2日づけ大阪本社版文化面の、 新国立劇場「神々の黄昏」評。
しかも面白いのは、こうした舞台が音楽とさして齟齬をきたさないことである。 演出センスのよさによるところも大きかろうが、 恐らくワーグナーの音楽自体が、 我々がそう思い込んでいる程には形而上学的なものでないのかもしれない。
一例を挙げると、 第2幕でブリュンヒルデがジークフリートの裏切りをなじる場面など、 ホームドラマでもなじみの、あきれるほど即物的な痴話喧嘩だ。 いかめしい神話悲劇の装いを「こけおどし」とばかりに一皮めくれば、 作品に本来こうした卑俗な散文性が内在しているからこそ、 パロディー風演出が違和感なくそこに同調するのだろう。
ジークフリートが忘却の魔酒を飲まされていることを忘れていないか? 飲まない演出ということも考えられるが、そうは書いてない。 「岡田暁生 音楽学者」と署名あり。
2004-04-07 (3) 01:26:28 +0900
Phinloda 氏の「裏の裏」(だったかな)で話題になっていたのが、 エレベータ操作盤の「開」ボタンと「閉」ボタンの並び方だ。 これがほとんど一定だ、と書き込んでおられた方があった。
ところで、 私が学生時代の数年間を過ごした建物にはエレベータが二基ついていたが、 ドアのどちら側に操作ボタンがあるかが、違っていた。 つまり、きたエレベータに乗ったら、 常に右なり左なりを振り返るとそこに操作ボタンがあるのではなく、 内側だか外側 --- もう忘れた --- にあるのである。 私が推測したところでは、その理由は、 閉じ込められたときに外部に連絡すると、 「ボタンは扉の右ですか、左ですか」と聞かれ、 その答えで二基あるうちのどちらなのかがわかるためでは、 と思っていたが、違うような気がしてきた。
それはともかく、どっちについていても開閉ボタンの並びは同じなのだろうか。
2004-04-07 (3) 01:11:08 +0900
2日づけ大阪本社版「政治・総合」面の
「改憲の手続き要件緩和一致 / 自民チーム」の後半は
《このほかに、女性天皇についても議論したが、意見が割れた
》。
なぜ女性天皇が《自民党の憲法改正プロジェクトチーム
》
の議題になるのかが書かれていないので、このチームが
2004-04-07 (3) 01:01:44 +0900
答えは「せく」。 NHKラジオの「日本語講座」式に「〜ます」形を基本と考えるなら 「せきます」。
2004-04-07 (3) 00:53:24 +0900
前者を英語で言うときは service は使わない。 後者は?
2004-04-07 (3) 00:51:49 +0900
《中学一年の最初に習った英語のあいさつが全くわからず英語嫌いになりそうに》 のいわば続きだが、 もしも小学校に英会話の時間があったらきっと落ちこぼれていただろうから、 英語はあきらめて、 一人でギリシア語・ラテン語などの死語を勉強していたかもね。
小学生のとき、物置から「吾輩は猫である」の文庫本 --- 昔のだから正字旧かな --- をひっぱり出して読み始め、 親に“近眼になるといけないから”と止められたことがある。 あの物置には岩波全書のギリシア語入門とラテン語入門もはいっていたんだよな。 あとでもっとよく探してみたら。
2004-04-07 (3) 00:33:52 +0900
……「わかってもばかよ」と言われたら、 論理的には間違っていないけど、 かなり落ち込むだろうな。 元ネタは夏目漱石の「彼岸過迄」。
ほとんど参考にならないけど、 《Tコード>右左打ちで打てる 「彼岸過迄」クライマックスの一節》参照。
2004-04-06 (2) 19:21:41 +0900
※ 書いているうちに日付が変わってしまいました。 タイトル行・本文中の「きょう」は厳密には「きのう」です。
入門編は杉山利恵子先生。 あれえ、こんな暗い調子だったっけ? 数年前にも聞いたんだけど。 番組の終わりのほうでやや明るさが戻ってきた。
きょう覚えたこと:
r の発音の際には
「舌の先は下の歯の裏に付けておきます
」。
宙に浮かせておくのだと思っていたので驚いた。
驚いたものだから、
聞き間違えて「上の歯の裏」に付けて発音しようとしてうまくゆかず、
あせった。
きょう気づいたこと: 語末の子音字の説明のところで、 「多くの場合」を「おおくのばわい」と発音しておられた。 おそらく、「ばーい」となるのを避けようとしてそうなったもの。 《西垣知佳子先生> 「永遠」のまん中に glottal stop を置いて発音していた》 と似たケースか。
相手の女性が既婚か未婚かわからないときは madame で呼びかけよ、 と言っておられた。これは昔からよく聞いたことだ。 では、相手が男性か女性かわからないときは?
