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   七絶 屈原          
  

一九六一年秋

屈子當年賦楚騷,
手中握有殺人刀。
艾蕭太盛椒蘭少,
一躍衝向萬里濤。


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七絶 屈原(くつげん)

屈子(くつし) 當年  楚騷( そ さう)を賦し,
手中 人を殺す刀を (にぎ)りて有り。
艾蕭(がいせう) (はなは)だ盛んなれども  椒蘭(せうらん) 少なければ,
一躍(いちやく)して ()()かはん  萬里(ばん り )(なみ)に。


       **************


私感註釈

※七絶 屈原:(憂国の思いを抱きながらも、世に容れられずに投身自殺をした)屈原。 *屈原は、作者自身のことを暗示している。 ・屈原:戦国時代の楚国の王族・ 屈平(平は名)のことで、楚の国運回復に尽力したが、讒言により江南に放逐され、汨羅(べきら)の淵に投身自殺をした人物。屈原は嘗て三閭大夫に任じられて内政・外交に活躍したが、楚の懐王のとき、尚の讒言のため、職を解かれた上、都を逐出されて各地を流浪した。その放浪の折り、多くの慷慨の詩篇辞賦を残した。やがて、秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅(現・湖南長沙の南方)に身を投げて自殺した。時に、紀元前278年の五月五日で、端午の節句の供え物(粽)は、屈原を悼んでのものともいう…。『史記・巻八十四・屈原賈生列傳 第二十四』では「於是懷石遂自汨羅以死。」と記されている。屈原を歌った『楚辭・漁父』に「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。漁父見而問之曰:『子非三閭大夫與?何故至於斯?』屈原曰:『舉世皆濁我獨C,衆人皆醉我獨醒,是以見放。』」とある。 ・一九六一年秋:毛沢東の提倡した大躍進政策が失敗し、三年続きの自然災害とソ連との対立も重なった結果、数千万人の餓死者を出した。この時、毛沢東は自己批判を行って国家主席を辞任し、経済は調整局面に入った。毛沢東としては、自分の政策が否定され、鬱屈した心境で過ごしていた時期。この詩はその時期のもの。なお、結果として毛沢東に反対する立場を取って国家の運営を任された劉少奇やケ小平らは、その後の文化大革命で「実権派」として打倒された。この作品は、文化大革命を発動した時の毛沢東の心境がよく分かる詩。

※屈子当年賦楚騒:屈原はあの頃、『楚辭』の中の『離騒』を作った。 ・屈子:屈どの。屈さん。前出・屈原を指す。 ・当年:〔たうねん;dang1nian2○○〕当時。往年。あの頃。蛇足になるが、〔たうねん;dang4nian2●○〕と読めば、その年。同じ年(の内)、の意となり、ここでは適切ではない。前者の例に現代・毛沢東の『沁園春 長沙』一九二五年に「獨立寒秋,湘江北去,橘子洲頭。看萬山紅遍,層林盡染;漫江碧透,百舸爭流。鷹撃長空,魚翔淺底,萬類霜天競自由。悵寥廓,問蒼茫大地,誰主沈浮?   携來百侶曾游。憶往昔、崢エ歳月稠。恰同學少年,風華正茂;書生意氣,揮斥方遒。指點江山,激揚文字,糞土
當年萬戸侯。曾記否,到中流撃水,浪遏飛舟?」とあり、同・毛沢東の『菩薩蠻 大柏地』一九三三年夏に「赤橙黄告ツ藍紫,誰持彩練當空舞?雨後復斜陽,關山陣陣蒼。   當年鏖戰急,彈洞前村壁。裝點此關山,今朝更好看。」とある。 ・賦:詩を作る。 ・楚騒:『楚辭』の中の『離騒』の一篇・三百七十三句を略して謂う。余談になるが、(以下、私の古い記憶に頼って:)日中国交回復時、我が国の田中角栄首相に、中国の毛沢東主席が『楚辞集注』を送った。当時、その意味を幾つか考えて報道されていたが、『楚辞』はこのサイトでも取りあげているが、国を憂え世を慨(なげ)き、君を思う感情の激しさが毛沢東の思いに合致したのだろうか、或いは、祭祀や神話伝承のもつ浪漫的な情調を伝えたかったのだろうか。ただし、『楚辞』を一口に謂えば、重々しい霊的なストーリー性のあるおどろおどろしい歌集であり、田中角栄首相や一般の日本人が好み、お手本としたい「漢詩」の世界とは、大きく異なるものであり、前者の意の憂国慨世の思いを田中角栄首相に伝えたかったのか。

