五線譜1

      GIBSON MARK SERIESの歴史

 ギブソン マークシリーズは1975年から1979年にかけて作られたギターです。「ギブソン最大の汚点」という人もいますし、ギブソンギターブックなどのギブソン主要ギター製作年表に入ってもいません。ですが、このギターはそれまでの市場にあった職人の勘と経験によって設計された伝統的なギターとはまったく異なり、ギターの構造自体を科学的な側面から分析・研究した後に、既存のギターの影響を受けないフィールドで設計された、史上初のアコースティックと言えるものだったといいます。
 1975年、ギブソンは、それまでのジャンボタイプ等、伝統的なラインのギターとは、まったく発想の違う異色のギターを世に送りだしました。。それが’75年8月のGuitarPlayer誌等に、華々しい宣伝がなされた“ギブソンマークシリーズ”です。フロリダ州立大学の化学物理学者マイケル・カーシャ博士と、クラシックギターの巨匠であるアンドレス・セゴヴィアに「ギター界の未来を作る手腕(To Richard Schneider, in whose hands is the future of the guitar.) 」と賞され、ザ・レスポールの開発・製作も担当したリチャード・シュナイダー、そしてM.I.T.のエイドリアン・ホーツマ博士、ペンシルバニヤ州立大学のユージン・ワトソン博士といった「科学者と製作家」達の協力よって設計された史上初のフラットトップ・スチールストリングス・ギターでした。
 最高峰のMK99は、当時既に希少であった選りすぐりのジャーマンスプルースとハカランダ材を使用しており、特殊な力木構造を持つシュナイダーの個人製作ギターでした。当時のUSAカタログでJ200の2倍以上、日本ギブソンのカタログでは、一時、100万円の定価がついており、製作本数12本(うち2本はシュナイダー自ら検品して壊した)、出荷本数1本、現存本数9本と言われる幻のギターです。隅々まで計算されつくしたデザイン・コンセプト、長いサステインと豊かなサウンド、プレイヤビリティ、そして強烈な個性など、いずれを取ってみても楽器としての魅力と高いクオリティを持っていることに気が付きます。現在のトップルシアー達の最新作に引けを取らない様様な工夫と完成度があります。
 ’75年に“THE Mark Series ; The Sensitive Sound of GIBSON”というギブソン社の出した一冊のカタログがあります。表紙をめくると、次のように書かれています。
 “Two years ago Gibson set a goal − to build an acoustic guitar that would set a new standard in reliability,projection,aesthetics and,most importantry,sound.We think we’ve done it.And we’d like to tell you how.”(二年前に、ギブソンはひとつの目標を掲げた。「信頼」「工夫」「美しさ」そして最も大切な「音」についての「新しいスタンダード」を目指してギターを作ることである。私達はそれを成し遂げたと思っている。そして、私達がどのようにそれを成したかを語りたい。)
 マークシリーズというギターを開発した当時のスタッフ達の並々ならぬ自信があふれた文章です。しかし、現実には、その「音」が当時のプレーヤー達に受け入れられたとは言い難い状況でした。そして、マークシリーズは、’79年、たった4年間で生産を打ち切られ、結果としてギブソン自身は’80年代にアコースティック部門の生産停止に追い込まれていくことになります。「ギブソンの歴史上、最大の汚点である」とまで言われるのも無理のないこととも思います。しかし一方で、マークシリーズをよく知る愛好家や一部の研究家の中には、極めて高い評価をする人達もいます。
 彼らの作ったマークシリーズとは、どんなギターであったのか、また、何故、当時のプレーヤー達に受け入れられずに消えていったのか、当時のギブソンスタッフの描いた「忘れ去られた未来」を探りたいと思います。