アルファベの説明で、 「英語と同じ 26 文字です。 でも読み方は同じではないんですね」と言っておられた。 ここでいう「読み方」はもちろん「字母の名称」のことである。 一方、テキストには「綴り字の読み方」のコーナーがあって、 こちらは綴り字と発音の関係をまとめたもの。 これと混同しないかなとちょっと心配になったが、 そういったことはすでに別の外国語を学習することで理解している、 と仮定しているのだろう。
テキストの「綴り字の読み方」の中の「語末の子音」は「子音字」のこと。 放送ではそう読んでおられた。
2004-04-06 (2) 03:20:51 +0900
録音したテープは、聞き終えたあと、 上から英語番組を録音したが、最後の部分が残っていた。 いま聞いたら、 「最後に、もう一度きょうの表現を練習しておきましょう」 の直後に 「では最後に、きょうのスキットを *少し* 応用して、発音練習してみましょう」。 これが 40 秒ほど。それから 「初めてのフランス語、いかがでしたか。では、きょうはこのへんで。またあした」。 そのうえでエンディングが 55 秒以上あった。 (ミカエルさんのセリフの書き取りは省略しました。)
2004-09-02 (4) 23:41:10 +0900
十月からの再放送で聞いたのだが、 最後の「初めてのフランス語」の「語」は鼻濁音で発音されていた。 このシリーズでは先生は意図的に鼻濁音を避けているようだったので。
2005-10-10 (1) 02:48:11 +0900
そして、前者はひらがな、後者は漢字書き。 この違いには意味があるのだろうか。単なる不統一のような気がする。
2004-04-05 (1) 19:57:47 +0900
2月27日づけ朝日新聞大阪本社版まん中の
《公開シンポジウム「未知への探求―脳科学最前線」》で
《キリスト教の霊魂の不滅の世界観を、
自然科学的に言い換えたものが近代的自我と言えます
》と発言している。
2004-04-05 (1) 03:00:33 +0900
2003年10月13日づけ大阪本社版社会面
「広島・5人焼死 / 台所付近が火元か」。
《長男飛揚ちゃん(4)
》の
「飛揚」に「ひよう」とカナが振ってあるが、
三文字が均等に並んでいる。
朝日新聞の規則では、「飛」に「ひ」、
「揚」に「よう」と振るのではなかったか。
……と思ったがよく見たら、振りがなの「よ」が小さい。
「ひよう」ちゃんではなく「ひょう」ちゃんなのである。
この読み方だと、どの漢字をどう読むと言えないので、
《飛鳥ちゃん(1)
》の振りがな「あすか」と同じく、
漢字二文字にカナ三文字を均等に振るのが朝日新聞のやり方となる。
2004-04-05 (1) 02:59:21 +0900
2003年10月12日づけ大阪本社版のトップ記事にもなっているが、 そこでは振りがなはついていない。 この時点では普通に「ひようちゃん」と読むと思われていたのではあるまいか。
2004-12-23 (4) 21:23:30 +0900
主語は前節の「神」であり、 「あらわす」に使役の助動詞「せる」がついたものなのでこれで正しいのだが、 いま流行の「読まさせた」と形が似ているので「おやっ」と思ってしまった。
2004-04-05 (1) 02:38:27 +0900
3月30日づけ大阪本社版「ほがらか」面、
『田辺聖子さん「残花亭日暦」出版』。
《直木賞の選考委員としての仕事や講演旅行、
新聞の連載をこなす多忙な日々。
その中で川野さんの体にできた腫瘍が転移して、
いつ急変してもおかしくない状況だと医師に告げられた
》と読んで、
「そんな多忙な田辺聖子氏に夫の腫瘍が転移したのか」と理解したものだから、
「転移って他の人に移る場合も使ったっけ?」と思ってしまった。
しかし次を読むと
《川野さんは、みるみるうちにやせていく
》
とあるので、転移したのも川野さんの体なのであろう。
「田中京子」と署名あり。 Tコードでは最も基本的な、 「右手→左手」打ちで打てる漢字ばかりの名前だ。
付) 私なら、「その中で川野さんは腫瘍が転移して」と書く。 「以前にできた腫瘍が」などとすることもできると思う。
2004-04-05 (1) 02:33:11 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社版第一面「山崎拓氏、北朝鮮と接触」。
《政府の大臣政務官規範によると、
政務官が出国する場合、担当相の許可が必要だが、
平沢氏は許可を得ていなかった
》とある。
出入国時には調べがあるはずだが、
そこで発覚しなかったのだろうか。
指名手配されていれば、国外逃亡しようとしてもつかまるはずだ。
2004-04-05 (1) 02:20:52 +0900
くす玉割りを運動会でやった幼稚園児とか。
2004-04-05 (1) 02:13:50 +0900
人名。
2004-04-05 (1) 02:12:00 +0900
昨日は兼六園のサクラが満開だった。 閏二月ではあるが、二月十五日でもあったので、 西行の歌を思い出した。
ところで、今週の金曜日が聖金曜日。 そこでタイトル行のようなことを考えてみた。
2004-04-05 (1) 01:40:58 +0900
コンピュータウイルスを作ったりまいたりするのは絶対にしてはいけないことだが、 「考えられることは何でも考えてみる」というのが私のポリシーなので、 MS-DOS の時代に、バッチファイルに感染するウイルスは作れないものか、 と考えかけたことがある。 バッチからバッチへと感染してゆくのである。
そのバッチから起動してよいのは MS-DOS に標準的に付属しているプログラムのみ。
2004-04-05 (1) 00:16:59 +0900
昨年十月 15, 16 日放送分の「英語リスニング入門」。 Listen Carefully で「これらを確認するつもりで、 ニュースを通して聞きましょう」とおっしゃっておられるのだが、 「つもりで」のあとでのあとに「TeX」の X のような音が聞こえる。
前にも 《西垣知佳子先生>「〜のようですね」 の「ね」が「ねぇ」と長いのが特徴》で似た現象を観察した。
2004-04-04 (0) 23:44:41 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社版第一面下の「正論」(産經新聞社)の広告に
「年間予約購読受付中!
」とあるのだが、
その次に「何月号から明記しハガキを
」とあるのは、
何のことだろう? 「何月号からかを明記しハガキを」あるいは
「『○月号から』と明記しハガキを」の意味?
