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2025/10/13(Mon) 19:53:29 [ No.10321 ] |
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めったにあり得ない偶然の例えである。この世のことや自分の人生のあれこれに思いをはせてみると「偶然」に左右されたことは意外に多いようだ、どころではない。(中略)微々たる私の人生上の偶然などはどうでもいいが、大きく見れば戦争など、偶然に左右されて、あるいは驚くべき、あるいは戦慄すべき明暗を分ける結果となることがある。
例をあげれば、古いところで桶狭間の戦いである。永禄3年5月19日2000の織田勢は、2万5000人の今川軍の本陣に突入した。時に午後頃である。殆ど時を同じうして、猛烈な雷雨が一帯を襲い、ために今川方は織田軍の接近に気づかず、混乱の中に大将義元は討たれた。 この日、この時刻、もし雷雨がなければ、おそらくこの奇襲は成功しなかったろう。当然、逆に兵数十分の一以下の信長の方が討たれ、従って秀吉の登場する機会はなく、全ての歴史が全く別なものになったであろう。すなわちこの一陣の雷雨は日本の歴史を完全に左右したのである。 近くは太平洋戦争だ。太平洋戦争の原因はいろいろあるけれど、その遠因は、日露戦争に勝ったことにある、と私は考えている。勝った結果として日本が満州に進出したということもあるが、それより大敵のロシアに勝った、という事実そのものが昭和の軍人を神がかり的な冒険に踏み切らせたのである。 当時のロシアは、後年の最盛期のソ連に劣らぬ世界の大国であった。それと戦って日本は奇跡的な勝利を得たのだが、戦争は冬を越している。極寒の満州で、もともと寒さに強く防寒具の用意もあるロシア軍に対して、よくまあ当時の日本軍がまともに戦えたものだ。私は首をひねっていたが、その後知ったところによると、なんとあの明治三十七年から三十八年へかけての冬に限って、満州は稀有な暖冬だったというのである。そのため靴にさえ馴れない日本兵は裸足になって馳駆した、とい記録がある。これが例年通りの寒さであったら、常にロシアに味方するいわゆる「冬将軍」のため、日本の兵隊は凍結して、戦争はどうなったか分からない。 さて、その太平洋戦争だが、その中で明暗を分けた例でたんせいをもたらさざるを得ないのは、例の原爆投下地だ。昭和20年8月6日、原爆を搭載してマリアナ基地を飛び立ったアメリカ空軍のエノラ・ゲイが目標としていたのは、広島だけではなかった。そのほかに小倉と長崎があった。そしてその三地点の気象状態を知るために、その前にそれぞれの地点へ偵察機が飛ばされていた。そしてエノラ・ゲイが四国に近づいたとき、小倉からも長崎からも攻撃可能の報告がもたらされた。が広島への偵察機もまた、漠々と立ち込めた密雲の中に広島の上空だけがぽっかりと穴をあけているのを見つけて、第一、、目標OKの報告を送ってきた。エノラ・ゲイは広島へ直進した。かくて広島の悲劇は現実のものとなったのである。が、この時もし広島上空が一面の雲に閉ざされていたら原爆機は第二目標の小倉に向かたに相違ない。広島上空の雲の穴が、小倉市民何万人かを命拾いさせたのである。いや、それどころではない。ついで8月9日の朝、原爆機第二陣の第一目標は小倉で、第二目標は長崎であった。がこの日北九州一帯は厚い雲に覆われて、攻撃機はニ時間以上も、小倉と長崎へかけて上空をぐるぐる旋回していたのである。然るに11時10分、突如長崎の雲が切れた。その刹那ナガサキの運命は決した。同時に第一目標の小倉はまたしても死神から逃れたのであった。 偶然が運命の明暗を分けた戦火をの例に天象の如何を上げたのは、お天気ばかりは現代でも気象庁があてにならないほど、偶然としか思えない現象だからである。そうそう、そう言えばその最も如実な例があった。例の神風である。 人も知るように蒙古襲来は、文永、弘安の二度に渡ったが、前者は文永11年10月20日の夜、後者は弘安4年閏7月1日の夜の台風によって、蒙古の艦隊は壊滅した。これを今の暦でいうと、それぞれ1274年11月26日、1281年8月23日である。後者はともかく前者の11月26日というのは、普通なら台風の来るべき季節ではない。それが、その文久の役に際し偶然来たのである。だから神風と呼ばれたのだが、この史実がまた太平洋戦争において日本には天佑神助があるという狂信の種の一つになり、いわゆる神風特攻隊の出現を見たのだから、この台風の影響は蒙古襲来のときのみならず、6〜700年後にも及んだのである。 2025/10/13(Mon) 08:49:59 [ No.10320 ] |
