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3月31日(月曜日)
年度末日は花冷えで、いちど春を知った身にはことのほか寒さが身にしみました (^_^;
明日からの新年度には制度がいろいろと変わり、さぞさぞの混乱の予想がされることであります ^_^;
冷たい雨は昼にはあがり、わたしの外出にはおかあさんは冬のヂャケットを佩用しておりました。 ♪古いうわぎよ さよーなら〜 にはならず、冬のあいだの汚れと去りがたいようであります (^+^)
わたしだってホットカーペットとお別れしたくないかも =^_^=
街には春休みのこどもがあふれ、\100shopなんかでたのしそうにしています。
また、毛唐の若い女性もレヂにて速やかに日本円に換算してお買い物もしていました。彼女たちが求めていると和のランチョンマットがすてきなものに、おかあさんには見えていたようです。
わたしたちが求めたのは、カヨコさんに自家製どくだみ化粧水をお分けするための容器でありました (^+^)
洋々堂に行けば、お店番をしていたのはおばあちゃんでありました。お達者なこと (^・^)
わたしたちが昨日行った赤坂サカスのど掲載されていた雑誌をば立ち読みしていれば、おばあちゃんはかつての住まいが小石川だったことなどを語り始めました。
“あのへんは焼け残っているから今行ってもなつかしいのよ (^・^)”
時代は異なるものの、おかあさんもその近くに住んでいて、“焼け残ったんですよね〜”と弾むのは、ソースは『少年探偵団』だったようですけれど (^+^)
そのあたりにあったが故に、共同印刷あたりのお花見にもおばあちゃんと話が弾んでいたことでした。
やがて、カヨコさんに選手交代すれば、
“わたしも赤坂も六本木も行ってみたいわ! でも、車に乗ったままの素通りなんてイヤ!
信じられないわ!
ウチのおじさん(洋々堂のおにいさん)も、車で出かけるとお昼も食べずにだもの!”
というようになるのですけれど(失笑) わたしたちも同じ。名目はわたしの情操教育ということになっていますけど =^_^=
だからわたしはいろいろな場所を知っていますし、車がバックすれば駐車であることも、またはUターンの印でおかあさんが道を間違えたこともです (^x^)
という話をしながら、雑誌で、
“ふーん、そーゆーれすとらんがあったかいな”
なんて、わたしたちはカンドーしたのでありますけれど (~_~;
多くの人を集めるゴーヂャスな空間というのはやはり魅力です。
都には人は集まり、競争あってこその琢磨もありましょう。
お国ひとつに都ひとつではなく、地方の都も活発になればいいのに、などわたしは思いました =^_^=
3月30日(日曜日)
天候は最高点ではありませんが、はなの日曜日であります。
お花見にまずは靖國神社に向かいました (^・^)
途中、早稲田を通れば、早稲田ペットフードにも寄りました。ひさしぶり (^_^;
わたしに“かわいい!”を仰るご婦人の二人連れさんには、
“察するところ、おふたりはねこともだちで飼い猫さんの余りをのらさんたちに上げてらっしゃるのですね?”
黙って座ればぴたりと当たる(失笑)
だって、お買い物はそんなようすでしたから (^+^)
早稲田あたりでは神田川沿いの桜を見物する人々がおおぜいありました。♪あなたはもぉう 忘れたかしら〜 (^・^)
九段から靖国通りに曲がれば、武道館から北の丸公園と、靖國神社や千鳥ヶ淵に至までにも人があふれかえつていました。
おかあさんの言葉を借りれば、“ラッシュの駅の階段に顔が並ぶよりもたーくさん!”。
車窓よりわたしが見れば、人の波が“わ゛っ! ねこちゃんだ”というように口が開いていましたけど、わんこを抱いた方も大勢なのでした。
靖國神社には観光バスも並んでいましたし、千鳥ヶ淵のどちらも遙拝だけ。
折しも雨が降り出し、皇居のお濠に薄緑のけぶるのを左手に見ながら車は進むよ赤坂へ!
てへ、おかあさんは赤坂サカスをのぞき見したかったのですにゃ (^_^;
はい、予想通りの人混みでありました。それにしてもTBSあたりはずいぶんと変わったものでありました。ということが続いたのでありますが(汗)
車は赤坂から溜池を抜け、西麻布の交差点で路駐して、わたしの大好物!! Hobson'sのアイスクリームを調達してもらったものだから舐めながらのおのぼりさん見物は続きました =^_^=
六本木に戻って、東京ミッドタウンとやらを遙拝し、青山通りを東宮御所の若緑を見物しつつ、銀座に向かえば有楽町の駅の変貌も鑑賞できました。銀座の柳の若い色は桜田門とともに渋滞につきゆーーっくりと見物できました。
東京フォーラムもひとまわりして後は帰路。
東京駅の八重洲口を通ったとき、この人混みの多さの原因を見たような (^^ゞ
地方からバス仕立てで東京見物にいらしてたのではないかしら?
進路を白山通りではなく本郷通りに取り、お東大の桜、 本郷通りが北本通りと名前を替えれば王子の飛鳥山も遙拝しました。ちいさかった頃にはしばしばおさんぽしたものであったことよ (・_・、)
川口の駅あたりもずいぶんと車はのろのろと走っていましたにゃ。
って、おかあさんはわざと混んだ道、人混みのところに飢えていたのかも (^+^)
わたはだけは栄華の巷を低く見ていたものでありました (=^u^=)
叔母さまに語れば、
“るうちゃんにばっかりいいサービスぢゃない!?”となるのですけれど f(^ー^;
彼女は日曜日のミサ後、教会のおともだちと見沼方面でよい観桜をなさっていたようでありました。仲良しさんがいるのはうるわしいことです。
今日だけで人混みを見て、おそらくわたしは10万の単位の人の顔を見たことでしょう。
その中で親しいのはおかあさんだけ、です。
わたしと出会えたことをおかあさんこそ感謝すべきです! =^_^=
3月29日(土曜日)
はな日和から花曇り、花冷えの夜と、春の陽気は多彩であります。
おにーさんのお昼の給餌をすませれば、おかあさんひとりでファームランドみぬまなどに出向いたのは、きっと明日に何かしたいからなのだにゃ (・-・)
でも、そちら方面に出向いたのは不正解で(失笑)、近郊にできたショッピングセンターへはニトリ人気もあり混んでいたといいますし、見沼用水にはリュック背負いの花見客がわさわさと出向いていたといふ。
ファームランドみぬまの収穫とてさらになく (^^ゞ
早々に戻っては、わたしと駅の西口までのおさんぽに出向きました =^_^=
風はやや冷たくあるものの、西口の公園には、わらわらと人の多く、何かをついばむ鳩と、自転車の練習をする幼児と親、噴水の水が風に流れては、母一人子一人のわたしたちに冷たく降るのでした f(^ー^;
早くを以て咲き散る桜を愛でるのも、日本人または江戸っ子の美意識かもしれませんが、やや遅咲きのしだれ桜が固いつぼみのまま誰一人振り返らないものを見上げるのもいとをかしいことで (^+^)
西口の商店街では、最近のお気に入りはお菓子屋さんです。
(先週の日記参照)
おにーさんの好きなざらめのおせんべいなど求めていれば、店内には桜の枝が活けてありました。
“水に差すだけで、1年蓄えたものを咲かすのだから!”
すてきな表現と思ったことです。
同じお花器には桜より濃い色の枝も活けられていました。
アーモンドなのだそうです。ふーん。
上野の『薬師寺展』にも行かれたそうでした。
いんてりぢぇんすを感じますにゃ〜 (^・^)
東口に戻れば、洋々堂ではカヨコさんが奮闘して、肩だか腰だかが痛むそうです。
ほら、わたしの周囲では流行ですし f(^ー^;
おうちに戻れば、マチコさんも来ました。
どちらもほっ *^_^*
診療の終了後には、おにーさんの慰労に桜茶を出せば、
“お゛? 結納か結婚式みたい!”
毎年同じことを云うにゃ (~_~;
おにーさんのお好物の虎屋の羊羹でお茶するも、話題は4月1日からの保険の改定であったり、今年から画期的に変更する健診のことだったりするのでした。
“それよかさー、おにーひゃん、メールの練習は?”
“おまえが書けばいーだろ?”
え゛?
えへ、ただの春の宵の聞き違えだったことでせう(汗)
多量を予想されるお仕事のこと、なのですから (~_~;
3月28日(金曜日)
春もうららで桜花はいよいよたわわでありました。
わたしには、シャンプータイム決行!!
軍歌も斉唱しては心地よい時を過ごしたものであります =^_^=
赤ちゃん用なるバスタオルを新調すれば、それはそれはきもちのよいものでありました (#^.^#)
昨日のこと、おにーさんが医師会のお仕事には“ワードは必須”だの、同じようにメールも必要となったことなど云うものだから、おかあさんはおにーさん用のアカウントを取得し、今日になっておにーさんのPCに設定していたのでありました。
“さぁ! 練習しましょうか?”
