Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




   沁園春 
    
長沙

            一九二五年

獨立寒秋,
湘江北去,
橘子洲頭。
看 萬山紅遍,
層林盡染;
漫江碧透,
百舸爭流。
鷹撃長空,
魚翔淺底,
萬類霜天競自由。
悵寥廓,
問 蒼茫大地,
誰主沈浮



携來百侶曾游。
憶往昔、崢嶸歳月稠。
恰 同學少年,
風華正茂
書生意氣,
揮斥方遒。
指點江山,
激揚文字,
糞土當年萬戸侯。
曾記否,
到 中流撃水,
浪遏飛舟

 
******

沁園春
      
長沙

獨り 寒秋に 立てば,
湘江は 北へ去る,
橘子洲頭。
看よ  萬山の 紅きこと遍く,
層林 盡く染まるを;
漫江 碧く透み,
百舸 流れに爭ふ。
鷹 長空に 撃ち,
魚 淺底に 翔へる,
萬類 霜天に 自由を競ふ。
寥廓を 悵み,
蒼茫たる大地に 問ふ,
誰か 沈浮を 主(つかさど)ると


百侶を 携へ來りて 曾て游べり。
往昔を 憶へば   崢嶸として  歳月 稠(おほ)し。
(まさ)に 同學 少年にして,
風華 正に茂れる;
書生の 意氣は,
揮斥して 方(まさ)に遒(つよ)し。
江山を 指點し,
文字に 激揚し,
當年の 萬戸侯を 糞土とす。
曾て 記す(覚えている)や否や,
中流に到りて  水を撃てば,
浪 飛舟を 遏(とど)めたるを

私感注釈

※沁園春:詞牌の一。 一一四字。双調。詳しくは「構成について」を参照。 *一九二五年:農民運動や国民革命の動きで、社会が騒然となっていた時代。毛澤東は辛棄疾の『昭君怨』(『全宋詞』1883頁)の影響を受けたか。

※長沙:湖南省の省都。毛沢東は青年時代ここの湖南第一師範過ごした。そこで勉学に勤しみ、社会への目を開いたところ。

※獨立寒秋:ひとりで晩秋(の……)に佇(たたず)めば。 ・獨立:ひとりでたたずむ。前は毛沢東独りで川辺に立っている。後では、携來百侶となり、曾游の事を回想する。このように、詞は前(上)と後(下)とで、場面や状況の設定を変えて、変化をつける。清末/中華民国・梁啓超の『黄河』に「黄河黄河出自崑崙山,遠從蒙古地,流入長城關。古來聖賢,生此河幹,
獨立堤上,心思曠然。長城外,河套邊,黄沙白草無人煙。思得十萬兵,長驅西北邊,飮酒烏梁海,策馬烏拉山。誓不戰勝終不還,君作鐃吹,觀我凱旋。」とある。 ・寒秋:晩秋。

※湘江北去:湘江は北へ向かって流れ。 ・湘江:江西省から北に向かい、長沙を通って、洞庭湖に注ぐ流れで、毛沢東の生活圏の河。 ・北去:北に流れゆく。湘江は実際に南から北に流れていく。この「湘江北去」は、蘇軾の『念奴嬌・大江東去』を捩ったものか。中国の川は「東去」が通常で、湘江の「北去」は例外。

※橘子洲頭:橘子洲の最南端の部分の地名。北へ行く湘江の流れに当たっている最先端のところ。 橘(子)洲は、長沙を流れる湘江にある中州(日本風に謂うと長さ5km幅500mの中の島)。張滌華によると、水陸洲ともいい、良質の橘子を産したというのでこの名が付いたという。その「橘子」が蜜柑(現代語)を指しているのか、他の柑橘類を指しているのかは未確認。ただ分かることは、現代では、楠橘(楠桔)という紅に近い濃い橙色をした柑橘類を栽培していることである。
  (平成12年7月16日、漫然と『全宋詞』の辛棄疾のところを見ていたら、ここと何となく似通ったのがあった。『全宋詞』1883頁の『昭君怨』に「
長記秋晩。歌舞橘洲人散。…」とある。これと毛澤東の「獨立寒秋江北去,頭。…曾記否」の部分だ。毛沢東は郷土の湘や橘洲の字に惹かれ、覚えていたのではないか。なお、地名の橘子洲の由来も、千年も前から蜜柑を栽培していたのか、些か疑問だ。橘や野生の柑子などの柑橘類が自生していたのか、はたまた形が…。謎は深まるばかりだ。 ・頭:あたま。ほとり。あたり。場所の後に付ける。路頭、街頭、駅頭等と同じだが、ここでは地名であって、「橘子洲頭」でその名となる。橘洲の最南端で、北へ行く湘江の流れに当たっている最先端。なお、その反対の最北端は「橘子洲尾」という。