2004-04-04 (0) 02:21:43 +0900
あまり教養があるようには思われない会話を聞くとはなしに聞いていると、 “直接話法”が多いような気がする。 「誰それにこれこれと言われた」と言えばいいところを、 「誰それがこう言った、『***』」というふうに言うのである。 しかも、『***』のところは、実際に話した人の口調をまねていたりする。
だから“直接話法”はいかん、というわけではもちろんない。 ただ、“間接話法”の練習もしておかないといけないと思うのだ。
これとは少し違うのだが、最近、プロ野球の中継で聞いていると、 「**選手が**のような動作をした」とでも言うべきところを、 口調をまねて「『〜〜』と言わんばかりの」などと説明するアナウンサがいる。
2004-04-04 (0) 02:14:22 +0900
…って推理小説はどうかな。 「どうせフィクションなんだからどうでもいいだろ」 「そこまでが録画・録音されているんだから、そこまでを楽しめばいいだろ」 というやつをどう説得して最後まで推理するかが問題だ。
2004-04-04 (0) 02:11:26 +0900
冒頭、
1966 年放送時のオリジナル吹き替え版のため 音声が聞き取りにくい部分があります ご了承くださいと出た。 もしかして 現在では使わない単語を使っているためそこが無音になっているのか、 と思ったが、そうではなかった。 確かに、初めのほうは音が劣化している。
1号のスコットが基地へ「到着予定時刻はあと三分です」と報告するところ。 彼は腕時計を見ているが、なんのため? 計算尺として利用した、 と考えられなくもないが。
ロープで子どもを引き上げているのがスコットだと思わせておいて、 それも子どもだった、と視聴者を驚かす演出。 ムックでストーリーは読んでいたが、私もだまされた。
子どものおもちゃ(?)のトランシーバまで5号に聞こえるのだとすると、 やかましくてしかたがないだろうな、ジョンは。
あんな田舎の子どもまでが正確に隊員服をまねている。 スコットたちの「写真を撮らないように」という口ぐせまで。
子どもたちは一人で一人を救出できるのに、 「恐怖のモノレール」 では1号のスコットは2号がくるまで四人に何もできなかった。 これはちょっと皮肉だ。
スコットが現場についたのは夕方。 そして、父親も交えて話すシーンの前に、 夜の家が映る。 そして、1号で彼らを基地に連れてくるため離陸するシーンはまた昼間だ。 スコットはあの家で一泊した? 「こうしている間に本当の救助連絡がはいったら」 などと言っていた割には呑気だね。
1号のどこにどうやって二人の子どもを乗せたかは描かれない。
基地を訪れた子どもたちが蝶ネクタイまでつけて正装しているのが楽しい。
アランが子どもたちに見せる3号。 「3」の文字が縦に書いてある。 「にせ者にご注意」 の回に、どれも横向きに書いてあったのと矛盾する。 実は子どもたちに見せるためのダミー、という説はないのか。
1号はあまりに速く飛ぶ。 よって、腹時計と、秘密基地での太陽の位置・動きから、 基地の緯度・経度がわかってしまわないだろうか。 子どもたちの手首は上着に隠れていて、 腕時計の有無は見えない。 (あとで鉱山へ行く直前にはしているのが映る。)
2号にバージル以外が乗り込むためのエレベーター(?) に子どもたちが乗っているシーンがあるのは楽しい。
子どもたちを送り返す2号は、2番ポッドの左、 すなわち3番ポッドをつけていたように見える。 ただし、発進シーンは同一フィルムの流用のようであるから、 正確なことはわからない。
2号の発進直前に子どもたちは目隠しをしているが、 ここでは不要では。飛びたったあと、 ほかの島などが見えてくる前にしてもらえばいい。
家に帰った子どもたちが新聞を読むシーン。 右奥に地球儀があるが、南北は逆転していない。 (同じく子どもが登場する 「秘密作戦命令」(後編) では南北が逆転した地球儀が出た。)
フッドが新聞を読んでいるのには笑ってしまった。 あそこまで誰が配達しているのだ? それに、彼の超能力をもってすれば、 新聞紙そのものを入手しなくても読めるのでは。
ウィリアムスは、実は軍の秘密の任務についていた。 ああいう仕事は、独身者にやらせるべきだよな……。
フッドの顔がモニターいっぱいに映るシーン。 かなり不気味。 本当に催眠術にかかってしまいそうで。 どうやってあのときだけアップになったのかは不明。
鉱山に閉じ込められた子どもたちからジョンが連絡を受けると、 基地が映り、テーマ曲が勇ましく流れる。 しかし、ジェフたちはいたずらだと思い、とりあわない。 ここの音楽はフェイントなのであろう。
その基地での会話の中で、 バージルは「ジョンもジョンだ」と言っていたが、 この吹き替えは最初の放送時のもので、当時はバージルが次男、 ジョンが三男という設定になっていたためである。 (「恐怖のモノレール」で5号のジョンが基地に連絡するとき、 原語版では「Scott!」と呼びかけているところが吹き替えでは 「兄さん!」になっていた。 つまり、吹き替えでは年長者を呼ぶときは「兄さん」 と呼ぶ約束になっていたと思われる。)
あの子どもたちが二人一緒に救助を求めてきたのだから、 子どもたちの遊びではありえない。 それに気がつかなかったのはジョンの失敗である。
フッドが壁を破って暗室内にはいってくる。 名前を呼ばれたウィリアムスが振り返ると、 フッドの催眠術にかかって倒れてしまう。 あそこで顔の前に鏡をつけていたら、というネタは前に書いたっけ。
スコットは、ウィリアムスの救出よりも写真を持って逃げたフッドの追跡を優先する。 ちょっと変。
バージルとアランは炭坑の中にはいって子どもたちの救出に向かうが、 ヘルメットも制帽も着用していない。いかんな。
二人はロープで吊られ、縦穴に降りて行く。 股間にも黒いベルトが二本通り、腰の両脇に一本ずつ回されているが、 ここで注目すべきは、アランの右腰のベルトである。 最初に穴に降りるときは制服のたすきの下を通っている。 しかし、縦穴を降りるアランがアップで映るときは、 たすきの上を通っているのである! ここで人形が変わったのかもしれない。 バージルは一貫して下である。
最後、 柱か何かをアランが持ち上げてその下にはさまれていた子どもたちを助け出すが、 何も道具を使わない! 素手! 実在の消防隊などだったら、 こういう場合、何を持って行くだろう?
木にひっかかったフッドが落ちるところ。 後ろの岩の模様がゆれる。 壁紙のようなものを使って撮影した?
最後。ウィリアムスは、子どもたちの目の前で写真を確認している。 いいのか。軍の機密だろ?
付) あの人工衛星は地上の写真を撮っていたようだが、 国際救助隊は映像では地上をモニターしないのだろうか。 救助連絡を待っているだけよりもそのほうがいいと思うのだが。 例えば、発展途上国で洪水などの自然災害が発生した場合、 必ずしも無線で救助を求めてこられるとは限らないだろう。
付) 偽装された基地 --- すなわち、平凡なトレーシー家 --- は公開されており、友だちが遊びにくることもある。 今回は基地の様子やメンバーの素顔を知られてしまったわけで、 この二つの情報が合わさると秘密がもれるかも知れないのだが、 細かいことを言うのはやめよう。
付) ジェフは人類初の月面着陸者の一人であり、 アランはオートレーサー、ゴードンはオリンピックで優勝したこともある、 という設定である。 なのに、子どもたちは彼らの顔を知らない?