1.Michael KashaとRichard Schneider

 マークシリーズの開発において特に中心的役割を担ったカーシャとシュナイダーは、マークシリーズが開発される以前からコラボレーションを組んでおり、ギター製作の世界では有名になっていました。
 1951年よりフロリダ州立大学で物理化学の教授として活躍したマイケル・カーシャは、’60年代よりクラシックギターのトップ振動に関する科学的な分析を始めました。’66年には、独自の理論に基づいて設計した実験的な5本のギターをギルド社にオーダーしています。当時、クラシックギター部門を担当していたカルロ・グレコによって製作されたそれらのギターは、カーシャの設計に基づく特殊なトップ・ブレーシングとブリッジを持ち、物によっては、特殊な重りをヘッドやネックに埋め込んだり、特別に指定されたナット幅やフレッティング、ロングスケールなどといった仕様が採用されていました。この時点で既にカーシャ・ブレーシングやインピーダンス・マッチング・ブリッジの原型が登場していたといいます。
 1963年よりJuan Pimentelに師事し、’65年よりクラシックギターの製作、修理、演奏指導など行ってきたリチャード・シュナイダーは、’67年にカーシャと共同研究を始めました。二人の研究はシュナイダーの製作する手工クラシックギターとして発表されていましたが、’72年、グレッチギターの製造販売もとのボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・カンパニーにコンサルタントとして招かれました。その契約が終了するとすぐに’73年に二人はギブソン社に招かれたのです。
 彼らは、ギターの研究において、400以上の実験をし、70の改良をもたらしました。
 リチャードシュナイダーは、その生涯において、200本以上のギター製作をしています。そのうち、60本が伝統的なクラシックギターで、50本がカーシャスタイルのクラシックギター、残りの100本余りのギターのほとんどがギブソンとグレッチのプロトタイプギター(或いは製品版ギター)だったと言います。
 また、カーシャとシュナイダーは、11年間に渡り、カーシャスタイルギターについての製作家向けのセミナーを行っています。リンダ・マンザーら、10ヶ国から65人の受講者がいたそうです。
 シュナイダーのギターを使用したアーチストは、セゴビア以外にもJeffrey Van、Jaun Serrano、John McLaughlin、 Theodore Bikel、Gregg Nester、Turan-Mirza Kamal,、Kurt RodarmerそしてDavid Franzenらがいたそうです。
 残念なことにリチャード・シュナイダーは’97年に事故のために生涯を閉じています。カーシャは、その後、他の製作家とも共同研究をしていますが、カーシャにとって、リチャード・シュナイダーこそ最も信頼できるパートナーだったに違いありません。リチャード・シュナイダーの作品については、シュナイダーのwebページで詳しく見ることができます。 http://www.cybozone.com/fg/schneider.html


2.マークシリーズ開発まで

マークシリーズの誕生は、’69年末、CMIがギブソンブランドをECL(後のノーリンカンパニー)に売却したことと深く関わっていると考えられます。
この頃、60年代後半に訪れた劇的なフォークブームに対応すべく量産化が進められ、ギブソン社の全てのラウンドショルダーモデルは、ドレッドノートを思わせるスクエアーショルダーにラインを統括されてしまいました。左右対称のブレーシングを採用し、アジャスタブルサドルをやめてレギュラーブリッジにするなど、それまでと全く違うギターを作り始めました。不良発生率を下げる狙いから、ブレーシングの太さもへヴィーなものへ変更したとも言われます。
「ギブソンのアコースティックは、戦前に完成したものを踏襲していた為、量産化をしても製作コストは下がらず、質の低下を招いている。」
このような認識が、経営の移った当時のギブソンにあったと思われます。
’70年代前半のトラディショナルギブソンはちょっと硬めでサスティンもあり、よく鳴るものも多くあったようですが、結果的にこの「改革」は、「多くのミュージシャンの支持が得られなかった」と言われます。「’69年のライン統括」については、現在までもいろいろな意見が聞かれ、その「歴史的な評価」からギブソンの「ビンテージの範囲は’69年まで」とされてしまうことも一般的なようです。
マーク・プロジェクトは、その3年後、アコースティックギター全体の生産が「頭打ち」の時期を迎えた頃に計画が具体化していきます。
しかし、マーク・プロジェクトは、「ライン統括の失敗等の売れ行き不振・伸び悩みから窮地に立ったギブソンが新しいプロジェクトを立てた」というよりは、「トラディショナルラインの合理化が一段落した時期をみて、予定していた新製品の開発をおこなった」と見るほうが正しい気がします。
なぜなら、プロジェクトが動き出した’73年頃は、アコースティックギター全体の生産量は「頭打ち」ではあったものの、まだブームは過ぎておらず、数に応じた生産体制がやっと形の上で整えられた頃であると予想できるからです。’74年には、ギブソンアコースティックの生産拠点であった「カラマズー工場を残したまま」マークシリーズを作り始めた「ナッシュビル新工場を建てて」おり、「更なる増産に備えた」とも言えます。もともと売れ行きが悪くもなかったラウンドショルダーを捨てておいて、5種類ものラインナップのマーク・シェイプをとり入れたことにも注目したいです。
言わば「合理化後の新製品の開発」という新体制ギブソンの「次の段階の改革」であり「戦前に完成したギブソンアコースティックへの挑戦」とも言えるものだっだと思います。

