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◆ 我が家の前の小金山の桜は早くも散り始めました。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
ところで皆様、桜の原産国はどこだと思いますか。ヒマラヤの南斜面、ネパールです。私はネパールに滞在中満開の桜の花を見て日本の我が家の前の小金山の桜を懐かしんだものでした。有史以前だと思いますが桜のタネが黄砂に乗って日本に運ばれて来て日本の気候風土に適していたのでしょう。春の国花になったのです。秋の国花は菊ですね。ところでネパールの国花は何だと思いますか。高山植物の石楠花(シャクナゲ)です。私の記憶が正しければ。ネパールと言えば一年中雪を頂いているヒマラヤから亜熱帯の姉妹国インドまであんな小さい国なのに。

2025/04/20(Sun) 07:26:24 [ No.10264 ]

◆ 恵子さんへ 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
遅くなってすみません。無事届きました。

2025/04/20(Sun) 07:00:53 [ No.10263 ]

◆ 恵子さんにお願いがあります。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
10249よりコピーして送って下さい。前回送っていただいた時、これが最後だと言ったのに、すみません。

2025/04/12(Sat) 06:25:24 [ No.10261 ]
◇ Re: 投稿者:keiko  引用する 
本日 午後8時に発送しました。
明後日の到着になると思います。

2025/04/14(Mon) 20:30:02 [ No.10262 ]

◆ 島田直人氏の姉さん女房ジユン子さんの車で 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
倉石整形外科クリニックへ。レントゲン撮影をしたり、リンゲル液の点滴をしたり、散々痛い目にあった。最後に痛み止めの薬を貰つてジユン子さんのお迎えの車で帰宅した。いやはや、えらい一日だつた。夕飯まで三時間あったので昼寝をした。
英殿へ、安関の相撲を見るのが楽しであった。夏場所が楽しみだ。貴君の文章面白く読ませてもらいました。ありがとう。

2025/04/02(Wed) 19:27:29 [ No.10260 ]

◆ すばらしい記事 投稿者:suguru  引用する 
【2025年(令和7年)3月26日 茨城新聞】

大の里 恩返しのV
高安、胸貸し激励

23日終了の大相撲春場所は大関大の里と平幕高安による優勝決定戦で盛り上がった。11歳も年齢の離れた両者の間には、深い緑と絆が築かれている。24歳の大関が35歳の元大関を下した場面は、勝負の世界の非情さとすがすがしさがにじんだ。

大の里の師匠である二所ノ関親方(元横綱希勢の里)は、高安にとって旧鳴戸部屋から田子ノ浦部屋時代の兄弟子に当たる。両力士の距離は自然と近くなり、大学4年時の大の里が二所ノ関部屋に体験入門した際、胸を借りたのが高安だった。

昨年4月下旬、大の里は20歳未満の力士との飲酒が発覚し、日本相撲協会から厳車注意を受けた。反省と後悔で落ち込んでいた時期に「心にしみた。救われた」と感謝する出来事があった。

4月25日の春巡業(千葉県木更津市)。長めのぶつかり稽古で大の里をみっちりと鍛えた高安は、稽古後の土俵上で観客との質問コーナーに臨んだ。「期待の若手は誰ですか?」と聞かれ「大の里です」と即答。「いろいろありますが、あいつは強いので、頑張るので、皆さん応援してください」と呼びかけた。

支度部屋に戻ると本人のもとへ歩み寄り「今は土俵の上で頑張るしかないんだ。そこで信頼を得るしかないんだよ」と励ました。大の里は胸が詰まったという。「自分のことなんか誰も応援してくれないのではと思っていた。だから高安関の優しさがうれしかった。あの稽古と言葉のおかげで前を向けた」と述懐する。

角界では、稽古や日常生活でお世話になった先輩に本場所の土俵で勝つことを「恩返し」という。千秋楽の取組後、高安は苦笑いを交えて言った。「完璧に、めちゃくちゃに恩返しされた。あいつはやっぱり強い」。一夜明けた大の里は「おかげさまで恩返しができた。でも高安関には本割で負けた。強い兄弟子です」と感慨を込めた。2人の熱戦の背景には、心温まる人間模様があった。

2025/03/28(Fri) 15:02:09 [ No.10259 ]

◆ Namaste 🙏 Sensei 投稿者:  引用する 
It has been a Very long time since Ii sent you a message. How have u been,we haven't received a messgae form u for a while. Hope ur doing well.

If u haven't found out, my brother had passed away a year a ago.

Do u still use Facebook messenger to so we can keep in contact.

2025/03/24(Mon) 18:40:13 [ No.10257 ]
◇ I want to go Nepal before going to heaven. 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
The second son of before Industry Minister of your contry go back I go with him but I can not say when it will be. He lives in his house he got 20 years ago. I went to his home few years ago.He lives with Mises Karpana. I hope you and your family's happiness.

