無さや意志の弱さなどが分かった」をいう。『後漢書・王覇傳』に「光武謂覇曰:『潁川從我者皆逝,而子獨留努力。疾風知勁草』」を捩った。 ・疾風:強い風。 ・勁草:(風に倒されない)つよい草。
※山中晩節有黄花:山の中で力強い菊の花に会えた。(後醍醐天皇は笠置山に隠れた際に南の木(=楠=楠木正成)を夢に見て)心強い菊水の紋の楠木正成に会えた)。 ・山中:笠置山(に隠れた後醍醐天皇か)。金剛山(に拠った楠木正成か)。 ・晩節:季節の終わりの時期。晩年の節操。凌霜の気節。 ・黄花:菊の花。後醍醐天皇を謂うのか。菊水の紋所の楠木正成を謂うのか。
※東魚西鳥天心應:東西各地の武者は天子の御心にこたえた(が)。 ・東魚西鳥:東西各地の武者。「東魚」は関東の北畠氏、上野国の新田氏などか。また建武の中興前では、下野国の足利尊氏(高氏)も含まれよう。「東魚」は『太平記』によれば北条氏。『太平記』「逆臣・相摸入道(鎌倉幕府十四代執権・北条高時のこと。相模守となり、やがて出家したところからの称。)の一類なるべし。」になる。「西鳥」は『太平記』によれば関西の人物で、関東(鎌倉幕府)を滅す人がある。 ・西鳥:日本の西の方の鳥。河内の楠木正成のことになる。前出・『太平記』卷六「正成天王寺未來記披見ノ事」にある「天王寺未來記」に関しての記述「此時東魚來呑四海,…西鳥來食東魚,」とある。 ・天心:天子の心。叡慮。聖旨。ここでは、後醍醐天皇の思いになる。 ・應:こたえる。
※前虎後狼人事差:(建武の新政は)登用の人事に関する齟齬を来たし、難儀が次々と起こった。 ・前虎後狼:一難去ってまた一難。「前門の虎、後門の狼」「前門に虎を拒(ふせ)ぎ、門に狼を進む」のこと。 ・人事:人間に関する事柄。人間社会の事件。建武の中興では後醍醐天皇は、光厳朝で行われた人事を全て無効にし、後醍醐天皇自身の皇子・恒良親王を皇太子に立て、(両統迭立を廃して)自らの子孫によって皇統を独占することとした。重用された臣下には、楠木正成、名和長年等がいたが、反対に功績があったものの重用されなかった者に、赤松円心や足利高氏(尊氏)、不協和音をたてた大塔宮護良親王などがいた。これらの独裁的な新政の人事を指す。 ・差:たがう。足利尊氏(高氏)の離叛を謂う。
※當日攝河張陣地:その当時、摂津国(大阪府北部)と河内国(大阪府東部・東南部)に戦陣を構えた(南朝側の武士団)の。 ・當日:〔たうじつ;dang1ri4○●〕その当時。当日。 ・攝河:摂津国(主として大阪府北部と隣接の兵庫県の一部)と河内国(大阪府東部・東南部)。 ・陣地:軍隊を配置してある地。摂津では、住吉、天王寺など。河内では、下赤坂城、上赤坂城、千早城。また、四条畷など。
※空使志士憶褒斜:(もはや天下の計は失せてしまい、要害の地である千早城や赤坂城に拠った(歴史的な順では摂津国や河内国ではなく、大和国の吉野や賀名生(あのう))で)無意味に南朝の志士たちに、中国の要害の地・褒斜(ほうや)を思い起こさせた(ことだろう)。 ・空使:無駄に…に…させる。 ・使:(…に)…させる。(…をして)…しむ。使役表現。ここの平仄を重視するとすれば、「使」字の替わりに「ヘ」字を使うとよい。 ・志士:高い志を持った人。国家、社会のため自分の身を犠牲にして力をつくそうとする人。国士。ここでは、鎌倉幕府に、後には足利氏に対して戦った楠木正成をはじめとした「悪党」や幕府への「叛逆者」のことになろう。 ・憶:思い出す。 ・褒斜:〔はうや;bao1xie2(ye2)○○現代中国語の発音は要確認〕関中(現・陝西省の渭水盆地)西南部から秦嶺山脈中の終南山の谷で、関中・蜀(陝西・四川両省)間の交通の要路。北の口を斜谷(やこく)といい、南の口を褒谷(ほうこく)といい、峡谷の崖道全体を褒斜道(ほうやどう)という。桟道もある険路。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)52−53ページ「唐 山南東道 山南西道」にある。曹操の南征、諸葛孔明の北伐の際に、それぞれここを通って行った。
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◎ 構成について
韻式は、「AAAAA」。韻脚は「麻家花差斜」で、平水韻下平六麻。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
●●●○○●●,
○○●●●○○。(韻)
○○○●○○●,
○●●○○●○。(韻)
○●●○○●●,
○●●●●○○。(韻)
平成22.9. 6 9. 7 9. 8 9. 9 (9.10-9.12仙台) 9.14完 9.15印 |
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