※看萬山紅遍:ごらん、多くの山々がすっかりと紅くなっている。 ・看:看よ。ここは一字逗なのでこうなる。…を看る、とはならない。なお「みる」は現代語では基本的には「看」を使う。「見」は文語的で、みえる。 ・萬山:多くの山。萬は多数を表す。周振甫は、長沙東南の湘江沿いの岳麓山を始めとした山々を指すと見る。実際に、彼の主張通り、岳麓山は紅葉で有名で、中腹には愛晩亭がある。愛晩亭の名の由来は杜牧の「山行」中の「停車
楓林からきていよう。「霜葉紅於二月花」ということを言いたいのだろう。このことからでも雄弁に湘江付近の秋色を物語っている。この一帯の山々は七十二峯と言われ(拠長沙人談)、符合する。 ・紅遍:すべてが紅くなっている。現代語では、「あかい」意味の際は紅を使う。特に「くれない」の意味はない。赤は文語の趣がある。紅hong2と同音には、鴻洪弘宏紘浤竑泓鋐虹があり、hong1に轟鬨がある。これらには共通の「大きい、広い」というプラスイメージの意味がある。それ故、日中共に人名によく使われている。紅は、赤にはない心地よい響きがあるわけである。
  今言った言葉の意味の纏まりとは、少し変わるが、中国は同音異字を使って深い意味を持たせた表現をする。例えば、この前打ち上げた大型ロケットは「神舟shen2zhou1」というが、元々神舟という言葉はない。shen2zhou1とは神州(神の国)(用例:秋瑾詩詞、『天安門革命詩抄』)という意味で、赤県中華を指す。「神の国である大中華」という訳である。これをそのまま(日本語の助詞を取っても「神国」は日本語だが)「神国大中華」としても意味は伝わるが、風雅さと用語で問題が残る。宇宙船は、飛船や船というが、それを踏まえて、神舟とはなかなか上手である。
  なお、共産主義思想も紅を使って表す。紅衛兵や紅旗でもおなじみである。もっとも、この句はただの秋の紅葉をいうだけだろう。

※層林盡染:重なって見える木立の群は、ことごとく紅葉している。 ・層林:山腹に層になり、重なって見える木立の群。 ・盡染:ことごとく紅葉している。

※漫江碧透:河一面が、青く澄み渡っている。 *「層林盡染」とともに「漫江碧透」を見れば、ゆったりとした川の流れは、青く澄み渡っている、とするのが妥当。 ・漫江:漫はみちる。水がひろがっている。周振甫、張滌華は漫は満であると述べている。更に張滌華は、漫はman1(陰平)というが、古漢語字典(巴蜀書社)や他の辞書ではman2(陽平)となっている。この字は去声と平声とがあることになっているものの、現代口頭語では、去声。「河一面」の意。「慢:緩やかな流れ」ではない。 ・碧透:青く澄み切っている。碧は青緑色。

※百舸爭流::多くの船は、流れに逆らって(のぼっている)。 ・百舸:多くの船。百は多数を表す。舸は大きな船のこと。 ・爭流:ながれに競う。

※鷹撃長空:タカが大空で激しく羽ばたき。 ・鷹撃:(現代語)タカは うつ。鷹が大空で羽ばたくことの激しさを謂う。鷹撃長空と魚翔淺底は対句になっている。天には鷹が飛び、地上の河では、魚が飛び跳ねている。生気に満ちた自然現象を詠っている。 ・長空:大空。詩詞によくみる語。

※魚翔淺底:魚は浅瀬でひるがえっている。 ・魚翔:魚はひるがえる。

※萬類霜天競自由:生きとし生けるものは寒空の下、自由を競っている。 ・萬類:生きとし生けるもの。 ・霜天:(現代語)寒空。晩秋。現代語の口頭語では、「-天」は必ずしも空(そら)を指さない。季節、天気、時間、日などをいう。秋天、晴天、白天等。日本語でいう「~の時」という感じか。もっとも、訳すときはこんな「~の時」等の語は付けないが…。 ・競自由:自由は後漢書ではかって、気まま、という奔放な意味になるが、ここでは近代的な概念の自由。