2025/03/27(Thu) 20:04:46 [ No.10258 ]

◆ 安大活躍 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
今場所こそ賜杯を取らせたい。あと二日淡々と土俵に臨めば、おのずと結果はついてくる。相撲を見るのが楽しみだ。

2025/03/21(Fri) 19:32:21 [ No.10254 ]
◇ Re: 安大活躍 投稿者:suguru  引用する 
安関は昔から大好きで、もちろん勝とうが負けようが。
それに1990年生まれだから、ユミと同年ということもある (笑..

安は茨城霞ヶ浦の漁師の息子。お母さんはフィリピン人。
中学を卒業してすぐ15歳で、あの「おしん横綱」隆の里の部屋 (旧鳴戸部屋) へ入門。

旧鳴戸部屋といえば、名大関貴ノ花が興した旧藤島部屋 (貴闘力、若貴兄弟、貴ノ浪、安芸乃島等) 同様、決して八百長を許さぬガチンコの部屋だったから、安もそれはそれは峻烈な稽古で鍛練された。兄弟子が稀勢の里 (現二所ノ関親方で大の里を指導)。安が稀勢の里と一緒に大関を務めていた時代があった。稀勢の里の自伝に「安のおかげで優勝できた」とある。

なにしろ安が最後の最後で逃した優勝の数はこれまでに計8回!歴史的に見ても、幾多の横綱をも上回る戦績を誇りながら、幕内優勝だけがない。勝つことに焦点を当てることは常識的だが、俺は勝敗にさほど意味を見出していない。
たとえば宇良関を見てみよ。負けた相撲の見事なこと。負けてなお人の心を動かす相撲がある。
「巧は拙を蔵する」とは立川談志の至言。

江戸相撲の横綱たちを凌駕しながら、横綱にならなかった雷電爲右エ門。
王将と謳われ「将棋の神様」でありながら名人位に就くことのなかった坂田三吉。しかし、その生きざまこそ燦然と耀く。

2025/03/22(Sat) 11:50:15 [ No.10255 ]
◇ Re: 安大活躍 投稿者:suguru  引用する 
土浦市役所。安関のパブリック・ビューイングはもう8-9回やってるみたい。
優勝決定戦、土浦の人はみんながっくりきてたけど、安が画面に写し出されると万雷の拍手が続いた。
負けたって立派。俺はこの力士がいっそう好きになった!

ところで、大関琴櫻って糸が切れたようになっちゃって、一体なんで大関なのだろうと思う。今日こそ彼が大の里を破らねばならなかったのに..


2025/03/23(Sun) 21:23:03 [ No.10256 ]

◆ これまで行ってきた様々な旅、修学旅行は別として。 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
3ヶ月にわたるピースボートの南半球への旅から、数回にわたる愚息の住むスイスのライン川下りへの旅、国内では北は北海道の十勝川から南は九州人吉の球磨川まで、カヌーを担いでの激流下りの旅に出かけたものでした。いちばん行ったのは岐阜の長良川。死にそうになったことも二度あった。3年前自宅の離れの階段から斜め向こうのコンクリートの上に落ち頸椎損傷で四肢麻痺。救急車で日赤病院へ運ばれたものだ。悪運強くまさに九死に一生を得た次第。ビリビリとりょぴょしびれてカヌーどころではない。車椅子の生活を余儀なくされたものだ。デイサービスセンターヘ行くようになって、職員の大澤氏の指導を得て歩行器を使うことなしに歩けるようになった。大澤さんありがとうございます。

2025/03/16(Sun) 06:53:31 [ No.10253 ]

◆ to MR.Sugurru ITO 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
Nothing gives me more pleasure than hearing from my son. Now nothing is more Pleasure than Sumo.Takayasu keeps one Kuroboshi from Tobizaru.Yokozuna Toyohoushu keeps 2 Kuroboshi.Oonosato keeps 1 Kuroboshi.Near day 2 Rikishis will atack.This time,I hope Takayasu gains winner's Torophy.

2025/03/16(Sun) 05:30:13 [ No.10252 ]

◆ 今日(令和7年2月28日)の朝日新聞より 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
出生数、最小72万人。2024年に生まれた子どもの数は72万988人で9年連続で減り過去最小となった。厚生労働省が27日、人口動態統計を発表した。少子化が進んでおり、ペースは勢いを保ったままだ。生まれた子どもの数は速報値で23年と比べて3万7643人(5.0%)減少した。生まれた子どもの数が100万人の大台を割ったのは17年。以来減少率は前年比3〜5%で24年も高止まりした。厚生省の担当者は、出生数が減り続けている要因として晩婚化や晩産化などを挙げた上で「複雑に絡みあっている」と指摘している。私も滑り台やらブランコなど子供たちの遊具が置かれた公園をよく見かけるが子供の姿は見えない。最近の子供は外で遊ぶよりも、家の中でゲームをして遊んだ方がいいのかな。いずれにしても困った事態です。こうなったら外国の若者たちをどんどん雇うことでしょうね。今は円安であるから来日する若者たちとってはまさに天国。おまけに国内のどこさ行ってもこれほど清潔な国はないし。