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目の中に逆さ睫毛が生えているというので切って貰った。他に異常はなかった。視力は大分落ちているが他には異常なしとのこと。帰宅して遅い昼食(うどん)を食べた。午後は久し振りに離れの二階へ読みたい本を数冊と文芸社から頂いた表彰状、東京国際ブックフェア出品の自著「馬鹿馬鹿しくて腹が立つ」が優秀作品として表彰された賞状を久し振りに眺めた。そうだ、これを明日デイサービスへ持参し、この本をプレゼントした大澤さんに見せよう。
2025/10/10(Fri) 21:44:06 [ No.10319 ] |
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18世紀末以来ドニエプル川流域及び南ウクライナのステップ地帯が一部の貴族、資産家などにより組織的かつ大規模に開拓され、専ら輸出を目的としたアグロ(農業)ビジネスとして開発された結果である。ステップ地帯はそれまで耕作者がいなかったため広大な土地の取得が安く簡単にでき、しかも土壌は肥えていたし、積み出し港にも近かった。19世紀はじめにはステップ地帯で80万ヘクタールの農地があったが1860年代に600万ヘクタール増加した。こうしてこの地域はロシア帝国最重要の穀物生産地になった。帝国の最大の作物である小麦については1812年から59年の間にロシアの小麦輸出の75%はウクライナから輸出された。玉蜀黍の84%、ライ麦の75%がウクライナから輸出された。又世界の穀物生産の見地からもウクライナは重要な地位を占め1909〜13年の間、全世界の大麦の43%、小麦の20%、玉蜀黍の10%はウクライナで生産された。穀物ではないが換金作物として大きな経済的意味を持ったのが砂糖大根の生産と砂糖精製工場だった。(中略)砂糖。工業の中心地であったキエフには当時建てられたテレシコンチ家の「砂糖御殿」が今は美術館になっている。(中略)全ロシアの穀物輸出の半分以上がオデッサ港からなされた。まさに穀倉とオデッサ港は表裏の関係にあった。オデッサの人口は1860年には11万人だったが1897年には40万人となりウクライナ最大の都市に。またロシア帝国全体でもサンクトペテルブルク、モスクワに次ぐ第三の都市に急成長した。
2025/10/10(Fri) 07:26:30 [ No.10318 ] |
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ウクライナは芸術・文化・スポーツの面でも水準は高い。芸術・文化の分野では、ウラジミール・ホロビッツ、ダヴィッドオイストラフ、スヴャトスラフ・リヒテルなどの音楽家、バレーのヴァーツラフ・ニジンスキー、アバンギャルド絵画の創始者カジミール・マレーヴィチなどを産んでいる。スポーツでは、棒高跳びのセルゲイ・ブブカ、フイギュアスケートのオクサナ・バイユルらを産んでいる。このようにウクライナは確かに存在していたが、これまでは地下水脈のように何世紀も表には現れないでいた。そしてソ連帝国が崩壊してようやく泉のように地表に現れてきた。現在世界の各地で「ウクライナの発見」「ウクライナの復権」とも言うべき事態が起きている。ヨーロッパやアメリカでは、ロシアとその他のヨーロッパとの間という地政学上枢要な位置にあるウクライナが独立を維持し続けることは、ヨーロッパ全体の平和と安定のため極めて重要だと考えられている。またアメリカ、カナダではウクライナ系の移民がそれぞれ百万の単位でいることからウクライナに対する関心も高い。ところが日本では、残念ながら独立したウクライナに対する関心はそれ程高くないように見受けられる。これはウクライナが旧ソ連にあって、日本から距離が遠いことや、日本の旧ソ連への関心がロシアに集中してしまっていることによるのであろう。加えてこれまで日本にウクライナの事情が十分紹介されてこなかったこともあろう。以下略。