付) バージルとアランは2号で出かけたが、 2号で運ぶような大がかりな装置は使われない。 1号に三人と空中バイク三台が乗せられるなら、 1号でみんな一緒に行くほうがより早く救助活動を始められたはずだ。
2004-04-04 (0) 02:09:51 +0900
最後のおまけエピソードでごみために突っ込んでしまうスコット。 人間の役者ならシャワーを浴びてから帰ってもらえばいいが、 人形はどうしていたのだろう?
録画したビデオテープは見終わったら次のを録画しているが、 このシーンだけ残っていたのを目にして、ふと。
2004-05-02 (0) 16:32:42 +0900
鉄腕アトムの最終回を見て気づいたのだが、 古くなったロボットやコンピュータを廃棄する際、 “葬儀”や“供養”が行なわれている、という話は聞いたことがない。
しかし、日本には「針供養」などの行事があるではないか。
2004-04-03 (6) 22:40:05 +0900
ある方がメールでパソコン供養をやっているお寺を教えてくださいました。
2004-04-05 (1) 23:40:06 +0900
金沢ではきょう18時からの放送が最終回だった。 あまりすっきりした話がなく、重苦しいシリーズだった。
最終回になって初めて、アトム誕生に関する秘密が明かされる。
2004-04-03 (6) 22:34:59 +0900
昔、どこかで読むか聞くかした覚えがある。 木が花でおおわれていると「あ、満開だ」と思ってしまうのだが、 本当に何分咲きかは花とつぼみをよく数えてみないとわからない。 そして、満開と思ったときも、たいていはまだまだつぼみがあるのである。 真の満開のときには「散りはじめ」と感じるものらしい。
木曜日に兼六園へ行ったところ「満開ね」と言っている人が多かったが、 まだまだつぼみもあった。 新聞では「5分咲き」。
2004-04-03 (6) 16:15:36 +0900
アナウンサーが 「6-4-3 と渡って一瞬にしてダブルプレイ!」と言うことがあるが、 実際は先に一塁走者がアウトになり、それから打者走者がアウトである。
そこでタイトル行のように考えてみたのだが、 一死、走者一塁で、一塁手がベースを踏んだ状態でライナーをとればなるか、 な?
2004-04-03 (6) 14:53:43 +0900
「か、な」と書いたのは、
2004-04-18 (0) 11:26:39 +0900
…という演出を想像してみたことがある。
最後は、原作では岩の上から海へゼンタが飛び降りるシーンだが、 そこでの車椅子は前のシーンのとは別で、 下にレールが切ってあってそこだけを動くようになっている。 ゼンタは客席のほうを向いたまま、 車椅子をバックさせ車椅子ごとあお向けに海へ飛び込んだように観客には見えるが、 実は車椅子はセットの岩の裏にくっついたまま。 ゼンタは歌舞伎の背ギバの要領でスタッフが布でかかえて受け止める。
車椅子ごと飛び込んだら観客は驚くのではないか、と思っただけ。 車椅子に乗って落ちるのは危ないかな?
2004-04-03 (6) 01:41:46 +0900
……つけ始めてみた。 現在、新規に書く項目にはつけているが、これがはじまったのは 「その82」の最後の 《今後は各項目に <a name="..."></a> がつきます》から。 そこに、おまけとして、次のように書いた。
ついでに、タイムスタンプ 「2004-03-04 (4) 18:39:59 +0900」を入力すると上の 「<a name="20040304093959"></a>」 を出力するプログラムも書いた。 すでに書いた項目にリンクをはる際に利用するためである。
いまごろになってやっと気がついたのだが、 このプログラムは入力行がこの形かどうかを(それなりに) しっかりとチェックするので、この形でない行に対しては何も出力しない。 だから、手元の .html ファイルを入力リダイレクトして読み込ませれば、 タグだけがずらずらっと出力される。 これを手作業でマージすればよいのだった。 マージは後ろから行ない、「分」「秒」だけをしっかり確認し、 「時」はざっと見ていれば大丈夫そうである。 とりあえず、「その82」「その81」にはつけてしまった。 ファイル一つにつき、二十分ぐらいでできそうだ。 長くやっていると手と目が疲れるので、 気が向いたときに少しずつ進めよう。 (つけたあと、Vz のファイル比較機能で誤編集がないことを確認しているのは言うまでもない。)
そうだ、マージまで自動的にやらせようとしたから、 プログラム作成に手間がかかりそうでめげていたのだったっけ。
2004-04-03 (6) 01:22:52 +0900
私はインターネットにおいては誰でも自由にリンクを張れるものと考えているので、 当然、「リンクはご自由にお張りください」としているが、 そうやってリンクを張って私のページを批判しているページがもしも “リンク禁止”だった場合、私が再反論できないのは奇妙な気もする。
そこで仮に考えてみたのがタイトル行のようなリンク条件である。 これ以外には条件は一切つけない。
なお、「ここより真に強いリンク条件のページからはリンク不可」 という条件はこれよりも弱い。 比較不能なページに許可を与えているからである。
付)GNU の再配布条件がこれと似ていたが、 あれは判断に迷うことがときどきあったっけ。
2004-04-03 (6) 00:27:00 +0900
なんとなく音が似ている。 「カデンツを挿入せず次へ進め」という「皇帝」第一楽章の注意を 「乾電池を〜」と誤読するとか。
2004-04-02 (5) 23:55:23 +0900
球を打ち出す前に台をゆらして TILT になればよい。 自動的に球が打ち出され、全く得点にならずに落ちてゆく。 これを三回くり返せば、確実に 0 点が取れる。
コリントゲームで低い得点を争うのは結構むずかしかったのだが。
2004-04-02 (5) 23:26:07 +0900
きょうの読売−阪神で、 阪神のキンケード選手が攻撃中に退場となり、 次の回の守備が始まるときにこのようなアナウンスが流れた。
2004-04-02 (5) 23:24:22 +0900
なんだか最近、鼻濁音が多すぎて気になる。
2004-04-02 (5) 23:22:40 +0900
あると思うんだけど。
私は「ウルトラマン」「ウルトラセブン」を本放送で見て育ち、 「帰ってきた〜」を見てがっかりした世代である。 少し下の、「帰ってきた〜」以降を見て育った世代の中に、 「科学特捜隊やウルトラ警備隊の隊員は怪獣を見るとなぜか一目で名前がわかる」 と揶揄する人たちがいるようだ。 雑誌「ぴあ」のはみだしで読んだ記憶がある。
実際は、そんなことはなかったはずだ。 ベムラーはウルトラマンがハヤタに教えた名前だし、 バルタン星人は自分から名乗る。 ネロンガはネロンガ菌というのがあってそれが怪獣になったという設定、 ラゴンはウルトラQに登場済みの怪獣で、隊員たちは前から知っていた……。 こういったことをまとめたページ。
付)言うまでもないが、これと、怪獣のネーミングの由来とは (一般には)全く異なる。
2004-04-02 (5) 23:19:15 +0900
…になってきた。
今もあるのかどうか知らないが、1980 年ごろ、「ぴあ」という雑誌があった。 首都圏の映画などの情報を掲載していたのだが、 各ページのへりに載る、読者からの一行投稿がまたおもしろかった。 その中に、「哲学者はどうやって生計を立てているのだろう?」 というようなのがあったのを記憶している。 投稿した人は、 「学者は発明を売って生活している」とカン違いしていたのだろう。 “それじゃ数学者だって食っていけないよ” と当時は微笑したのだが、(未完)
2004-04-02 (5) 23:08:31 +0900