※悵寥廓:天をうらみ。 ・悵:うらむ。失意のために嘆く。 ・寥廓:広々としている様。高遠なさま。大空。ここでは大空。天をうらみ、大地に問いかける。毛沢東の『答友人』(一九六一年)に「九嶷山上白雲飛,帝子乘風下翠微。斑竹一枝千滴涙,紅霞萬朶百重衣。洞庭波湧連天雪,長島人歌動地詩。我欲因之夢
寥廓,芙蓉國裏盡朝暉。」とあり、毛沢東の『采桑子・重陽』(一九二九年十月)に「人生易老天難老,歳歳重陽。今又重陽,戰地黄花分外香。   一年一度秋風勁,不似春光。勝似春光,寥廓江天萬里霜。」とある。 *天問は古来よく使われる。運命を司る天。運命を尋ねる「天問」をしている。『詩經』唐風の中の「鴇羽」「肅肅鴇翼,集于苞棘。王事靡,不能藝黍稷,父母何食。悠悠蒼天,曷其有極。」や、『詩經・王風・黍離』に「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心遙遙。知我者,謂我心憂,不知我者,謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」とあり、『詩經・秦風・鴇羽』に「肅肅鴇翼,集于苞棘。王事靡,不能黍稷,父母何食。悠悠蒼天,曷其有極。とあり、宋・蘇軾の『水調歌頭』丙辰中秋,歡飮達旦,大醉,作此篇,兼懷子由に「明月幾時有?把酒靑天。不知天上宮闕,今夕是何年。我欲乘風歸去,又恐瓊樓玉宇,高處不勝寒。起舞弄淸影,何似在人間!   轉朱閣,低綺戸,照無眠。不應有恨,何事長向別時圓?人有悲歡離合,月有陰晴圓缺,此事古難全。但願人長久,千里共嬋娟。」とある。

※問蒼茫大地:広々として果てしない大地に問う。 ・問:とう。たずねる。蒼茫大地に問うているわけだが、詞全体として、天地に問いかけているのではないか。 ・蒼茫:広々として果てしない様。青々として広い様。 ・大地:大地。ここは寥廓と対になっているのか、いないのか。どちらとも取れる。

※誰主沈浮:誰が浮き沈みを司っているのか。 ・主:つかさどる。動詞として使われている。 ・沈浮:浮沈。浮き沈み。運命。浮沈・沈浮共に使う。意味も一緒。ここは浮〔ふう;fu2○(「ふ」は慣用音)〕で韻を踏むために、こちらを採用した。

※携來百侶曾游:多くの友人たちを連れて、ここで過ごしたことがある。 *この表現だと作詞をした1925年よりも遡った時期になる。 ・携來:(現代語)。連れてくる。連れてきた。 ・百侶:多くの友。百は多数を表す。侶はともだち。つれ。前の独りで川辺に立っている情景に対応している。 ・曾游:嘗て游ぶ。游ぶといっても、遊興というより、もっと広い意味。かつて来た。曾游(そういう)。なお、游は現代語では、泳ぐ意味なので、後半の展開「到中流撃水,浪遏飛舟」とも照らし合わせると、かつて游ぐ、とも、とれなくはないが、どうも味わいが乏しくなる。如何。

※憶往昔、崢嶸歳月稠:昔を思い起こせば、歳月が積み重なって多い。 ・憶:追憶する。思い起こす。 ・往昔:過ぎ去った昔。昔。 ・崢嶸:〔さうくゎうzheng1rong2○○〕高く聳える様。歳月が積み重なる様。ここは後者の用法。 ・稠:おおい。茂る。

※恰同學少年:ちょうど級友も、年若く。 ・恰:(現代語)ちょうど。あたかも。ここは、前者の意。 ・同學:(古語・現代語)クラスメイト。同級生。蛇足だが、ルームメイトは同屋、室友。似た言葉に同志、同事、同胞…。もっともここは杜甫の秋興八首の中の詩「同學少年多不賤」からきた古い言葉。 ・少年:若い。若者。「同學」と「少年」の「學」字の所と「年」字の所は、平仄が合わない。ここを逆にして、「少年同學」とすれば平仄上は問題ないが、語順を変えれば、微妙に感じが変わる…。

※風華正茂:花盛りである。成長盛りである。 ・風華:風采と才華。 ・正:ちょうど。 ・茂:盛んである。茂る。

※書生意氣:学生の意気は。 ・書生:書生。学生。読書人。 ・意氣:意気。

※揮斥方遒:奔放で、まさに強い。 ・揮斥:(現代語)全て意のままに指揮し、動かす。奔放にする。 ・方:まさに。ちょうど。 ・遒:〔しう;qiu2○〕強い。力強い。かたい。

※指點江山:天下の政事に口を出した。 ・指點:(現代語)指さす。清・陳文述の『江上詠沈雲英』に「芝龕記裡兩娉婷,天女華鬘玉女星。荀灌早年曾救父,宣文老去尚橫經。淒涼湘水和煙暝,
激蕩江潮帶雨聽。指點海門青一角,西河太史舊書銘。」とある。 ・江山:(現代語)祖国の山河。祖国。天下。

※激揚文字:文字を以て、革命思想を宣揚する。 ・激揚:(現代語)感動して発憤する。激昂する。けなすこととほめること。前出・陳文述『江上詠沈雲英』の青字部分「淒涼湘水和煙暝,激蕩江潮帶雨聽。指點海門青一角,西河太史舊書銘。」とあるのに雰囲気は似る。 ・文字:(現代語)ここでは、文字を使って表したもの、文章のこと。