2025/10/10(Fri) 05:39:36 [ No.10317 ] |
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日赤入院1.5ケ月。牟礼の老人保健施設へ4.5ケ月。ひどい目に会いましたわ。トイレで自分一人りで用が足せるようになる訓練。皆一生懸命でした。車椅子の生活から解放されるまで本当に苦労した。思い出せば、鶴瓶の家族に乾杯を見終わって、さあ寝るかと離れの階段を勢い良く登って行ったはいいが、勢い余って階段の向こうへすっ飛んでコンクリートの床に頭をぶってしまった。起きようとしても起きられない。何とかずって入り口のところまで行くのがやっとだった。おかやん「いつまで寝ているんや」言うて戸を開けたところ、わてが目を白黒させて唸っている。おかやん「こらいかん」思うて前の家に、飛んで行った。前の家の嫁様「救急車呼ばなダメだ」やがて救急車がサイレン鳴らしてやってくる。隣近所の人達大勢集まってくるんで直ぐ皆に知られてしまった。近所の人達の見守る中長野日赤病院へ。それから1.5ヶ月。牟礼の老人ホームへ4.5ケ月そこで機能回復訓練。皆一生懸命でした。先ずは立ったり座ったりの基本動作訓練。それが出来るようになるとトイレで自分一人りで用が足せるようになる訓練。皆一生懸命でしたわ。車椅子の毎日でした。わては要介護2。デイサービスへ行くようになって、柔道整復士の大澤博さんの指導を受けて遂に車椅子の生活から歩行器を使って歩く生活に。今では家の中では歩行器を使わなくても歩けるようになった。大沢さんありがとうございました。
2025/10/09(Thu) 06:34:42 [ No.10316 ] |
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相撲の夏場所で一番嬉しかったのは本割りで負けた豊昇龍に決戦勝負で大の里が勝ったことだ。投げ飛ばされた豊昇龍如何にも悔しそうでしたね。久々に日本人横綱の勝利に国中が湧いた。さあ、11月の秋場所が楽しみだ。ウクライナの戦火を避けて来日し相撲界に入った21歳の安青錦強い。本割で横綱豊昇龍を破る金星を上げたのだから。来場所は小結確実に。近い将来横綱確実やね。その時はゼレンスキー大統領相撲観戦に来て貰いたいものだ。そうなれば国賓やね。わての夢は膨らむばかりだ。もう一人、最下位にウクライナの獅司がいる。故郷がロシアの戦火を浴びて生きるか死ぬかの苦境に。それで一生懸命送金していると言っていた。悲しいことだ。
2025/10/05(Sun) 17:40:31 [ No.10315 ] |
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No10302〜10311をコピーして送って下さい。写真の入っているページは要りません。毎度お手数をおかけしますがお許しください。
2025/09/24(Wed) 11:47:39 [ No.10312 ]
昨日お送りしました。
2025/09/26(Fri) 06:07:20 [ No.10314 ] |
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行って来ました。今日は色んなゲームをして遊びました。おやつの時間はいつものようにオセロゲームをしました。前回は1勝1敗だったが今日は2敗だった。帰宅後、相撲のテレビ観戦。安青錦が全勝横綱の豊昇龍を破った。これで大の里と並んで1敗同士。千秋楽が楽しみだ。
2025/09/25(Thu) 19:11:02 [ No.10313 ] |
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昨日久しぶりに関東朝日広告社長野支店に原稿を持参しました。坂口茂樹君の車で。肝心の一番読んで欲しい原稿を送ってなかったので、昨日送りました。これ一冊だけでも本になればと思っているんだけどね。さあどうなることやら。