さすれば、おにーさんは消え入るようになるのでありました(嘆)
“日が悪い”んだそーです f(^ー^;
さて、いつになったらPCに向かってくれることやら (-o-;
引き替えのようにわたしはおさんぽに出た午後のひとときであります =^_^=
カメラのさくら屋では見慣れぬ人がおり、イガラシさんの姉上だそーでした。
よーく見れば彼女にそっくりで、それは当院でもおかあさんを子細に見ては“院長そっくり!”というのに似ていることなのです(失笑)
吹き出す人もいるものにゃ (^+^)
洋々堂での立ち読みは、月末のこととて並み居る婦人誌を遠目に、“ほしくなる万年筆”だの、自転車特集の記事はオヤジ雑誌に偏るとはいかがしたものか (・_・、)
カヨコさんからは、“自転車にするか万年筆にするか、って迷うワケー?”と痛いところを突かれたもので(失笑)
“10万円だといいものが買える”ってだけで ^_^;
ガクセイさんの頃、当時でも同じほどした英国産のラーレーという自転車を通学用にしていたんだそーです。3日目には熱を出したそうですけど(失笑)
当時の彼女の周囲では、“知的な乗り物”だったとは、今と変わらないかもしれないけど、にゃ (^+^)
環境破壊の凶器かもしれないけど、便利ぢゃなかったら車は普及しなかったと思うのです。
使う側ではなく、生産の側こそ、まず、環境問題に取り組むべきなのではないでせうか? (~_~;
夜にはおにーさんの会があったのでゆうごはんの支度もわたしの分と、それより簡易な自分の分を用意するだけだったから、いささかにのんびりと過ごしていたものでありました、ご本をいっしょに読んだり、と。
夜のお出かけには、おにーさんは“馬を出せ!”と、おかあさんを運転手に駆り立てていましたけど (-.-#)
遅く帰るものと思いきや!
意外にも早い帰館は、お食事会とはいえ、彼はそそくさとお食事をしたことを意味します。
会食ではお箸の進まないおにーさんのこと。さすればお夜食となるのはよい傾向ではないでしょうにゃ〜 (^^ゞ
てへ、わたしもいっしょにチーズをいただきました (^u^)
夕方から降り出していた雨は止み、花冷えとなった夜です。
“はな”にはいろいろな修飾語のあるものです (^・^)
3月27日(木曜日・休診日)
桜の萌え始めの休診日であります。
次回、叔母さまの句会のお題は『はな』で、先生の“『はな』とは桜のことですよ”の注釈つき (^^ゞ
だもので、“見なきゃ作れないわ。連れてってよ!!”の叔母さまのリクエストにお応えすることとなりました。
その前に、よーく働いたわが車への給油に行きました。
高騰のガソリンでありますが、4月の値下げを控え、日通では全車に満タン給油令が出されたそうです。
値下げ後の品切れを心配したもの、とやら。
オカノ鉱油で聞くに、仕入れ時の高かったものが捌けるまで値下げはできなそうですけれど。ふーん、そーゆー仕組みか f(^ー^;
賢い消費者は“\2000分”など給油するようですが、すでにおかあさんは、“ハイオク満タン現金ね”で(失笑)
叔母さまのところではしばし、昨日求めたバースデープレゼントのお相手の来訪時間待ちがありました。
ヘルパーさんのお供付きの老婦人の時間はゆっくりと流れます。何しろそも京言葉を言語としてはるお方やしぃ f(^ー^;
“ほな、さようなら”(↑イントネーション)まで、時計の針はストップモーションしておました。
さてミニ吟行に出発!
とりあえずは大宮公園に向けて正道の参道を行けば、週日のこととて渋滞するのですが、叔母さまもわたしも“靖國神社とかー、外堀とかの並木が見たい”と云うもむなし(失笑)
大宮公園にはテキ屋さんの屋台が設えられるべくのトラックが並んでいましたし、第2公園もお花見を見込んでか車両通路は閉鎖されていました。
それを避けては、見沼用水沿いの桜並木の老木の若い花の下をくぐり、市民の森あたりの桜と菜の花の同時に望めるところを行き、また大きく西に向いては自衛隊方面までも行きました。
自衛隊に桜の似合うは、市ヶ谷のそれの如し (^+^)
士官学校こそ桜ぞ! =^_^=
車中、
“花の名前や鳥の名前、星の名前も色の名前もいろいろ知っていれば、俳句だけぢゃなくても、日々に色取りが広がりそう”など叔母さまと話していましたにゃ。
“♪雨は降る降る 城ヶ島の磯に で『利休鼠』の雨が降るでしょ?”
とおかあさんが振れば、“え゛? それ、色の名前だったの?!”
なんて叔母さまは云うのです。
色の名前は日本がいちばん多いらしいのです。
学ばざるの悲しさは、浅学非才のおかあさんをして、わたしの瞳の色を喩うるに星でも宝石の色でもなく“舐めかけの浅田飴の色”だものにゃ〜(嘆)
やがてスルーっと車が入ったのはcocoonの駐車場で、やっぱり! のようにふたりは最後にはお買い物をするのでした。
“桜の季節の贈り物”だの、お茶だのして(嘆)
おかあさんはミルフィーユをおみやげにしてくれました。千(ミル)の葉(フィーユ)のお菓子 (^・^)
ミニ吟行とかいってたけど俳句なんて作ってなかつたにゃ。
おかあさんが予めメモ書きしたものには、
予報士の憂いのありてはなぐもり
なんてのもあったけど、花には嵐の喩えです。“さよならだけが人生だ”と名訳がつづく常套句でありますけれど (^+^)
“にお”と叫(たけ)ぶ月も黄菜も黄花白し (るうでんす)
3月26日(水曜日)
たいそうにあたたかな日でありました。
前のお宅から桜の枝木をいただき、早速に院内に飾られました (^・^)
その花を鑑賞なさるべくの患者さんが少なかったのは、きっとこの4月からの医療費の改定でお薬代が安くなることを患者さんの方がよくご存知なのかもしれません (^^ゞ
改定になる度に、末端の医療機関(わが社のようなところ)は途惑うことばかりのようですけれど (^+^)
水曜日のこととて、叔母さまのところに行けば、その数少ない患者さん、ご近所の方ですので、おかあさんだって“4月になってからお薬を取りに来られた方がいいかも (^+^)”
なんて云ってましたにゃ。
繁華街の端っこにある叔母さま宅のご近所は古くからのお店があり、どちらも大切な隣人でありますからして、わたくしも呉服屋さんの奥さん、“ねこ命”の方にはお店に出向いてだっこさせてあげるのです。
“るうちゃまのふわふわを抱いていると癒やされるわー *^_^*”
などおっしゃるものですからなすがまま (;^_^;)
店先には黄八丈が飾られていました。
叔母さま宅にて、おかあさんは冷蔵庫の食料を入れ替えたり掃除機をぶんまわすのはいつものことです(嘆)(嘆)
ひとしきりが終われば、わたしの食料を調達すべく高島屋に出向くのですが、今日は叔母さまもいっしょでした。わたしはお留守番 (-.-#)
叔母さまのおともだち(94才♀)のお誕生日のプレゼントを求めに行ったのだとか。
迷った揚げ句、フェイラーのハンドタオルにしていましたにゃ。何でもお持ちの美意識の高い方のお目がねに適うかどうですか (^^ゞ
叔母さまが先に入って来たものだから、わたしは“にゃーーー!!”(おかあさんはどーした?!)と鳴いてやりました。
うふ、困ったようであった <(`^´)>
つづいておかあさんも入ってきたところでお茶の時間になりました。
桜のムースがお菓子で、とてもとてもおいちかったです =^_^=
このとき、叔母さまは一葉の写真を出してきました。写真といってもA4にプリントされたペーパー。古い写真には女子学生たちが制服でにこやかに写っていました。“どれどれ?”というようにわたしも参加して見物しましたにゃ。
何でも、この週末に“卒業後60周年”と気の遠くなるような母校ご招待の会があったとかで叔母さまも参加していたのでした。そのときに掲示された入学時の写真なんだそーですが、叔母さまには“記憶にありません”と、分けて郵送いただいたものでそうです。
“どれがわたしか分かる?”
(しばし凝視するおかあさん)
“・・・いた・・・”
わたしが見てもちっとも似ていない従姉のエイコさんですが、その面差しに似ていたのが18才の叔母さまだそうです。
“エイちゃんは美人だけどせんちゃん(叔母さまのこと)もクラス一かわいい!
っていうか(失笑)、この学校、美人度が低いね〜 (^・^)”
あまりに身びいきに云いたい放題に呆れてわたしは室内の点検を始めました。
“そっち行っちゃだめ!”なところばかり =^_^=
“あ゛、これMさんだ! ”
など、おかあさんが近くの女医さんを発見すれば、
“ま! ほんと! 当時から威厳があったのね〜”
など、ふたりはやっていましたけれど (^+^)
戦時下の女子医専では、戦争未亡人の入学も優先されていたようでありました。当時の学生さんは食うにもこと欠いた時代だったのでしょうにゃ。ふーむ。
帰路は運転席ヘッドレストで夜景を見ました。
未満な夜桜はあやしい影を落としていましたし、電柱の消えた街路には代わりに高い電灯が並び新しい並木となっているのでした。
“春電灯”なんて新しい季語になりそうで((;^_^;))、昨日求めた『歳時記』ムックはやはり叔母さまのものとなりました。
3月25日(火曜日)
つぼみの開き駆けた桜にはやさしい陽差しとあたたかさでありました (^・^)
火曜日というと、おかあさんはキッチンごもりなのでありますが(嘆)
叔母さまのところへ1週間分の食料を持ち込むのはタイトなことではありますが、“楽しまなくちゃ、ね (^_-)”でしょうか? じっさい、おかあさんは新じゃが、新玉ねぎに新ごぼう、新にんじんなど“新”のつくものが出始めるとたのしそうではあります (^+^)
“ほらね (^・^)”
ベランダのちっさな鉢には木の芽も小さな小さな葉を付けています。わたしはベランダの巡回をするだけなのですけれど =^_^=
お昼休みに入れば、“これ、どーしよーかなー”など、おかあさんが越生みやげの椎茸に迷っていると、おにーさんは“甘ーーく煮ようよ (^・^)”
など申してはメニューは変更になる、というような調理であります f(^ー^;
やっと! のように手を休めてくれたときがわたしのおさんぽタイムの始まり (^_^)v
お外に出るのはだいすきで、飾りにすぎないリードはこの時期は桜を象ったものなのです。
“あら! かわいい!”に、“まあ、さくらなの!”が加わって、おしゃれな気分 (=^..^=)
てへ、HOPビルって、魅力的なのは赤ちゃんがきたのお店だけかも (^+^)
何があるかわからないお店にして、今日はBeneton Fomulaのスニーカーがありました、@\795で。
折しも、おかあさんも同じブランドのものを佩用していましたが、\795ではなかった、でせう f(^ー^;
求めれば、予想に違わず洋々堂のカヨコさんが“いいぢゃん (^。^)”で、まずは彼女のものとなりました、お靴はサイズがいっしょなのですにゃ (^+^)
後で再び同じものを求めに行きました。
カヨコさんと同じものをいくつ求めたことでせう(失笑)
洋々堂ではまずビッグコミックを求め、定期購読の服部幸應お料理ムックは読者が少なくなったのかお取り置きで、かつ暮らしの手帖の出ておりましたし、Cool Jazz Collectionも出ていました。カウンターには、誰を待つものか『復刻版月光仮面』が置いてあり、おかあさん以外に待つものがありましょうや?