ギブソン社は、’73年3月、MITのエイドリアン・ホーツマ博士にリサーチを依頼し、当時既にギター製作の世界で有名だったマイケル・カーシャ博士とリチャード・シュナイダーの二人を招き、「マーク・シリーズ・プロジェクト」を大々的に進めていくこととなりました。これは、当時のギブソンにとって、視点を全く変えた「新しく質の良い量産ギターの生産」によって、「新しいニーズ」を生もうと考えた積極的な面があったように思えます。そしてそのコンセプトは、「バランスのよさ」と「センシティヴさ」にありました。


3.マーク・シリーズ開発
 マーク・シリーズの開発作業は、実験によって収集されたデータをマイケル・カーシャがコンピュータ分析・設計しギブソンのマスター・ギター・ルシアーとなったリチャード・シュナイダーが試作することの繰り返しで進められました。ホーツマ博士は、マーチンやオヴエーション等の銘器とされるギターの音響解析を、ペンシルバニア大学のユージン・ワトソン博士は、主に、マークシリーズを含むギターの耐久性の検証をしたようです。その間、100本以上のプロトタイプの製作がされました。そのほとんどがスクエアーショルダーのものでしたが、深く響く低音を出す為に、シュナイダーによってボディシェイプの変更がされたと言われています。

マークシリーズのギターとしての特徴は、「マークシリーズの工夫」に詳しく書きましたが、その核となる部分は
@弦振動をセンシティヴに効率よくトップに伝えるため小型のブレーシングをくもの糸のように広範囲に配置する。また、不要な減衰時の振動をカットすることでトップの疲労を防ぐ。カーシャ・ブレーシング
A異なる周波数で振動する6本の弦振動を、効率よくトップに伝達させるために、ブリッジの質量を対応する弦ごとに調整するため、扇型のブリッジにする。インピーダンス・マッチング・ブリッジ
の2点に集約されます。特にブレーシングパターンは、ブラインドテスト(目隠し検査)や音響解析・振動解析により様様なものが試されたようです。この過程でギブソンスタッフによる理想的な「音作り」が試みられたと思われます。

 ’74年にテネシー州ナッシュビルに新工場が作られ、ギブソンアコースティックは、カラマズー工場との分離生産体制が行われるようになります。マークシリーズは生産開始がされた’75年には、アコースティックギターの生産をしたことのないナッシュビル工場で作られました。この頃のセコンド品はとても多く見られ、この時点で「経験を持った腕の良いギター職人が不足していた」ことがわかります。
その後、ジャンボ等のトラディショナル・ラインは、少しずつナッシュビル工場に移行し、逆にマークシリーズは、カラマズー工場で作られるようになります。
おそらくは、それが一つの原因となって’70年代後半のギブソンの伝統的なギターたちは、粗雑であたりはずれが大きく、鳴りの小さなギターが多く生産されてしまったものと考えられます。「質の低下をせずに量産化できる体制を作る」はずの取り組みは、皮肉な結果を生んでしまったと言えます。
逆にマークシリーズは、大きく個体差はあるものの’76年以降のもののほうが、作り自体の良いものが多いようです。但し、「マークシリーズの工夫」の一つであるブロックフレームが消えてしまったり、ブリッジが妙に厚くなったり等の仕様変更(?)がされるきっかけにもなったようです。
当時のカラマズー工場の熟練ギター職人達は、「自分達の考えたことではない」そうした激動的な変化を快く受け入れていたのでしょうか。腕のいいギター職人達にとって、思いを込めて精一杯ギター製作のできた環境と言えたのかも、難しい所と思います。

ボディの比較表
MKSeries      Square−Shoulder Slope−Shoulder
Upper bout 11 3/4” 11 5/8 11 5/8
Waist 10 3/16” 11 1/8 10 11/16
Lower bout 16 3/16” 15 15/16 16 1/8
Body length 20 5/32” 19 7/8 20 3/8
Sides depth  5 3/64”  4 15/16  4 7/8
 マークシリーズのボディは私の印象ではJ200に似ているなと思っていましたが、それより丸みがなだらかで、クラシックギターを大型にしたイメージなのだそうです。



シリーズの仕様は
MK35 2ピーススプルーストップ・マホガニーサイドアンドバック・ウォルナットステインフィニッシュ3ピースメイプルネック・ローズウッド指板・ドットポジション・ブラックバインディング・ニッケルチューナー $439

MK35−12 MK35の12弦。12本しか作られていない。全てプロトであり正式出荷されていないとのこと。

MK53 2ピーススプルーストップ・メイプルサイドアンドバック・ナチュラルフィニッシュ3ピースメイプルネック・ローズウッド指板・ドットポジション・ブラック/レッドバインディング・ニッケルチューナー $549