※手中握有殺人刀:(屈原の文学の与える力は、)手に人を殺す刀を握っている(かのように強烈な攻撃性を持っている。 ・握有-:…を握(にぎ)っている、意。 ・殺人刀:人を殺す刀のことで、屈原の『離騒』の持っている攻撃性を謂う。

※艾蕭太盛椒蘭少:(『離騒』の中で、また1961年の中国で、)雑草のような卑しい人が、はなはだ勢い盛んであるのに対して、芳草香木のような高潔な心を持った者は少ない。 ・艾蕭:〔がいせう;ai4xiao1●○〕ヨモギ。成語の「蕭艾」〔せうがい;xiao1ai4○●〕のことで、ヨモギ。雑草。卑しい人、小人の喩え。『楚辭』中の屈原『離騒』に「何昔日之芳草兮,今直爲此
蕭艾とある。熟語の「蕭艾」を「艾蕭」としたのは、平仄の関係。「蕭艾」は(○●)で、句中「●●」とすべきところで使い、「艾蕭」は(●○)で、句中「○○」とすべきところで使う。この句「艾蕭太盛椒蘭少」は、「○○●●○○●」とすべきところ。似た用例では、同・毛沢東の『送瘟神』「春風楊柳萬千,六億神州盡。紅雨隨心翻作浪,山着意化爲。天連五嶺銀鋤落,地動三河鐵臂。借問瘟君欲何往,紙船明燭照天。」での「舜堯」がある。熟語の「堯舜」を「舜堯」としたのは、押韻と平仄のため。(「堯舜」は(○●)で、「舜堯」は(●○)。) ・太盛:はなはだ盛んであるの意。 ・椒蘭:〔せうらん;jiao1lan2○○〕サンショウとラン。香りのよいたきもの。『楚辭』中の屈原の『離騒』椒蘭其若茲兮,又況掲車與江離。」とある。(前出の「何昔日之芳草兮,今直爲此蕭艾也」の少し後にある)。『離騒』では、高潔な心を芳草香木に寓(よ)せて表現する。

※一躍衝向万里涛:(『離騒』での屈原のように、わたし(=毛沢東)も)ぱっと一(ひと)跳(と)びで、(汨羅江の)果てしない彼方からの大波に向かって突き進もう。 ・一躍:ぱっと飛び跳ねる、意。ぱっと一(ひと)跳(と)びで、の意。 ・衝向-:…に向かって突き進む、意。…に向かって突進する、意。 ・万里濤:(汨羅江の)果てしない彼方からの大波。汨羅江は現・湖南長沙の南方を流れる。屈原が身を投げて自殺したところ。『離騒』でいえば:「已矣哉!國無人莫我知兮,又何懷乎故キ?既莫足與爲美政兮,
吾將從彭咸之所居!」ということ。(=(汨羅に身を投じて)彭咸の居るところへ行こう)。

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◎ 構成について:

韻式は、「AAA」。韻脚は「騷刀濤」で、平水韻下平四豪。この作品の平仄は、次の通り。

    ●●○○●●○,(韻)
    ●○●●●○○。(韻)
    ●○●●○○●,
    ●●○●●●○。(韻)

2015.9.19
     9.20
     9.21
     9.22




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