名川は人名。
2004-04-02 (5) 19:16:28 +0900
某国の警察がサイケ調の制服を導入した、というような状況。
2004-04-02 (5) 19:14:36 +0900
これはすでに言われているであろう。
2004-04-02 (5) 19:13:37 +0900
ベルクは人名。後半はちょっとなまっている。
2004-04-02 (5) 19:11:35 +0900
ウジヤについてはイザヤ書冒頭などを参照。
2004-04-02 (5) 19:10:18 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 19:07:38 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 19:06:13 +0900
訓練に関連した句、の意。
2004-04-02 (5) 19:04:38 +0900
「訓練区」(くんれんく)、「訓練連句」(くんれんれんく)ともできる。
2004-05-11 (2) 21:54:40 +0900
草野は人名。
2004-04-02 (5) 19:02:56 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 19:02:00 +0900
ほかに「納戸マドンナ」「何℃? マドンナ!」なども考えられる。
2004-04-18 (0) 11:13:54 +0900
「新世界」とくれば「家路」である。
2004-04-02 (5) 18:58:38 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 18:57:26 +0900
「宇都田」は人名。
2004-04-02 (5) 18:55:39 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 18:54:20 +0900
思いつくたび携帯電話にメモしていた。 それらをいまやっとここに書き終えたところ。
付)すのものの「いろいろ(成人向け)」にも一つ書きました。 おとなの方はよろしかったらどうぞ。
2004-04-02 (5) 03:20:39 +0900
先日、いかりや長介氏が亡くなり、 「8時だヨ! 全員集合」について新聞に載ったりテレビで語られたりしていたが、 あのギャグをいかりや氏が自分で考えていた、というのは知らなかった。 別に作者がいるのだと思っていたのだ。
同番組では最後に舞台上の建物が崩れてしまう、 いわゆる屋台崩しがときどき見られた。 それで思い出したのだが、以前、 「ジークフリート」第一幕幕切れで、 ジークフリートがノートゥングを振りおろすと金床がまっぷたつになる、 とト書きにあるが、それだけでなく、床・壁が二つに割れ、 柱が倒れて、ミーメの家が完全に崩れてしまう、としたらおもしろいのではないか、 と考えたのだった。
2004-04-02 (5) 03:01:27 +0900
意味はない。 子どものころ、なんでも反対に言ってみるのが好きだったもので。
2004-04-02 (5) 03:00:13 +0900
確か、大相撲で、朝青龍が来場所初めも勝ったら連勝記録で誰それを抜く、 というような話を千秋楽にNHKテレビのアナウンサがしたときに使っていた。
よく聞くのは、プロ野球で、 「あそこで一本ヒットが出ていたらなあ」と過去のことを悔やむ使い方だ。
2004-04-02 (5) 02:57:44 +0900
…のは私だけではないはずだ。 もしも優勝決定戦でともえ戦になれば実現するところだった。
2004-04-02 (5) 02:56:09 +0900
…「不死身、死なない」。
2004-04-02 (5) 02:53:57 +0900
新聞の俳句欄に入選して掲載されたが、 類句があって取り消しになった、という人のセリフ。
2004-04-02 (5) 02:49:42 +0900
カナで書けば「たったこおにいこうこいにおこたった」。
2004-04-02 (5) 02:48:22 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 02:47:39 +0900
討ち入り・切腹のあと、 小浪が再婚を勧められたら「妾の夫は力弥きり」などと言うのではないか、 と想像してみたもの。 仮名手本忠臣蔵の九段目「山科閑居」参照。
2004-04-02 (5) 02:45:27 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 02:36:56 +0900
いま風なウナギか。 そもそも「ナウ」がもはや死語。
2004-04-02 (5) 02:35:21 +0900
金森は人名。そんな最中がないものかな、と。
2004-04-02 (5) 02:33:56 +0900
そんな地名はないものかな、と。
2004-04-02 (5) 02:32:41 +0900
ジムリについては列王紀上第 16 章参照。 なお、この回文に意味はない。
2004-04-02 (5) 02:31:05 +0900
本文ナシ
2004-04-02 (5) 02:26:20 +0900
……なったのを久しぶりに思い出したのは、 新聞で“小学校の英語教育は簡単なあいさつやゲームなどが多い” と読んだからだ。
教科書の本文は 「This is a pen.」から始まっていたが、 その前におまけとして英語のあいさつがついていた。 ある先生はそこから授業を始められた。 先生が読んで、「はい、じゃみんな一緒に!」と言われてくり返すのだが、 私には全くわからない。 あとから思えば簡単な英語ばかりなのだが。 クラスメートはみんなわかっているようで、不安がつのるばかりだった。
あれが続いたら英語嫌いになっただろうな。
2004-04-02 (5) 02:21:34 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 21:31:12 +0900
人名。
2004-04-01 (4) 21:29:45 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 21:28:42 +0900
石中は人名。
2004-04-01 (4) 21:27:42 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 21:26:20 +0900
係員三人が手をつなぎ三角形を作って監査を行なう。 その三角形に上司が「行けっ!」と指示を出しているのである。
2004-04-01 (4) 21:25:30 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 21:23:16 +0900
意味? 自分で考えてくれ。
2004-04-01 (4) 21:22:20 +0900
「新井田恵美」は人名。 「三重大」はもちろん「三重大学」の略称。
2004-04-01 (4) 21:19:21 +0900
「池戸」は人名。
2004-04-01 (4) 21:18:17 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 21:16:50 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 20:40:03 +0900
これは「小池恵子」(こいけけいこ)と同じく、 とっくに言われているであろう。
2004-04-01 (4) 19:29:53 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 19:27:08 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 19:25:53 +0900