2025/02/28(Fri) 17:13:47 [ No.10251 ]

◆ 北信濃EM研究会の新年会2月26日10〜、大室温泉 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
会長の金子芳郎さんが突然私にネパールでのEMの普及活動についてお話せよとのこと。事前に言われていればそれなりに考えていたが焦ってしまった。招待した綿内の元日大高校の峯村先生の車に私と家内乗せて貰い出掛けた次第。EM研究会の岩瀬氏の映写機を使っての講演があり、その後参加者の自己紹介とEMの話をされた。かなり遠方から来られた方もおられた。その後昼食。色々な食べ物が出たが、中でも美味しかったのは釜揚げうどんであった。会場に上がる時も、トイレに行く時も支えてくれた峯村先生の力強い腕の力に大いに助けられた。御礼申し上げます。そして今日は、デイサービスセンターヘ行ってきた。色々なゲームをして楽しかった。昼食もおいしかった。

2025/02/27(Thu) 21:48:12 [ No.10250 ]

◆ 気象庁地下地震観測所(松代大本営跡) 投稿者:伊藤鉄郎  引用する 
第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営軍司令部、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日午前11時着工。翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9ヶ月の間に当時の金額で2億円の巨費と延300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され突貫工事をもって構築したもので前工程の75%完成した。ここは地質学的にも硬い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠距離にあり、川中島合戦の古戦場としても知られているとおり要害の地である。
規模は三段階、数百メートルに亘る。べトン式の半地下建造物、舞鶴山を中心として、皆上山、象山に碁盤の目の如く縦横に掘り抜きその延長は10キロ余に及ぶ大地下壕である。
現在は世界屈指を誇る気象庁の地震観測所として使用され、高倍率のひずみ地震計をはじめ各種高性能観測機が日夜活躍している。
長野市観光課
小生も見学に行ったが、畳敷の部屋に天皇陛下のトイレがあった。恐れ多くて誰も口を閉じているが、わては無類の馬鹿正直。見てきたとうり打ち明けた次第。

2025/02/22(Sat) 21:10:31 [ No.10249 ]

◆ 恵子さんにお願いです。本当にこれが最後です。 投稿者:伊藤鉄郎 ホームページ  引用する 
No.10242,10243,10246をコピーして送って下さい。

2025/02/21(Fri) 09:09:08 [ No.10247 ]
◇ Re: 恵子さんにお願いです。本当にこれが最後です。 投稿者:keiko  引用する 
本日送りました

2025/02/22(Sat) 19:06:26 [ No.10248 ]

◆ もう一度行ってみたい旧軽。そこで働いた若き日々。 投稿者:伊藤鉄郎 ホームページ  引用する 
それは、ある骨董店であった。副業として別荘に来る人達に貸し布団をもって行く業務であった。7月初日〜8月下旬まで、短い期間だったが楽しかった。別荘の管理人とも親しくなって泊まりに行ったこともあった。その骨董店の裏手には、時の皇太子殿下と例の正田家の令嬢美智子さんが出逢うたテニスコートがあった。これはどうも小泉信三氏の計画だつたようだ。皇室には新しい血を入れなければ、大正天皇のようなへんちくりんの天皇が出来ちゃいかんと。
ところで、小泉信三とはどのような人物か。小泉信三は1888年(明治21年)5月4日、元の紀州藩主で福沢諭吉の信頼が厚く慶応義塾長を務めていた小泉信吉の第三子として誕生した。その後、横浜正金銀行支配人となった父信吉は、信三が6才の時に若くして急死。福沢邸に引き取られた信三は慶応義塾で学び、在学中は庭球部の選手として活躍。経済学を講じる大学教授になってからも庭球部長を務めた。さて、信三は戦後1949年、皇太子明人親王(現上皇殿下)の教育を担う参与に就任。民主主義の時代における帝王学について講じた。また戦後も旺盛に執筆活動を展開していた。小泉没後10年となる1976年、青少年の文章表現能力向上に寄与することを目的として「小泉信三賞全国高校生小論文コンテスト」がスタートした。初代の審査委員には塾員である芥川賞作家の遠藤周作、安岡章太郎、田久保英夫といった名だたる文豪が、高校生たちの作品を丁寧に読み込んだ上で厳正な審査を行ってきた。このコンテストは毎年小泉の命日である5月11日に応募がスタート今もなお行われている。以上は一部省略したところもあるけれど、綿内のデイサービスセンターの大澤氏が私にくださった資料に寄りました。大澤さんありがとうございました。

2025/02/19(Wed) 07:58:40 [ No.10246 ]

◆ 働くパパママ川柳 投稿者:山本偉三 ホームページ  引用する 
短歌。子育ては楽でないわよ朝は早起き夜(よる)は夜泣きで

2025/02/19(Wed) 07:03:11 [ No.10245 ]

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