で、たんまりの上客になったものでありました (^・^)
“それよかさー、昨日はごちそうさま、ね m(__)m”
洋々堂のおばあちゃんの拵えたひじきの煮物は、とてもとても甘く、繊細な包丁使いのお野菜もたくさん入っていたのであります。
わたしの興味とするところではありませんが、是非、ヨメのカヨコさんに伝承していただきたいものであります。
“あたしが忙しいの分かってるでしょ (`へ´)”
はい、ごもっとも m(__)m
たいそう重くなった荷物と共に帰り路につきました。
“あら!、また会ったわね (^・^)”
ケータイを持ち出されるまで思い出せない方 f(^ー^;
“春になりましたな〜 (^・^)”
こちらも思い出せないおかあさん(失笑)
さくら屋の社長が“知ってた?”など、アオキ花屋さんのビルに入っていた写真屋さんのシャッターが下りたことを云っていました。シャッター通りになるのはあまり芳しくないです。
閉まったお店やら、更地になったところは、“はて、今まで何だったか?”と思い出せないこともしばしばです。
洋々堂では、新刊のムック、『日本の歳時記』を求めていたのでした。
こちらだけは変わらないものであってほしい、かにゃ (^^ゞ
叔母さまへのおみやげとなるでしょう。
3月24日(月曜日)
イースターの翌日は、ユーミンの♪ベルベット イースター のように小雨にけむり寒いのです。くす、おかあさんの好きな歌ですけれども (^+^)
咲きかけた桜のつぼみは凍えているかといへば、そんなに弱い木ではないのです (^・^)
午後になって雨のやんだところでわたしのおさんぽタイムであります =^_^=
カメラのさくら屋では出張撮影したスナップ写真のご注文整理のための棚をシミズさんがボール紙で制作中で、なかなかいい仕事していましたにゃ (^・^)
ボール紙の工作というのは、初等教育において必須項目であるかもしれないけど、おかあさんに、はて、できることか f(^ー^;
洋々堂にては、まずはカヨコさんと無事を確かめ合い(失笑)
“土曜の夜には、やっとヨン様が復活するみたいね〜 (^・^)”
など、またぞろ朝鮮ドラマを同刻に、休日前のひとときと、カヨコさんもおかあさんも楽しみにしているようなのです(嘆)
今度のは時代劇、らしい、です (-.-#)
“日曜日の前の、やっと、の時間なのよね〜 (^・^)”
にふたり共感していましたけれど。
おかあさんと書棚を巡っていると、“アスペルガー症候群”の本がありました。
くす、高い知能のこともあるけど、他人との協調性に欠けることもある、のでしょうか?
小児科医さんたちには興味のある発達障害とか。
書店の棚に並んで市民権を得るのはよいことなのでしょう。
・・この障害の疑いのある方は、受験チャンピオンのエライ方にも多そうですけれど (^^ゞ
この国のお役人とか。
カヨコさんからは、おばあちゃん作成のひじきの煮物を頂いてしまいました m(__)m
油揚げは、おばあちゃんがバスに乗ってお豆腐屋さんで調達したもので帰りはタクシーという、高価な食材なのでしたし、おばあちゃんの味はわが社にも貴重品なのでした。
食材の調達にかように手間をかけるのは大切なことであります。
今宵のわたしの卓にあがったブリは、口に合いませんでした (-.-#)
かようなことを申せば、おかあさんは、
“みんなの食べてるものをいっしょにどーして食べないの?”
など云うのですけれど。
また、“るうちゃのの嫌うお魚屋さんのものは・・”とも (^+^)
てへ、わたしのセンサーをおかあさんは頼っているようですけれど =^_^=
それなのに、わたしの不満の雄叫びを未だ理解できないようなのです(嘆)
(全くナゾな不満を真っ正面切られても・・自動書記談)
“忘れてよし!”
で、わたしは赦すけどね =^_^=
3月23日(日曜日・イースター)
とてもあたたかなイースター、耶蘇の復活祭でありました。
“イースター”とは、春分の日の次の満月を過ぎての初めての日曜日にして、昨日は満月、今年は今日がその日にあたるのでした。
もっちろん!! 叔母さまはそちら方面に出向き、彼女の代行のようにわたしたちはお墓参りに出向いていました。
まずは、浅草のお寺であります。
おかあさんの好むコースは、中山道から名前を替えて白山通り、巣鴨を過ぎては不忍通りに曲がり、根津を経、不忍池から上野に出、浅草。
不忍通りに入って道坂を通りかかれば、おかあさんはいつも、
“ね? その角から陸軍軍医総監の森鴎外が馬車に乗って出て来そうでしょ?”
っていうけど、そーかい =^_^=
不忍池を巡る桜は今にも開花しそうでしたし、公園ではさくらまつりも始まっていてたいそうな人出でありました。
浅草のお寺街にはいつものように花屋さんが出ていました。
“きれいなねこちゃん、いつ来るかと待ってたんだよ (^・^)”
花屋さんのおじさんにむかえられ、一対・二束の花を調達してはお寺さんに入ります。
叔母さまから預かったお布施と年会費を納めてお線香を頂けば墓参には何分もかかりません。
お寺の若奥様とちょっとおしゃべり (^+^)
“上野のさくら? 近いけどあまり行かない・・
たまにはアメ横で買い物でもしたいのだけれど (^^ゞ
タケ屋? そこは行きますね〜 (^+^)
これ(『薬師寺展』のチケットを指す)も来ているんだけれど、たぶん・・行けないでしょう”
って、徒歩圏内のことなのにね〜 f(^ー^;
お寺さんでいただいたお菓子は、花屋のおじさんにもおすそ分けしました。
“秋のお彼岸までさよなら”と。
浅草からは池袋から首都高に乗ろうと春日通りを行けば、湯島で車が停められました。スペースがあったのでして (^+^)
ところが、おかあさんはみつばちでお菓子を買おうとしたのでしょうが、お店の前には長い列ができていました。
“暑いものだから、きっとあずきアイスを買ってるんだわ (-.-#)”
待ち時間をあきらめて、おかあさんは悲しそうでしたにゃ (^+^)
休日の首都高下り線に乗ってしまえば、新大宮バイパス沿いの次なる目的地の青葉園まではすぐに到着しました。
こちらは、別の叔母さまが耶蘇の共同墓地に眠っています。
売店でお花を求めれば、
“あら、ねこちゃん、いつもいっしょね (^・^)”
って、こちらでも覚えていてくださるのでした =^_^=
ここのお墓では、共に跪いては、おかあさんは小さく賛美歌を歌います。ここで眠る叔母さまの好きな賛美歌なのだそうです。
わたし的には、青葉園で鑑賞に値するのはマレーの虎・山下奉文閣下のお墓で、敬礼 (ロ_ロ)ゞ
並びには、沖縄戦で戦死した中将を祀る、部下たちの建立した墓碑もありました。
中将とあらば、“将軍”と記されていました。発見! φ(..)メモメモ
短くたのしい旅を終えて、おかあさんとソファでくつろいでいると(本を読もうとしていると胸に乗ってゴロゴロ云ってる・・自動書記)、ヤリちゃんがやって来ました。
“こんな格好で失礼しますね〜 f(^ー^;”
おかあさんが申してもわたしは動かないもんにゃ =^_^=
叔母さまにはたのしいイースターらしかったですし、昨日は同窓会にも出席し、ご同輩たちのお元気さん励まされたようでしたにゃ (^+^)
女子医専卒業後60周年記念で母校からのご招待だったそうです。
3月22日(土曜日)
あたたかな春の日で、お向かいの桜は日当たりの良い枝先からほっこりとつぼみが咲き出しました (^・^)
土曜日の昼下がりのこと、西口まで遠征のおさんぽに行きました。
このところのお気に入りは、昔の駄菓子のようなものが並ぶお菓子屋さんなのです (^+^)
おにーさんの好きそうなざらめのおせんべいなど選んではお店の婦人とも言葉を交わすようになりました。
“昔はそこに埼大の尞があって、アルバイトから帰る学生さんのために夜の10時まではお店を閉められなかったものだわ。
みんな奨学金をもらっているような学生さんばかりだったし。
みんなエラクなっては、ときどきは立ち寄ってくれるのよ。
NHKのアナウンサーになった子もいたわ”
“学生運動のさかんなころ、ほら、親御さんは地方でしょ? 警察に引き取りに行ったこともあったわ”
なぞの話に、わたしは“ふーん”と聞くばかりですが、おかあさんは古きよき時代とジンワリと来るようでした。
・・いっしょに暮らした方もその世代でしたから。
東口に戻っては、アオキ花屋さんに出向き、スタッフのお誕生日祝いのお花を注文すれば、“ホワイトデー”とかで、ご主人とトシキくんから別々に花束をいただいてしまいました m(__)m
お店は大忙しで、お彼岸に加え卒業式の時期が重なるからだそうです。
謝恩会もありますし、大量生産されていたのは先生から生徒さんへのプレゼントで、『仰げば尊し』より『贈る言葉』に移行したのかと思えば、卒業式には『旅立ちの歌』というのを歌うらしいです ^_^;
洋々堂に行っては、カヨコさんに、“半分こしよ (^・^)”とブーケをおすそわけ。しあわせのおすそわけはいただきものを分けてもルール違反ではないでしょう。お花も彼女と分ければよろこんでくれると思うのです (^+^)
夕方、おにーさんの診療終了とほぼ時を同じくしてヤリちゃんがやって来ました。
お茶は、おにーさんのリクエストで紅茶でした。くす、昨夜に突如! 言いだしていたことですけれど、身勝手な言い分は延期されるものです (^-^)
ヤリちゃんは“のうまくさんまんだー”など呪文のようなものの書き付けがテーブルにあっても驚きもしませんでしたにゃ (^^ゞ
“ここんちの流行なの?”だけ(失笑)
経文を見てはヤリちゃんは、
“大善院さんでのお経と同じぢゃない”
など言いつつ、その口調を真似たのでしょう。
わたしは聞いたことがありませんが、おかあさんは、
“すごい!すごい! もう1回やって!!”