「牧田」は人名。ここでは「まきだ」と濁って読む。 牧田氏が「抱き枕、楽」というメッセージを残し、 そこに署名を添えたのである。
2004-04-01 (4) 19:24:22 +0900
本文ナシ
2004-04-01 (4) 19:22:44 +0900
ほかに「和田だわ」(わだだわ)「伊田だい」(いだだい)など。
2004-04-01 (4) 19:20:20 +0900
「こち亀」ネタ。銀次は両津勘吉の父親の名前である。
2004-04-01 (4) 19:13:47 +0900
私は教師をしているので、 私が日常の業務として行なうもっとも重大な判断は、 自分の担当する授業において「この学生に単位を与えるかどうか」である。 その学生にどれだけの学力があるかは、本当のことを言えばわからない。 私から不可を食らった学生が、後に大学者になることがないとは言えない。 しかし、だからと言って、 適当に成績をつけておいて「あとは歴史が判断してくれる」ということは許されまい。
2004-04-01 (4) 19:05:57 +0900
26日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「特派員メモ」は昭和基地の武田剛記者で、
タイトルは「カギのない生活」。
ここでは物が盗まれることは考えられない、という話なのだが、
《基地内の電子メールサーバーも、その気になれば、
簡単に人の私信をのぞけるが、誰もそんなことはしない
》
とあるのを読んで、なんだか違うような気がした。
どこが、と聞かれると困るのだが。
2004-04-01 (4) 02:33:50 +0900
こういうものが実在するかどうかはしらない。
2004-04-01 (4) 02:27:12 +0900
「そ」がつくかつかないかだけの違いなので、 「きょうは粗大ゴミの日」というのを聞きなれている子どもが 「醍醐味」と聞いて「〜ゴミ」を連想するのはありえないことではないと思う。
2004-04-01 (4) 02:25:46 +0900
大リーグの試合をテレビで見ていて思いついた。
2004-04-01 (4) 02:22:25 +0900
残り | ----+----1----+----2----+----3----+----4----+----5--- | ||
2002 年 | 十一月末 | 425 | ******************************************* |
十二月末 | 443 | ******************************************** | |
2003 年 | 一月末 | 450 | ********************************************* |
二月末 | 456 | ********************************************** | |
三月末 | 467 | *********************************************** | |
四月末 | 451 | ********************************************* | |
五月末 | 468 | *********************************************** | |
六月末 | 472 | *********************************************** | |
七月末 | 484 | ************************************************ | |
八月末 | 492 | ************************************************* | |
九月末 | 497 | ************************************************** | |
十月末 | 518 | **************************************************** | |
十一月末 | 532 | ***************************************************** | |
十二月末 | 522 | **************************************************** | |
2004 年 | 一月末 | 509 | *************************************************** |
二月末 | 511 | *************************************************** | |
三月末 | 507 | *************************************************** | |
残り | ----+----1----+----2----+----3----+----4----+----5--- |
※ 残りがゼロになるまで、月末ごとに掲載する予定です。
2004-04-01 (4) 02:20:06 +0900
25日づけ大阪本社版。オランダの前女王の逝去に関連した内容である。
《暗い運命を暗示するのが、
ワーグナーのオペラで知られる「さまよえるオランダ人」だろう。
神を呪ったため、永遠の航海を科せられた幽霊船伝説である
》
とあるが、なんだか変な気がした。
実は「さまよえるオランダ人」はほとんど歌詞を読んでいないので、
あわててショルティ盤CDの渡辺護の訳を斜め読みした。
オランダ人は自分がさまよい続けている理由を説明していないようだ。
それはゼンタのバラードで説明される。
ひどい嵐の中、ある岬を回ろうとし、
«In Ewigkeit lass' ich nicht ab!
»
と口にしたのを悪魔に聞かれたのである。
(私の記憶の片すみにあったのは
「この世の終わりまでかかろうとも、この岬を回りきってみせる」
と言った、というのだったが……。)
ただし、このオペラの元になった伝説では、オランダ人は神を呪ったらしい。 そのことを言っていると思えば、間違ってはいないのかもしれないが。
2004-04-01 (4) 02:14:50 +0900
30日づけ大阪本社版社会面「目標:世界のKYODAI / 京大 国際紙に広告」。
《外国人の目を引くため英文をすべて縦書きにした。
キャッチコピーは
「We,re Turning Higher Education On Its Ear」
(我々は高等教育を一新しようとしている)
》とある。
記事は縦書きで
W e , r eのように見える。 インターネット版 --- 横書き --- でもカンマが使われていることを確認した。 そこには広告の写真もあったが、小さすぎて字は見えない。
《朝日新聞> 「E ,S PLAN」でホントに「イーズプラン」って読むの?》参照。 ただし、それと異なり、この記事では文字の中央にカンマがある。
2004-03-31 (3) 03:32:56 +0900
付)上では「小さすぎて字は見えない」と書いたが、 拡大するとかろうじて読める。 アポストロフの代わりに何かがあるようだが、よくはわからない。
2004-04-01 (4) 21:10:48 +0900
30日大阪本社版第一面「京都府警 捜査書類、ネット流出」に
《巡査のパソコンが「Winnyウイルス」
というWinny使用者が感染するウイルスに感染し、
流出した可能性が高い
》とあり。
人間と PC の両者に感染しつつ広まるウイルスか!?