2025/09/24(Wed) 11:33:16 [ No.10311 ] |
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2025/09/15(Mon) 18:42:19 [ No.10309 ] |
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昨日(日曜日)無事落手しました。今回はミスは一箇所もありませんでした。余計な支出させてしまいすみませんでした。何処かで埋め合わせをさせて頂きます。では報告まで。
2025/07/28(Mon) 05:41:36 [ No.10301 ]
本日結構なお品を有難うございました。
早速頂戴いたしました。 2025/08/01(Fri) 18:02:28 [ No.10305 ] |
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最初に何故これ程までにネパールに深入りするようになったかその動機をお話しいたしましょう。偶私が勤めていた長野日大の一期生に志賀高原のホテルジャパン志賀の常務取締役をされていた片桐輝男さんがおりました。そんな関係で、ホテルのエレストラに行ってナンやカレーを食べたりしたものでした。そうこうするうちにネパール人のコックらと親しくなりました。彼らは何年も前から働いていたので日本語がとても上手でした。私は冬山でテントを張ってスキーをするのが趣味でしたので、仕事を終えたネパール人達が私のテントにビールやラーメンを持参し飲んだり食べたり楽しいひと時を過ごしたものでした。そんな折親しくなったブバンパンディさんからネパール行きを勧められたのでした。エベレストはベースきゃわまで行かなければ見えないけれど他の6千メートル以上のヒマラヤならどこからでも見える。特にネパール第二の都市ポカラへ行けば、未だ未踏峰のマチャプチャレ(6993m)をはじめダウラギリ、アンナプルナ、マナスル連峰などが一望できるというのです。それで私は行く気になりました。カトマンズではパンデイさんの家を根城にして歩き回りました。で、これからお話する全ては全て、私が直接体験した事ばかりです。前書きが長くなりましたが本題に入ります。次はパンディさんから直接伺った話です。
最初から下(しも)の話で恐縮ですが、ネパールでは男性が尿意を催した時は最寄りのレストランとか知人の店に寄って小指を立てます。彼らは直ぐ察してトイレを案内してくれます。ところがパンデイさんは路上で警察官に呼び止められたところ、偶々その時パスポートを所持いなかったので近くの派出所の連行され色々詰問されました。不法滞在者かも知れないと疑われたのでしょう。緊張したパンデイさんは尿意を催したもんで小指を立てましたところ「ナニッ彼女を求めて日本に来ただと!!」警察官は激怒したそうです。日本では男性が小指を立てれば、それは彼女を意味するからです。それではネパールで彼女を意味する時はどうするか。右手の人差し指で自分の鼻を指せばよいのです。 私が初めてネパールを訪れた日本の女性をガイドして、カトマンズにやって来た外国人が必ず訪れる外国人街のタメルに連れて行ったところ彼女言うに「本場蜂蜜が欲しいわ」言うんで行きつけのハニーショップへ案内したところ、店の店長ニタニタしたので私はすかさず自分の鼻を指したら「Oh,direi ramro(very beautiful)lady!!」彼女何のことか分からずきょとんとしてました。 さて、次は日本語の「どうぞ」という言葉が全く同じ意味で使われている事実に驚きました。初めてネパールを訪れた時・ことです。バスの車掌さんがバス停で待っている人達に「どうぞ」と言ったのです。それから運転手に発車オーライと言う時も「スタートどうぞ」満員のバスの中で老人の私が立っていると若い男女がさっと立って「どうぞ」言って席を譲ってくれます。毎度それでは気が付いた引けるので「Oh no! I'm young」 周りの人達が皆笑います。 次に日本の新聞とネパールの新聞の一番大きな違いは、日本の新聞には必ず新刊書や週間紙の紹介がされていますがネパールの新聞にはそれが皆無。