※糞土當年萬戸侯:当時の権力者をぼろくそに言った。 ・糞土:糞と土。汚い土。きたないもの。ここでは動詞のようにして使っている。糞土とする。けなす。太平天国の清・石達開の『入川題壁』に「大盗亦有道,詩書所不屑。黄金若
糞土,肝膽硬如鐵。策馬渡懸崖,彎弓射胡月。人頭作酒杯,飮盡仇讎血。」とある。 ・當年:〔たうねん;dang1nian2○○〕(現代語)かの年。その当時。昔。 ・萬戸侯:萬戸の封土の諸侯。ここでは当時の権力者を指す。

※曾記否:覚えているだろうか。 ・曾:かつて。過去のことを謂う。 ・記:(現代語)覚えている。ここの場合、李清照の『如夢令』「記溪亭日暮,沈醉不知歸路。興盡晩回舟,誤入藕花深處。爭渡,爭渡,驚起一灘鴎鷺。」 前辛棄疾の「長記瀟湘秋晩。歌舞橘洲人散。…」 から来ていないか。 ・否:いなや。文末に付き、その文を疑問文にする働きをする。

※到中流撃水:川の流れの中ほどで、水面を撃って(亡国を歎いたことを)。(毛澤東は或いは、「川の中ほどで泳いだことを」の意で作ったか。中国ではそういう解釈がされているようだ)。 ・到:(現代語)。…に到って。「到+〔場所〕+〔動詞〕+〔目的語〕」「…で…を する」。 ・中流:(現代語)流れの中程。中流砥柱は嘗てよく言われた。 ・撃水:(現代語)水面を打つ(本来の意味)。遊泳する。ここでは遊泳をする。毛沢東自身が、自ら註して、「撃水:游泳。那時初学,盛夏水漲,幾死者数。…」としているので、そうしておく。中国出版の書物も毛沢東の見解から出ていない。しかし、わたしは、以下のように考える。(次項) ・中流撃水:わたし自身は、この語句は、毛沢東が理解していたものと違うように考える。中流撃水は、毛沢東も嘗て読んだはずの南宋・豪放詞派の陳亮の『念奴嬌』「登多景樓」「危樓還望,嘆此意、今古幾人曾會?鬼設神施,渾認作、天限南疆北界。一水橫陳,連崗三面,做出爭雄勢。六朝何事,只成門戸私計。   因笑王謝諸人,登高懷遠,也學英雄涕。憑却江山,管不到、河洛腥無際。正好長驅,不須反顧,尋取
中流。小兒破賊,勢成寧問強對。」や文及翁の「問中流撃楫何人是?」の影響を受けたものと謂える。毛沢東自身は、これを「泳ぐ」と理解してその意味で使っていたのかも知れないが、「中流撃□」の句は、陳亮、文及翁は『晋書巻六十二・列傳第三十二祖逖』の「帝乃以逖爲奮威將軍、…仍將本流徙部曲百餘家渡江,中流撃楫而誓曰:『祖逖不能淸中原而復濟者,有如大江!』辭色壯烈衆皆慨歎。」からとっており、「中原を恢復することを誓う」という意味で使っている。ここは、毛沢東の解釈よりも、歴史的に見た語義を優先させた方が厚みが出て、味わい深いものになるが、何如。

※浪遏飛舟:(その)浪(の激しさ)は速い舟の船脚を止めた(ほどだった)。 ・浪:なみには波、浪や濤、瀾などがあるが、それぞれ規模等が違う。 ・遏:とどめる。抑え止める。 ・飛舟:速度の速い舟。

                   ***********





◎ 構成について:
 沁園春  双調  114字  平声の一韻到底。韻式は「AAAA AAAAA」

   ●○○
   ●○○,
   ●●●○。(韻) 
   ●+○○●●, 
   ●;
   ●,
   ●○○。(韻)
   ●○○,
   ●;
   ●○○●○。(韻)
   ○●,
   ●+●,
   ●○○。(韻)


   ●○○。(韻)
   ●●、○○●○。(韻)
   ●+●,
   ●;
   ●,
   ●○○。(韻)
   ●○○,
   ●,
   ●○○●○。(韻)
   ●,
   ●+●,
   ●○○。(韻)

となる。
 脚韻は、「頭流由浮 游稠遒侯」で、第十二部。後の「恰 同學少年」の學字の所と年字の所は、この詞譜と異なる。
                    
2000.6.26
     6.27
     6.28
     6.29
     6.30
     7. 1
     7. 2
     7. 3
     7. 4
     7. 5
     7. 6完
     7. 8補
     7.16
    12.27
2001.5.22
      5.25
      5.27
     12.22
     12.31
2002. 1. 5
2007. 7.12
2011. 5.19
      5.22
2013. 3. 5



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