というようにひとりウケしていました(失笑)
独特な音声(おんじょう)はヤリちゃんの発声器官では再生できるけれど、おかあさんのそれではできないふしぎ(失笑)
まあるい月が窓から覗いていました (^+^)
耶蘇でいえば『復活祭』の前夜のことでした。
3月21日(金曜日)
お窓から見えるお向かいの桜木のつぼみはたわわになり今にも花開きそうです。
強い風が枝を揺らし、生まれてよりの酷な運命もイメトレの教育をしているようでありました。
その下を終業式を終えた小学生やら高校生が通って行きます。
おさんぽに出れば、カメラのさくら屋には袴のお嬢さんがやって来ました。
桃に喩えられるようなお年頃ですにゃ (^・^)
撮影はシゲさんにまかせ、社長はわたしたちに近づき、“洋々堂の定休日っていつだっけ”というようなことを問います。
“『当分日曜日は休みます』って張り紙がしてあったからさー (・_・)......ン?”
おかあさんと目を合わせたままの黙。
“何も言わないよ”
“あ゛ー、聞いて知ってるよ”
って (~_~;
おかあさんは“言わない”といったら言わない。ただ、“知らない”とウソはつかなかっただけ。
ったく、この村ときたら人の口に戸は立てられず、それらはさくら屋を通過しないこととてないのです(失笑)
洋々堂に行けば、カヨコさんに“お墓参りのおみやげだよん (^・^)”は、フロントガラスの曇り止めシートで(火曜日の日記参照)、帰りに寄り道して車屋さんに寄っていたのですにゃ (^+^)
アーサーくんなど求めていれば、“さる”とわたしたちの呼ぶ少年のお母さんが入店し、
“HOPビル、すごく変わってた!”
など、女たちの立ち話が始まりました。
おかあさんはスーパー部分の変容、商品棚が増えていたことなどを言っていたのですが、サル少年の母(オオタカさん)は、2Fにリサイクル衣料のお店ができたことを語っていました。
“誰が着たからわからないものはイヤ”というのがこの場での一致した見解でしょうか?
“って、ギボ愛子が言ってたの?”
などおかあさんは茶化していましたけど (^+^)
帰宅すれば予測に違わず、お彼岸のお客さまがあり往診から帰ったばかりのおにーさんが相手をしていました。
お病人を抱えているので慌ただしいようすでしたが、
“お茶くらいしよーよ (^・^)”
おかあさんは桜のお懐紙でお茶をしていました。
お客さまは入れ替わるようにマチコさんも“お墓参りの帰り”とやらで立ち寄りました。
こちらは屈託はないのですが (;^_^;)
誰もが現実の中でIllusionの世界にあり・・
おかあさんは、“のうまくさんまんだ、ばざらだん、せんだん、まかろしゃだ、そわたやうんたらた、かんまん”という、不動明王の真言(って何だ?)を暗記することを一日の宿題としておりました。
そも、おにーさんが言いだしたことなのですが(失笑、たぶんマンガが出典)、意味のない音の記憶とはムズカシイものです(失笑)
脳の運動にはよいかも (^+^)
言葉に慣れた脳には“脳膜散漫だ”とか変換したいところですが、音でだけ記憶することの難しさを確認できる作業です。
わたしなんて、この脳を酷使しては、人間語を理解するようになったのぢゃないかしらね =^_^=
って、言語中枢のリハビリに似ているかも (^+^)
くす、おかあさんはリハビリの理解のために暗記してみたのかも (^+^)
3月20日(木曜日・休診日・春分の日)
祝日と休診日が重なりました。お休みは少ないけど営業日は多い、ということで (^^ゞ
わたしたちは予定通り、越生までお墓参りに行きましたし、おにーさんは休日診療所の日直に出向いていました。お墓参りはパスです。
越生までは、大宮の西口やら川越の市内の混雑を避けたせいか、すんなりと着きました。
雨の日のお墓参りはいいや!! 越生の梅林見物の渋滞もありません (^・^)
ただし、お墓参りするおかあさんは大きな花束にお卒塔婆を持ち、傘まで携えて山を登れば、お線香は点かず、傘もさせず、びしょびしょどろどろになっていましたけど (^u^)
雨のみならず、寒の戻りの寒い日で、おかあさんの佩用していた白いダウンコートはこの冬の最後のお勤めとばかりに泥に汚れておりました (^^ゞ
墓参を終えれば、住吉屋さんで酒饅頭のおみやげを調達し、おまけの1個はわたしが車中で食し =^_^=
越生酒造に行けば、合羽屋のガラス戸の外には鎧戸がかけられ、お店の開いていないことを告げていました。ご主人のアライ氏の饒舌の聞けなかったことは少なからず残念でありました。
梅林に行けば、雨のこととてこちらも閉店。
それでも周囲を巡れば、雨にけぶる梅林は満開でありました。
背景となる山脈も雨のベールをかぶり、すべてが雲の色の中にありました。
東武鉄道ができ、鉄道馬車を廃業しては、この道を行く、観光のハイヤーの会社をパパさんの若い頃までは経営していたといいます。
こんな地に生まれ、やがて眠ることとなったパパさんがうらやましくもあります。
ただ、ママさんは退屈しているかもしれません (^+^)
しかし、お墓の中にはいず、千の風になって飛び回っている方が“似合うかも“など、おかあさんは云います (^+^)
帰りは川越の渋滞も大宮のそれも縄跳びの列に並びました。
やっぱ! 渋滞がないと休日のドライブっぽくありません (^・^) ←負け惜しみ(失笑)
車中、おかあさんと違ってわたしの楽しめなかったことは、軍歌ではなく、古いニューミュージックと呼ばれた楽曲のCDやらビートルズの流れていたこと(嘆)
ずーーーーっと、でした。
“あ゛ー、快適なドライブだった (^・^)”
だって (`_´)
浦和に戻ってからは近隣の親戚周りもいつものことです。
それぞれのご家庭にはそれぞれの変化があり、どちらもゆうげの準備時であったようですにゃ (^+^)
帰宅すれば、ご繁昌だった休日診療所から戻ったおにーさんが待っておりました。
わたしのゆうごはん同様、昨日と違って用意がしてあったので、ドライブの疲れなんておかあさんに云うすきとてありません。
わたしも“早くーーー!”と急かせても、出て来ましたものにゃ =^_^=
ドライブの途中、毛呂山のお肉屋さんでは『たましゃも』も調達してくれました。冷凍物ですので後日出てくることでしょう =^_^=
『たましゃも』の入荷手段はこのお店しかないみたいです。
埼玉産軍鶏しか食したことはありませんが、わたしの好みです (^+^)
3月19日(水曜日)
お昼からぽつぽつの雨。叔母さまの訪問日、洗車したばかりのわが社にも降り注ぐのでありました (~_~;
車の調子はすこぶる良く、ワイパーもエアコンも作動しています、って当たり前か(失笑)
“なんでもないことを失ったときに気づく、それが愛だったか♪”というような、わたしに全く今日もを誘われない曲が車内には流れていたのでありまして (-.-#)
叔母さまは毎度ながらいろいろなご用を用意してくれていました(汗)
医師会に提出する書類は今宵開催の句会に合わせることにし(汗)
女学校の同級生、たびたびご訪問くださるスズキさんのご母堂へお彼岸のお線香を上げに行くご用も用意してくれていましたし、彼のお茶屋さんには、この日曜日のイースターにおともだちへの小さなプレゼントとしてのお茶の調達もありました。
高島屋で手みやげくらいは調達したことでしょう、わたしのお肉といっしょに (^+^)
そんなことですから、おかあさんは早回転に動き、叔母さまに同行してスズキさんのお店を訪問しておりました。
わたしはひとり叔母さま宅へお留守番でありました (-.-#)
そして、おかあさんの予想どおりにふたりが戻ったときには、お縁から室内に移動しておりました =^_^=
次には、ちょっとしたお茶の時間があり(わたしに合わせているらしい (^_-)-☆)
おかあさんが車を時間貸し駐車場に取りに行くあいだ、叔母さまがおふとんの用意をし出したものだから、わたしはおかあさんのおふとんであればた定位置、すなわち枕のとなりに香箱の形に座したものであります。
おかあさんが戻れば、叔母さまは、“こういう状態だから”と、それ以上おふとんの用意のできなかったことをおかあさんに嘆き (^・^)
わたしはその場でムースをおいしくいただきました。
束の間の休息のあとには、叔母さまも同行して医師会に出向きました。
雨はいきおいを増し、暖房も必要になっていました。
句会にては、おかあさんは足止めをくっていました。くす、叔母さまは早く帰ってほしかたかもしれないけど (^+^)
“入会しませんか〜 (・-・)”というような f(^ー^;
とっくに当院の診療時間を越えていたので帰宅すればおにーさんは自宅部分に戻っていました。
おかあさんは慌ただしく持ち帰ったタッパーを洗い、わたしのごはんの用意をし、わたしはおかあさんを急かしつづけました。
“にゃやぁお゛! がぁお゛!”
