應制賦三山 | ||
絶海中津 | ||
熊野峰前徐福祠, 滿山藥草雨餘肥。 只今海上波濤穩, 萬里好風須早歸。 |
熊野 峰前 徐福の祠,
滿山の藥草 雨餘に 肥ゆ。
只今 海上 波濤 穩やかに,
萬里の好風 須らく 早く歸るべし。
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◎ 私感註釈
※絶海中津:南北朝時代から室町時代にかけての臨済宗の僧。建武三年/延元元年(1336年)〜應永十二年(1405年)。夢窓疏石について受戒、正平二十三年/應安元年(1368年)、入明する。帰国後、等持寺、相国寺などの住持を歴任した。津野氏の出身。字は要関。蕉堅道人と号する。土佐の人。絶海中津という呼び方は、夢窓疏石のもとで剃髪して中津と異名を取ったことと、明・中竺寺での絶海との授号とによる。
※應制賦三山:天子(明・太祖・朱元璋)のみことのりに応じて、渤海(≒東海)の三神山の詩を作る。 *明・太祖・朱元璋より召されて、英武楼で熊野の古祠(徐福の祠)について訊ねられた時の詩。 ・應制:天子のみことのりに応じて詩文を作る。「制」は、天子の命令。 *なお、この詩に対して、明太祖・朱元璋(高皇帝)は「熊野峰高血食祠,松柏琥珀也應肥。當年徐福求仙藥,直到如今更不歸。」と和して応えた。 ・三山:渤海にある神仙の住む蓬莱・方丈・瀛州の三神山。『史記・封禅書』にある。また、『史記・秦始皇本義』「二十八年」(秦・始皇帝二十八年:紀元前219年:孝霊天皇七十二年)に「齊人徐市(徐巿(じょふつ)=徐福(じょふく)。なお「巿()」〔ふつ;fu4●:4劃〕と「市()」〔し;shi4●:5劃〕とは別字)等上書,言海中有三神山,名曰蓬莱、方丈、瀛洲,仙人居之。請得齋戒,與童男女求之。於是遣徐巿發童男女數千人,入海求仙人。」とある。なおまた、後出・熊野には「熊野三山」(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)があるが、こちらの称呼はいつ頃からのものなのかに因って、その意が異なる。
※熊野峰前徐福祠:(紀伊半島の南部の)熊野の(山々の)山裾には、(秦・始皇帝の命で不老不死の霊薬を求めて)東海の仙島・日本にやって来た徐福のほこらがあり。 ・熊野:紀伊半島の南部(和歌山県南部と三重県南部)の地域名。熊野の新宮(現・和歌山県新宮市)には、徐福上陸地の伝説に基づき徐福公園がある。 ・徐福:〔じょふく;Xu2Fu2○●〕秦・始皇帝の時代の人物。秦・始皇帝のために東海の仙島(ここでは日本)から不老不死の霊薬を持ち帰ろうとした人物。徐巿(じょふつ=徐福)は始皇帝に上書して皇帝のために東海の仙島に渡り、不死の薬を求めてきて献上するとして、援助を得、少年少女(や技術者、五穀の種子)を積んで出かけた。前出・『史記・秦始皇本義』「二十八年」(秦・始皇帝二十八年:紀元前219年:孝霊天皇七十二年)に「齊人徐巿(じょふつ)=徐福(じょふく)。なお「巿()」〔ふつ;fu4●:4劃〕と「市()」〔し;shi4●:5劃〕とは別字)等上書,言海中有三神山,名曰蓬莱、方丈、瀛洲,仙人居之。請得齋戒,與童男女求之。於是遣徐巿發童男女數千人,入海求仙人。」とあり、その古註に「正義括地誌云:『亶洲在東海中,秦始皇使徐福將童男女入海求仙人,止在此州,共數萬家。』」とある。また、『史記・淮南衝山列伝』によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と上書し、始皇帝の命を受け、三千人の童男童女と、それをたすけるために、五穀の種子と諸々(もろもろ)の技術者を携えてでかけた。徐福は、平野と湿地帯を得て、その地にとどまって王となり、戻らなかった。『史記・淮南衡山列伝』に「秦皇帝大説,遣振(振:幼童)男女三千人,資之五穀種種百工而行。徐福得平原廣澤,止王不來。」とある。北宋・歐陽脩の『日本刀歌』に「昆夷道遠不復通,世傳切玉誰能窮。寶刀近出日本國,越賈得之滄海東。魚皮裝貼香木鞘,黄白韋カ鍮與銅。百金傳入好事手,佩服可以禳妖凶。傳聞其國居大島,土壤沃饒風俗好。其先徐福詐秦民,採藥淹留丱童老。百工五種與之居,至今器玩皆精巧。前朝貢獻屢往來,士人往往工詞藻。徐福行時書未焚,逸書百篇今尚存。令嚴不許傳中國,舉世無人識古文。先王大典藏夷貊,蒼波浩蕩無通津。令人感激坐流涕,鏽澀短刀何足云。」とある。 ・祠:〔し;ci2○〕ほこら。やしろ。みたまや。
※滿山藥草雨餘肥:山一面に生えている薬草は、雨の後、緑の葉の部分がしっかりと茂ってきた。 ・滿山:山一面。中唐・白居易の『梨園弟子』に「白頭垂涙話梨園,五十年前雨露恩。莫問華清今日事,滿山紅葉鎖宮門。」とある。 ・藥草:薬になる植物の意だが、二通り考えられる。秦・始皇帝に命じられて、東方海上の三神山(蓬莱・方丈・瀛洲)にある不老不死の霊薬を探し出した、熊野産の霊薬の薬草。或いは、(想像だが)徐福が齎した五穀の種子等とともに齎した薬草。始皇帝の命と徐福の渡海目的を考えれば、前者の意になる。 ・雨餘:雨の晴れた後。雨後。 ・肥:緑の葉の部分がしっかりと茂ったさま。両宋・李清照の『如夢令』に「昨夜雨疏風驟,濃睡不消殘酒。試問卷簾人,却道海棠依舊。 知否?知否?應是鵠紅痩。」とある。
※只今海上波濤穩:ただ今は(始皇帝の時代とは異なって、明の皇帝の聖徳の統治の時代であって、中国本土と徐福のいる東海の仙島との間の)海の波は穏やかになっている(ので)。 ・波濤:大きな波。
※萬里好風須早歸:遥か彼方までの順調な風が吹いているので、早く(=早い時期に)帰国すべきだろう。 ・須:…する必要がある。すべからく…べし。李白の『襄陽歌』に「落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭香C恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」とあり、唐・杜秋娘の『金縷曲』に「勸君莫惜金縷衣,勸君惜取少年時。花開堪折直須折,莫待無花空折枝。」とある。 ・早歸:早くもどる。早期に(自宅・故郷・祖国・墓所)といった本来の場所に帰る。晩唐/後蜀・韋莊の『菩薩蠻』に「紅樓別夜堪惆悵。香燈半捲流蘇帳。殘月出門時。美人和涙辭。 琵琶金翠秩B絃上黄鶯語。勸我早歸家。坂x人似花。」とある。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「祠肥歸」で、平水韻上平四支(祠)、上平五微(肥歸)。この作品の平仄は、次の通り。
○●○○○●○,(韻)
●○●●●○○。(韻)
●○●●○○●,
●●●○○●○。(韻)
平成22.6.27 6.28 6.29 6.30 |
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