新聞は舐めるように読んでいるけど皆さんはどこを読んでいるのでしょう。従って街には書店がありません。外国人が必ず訪れるタメルの通りには数件あります。日本人も含めて外国人は読み終えた書籍を古本屋に売ってそのお金で土産物を買って帰国するのです。そんなわけで私は古本屋の上得意でした。 そんな訳でネパールの一般家庭には書棚はありません。読まないから必要ないのです。あったとしても小中高の子どもらか達が学校の教科書や参考書の類を並べて置く棚です。知識階級 たとえば私の友人で、名古屋.大学の大学院で博士号を得たスニル・アデカリさん。現在ネパー最難関のトリブバン大学の学長をされている彼の家には立派な書架があります。ところでこの国の子どもらの英語力はすごいです。日本の比ではありません。英語中心で小学校の一年生から初めてます。で年間一万人からない素晴らしい習慣をです長かったななった。その理由が今数年若者たちが海外へ出稼ぎに行ってます。これは国の方針でどんどん外貨を稼いで来て消費せよというわけです。手っ取り早方法は土地を購入して家を建てることです。建築に関わる多くの人が助かります。最近、金を蓄え帰国した若者がぼやいてます。地価も建築費も高騰して困る言うて。ついでにネパール人の為にネパールの悪しき習慣を一つ。それは履物を脱ぎ捨てることです。日本では履物を揃えることは親が厳しく子どもに躾けます。前述したトリブバン大学の学長のお宅では履物をきちんと揃えています。日本での生活が長かったので日本人の履物をきちんと揃える習慣を見ていたのです。ははもう一つ。これは意外と知られていない事実です。ある日の朝、日本の 方が見ていたNHKのニュース。紙幣の原料である楮の生産施設が閉鎖の危機にある。その理由が今ら数年前すなわち2015年の四月に突発したマグニチュード7,8のネパール大地震により、ネパール産の楮が輸出できなくなったという報道でした。この地震の時、私はカトマンズにあたのでよく記憶しております。沢山の家屋が倒壊し人的被害も大きかったです。 最後に我が第二の故郷とも言うべきネパールで特筆すべきことがあります。これは日本にも西洋諸国にもない素晴らしい習慣をです。それは子どもが毎朝両親の前にひざまずきその足に接吻することです。成人して結婚し我が子を持つ年齢になってもです。わが子もそれを見ていますから無言の教育になります。そしてなお素晴らしいことは両親の前では決して飲酒喫煙しないことです。日本では親子で酒を酌み交し、時には意見の衝突で親子で取っ組み合としてせめていうことも。是非ネパールのこの素晴らしい習慣を我々日本人も見習いたいものです。両親の足に接吻するは兎も角としてせめて両親の前では飲酒煙は慎む。このくらいは出来るでしょう期待しています。以上長々と失礼しました。 2025/07/30(Wed) 04:02:36 [ No.10302 ] |
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早速に送って下さり厚く御礼申し上げます。「ホタル帰る」という涙なくして読めない本をお送りいたします。実は私は二度、知覧特攻平和会館へ行っております。一度目は四国へカヌーに行った時。二度目はワイフと一緒に屋久島へ行った時にです。知覧特攻平和会館が出来るまでの経過、それもたった一人の女性の弛まざる献身的な努力によってなされたという事実を知りました。これから近くにあるクロネコヤマトの宅急便で送ります。熟読あられんことを。
No10295よく読んだら誤字が何箇所かありました。訂正版をお送り致します。誠に申し訳ありませんが訂正版を送ってください。 2025/07/25(Fri) 12:31:21 [ No.10299 ]
ホタル帰る 受け取りました。
NO.10295 送りました。我が家のプリンターはA4なので掲示板と同じにはできませんでした。悪しからず。 2025/07/26(Sat) 19:43:59 [ No.10300 ] |
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今朝のお電話の件 本日発送いたしました。明日には到着すると思います。
2025/07/23(Wed) 19:39:12 [ No.10298 ] |