と =^_^=
休診日前夜のことで、おにーさんは家族の家に帰ると思っていたものが、
“明日、(休日診療所の)日直だしー”
それでもいつもなら帰るのですが、急遽彼のゆうごはんも必要となったのでありました。
“聞いてないよー!”っておかあさんが言っても、デリバリーのリストを出してもおにーさんは動こうともしません。
はは、おにーさんはそーゆーヤツです(失笑)
ということで、人間たちは缶詰を開けたりしてピクニックのような遅いゆうごはんを食していました。
おかあさんは明日の越生お墓参り長ドライブを思ってはやきもきしつつ (~_~;
3月18日(火曜日)
あたたかな季節は巡って来、おさんぽに出たときだっておかあさんはコートも佩用していません (^・^)
・・それまでキッチンにへばりついていて、里芋なんかを煮ていたせいかもしれませんけど。
レシピ・・里芋を茹で、半量を裏ごしし白味噌、おさとう、お酒・みりん・出汁で味付け (^+^)
駅のホームには袴姿のおねえさんたちの姿もありました。
カメラのさくら屋では、卒業の季節には大繁盛、みたい、です。
“この先生、来年はいねーかな〜”
って、幼稚園の卒業写真をプリントしてましたにゃ (^^ゞ
洋々堂のカヨコさんは、フリフリの白いブラウスを佩用していました。
“屋上のハウスに置いておいたものなの (^・^)”
明るく云うけど、火災で焼け残ったものはこの場所に置いておいたものだけ、だったようです。
“つまり、要らないけど捨てられないものだったの (^・^)”
タイヘンなことばかりのカヨコさんにはおみやげがありました。
車内の曇り止めシートで、浴室の鏡の石鹸くずの汚れを彼女は気にしていましたから。おかあさんの試用では効果があったようでしたにゃ (^+^) 車のお道具はセーム皮同様、家庭内でも何かとお役に立つようで (^^ゞ
わたしたちは、彼女の用意しておいてくれた定期購読のKittyちゃんムックと同じく服部幸應お料理ムックのほかにも、NHKの『今日の料理』のビギナーズ向けの本を求めずにはいられませんでした。
しばしばおかあさんがゆうごはんの後片付けをしているときに、おにーさんが見ていては、“・・だって、さ!”と云えば“何何?”とTVまで来ることがしばしばなのですから(失笑)
時代の変容によって調理方法も変わるかも (^・^)
カヨコさんはお店番をしていると空けることもままならず、おとなりのパチンコ屋さんの自販機が無くなったことを悲しんでいました。
さすれば、わたしたちが代行して、いくらでもある駅前のそれからお茶を買ってきてあげました。
“なんだか、チカコさんやたらと親切 (^_^;”
昨日と同じことをカヨコさんは云うのでした。
にゃーに、おかあさんはカヨコさんがにこにこしてくれているのを見るのが好きなだけ (^+^)
帰宅すれば、おかあさんはまたキッチンなのです(嘆)
わたしはかなり大きな声で、“もっとおんもにいたい”コールをしていました。
おにーさんが、“何? 云いたいことがあったらもっとはっきり云いなさい!”というほどに。
おかあさんの通訳を借りずとも、“誰がどうみても“でしょうがっ!
この、“誰がどーみても”というフレーズは、わが社の流行で(失笑)
個々の見解を超越したもの云いは、しばしば誰がどーみても(失笑)個人の範疇から出ないのですから (^+^)
3月17日(月曜日)
“暑さ寒さも”のお彼岸の入りのお約束どおりにあたたかい日となりました。
キッチンでは汗ばむ人もあったようですけれど (^_^;
わたしたちの一日はインタネ情報から始まります。
環境省の花粉ページでは折れ線グラフが引きちぎれるばかりの高度を差していました! 花粉症の花ざかりです (^^ゞ
おさんぽに出れば、マスクで変装した方がいずこの方とも気づかず(失笑)
会釈されてしみじみと相手の元の姿を思い起こすのです。
HOPビルを行きかかれば、リサイクル衣料のお店にはたいそうな人だかりで、見れば\100程度のコーナーもありましたし、\1000も出せばたいそうなものもありました。
闇市ってこんなんだったのかしら? f(^ー^;
わたしたちは足を速めて洋々堂へと向かいました。
何しろ、食料品をカヨコさんへお届けしたかったのですから (^+^)
おともだち作成の男の料理・モツ煮はカヨコさんのお好みであったでしょうから。
昨日、おかあさんが聴いていたのと同じCDも (^+^)
“なんだかこのごろチカコさん、親切ね〜 (^^ゞ”
って、おかあさんなりにカヨコさんを慰労してるだけです。
『小学一年生』の付録のドラえもんおもちゃがカウンターにあれば遊びながら(失笑)
このおまけ、わたしも目を瞠ってしまいました。四次元ウォッチだっ! (http://sho1.jp/sho1/index.html参照)
持ち込んだCDは、カウンターの下のラヂヲを聞くキカイでは何故か聞けずPCで試聴していました。ラヂヲのキカイではMDに落とさないと聞けないそうでした (^_^;
おやかあさんは♪want you (ぅぉんちゅー)と始まる南佳孝の曲から聞かせたものですから、カヨコさんにPCの作動を説明する必要もなかったようです、お店では聞けないでしょうから(失笑)
という80年代から始まるオムニバスで、
“これが聞こえたころ、カヨコさん何してた?”
というように、“歌は世につれ”なのでしょうにゃ。
あーヤダ、わたしの知らないころ、おかあさんはミュージシャン集うという白金のスナックに通っていたとか・・
六本木も銀座も (^+^)
おかしのまちおかで、キットカットの“とろける贅沢”に釣られ(失笑)
おかあさんを釣るのはカンタン (^+^)
帰宅すれば、キッチンで不可思議に実験をしています。
角上魚類で、生のホタルイカを見つければ、食指が動くらしいのです。
が、叔母さまのところに持ち込むように日持ちのする調理法も考えます。茹でて紫蘇巻きの揚げ物にしてチルド保存 (^+^)
角上魚類のものはたしかによろしいのです。わたしの今夜のごはんはそこの生利で、一切れ完食してしまいました (^_^)v
人間のゆうごはんは、おにーさんが4月よりの点数改訂の医師会のお勉強会に出ていたので、遅くなっていました。
深刻なことですから (^+^)
3月16日(日曜日・パパさんお命日)
おふとんを少しだけうすくしてすヰーとな朝をむかえました。
お彼岸のお墓参りを控えた週とあって、おかあさんはまず洗車を始めました。工場から帰ったらやたらと調子の良い愛機がおかあさんはかわいくてならないようです、“雨乞いの儀式”とも呼ばれているようですけど (^^ゞ
ホイールの洗浄剤やら窓の洗浄剤がきれたので、あとで車屋さんに行くことにして、まずは、ファームランドみぬまに向かうことにしました。
郊外に向かえば、木々には白い、また桃色の花が色とりどりに満開でありましたし見沼田圃に入れば、うわー! 花ざかりの森です!!
・・三島由紀夫の耽美や頽廃のないストレートな (^・^)
ファームランドみぬまのハラダ夫人に、
“桜の一種なのかしら?”
と問えば、
“あれは梅!”
きっぱりと返されていましたけど(失笑)
お野菜も卵も調達できたところで、彼女に、
“このへんにオートバックスみたいなものはあったかしら?”
と問えば、
“そこに、そのままのがあるのぢゃない (^_^;?”
そのとおり、なのですが、おかあさんは自宅を起点にしていたものだから、ファームランドみぬまとの位置関係がおぼろだったようです、よくあねこと (f^^)
東川口の角上魚類に回ってから初めてのお店に入りました。
わたしは車屋さんに入るのは初めてだったのぢゃないかしら?
(自動書記のあいまいな記述(失笑))
初めてのお店というものは緊張するものであります。
それも、わたしと無関係なものばかりなのですから!
それでもおかあさんと店内をきょろきょろし (・_・ ) ( ・_・)
ルームミラーも思いつきで新調し、駐車場で早速取り付けようとしましたが、あたりにサービス係らしきおにいさんがいましたので、お願いしていました。
おかあさんは“こまったオバサン”だった、と思います(断言!!)
たまさかのささやかな部品の入れ替えもおかあさんには新鮮だったのでしょうか。
久しく忘れていましたけれど、おかあさんは車をぐちゃぐちゃいじるのが好きでしたにゃ (^+^)
オカノ鉱油にも給油に立ち寄りました。
旧のおともだち、シマダくんやら前からのバイトくんたちの顔もあってうれしかったです。
わたしはどの面々にも“かぁっ!”ってごあいさつしましたけど =^_^=
帰宅してから、おかあさんは仕込み立てのフロントガラスコート剤を塗布していました。
これ、かなりの効果で、少々の雨滴など弾きます。
ちょっとジャマが入り、おさんぽ中のコーギーやらダックスくんが、おかあさんの手にしていたものをおやつのように勘違いして集まってきたようですけど(嘆)
今日のドライブ、わたしが少しく面白くないのは、軍歌ではなく、おともだちから借りた、80年代ニューミュージックというジャンルのCDが車内に響いていたのであります。
時代性というのはオソロシイもの。わたしの生まれる前のことでありますが、おかあさんは確かにその時代を生きていたようです。
オムニバス形式のそれは、どれもおかあさんにはなつかしい時代風景のようでした。
『異邦人』、『ペガサスの翼』という曲名はおかあさんの記憶によるところですが、今や古典となったそれらをわたしも耳にしたことはあります。南佳孝、来生たかおなどが飛び出せば、おかあさんは、
“他とちょっと違うだろう?”