付)
社会面の関係記事には
《府警の内部規定は私物のパソコンを公務に使う場合、
個人情報などが入ったデータを保存するときはハードディスクに保存せず、
フロッピーディスクに保存するよう定めている
》とあるが、
いまの Windows ってディスクスワップしたりしないんだっけ?
2004-03-31 (3) 03:16:08 +0900
「大地の歌」(カラヤン)、 それから急に聴きたくなってベートーベンの第四交響曲(スウィトナー)。
なんだかものすごく久しぶりだ。 CDを変えるのもめんどう、と思って滝の音のCDをずっといれっぱなしだった。
2004-03-31 (3) 03:02:23 +0900
きのう、職場からの帰り、サイゼリヤに寄ったら、メニューが新しくなっていた。 消費税込みの金額がつけ加わっただけかと思ったら、 一部の商品は値上がりしていた。 ドリンクバーは、私が 《サイゼリヤ> ドリンクバーのみの利用は高くしたら、と思っていたが……。》 に書いたようになっており、 混雑時のドリンクバーのみのご利用はお断りすることがあります、 という断り書きも残っていた。 ちょっと変だ。 (断られそうになったら適当なものを合わせてとってそれは残せばよいから。)
値上がりしていたものの、 ××遅れの×××××ということでいろいろ飲み食いしたのだった。 (プライバシー保護のため一部をマスクしています。)
2004-03-30 (2) 22:08:01 +0900
「ヨブ記 箴言」が 26 日に刊行され、完結した。 家がちらかっていて第一回配本の「創世記」はすぐに取り出せないが、 「新約聖書 福音書」にはいっていた広告によると 1997 年三月が刊行開始だった。 この四月に大学にはいってくる学生が小学校 6 年生になった年か……。 月日のたつのははやいものだ。
ヨブ記は注も解説も詳しく、後者は 50 ページ以上に及ぶ。 楽しみに読もう。
2004-03-30 (2) 22:01:05 +0900
「すでに*敗していますので優勝の権利はありません」 のような言い方。 別に「権利」じゃないと思うけど。
2004-03-30 (2) 21:20:00 +0900
massangeana 氏の「いろいろ」で見たのだが、 Dvorak を改良し、ヨーロッパ共通のキー配列をめざすページがあるそうだ。 英語以外の言語の初歩で字母を習うと、 「外来語にのみ用いられる」というコメントのついた字母に出会うことが多い。 そういう字母の出現頻度はかなり低くなる。 そして、そのような字母は言語によって異なっている。 だから、 あるキー配列が存在して全ての言語に対しベストであるとは思えないのだが、 実際の言語を離れて、理屈で、もう少し考えてみよう。
同一キーの「Qwerty 配列での文字」に「Dvorak 配列での文字」 を対応させる写像を f と書くことにする。 たとえば f(a) = a, f(s) = o, f(d) = e, などとなる。 英文の各文字をこの f で写した文字列を考えよう。 例えば「This is a pen.」は「Ydco co a l.bv」となる。 もしも、 このように英文を f で写した文字列ばかりが現れる言語があったと仮定しよう。 (Qwerty と Dvorak とではカンマなどの位置も違うので、 このように途中にピリオドが現れ、最後にピリオドがつかなくなってしまうのだが、 この点については目をつぶることにする。)
この文字列を Dvorak で打つには、 Qwerty でいえば「This is a pen.」のキーを打つことになる。 英文を打つには Qwerty よりも Dvorak が優れているのだから、 この言語には Dvorak よりも別の配列のほうが優れていることになる。 「This is a pen.」を Dvorak で打つには、 Qwerty で言えば「Kjg; g; a rdle」と打つことになる。 だから、こう打って「Ydco co a l.bv」が入力される配列は Dvorak よりも効率がよいことになる。 f(t) = y, f(k) = t などから考えて、 それはいわば Dvorak2 配列である。
……と考えてみたのだが、もっとすっと言えそうなものだ。
こう考えればいいのか。 ある人が、ある言語を Dvorak 配列で打ち込んでいるところを手元だけ見ていると、 Qwerty で英語を打っているように見えるとする。---
付) f による「軌道」は次のようになる。
付)母音字がホームポジションにあるという点で、多くの言語に対し Dvorak は Qwerty よりも優れていると思う。
付)複数のキー配列を使うと混乱する人と、そうでもない人とがあるそうだ。
2004-03-30 (2) 21:17:46 +0900
本文ナシ
2004-03-30 (2) 20:35:29 +0900
この二つを一緒に使う料理ってあるだろうか?