MK72
 2ピーススプルーストップ・ローズウッドサイドアンドバック・ウォルナットステインフィニッシュ3ピースメイプルネック・ローズとエボニーの3ピース指板・ドットポジション・ブラック/ホワイトバインディング・ゴールドチューナー $659

MK81 2ピーススプルーストップ・ローズウッドサイドアンドバック・ウォルナットステインフィニッシュ3ピースメイプルネック・ブロックポジション・エボニー指板・ブラック/レッドバインディング・ゴールドチューナー $879

MK99 オーダーメイドによるシュナイダーの手工ギター。2ピースジャーマンスプルーストップ・ハカランダサイドバック。出荷本数1本。作られたのは12本らしい。うち2本をシュナイダー自ら壊してしまったという。現存本数9本と言われている。価格はJ200の倍以上、銀のインレイやブリッジピン。ブレーシングパターンも他のマークシリーズとは異なる。 $1,999 (J200は当時$899)

 トータル出荷本数8323本。これは、当時のギブソンアコースティック全体のおよそ1/3にあたる数と言われますが、当時のギブソンが期待した数字には程遠いものであったと思います。また、日本にはほとんど輸入されることはなかったといいます。
 私の正規輸入品であるMK53は、ネックリセットして頂いたリペアマンの方に確認して頂いたところ、’75.2月に作られたということです。’75末発売開始ですから、発売半年以上前に作られたものということになります。サイドブレースがあったり細かな部分で以後のものとやや違う仕様がされています。J50タイププロトにもシリアルがついていたことを考えると、私のMK53もプロトに間違いなさそうです。
 作りの違いから’76年以降には既にカラマズー工場で作られているような気がします。細かな仕様(トップやサイド、バックの木の産地)や仕上げ方も違っているようです。バインディングのパターンについては、資料と実物と食い違う部分もあります。MK81は赤・黒・赤・黒・赤というレスポールのバインディングに近いパターンを使っていたり、私のMK53は、外から黒・赤・黒・白となっていたりします。
 なぜ途中で生産工場が変わったのかについては、確認がとれていませんが、幾つかの可能性が考えられます。ひとつはマスタールシアーであるシュナイダーが、途中でナッシュビルを離れたこと。もう一つはカーシャがギブソンに求めた工具の導入がされなかった為、生産効率やギターのできの面で支障が起きたこと。もしくは、新製品の売れ行きの悪さを、ギターの仕上がりの悪さのためと考えて、熟練職人のいるカラマズーに移したのかもしれません。初期のマークシリーズは、ブリッジの厚み等、カーシャの設計に忠実に感じますが粗悪品も多い印象があり、後期のマークシリーズは、ギターのできはいいものが多く感じるものの、普通のギターの仕上げに近づいているように思います。ただ、これは私個人の全くの個人的な見解です。