など、わたしに感想を求めるのでありましたけれど、わたしにはどれもみんな同じ、好きなジャンルではないです (-.-#)
ただし、おかあさんと意見の一致したところは、
“かつては、作詞家という詩人がいた”
ということでしょうか?
わたしにとっての詩人は軍歌だにゃ〜 =^_^=
わたしの幼児期におかあさんはアンデルセン童話だの星の王子さまだのの朗読劇を聞かせようとしていたけれど (^+^)
3月15日(土曜日)
春もうららな日でありました。
明日はパパさんのお命日ですし、お彼岸には少し早いけれども、わたしたちはお仏壇のおそうじをしていました。
ちょうど、午前の診療も済もうかというころで、おにーさんは音もなくリビングのソファにあるものだから、おかあさんは“ぎゃっ!!”、なぞ声を上げていましたにゃ f(^ー^;
ほどなく、♪ぴんぽーん “アオキ花屋です、お届け物にあがりました”。
『お供』のアレンジの差出人はソノ方で・・
おかあさんはフクザツな表情だったのでしょう。
“くす、ウチのママ(女主人)もそのような顔をなさるだろうと、拵えていました ^+^”
おにーさんも、そのママと同じ顔をしていましたっけ。
気分を取り直そうと、わたしたちは西口の北浦和公園に出向いてみることにしました。
同じ方面に向かうのか、小学生少年集団がマウンテンバイクやスケーターに乗っては信号待ちをしていました。
20℃もあったでしょうか。少年たちは半袖でありました。
“ま、こんな日もあるさ!”
赤信号を待つ少年のひとりが皆に向かって云ったのは、10年ほどの生にして既に人生を達観しているとカンシンしてしまいました (^_^;
公園内の県立美術館あたりで、開催中の熊谷守一の展覧会を外からうかがっていると、出て来たようすのよい若い女性がわたしにごあいさつしてくれました。
ご同行のやはり若い男性がそれを見守るようにした距離感がうるわしかったです (^+^)
噴水の広場では1mにも満たない男の子が巧みにサッカーボールを操っては、わたしたちの前を駆けていきました。
“遊びをせんとや生まれけむ” (^・^)
未来へと蹴るボールは軽やかに滑り、その軌跡を思い出すことなど、およそ想像にもつかないようです。
公園を出て西口の商店街を行けば、
“そろそろいらっしゃるころと思っていました”
って、お店を出て待っていてくれる人がいていいのか?(失笑)
おさんぽをしていれば、“かわいい!”なぞ云っては近づく方のいるのも常です。おかあさんなんて、相手の方が猫を飼っているのか、犬か、その年令は、多頭飼いか、なぞ経験則で当てるようです =^_^=
東口に戻っては、まず洋々堂に寄り、お店番のカヨコさんにCDを渡しました。
“わ゛! うれしい! (^・^)”
だけならいいけど、カヨコさんもおかあさんも聴かせたい人は、
“昨日はずいぶんと具合が良くなかったの”
と聞けば、おかあさんはまたアオキ花屋さんに向けたと同じ表情をするのでした。
春の宵もとことんあたたかく、わたしの窓辺のマットも、夜具も少しだけうすものになりました。
公園で見上げた桜にも、芽がぷっくらしていました。
“にぃぃぃおーん!“
おかあさんの姿がちょっとでも見えないと、わたしは鳴いてやるのです。生命が活性化するにゃ〜 =^_^=
3月14日(ホワイトデー)
うっすらとした雨が朝からつづき、夜には強い降りとなりました。
お洗濯が乾かないものだから、自分のアイロン掛けのついでに乾かないお洗濯物、おにーさんの下着なども掛けていました。平素より下着にまでアイロンを掛ける習慣とてないわが社ですから、さぞや居心地の悪かったことでせう (^+^)
おさんぽ時には雨は上がっていましたが傘は必須のもようでありました。
今日のおさんぽは、ホワイトデーとあって、どこそこからの頂き物もありまして m(__)m
“むやみに食べ物、下着も与えないで下さい”と、わたしは云いたくなりましたけど =^_^=
駅前のたばこ屋さん、マツキヨ、お茶屋さんと巡るとお買い物の荷物は増えつづけ、本屋さんの洋々堂に行くころにはいっぱいでしたが、『アーサーくん』も待っていましたし、ぴあの埼玉特集も出ていましたので、こちらは待合い室用に求めました。患者さんの大好物のひとつのようです (^+^)
カヨコさんには、先に、“作りすぎていた”と、アジの南蛮漬けを届けていたようです。とにかく、彼女が多忙を極めているのは、お店番を見てのとおりなのですから(汗)
“あんがと。おばあちゃんも『いいオクサンになれるのにね』って云ってたわ (^・^)”
それって黒い、暗黒の評価です! (爆)(爆)
おばあちゃんの作る南蛮漬けの方がずっとおいしそうですけれども (^^ゞ
“新玉ねぎが出ていたもので、エスカベーシュでも良かったんだけれど”
って、日本のお酢とワインビネガーの違いだけでしょ ;^_^)
わたしたちが音楽CDを作っている作業中であることを云うと、カヨコさんは“ビートルズなんてある?”と。
入院中の方への差し入れとあらば、おかあさんもいくらも作りましょうが、これを著作権について云われればこんな日記に記すことではありません。
LPだのCDだのを車で聴くためにカセットに落としたことも同等なのでせうか(汗)
ラヂヲから録音した時代もあったし、『My Favarit』を編集しては贈られたことは数多あった、とおかあさんはいふ・・
とまれ、カヨコさんはこんなおしゃべりのときにも手は休めていません。
わたしたちが中味(背筋と腰の筋肉)だけ取り出したアーサーくんの空き箱をカッターで切断しては、雑誌の仕切りを作っていました。
使っていた定規は\100均で求めたものとかで、“同じ目盛りのところならいっしょ”はけだしの見解ではあります f(^ー^;
帰路に着くころには、小雨となっていました。
入院中の病室からも雨が見えるでしょうか?・・わたしたちの大切なおともだち。
叔母さまのところにTelすれば、従姉のエイコさんが大宮の病院への勤務日で、いっしょにゆうごはんを上がっているところでした。
蕗の薹の天ぷらを喜んでくれたようですが、“買うものではない”とか。
“庭に生えているもの”なんだそーです、実家のT大名誉教授のお宅には ;^_^)
3月13日(木曜日・休診日)
あたたかな春風がうれしく、わたしは窓辺でにこにこしているうちにううとします =^_^=
ところが、人間は、といへば・・
“ぶっはっくしょい!”な花粉の季節なのですにゃ (^_^;
去年、花粉症デビューしたおかあさんはおにーさん処方のお薬を飲んでいますが、今まで半人前であったところが一人前ではなくては足らなくなったようです。このお薬なら平気なのですが、以前じんましんができたときに服用した、花粉症にも効くお薬では薬疹ができたことがありました。アレルギーのお薬にアレルギーなのですから、おにーさんに“バカが!”って云われてもにゃ〜(失笑)
おにーさんはといへば、ベテランの花粉症。何しろ高校生のときからなのだそーですから (^^ゞ
お薬を飲んでもくしゃみしつつ、涙を流しながらも、休診日ではありますが、茨城のおともだちのところまで、胃の検査のお手伝いに早朝より出ていました。
おかあさんもお出かけしていましたし、わたしはひとりでPCをいじっては、ホームページの表紙を替えることにしました =^_^=
桜の季節には桜に替えようと思っていたところ、おかあさんは桜の箸置きなど求めてきていましたにゃ (^+^)
おにーさんは、夜もカンファランスのお仕事に出かけていました。
さほど遅くはなりませんでしたが、お食事付きのハズがやっぱり帰宅後にはおかあさんとゆうごはんしていました。
ごくごく軽いものをおかあさんは用意していましたけど (^+^)
おにーさんは目をうるませては、ティッシュの白い花を紡ぎつづけては、“くたびれましたー!”、早々にベッドに向かっておりました。
おにーさんは茨城のまた別のおともだちのお病気の話もしていました。こーゆーことが周囲に多すぎます(嘆)
日曜日に求めたヒヤシンスが日当たりの良い階段室の窓辺で開花し始めました。香りの強い花です (^・^)
3月12日(水曜日)
鳥は鳴き、春風が吹けば花粉も舞っていました。
職員にはマスクの離せない人もありますし、またひとりは満面の笑顔です。
お子さんが大学合格 (^_^)v
6年制の薬学部だそうです。(というものがあるのをおかあさんは知らなかった!)
しあわせのおすそ分けをいただいてから、わたしたちは叔母さま宅へ向かいました。
おにーさんの車もほこりだらけだったものだから、はたきをかけてあげてから (^・^)
おにーさんも往診に向かうところでした。
“どこかに桜が咲いているそうよ”
おかあさんは中山道に並行する京浜線にしばしば目をやっていました。わき見運転はしないでほしい (^_^;
“わ゛!桜、満開!!”
電車からは見えるようですが、車からも見えました!!