2004-03-30 (2) 20:33:44 +0900
「かほく」は最近できた石川県内の市の名前。
2004-03-30 (2) 20:33:27 +0900
ここは鼻濁音にはならないと思うが。
2004-03-30 (2) 20:29:06 +0900
《私の Dvorak 配列歴について》 にも書いたが、私の FEP の Dvorak はアルファベットとセミコロン、 カンマ、ピリオド、スラッシュの全部で 30 のキーだけの配置を変えたものである。 これが canonical なものかどうかはわからないが、それはともかく、 これで </p> と打とうとすると、 Qwerty では WqrE と打つことになり、ちょっと指がもつれそうになる。
2004-03-30 (2) 20:27:29 +0900
私が子どものころはすでに小型のカメラが普及していた。 観光旅行のときはそれを持っていって写真をとってくる。 一方、絵はがきは、旅先からはがきを出すとき、 普通のはがきじゃつまらないから使うもの、と思っていた。
大人になってから、昔の絵はがきには別の意義があったことを知った。 それは、カメラを持ってゆけない旅行者が、あとで 「こんなところを見たんだ」と思い出すために買ってくるもの、 という意義である。
いま、この用途に、インターネットが使える。 帰ってから、検索エンジンで行ってきた観光地の名前を検索する。 すると、プロ・アマを問わず、多くの人が写真を置いているので、 それを見る、あるいはダウンロードするのである。
2004-03-30 (2) 20:24:17 +0900
ラジオの野球中継を聞いていると、 やたらに絶叫するアナウンサーがいる。 野球というゲームの性格からして、 「何でもないとき」と比べて 「三振をとったとき」「四死球のとき」 「バットにボールが当たったとき」 などに声を張り上げるのはわかりやすくていいと思うのだが、 絶叫はちょっと。
2004-03-30 (2) 20:19:15 +0900
時計における「スケルトン」という用語の意味をきちんと考えてみると、そうなる。 だから、「裏ぶた」は「シースルー」が正しい。
《時計>「スケルトン」と「シースルー」 とは違う》、 《セイコーは「裏ぶたスケルトン」ではなく 「シースルー」としている》参照。
2004-03-30 (2) 20:13:18 +0900
昨年十月 8, 9 日放送分の冒頭。 「第二回目から、 第四回目の、 Listen for Details, one, two, three, では、 ニュースを、 三つのパートに分け、 それぞれのパートで言われている、 事実を、正確に、聞き取る練習をします」 と言っておられる。 このうち、「言われている」と「事実を」 の間にポーズがあるのが西垣先生の特徴だ。 《西垣知佳子先生の話し方の特徴は言いそこないをカバーしようとしないこと?》 参照。
そのあと、サンドラさんが英語で同等のことを言われ、さらに 「Refresh Your Memory」と言われたあとの西垣先生の 「はじめにっ」には、なんだか、ものすごい力がこめられていた。
「今回学習する、ニュースを聞きましょう」も少しポーズがあった。
「もう一度 Part 1 を聞いて解答してみましょう」が「してみましょ」に聞こえる。
付) 英語でなく日本語の書き取りをしてどうするっ!>自分
2004-03-30 (2) 18:34:33 +0900
「fifty million」と聞いたら「五千万」と理解すべきだと考えてきたが、 別にそうできなくても、英語のまま数が理解できればいいわけだ。 「fifty」が「五十」、「million」が「百万」はすっとわかる。 だから、このまま理解すればいいのではないか。
タイトル行に書いたのは英語と日本語のちゃんぽんである。 こんな風に理解するのが正しいかどうかはわからない。
2004-03-30 (2) 17:59:12 +0900
縦書きで、本文は二段組、注は三段組。 注は左ページの左のほうに置かれ、 なるべく見開き2ページ内に収まるよう工夫されている。
各文書の最終ページは、「本文は二等分、注を三等分して組む」 のが原則のようであるが、 本文が 3 行+ 3 行となりそうなときは上段に 6 行組んでしまう、 などの例外が設けられているようで、なかなか複雑である。
付) 実は、これを調べているときに 《聖書「口語訳」 は二段組だが「出エジプト記」のみ最終ページの組み方が違う》 に気づいたのだった。
付) 岩波版では、節番号は算用数字、注の番号は漢数字。 後者は日本聖書協会の口語訳の節番号の書き方と似てしまった。 本文のわきについているのでまぎれはないだろうが。
2004-03-29 (1) 02:17:12 +0900
前の節の終わりから引用すると
《ヤコブは十二人の族長たちの父となった。
族長たちは、ヨセフをねたんで、エジプトに売りとばした
》
(口語訳)となっている。
ヨセフを売りとばした時には彼らはまだ族長とは言えないだろう。
しかし、原文もそうなっていた。これでいいのだ。 私の頭が朝日新聞のおかしな“代名詞”に毒されているか。
2004-03-29 (1) 02:08:24 +0900
…てのはできないかな。 光源の位置を指定して影を描かせる、というのはすでに確立した手法だろう。 その光源を、一つは 12 時間で一周、もう一つは 60 分で一周させるわけだ。
2004-03-29 (1) 02:03:27 +0900
例えば、こんな感じ。
\ / \ / \ / \ / \ / -----------*----------- / \ / \ / \ ○ / \ 个 / \ 人 ----- ---------「*」を中心として六枚の羽根が回転する。 ドアの真下の床は書いてないが、少し窪ませておく必要がある。
2004-03-29 (1) 01:58:01 +0900
本文ナシ
2004-03-29 (1) 01:45:35 +0900
「大カトー」「小カトー」を念頭に置いているのだが。
2004-03-29 (1) 01:44:08 +0900
考えてみただけ。
2004-03-29 (1) 01:40:41 +0900
「同性婚」ではない。 山田太郎さんと山田花子さんが結婚する、というような場合を指す。
2004-03-29 (1) 01:38:52 +0900
そうすれば世界中みんな同姓になって、 結婚改姓しても見た目は変わらない。
この改姓と同時に姓を名の前に付加する改名も行なえば、 フルネームは変わらない。 「山田 太郎」が「 山田太郎」になるように。
2004-03-29 (1) 01:36:41 +0900
生まれたときに親につけてもらった名前を一生使う。 それだけ。 姓がなければ「夫婦同姓」も「夫婦別姓」もない。
2004-03-29 (1) 01:33:38 +0900
ある“秘密結社”(?)からお誘いを受けたが、 会員になるには姓名を登録しなければいけないらしい。 ただし、ペンネームの人もいるそうである。 では、私は Sunomono で参加しようか。 しかし、これでは「姓名」にならない。何かを補って形を整えなければ。 以前、 《「すのものいそぎ Sunomono Isogi」 とフルネーム風に名乗ろうか?》と考えたことがあるが、 その“結社”では姓と名のどちらがよく使われるのか、 聞いてみないとわからない。 「Isogi さん」になってしまっては、私だとわからない人もいるだろう。 そんなことを考えているうちに、他の理由もあって、参加は見送ったのだが、 次のようなことを考えた。
もしも、Sunomono のように一つの名前だけで暮してきた人たちが、 突然、外部の人たちと接触し、姓名を名乗る必要が生じたら、 どうするだろう? 姓のようなものを補うのが現実的な気がするが、 姓で呼ばれることが多くなるのだとすると、 急ごしらえの名前で呼ばれるようで、おもしろくないかもしれない。
そんなことを考えているうち、Sunomono Sunomono のように、 いまの名前を二つ重ねるのがいいような気がしてきた。 ただし、 家族の中でも(一般には)姓が別々になってしまうが。
付) Sunomono Sunomoni ってのはどうかな。 ガリレオ・ガリレイみたいに。
2004-03-29 (1) 01:31:10 +0900
岩波文庫のタイトルがそうなっているのにつられて。
2004-03-29 (1) 01:25:17 +0900