4.MKシリーズが売れなかったわけ

 マークシリーズが「なぜ、売れなかったのか」についても、いろいろな見方があります。「シュナイダーとカーシャがクラシック畑の人達だった。」「過度にセンシティブな音を当時のプレーヤーが求めていなかった。」「残響時間が他の鉄弦ギターより短かったためだ。」「アコースティック製作経験のないナッシュビルで始めたのがよくない。」「ギブソンらしくなかったから売れなかった。」「ボディの厚みの為にふれこみほど反応がよくないギターが多かった。」等々。
 マークシリーズの開発に当たってはブラインドテスト(目かくし状態での聞き分けテスト)による音作りが幾度となく繰り返されており、当時のギブソンスタッフ達の作った最高の音のひとつであったと言えます。実際、よく調整され弾きこまれたマークシリーズの残響は短くありませんし、レスポンスやバランスもよく、シュナイダーのクラシックギターの音と比較すると、見事に鉄弦ギターとしてアレンジしていると感じられます。ですが、その音色はブルースなどには似合わないもので、当時、この音を使える音楽のジャンルはなかったようにも思います。
 立体的なサウンドホールロゼッタにも象徴的な意味があります。ロゼッタを含むマークシリーズのボディシェイプは、シュナイダーの個人製作のクラシックギターに酷似しています。この事実は、その音色とともに、シュナイダーが「鉄弦化されたクラシックギターをプレーヤーへ提案すること」をねらっていたのではないかと想像させる根拠の一つです。しかし、それは当時のプレーヤーが求めていたものではなかったと言えます。ガンガンとストロークをするギブソンファンにとって、あのロゼッタは「ストロークするな」と言っているようなものです。ですがもし、このギターの音を使う偉大なプレーヤーが現れていたら、状況は変わっていたのかもしれません。
 一方、製造したのはたった4年間なのに途中で製作工場が変わるなど、同じマークシリーズでもギブソンらしく(?)大きな個体差が生じ「できの悪いマークシリーズも多く作られてしまった」ことも想像できます。これまで弾かせてもらったものの中でさえ、ネック周り(特にフレットはフィンガー向けのギターとしては厳しい状態のものも多い)やブリッジ、音色そのものも「ずいぶん違うものだな」と思わせられるものがありました。カーシャブレーシングやインピーダンス・マッチング・ブリッジなど、本当は量産しにくい面を持っていたのかもしれません。当時のギブソンのギター職人たちが、マークシリーズを本当に快く製作していたのかも疑問があります。
 ただ、売れなかった最大の理由は、マークシリーズの生産に時期を合わせるようにしてフォークブームが去ってしまったことだったのではないかと思います。’77年頃から急激にアコースティックギター全体の生産は落ちていき、’80年代初期には、マーチンでさえ年間3000本程度しか出荷できなかった年もあります。縮小していく市場の中で新しい製品は、そのできは別にして、売れる確率よりも売れない確率のほうがもともと大きかったのだと思います。分離生産体制をとってまで拡大生産を図ろうとしたギブソンにとって、この「市場の縮小」は致命的なものであったに違いありません。
 けれど、このカーシャとシュナイダーの試みは一部に熱狂的なファンを生み、クラインギターなど多くのビルダーに影響を与えつづけてもいます。もしもマークシリーズがギブソンブランドでなくカーシャブランドかシュナイダーブランドであったならば、サンタクルズやコリングスなどに匹敵するブランドになったかもしれない、という考え方もあるそうです。製作本数を無理せず、質の高いギターを製作し続けることこそ大切なことだったような気もします。
 マークシリーズのプロジェクトは、見事に失敗し、ギブソンのアコースティック工場は、’84年に一時閉鎖されることになります。未来を見つめながら、足元が崩れてしまった当時のギブソンを否定されることも多いですが、そうした中で、大きな情熱を傾け続けた当時のギブソンスタッフがいたことと、彼らの作った不遇なマークシリーズから学べることは多くあるような気がします。

               
                   マイケル・カシャ・スパイダー・ブレーシング
 上のカーシャ・ブレーシングは代表的なものでA−1Pと呼ばれるものですが、他にもいくつか考案されたそうです。D−2と呼ばれるものは12弦用でMK35−12にのみ使用されました。A−1Pよりも縦方向に対しブレーシングの本数・太さ・組み方も強く作られています。MK99は、シュナイダーのオリジナルブレーシングとなっています。私のMK99は“seriesA”とされており、A−1Pを基本としていますが、違うものもあるかもしれません。B−2パターンという、ウエストバー(ウエスト部分の横棒)をなくして振動部分をより広く取ろうとしたパターンもあるようですが、採用されたギターは確認できていません。


*シンコー・ミュージックさんに電話して、Yさんから「洋書を調べるしかないですよ。今のギブソンにも資料は残っていないでしょう。」というアドヴァイスを頂きました。有難うございました。
*’99.8.22 shirabeさんから資料を頂き、一部訂正や追加しました。有難うございました。
*’99.9.19 三ツ井さんから頂いた情報を一部追加しました。有難うございます。
*’00.10.22 内田ギターの内田さんから資料を頂き、一部追加・修正しました。有難うございました。
*’02.8.25 一部これまでの文章表現等修正を行いMK99に関する内容を付け加えました。
*’04.11.21 これまでの資料を見直して、全面的に内容を修正しました。Player誌のT氏、本当に感謝しています。

     Mail


 HOME

参考文献
「アコースティックギターブック7」シンコー出版
「Gibson'sFabulousFlat-topGuitars」GPIBooks
「TheHistoryAndDevelopmentOfTheAmericanGuitar」TheBoldStrummerLtd.
「TheAcousticGuitarGuide」IndependentPublishiesGroup
「TheGuildGuitarBook」GuitArchivesPublications
「GuitarStories」VintageGuitarBooks
「TheBigRedBook of AmericanLutherieV1」Guild of AmericanLuthiers
「THE GUITAR BOOK」TOM WHEELER
THE MARK SERIES The Sensitive Sound of Gibson」「flattop & Mark SeriesGibson PRICE LIST」(Gibsonカタログ)
その他資料


五線譜1