吉敷町交差点のわずかに浦和寄りには視界を遮るものがありません。
叔母さま宅へはいつにも増しての大荷物でした。
・クリーニングに出したスーツ
叔母さま宅近くの懇意のクリーニング店が閉店したため、わたしたちの懇意のクリーニング店に出した。同窓会出席のためのスーツ
・シャンプー、トリートメント
叔母さまがおかあさんと同じものを所望したので美容院で求めた
・デスクマット
赤ちゃんがきたのお店で安売りしていたので、わたしたちも用いるものと同じもの
食料搬入はいつものことで、まずはタッパーをひとつずつ開けては、デパ地下の如く試食と説明に入り、メニュー表を手書きしては冷蔵庫に磁石で貼り付けます。
デスクマットは診察場のお机のものが古くなっていたから設え直し(汗)
という、一連のことをわたしが検分するものだから、叔母さまは落ち着かないようでした。
いつもより活発なのは、わたしも春気分だったから =^_^=
“ここんとこが、ぐちゃぐちゃーってなってるでしょ?
四角くしよーね〜 (^・^)”
と、わたしに話しかけるのにも、叔母さまは居心地が悪そうなのです。“そう?るうちゃんがそう云ったのね? って、あなたには聞こえたのね?”っていう人ですから(失笑) わたしとおかあさんの会話は理解しづらいようなのです (^+^)
だもので、おかあさんは説明を加えました。
“るうちゃまが肩に乗って例えば\100均なんかでお買い物してるでしょ?
『コレ、使えるかしらね?』なんて話しかけてると、ジローーーって見ては遠ざかる人もいるのよ (・-・)”
ひとりごとを云ってる人に見える(失笑)
ひとしきりの家の中のご用が済めば、おかあさんは高島屋にわたしのお肉やらを調達に行き、戻ればお茶の時間です。
わたしは既に正座して待っているのですから、叔母さまも場は読んでほしいところです =^_^=
医師会から句会の便も届いていました。
投句したものをランダムに並べての、よい句に投票する選句でありました。
昨日のお客さまより頂いた北本市銘菓の『トマト大福』がお菓子で、叔母さまは“とぉってもおいちい♪”と、おかあさんにペーパーを渡します。
“さあ!さあ!”と急き立てられても、わたしもお菓子を頂かないとなりません。
“母親のつとめ、ですから”って、おかあさんが云うと叔母さまは苦笑するのですけれど (^+^)
ひひ、叔母さま作らしき句を外して選べば、おかあさんは先生の句ばかりを選んでしまうのです、遊びということを知らない(失笑)
3月11日(火曜日)
20℃ちかくもあるような暖かな日でありました。
おかあさんは例によって火曜日のこと、早くからキッチンにおりました(嘆)
やっと! のようにおさんぽに出、洋々堂に行けばカヨコさんは白いコットンシャツでお店を切り盛りしていました。
わたしたちは立ち読みしつつ、“以前にも遇ったわね (^・^)”というお客さんにごあいさつをし(忘れてたけど)、ムック2号のCool Jazz Collectionがビル・エバンスとあれば求め(嘆)
定期購読の服部幸應のお料理ムックはレジカウンターでカヨコさんとまずは立ち読み (^・^)
“わたし、今さー、酢豚みたいなものを作ろうとしているんだけど、唐揚げした豚、要る?”
カヨコさんが、“要る! うれしい!”と言ってくれておかあさんには良かったことでせう。そのつもりで作っていたのでしょうし、“要らない”と余る(失笑)
“今、持って来るね(^・^)”
で、わたしのおさんぽは早くも帰路となりました (`_´)
ただし、おかしのまちおかの前を行けば、ご老人がキャラメルのパッケージを開けるのに苦労していました。
見れば、グリコのアーモンドキャラメルだったものだから、同じものと明治のミルクキャラメルも求めました (^+^)
キャラメルはわたしも好きです =^_^=
帰宅すれば、おかあさんはカヨコさんのところへ用意していたものを取って返して届けに行くのです(嘆)
わたしがどれだけ“あげる”ということのキライなことか!!
ましてや“ごちそうさま”と返されるような食物であればなおのことです (・_・、)
わたしはしばらくむなしくお玄関で悲しみの声をあげていたものであります。
さすればおにーさんが往診から帰り、同じように訪問者があり、おかあさんも戻って来ました。
わたしはお玄関で悲しみの声を上げていましたし、院長室からはおにーさんが、おかあさんを呼びました。
来客は、ついこのあいだまで、レセプト点検に来ていた方だったのです。
急病でピンチヒッターがたったのが昨年の11月でした。
派遣の会社をご退職なさったことのわざわざのごあいさつに見えたのでした。
おにーさんが午後の診療に向かってからのふたりの話は長いのです。お仕事の話から離れても。
わたしは院長室の外で“ぎゃお゛ーん!”って声を立ててやりました。
おかあさんに招じ入れられれば、お相手は涙ぐんだ跡がありました。
・・お病気に重ねて、愛犬のクッキーちゃんが亡くなったことも漏れ聞こえていました。
あれ?わたしがおかあさんに抱っこされてお話に加わるのは場違いか? (・_・、)
おかあさんは彼女からのお便りのていねいな万年筆書きにも感じるところを話していました。
そして、いつまでも別れがたそうでした。
だもので、キッチン作業もわたしのお相手もお手空きばかりとなり、後、おかあさんはわたしの雄叫びと火力との両方が敵だったかもしれません =^_^=
終わると、“投了!”って云っておかあさんはソファに倒れ込みます。わたしもその上に乗るときのなんと至福なことでしょう! =^_^=
ゆうごはんも終わっておにーさんも寝静まり、おかあさんがビル・エバンスをかけました。
“この『星影のステラ』っていいだろ?”って云われてもにゃ〜 (^_^;
3月10日(月曜日)
東京大空襲の日はヤリちゃんのお誕生日。小雨もようの日でした。
おさんぽに出ては、まずは\100shopに行ってみました。
やっぱりあった! 温度計!
って、いつだったかわたしたちも買った覚えがあるのですけれど (^^ゞ
“ドイツ製”と銘打っているものも並んでいます。
並んだそれらはどれもほぼ25℃を指しているのですが、中には24℃のものも26℃のものもあります。てへ、好きなのを選べる許容の範囲が大きい、ということか? f(^ー^;
あらゆる計器の精度についての製品保証について、わたしたちは知りません。
\100だから聞かないのか、だったらいくらだったら聞くのか?
\100shopには、店員さんに製品についての質問はしちゃいけないって書いてありますし ^_^;
PCショップには、“カンで選んでください”と大書してあるところもあるものにゃ ^_^;
カメラのさくら屋には、Fujiフィルムのネーム入りの温度計がかかっていました。□の中に“正”の字が入ったマークもありました。
“さーて、いつからそこに掛かってたかな〜?”
きっと、おじいさんの生まれた朝から、です (^・^)
洋々堂に行くと、まずはカヨコさんから、
“CREAの猫の表紙のものが入っているわよ (^・^)”
はい、当院の患者さんが待合い室にて毎年大好評のものです。今回からは別冊となって登場したようでありました (^。^)
これをば、ビッグコミックと共に求め、カヨコさんはいつもと変わらず明るいのでホッ (^+^)
お客さんで、“今日発売の雑誌で、氷川きよしが・・”という方があったので、カヨコさんといっしょに探しました。
女性誌ネタっぽいものは、週刊現代に (^+^)
ちょっとの会話のうちに、彼女のアイドル熱は沢田研二に始まりで、叔母さまとほぼ同年代で、女学校の生徒だった、らしい。
“突然ですが、仏教が伝わったのは何年だったでしょうか?”
“いっちに!いっちに!・・”
カヨコさんとおかあさんが“(^_^)v”とているのをそのお客さんもたのしんでくれた、のかしらね〜 (^^ゞ
“カヨコさんネタでウケてる”ものに、SoftbankのCMの白犬さんがありまして、カヨコさんの配達の方面にある、今まではただの白い犬だった方が、“おとうさん”と呼ばれるようになってから、通学の小学生も“おはようございます”とあいさつするようになったとか (^。^)
ワンくんも、となれば自覚が出たのか、あいさつを交わすようになったとか (^・^)
カヨコさんとたのしいときの過ごせるおさんぽの時間がだいすきです。
帰宅すると、おかあさんはキッチンごもりなんかばっかりしているし(嘆)
“おとなしいのね〜“と、おかあさんの肩に乗って外出している時は評価されますが、“そっちにばかりいないでよーー!”の抗議の声を上げずにいられようか?(否、できない)
キッチンが片付けば、いっしょにお雛さまをしまい、ソファでおかあさんを押し倒して(失笑)いっしょに新聞やコミックやご本を読みました =^_^=
今夜はおにーさんのごはんの支度はなくて、その代わり運転手。おにーさんは二次会まで参加していましたにゃ (^+^)
春の一日目のようなあたたかさでありました (^・^)
おかあさんが洗車をしていたので雨も近いことでせう (^^ゞ
かわいがっている愛機に乗れば、見沼田圃の春も望めます。
木に咲く白い花は“梅が満開!”なんておかあさんは云うのですが、ピンクの花になると梅なのか桃なのか (^^ゞ
ファームランドみぬまは食の安全が話題になってよりいよいよのご繁昌でわたしたちが行く頃には残りが少なくなっています。
卵は取り置いてくださるのに深謝しています m(__)m
アマ以外のプロの農家もいらしているようで、じゃがいもの種芋は歩幅で植えること、アスパラガスは2年目から収穫できることなどを教えてもらいました。わが社の室内にある栽培セットのそれはひょろひょろとしているのはそのせいなのかしらね ;^_^)
角上魚類へ回ってからホームセンターshimachuに行き、わたしもいっしょに店内を見学しました =^_^=
思いつきで温湿度計を求めましたが、こーゆーものって、メーカーも価格も尺度を知らないものですにゃ。
“シチズンだし〜”
というようにおかあさんと求めました (^.^)
叔母さま宅のものは、棒状のものでとっくになくなった昔のお薬屋さんの名前が入り、摂氏と華氏の目盛りがあります。少なくともおかあさんがこどもの頃には同じ場所に掛かっていた、とか。
くす、ホームセンターに行った目的は、窓を飾る鉢植えを求めていたのでした。ヒヤシンスの芽の出かかった鉢を求めては飾ってたにゃ (^+^)
愛機のごきげんがやたらとうるわしいので、しばらくはムダ走りをしました。
昔だったら気がつけば海岸通りにいたものであったが、今は遠くに新都心の高層ビルを見るところを走っています。いずれ、“減らす燃料増すキケン”ってヤツですにゃ (^+^)
春の一日はたのしく、夕方にはまた! “はいほー♪”ってヤリちゃんがやって来ました。
あらヤダ! おかあさんたらまたお野菜やらお魚やらおすそ分けしている(嘆)
聞きしに、ヤリちゃんはセンコさんとお祓いに行った帰りのようです。
(2月23日の日記参照)
“あたしもいっしょにしたらよかったな”などおかあさんは云っていました。
また、ヤリちゃんを誘ってはPCの前にて、わが社のホームページの有料のヤフーサービス開始を見せていました。アクセスが上位になるのですにゃ〜 (^+^)
しかも、五十音順だと、自然とわが社は前の方になります。患者さんはお医者さんを選ぶのも、お食事の場所を選ぶのも同じ基準で探すのではないかしらね (^^ゞ
“ヤリ、名簿順だと出席番号は何番だった?”
フで始まるヤリちゃんの姓では、50人クラスでも100人でもいつも不定だったそうですが、おかあさんは50人クラスではいつも“007”だったそーです。って自慢か(失笑)
同じ姓でもおにーさんは、“5から8”だそーですけど (^^ゞ
ヤリちゃんとしばらくネットサーフィンをして遊んでいました。
“血の汗流せ 涙を拭くな っていうように探さないところがネットってヤだろ?”
なんておかあさんは云いつつ f(^ー^;
3月8日(土曜日)
あたたかな春がやってきたようです =^_^=
ですが、花粉の飛散は1立方mあたり当地観測で700粒を超えました!
花粉症の患者さんが増えると予想していると、おかあさんが“ぶっはっくしょい!!!”
おにーさんにお薬を処方してもらったのが夕刻です。
それまで、いっしょに西口におさんぽに出てもくしゃみ!くしゃみ! (嘆)
おかあさんが昨日お世話になった美容院の扉を開けばイケメン店長さんがいて“こんにちは (^・^)”で、くしょん(嘆)
忍者ハットリくんや狼少年ケンのコップをガラスケースに収めたお菓子屋さんでは、バナナを模したなつかしお菓子を求めても“くしょん”
八百屋さんでも“くしょくしょ”しつつ焼き芋を求めました。
東口に戻れば、焼き芋はまずは洋々堂のカヨコさんのお慰めとし、カメラのさくら屋にも (^・^)
“はくしょん”はお薬で止まるのでしたから、やはり花粉症なのでしょうにゃ (^^ゞ
キッチンにては、おかあさんは“ちっか”料理という、クックパッドで見つけたお料理を作っていました (^+^)
“ちっか”ってちくわのことと、判明(汗)
静岡のおでんを“しぞっかおでん”と称するごとし (^+^)
新しいメニューを好む彼女の傾向なるも、ただ、餃子の皮にちくわにチーズだのの味付けしてオーブントースターで焼いてただけだけど。
ちくわの磯辺揚げというおかあさん時代の給食メニューはあるようですけれど、おかあさんは好まずおにーさんは好きみたいです (^+^)
“ちくわり力おそるべし!”
なんておかあさんと語っているとヤリちゃんがやって来ました。
この人もチクワは給食で馴染みで。
おかあさん開発よか、給食メニューの話題でしたにゃ (^^ゞ
くす、おかあさんの語るところの給食ってわたしには夢の調味料も加わっているのか、すてきな食をイメージします。
わたしが鯨のベーコンを食してみませば、とてつもなくおいちかったものです。
おかあさんの試したように、豚のベーコンの方がよっぽどおいちかったですけれど、わたしには塩分がキツイときっと配給はないのだわ(嘆
休診日の前夜です。
おかあさんにいっぱいごろごろにのゃん =^_^=
3月7日(金曜日)
春の日はうつろいやすく、夜には雨の湿りがありました。
午後、おかあさんが美容院になぞ出向いているものだから、わたしのおさんぽだってありませんでした (-.-#)
だものだから、ゆうごはんがたのしみで大食しては、おかあさんに“こんなに食べていいものか?”と云われ、挙げ句の果てに戻しました f(^ー^;
美容院のこと。
行くときにさくら屋を通りかかれば、イガラシさんあたりから、
“このあいだ行ったばかりぢゃない?”
なぞ云われた、と。
それって、“昨日ごはん食べたでしょ?”、だから今日のごはんは要らない、ということにはならないと思うのです (^^ゞ
おかあさんは美容院ではカットとカラーをお願いしています。今回は桜色ということで (^+^)
カラーの液を付着させたところで、おかあさんは“何かに似てる”と思ったのだそうです。センターで分けて左右の髪が外側にカールされた状態だったそーな。
“ヤマトタケル・・”
とつぶやいたところで美容師さんが噴き出し、その高らかな声は店内にとどろき・・
3月の美容院は平日というのに、卒業式を控えたお客さんでご繁昌だったそうです f(^ー^;
美容院というところでは、席に着くと雑誌が配されるそうです。
洋々堂ではそういった雑誌を配達しているのでありますが、カヨコさんのギモン。
“何を基準に置くのかしらね〜 (?_?)”
おかあさん答えて、
“そりゃー、客層でしょうよ”
・・・おかあさんの前には家庭画報の置かれることなく、3冊置かれれば1冊は婦人誌なるも、オヤジ雑誌が1冊はある、のだそーですけれど(失笑)
駅弁記事を熟読し、イケメン美容師さんとは鉄道博物館のハチクマライスを話題にした浮き世床 (^+^)
“うめそー!!”と返した彼に、
“カワイイ!”
思いっきりの真顔で云われて帰宅しました。
叔母さまの“あなたと同じものを使いたい!”宣言でシャンプーとトリートメントも携えて (^+^)
たいそう疲れるところらしく、わたしとしばらく読書(居眠り付き)をいたしました(グルグル =^_^=)
人間のゆうごはんは、叔母さまのところにも持って行った和風カレーで、できあいのS&Bのルーを用いたものに袋詰めのおうどん。これがおにーさんにも叔母さまにもたいそう評判がよく(失笑)
美容院の雑誌で見た京都のカレー南蛮はきつねも乗るもので、おかあさんは関西にいたこともあり、“そーそー、そーゆーのあった!あった!”と、添えていました。・・こちらもおにーさんはよろこんでいましたけれど、手抜きを喜ばれるのにおかあさんはフクザツみたいでしたけど ^_^;
わたしも京都にも行ったことがありますが、わたしなりにフクザツな思い出です。いっしょに行った人と再会はないのですから。
3月6日(木曜日・休診日)
おかあさんの春の愁いのように空は青く、白い雲の一刷子は不安の因子のようでした。(大げさ(失笑))
この数日来のそれぞれのおともだちが心配で、メールの返信もありません。
最悪の進展を予感しつつ、おかあさんは叔母さまの都合を伺っては、叔母さまと3人で休日を過ごすことにしました。
叔母さま宅に着いては、そのまま入らずに、わたしを抱っこしてほど近い呉服屋さんに行ったのも、ほんのおかあさんの気まぐれであります。
ひとりお店番をする和服の婦人はかなりの猫好きで、わたしを好いてもいてくれますから =^_^=
“わ゛ー! いらっしゃい!! るうちゃま、抱っこさせてー (^・^)”
といふように (^^ゞ
お針箱を開けての何やらの作業中でもありました。
“縫ってらっしゃるの? ほどいてらっしゃるの?”
おかあさんが問えば、ほどいているところのようでしたけれど。
抱っこされていても、わたしは周囲に積まれる反物などを首を何周もさせて伺っていましたが、さりとて自由は利きません f(^ー^;
叔母さま宅に入り、熊谷守一の展覧会の県立美術館に行こうか、そちらはご希望ではなさそうで、俳句の取材に鳥の声だの木の芽だのがご希望でした。さて、どこへ行こう・・
というときに、ケータイの鳴ったものであります。
“んぢゃ、取りあえず浦和に戻ります”
と、おかあさんが応えて、叔母さまに“ごめんごめん m(__)m”、わたしにも“ごめんごめん m(__)m”で(嘆)
わたしには叔母さま宅に行って帰っただけのドライブになりましたし、叔母さまは未然です。“なんだかにゃ〜”と思いました。
おかあさんもお出かけしては、“なんだかな〜 ;^_^)”と戻ってきました。
・・この件、おかあさんは在りし日の姿を偲ぶほど心配していたみたいですけどにゃ (^+^)
そのわりにお出かけついでに、調味料入れを新調したり、桜のお懐紙を求めたりしていたみたいですけど。おかあさんがホッとすればわたしもいいんですけど、なんだかにゃ〜 =^_^=
3月5日(水曜日・啓蟄)
春の陽差しに慣れたところで、めっきりと寒いのです。
お窓を開ければ、小鳥たちの呼び合う声がし、俳句の季語なら“さえずり”ってとこかにゃ (^・^)
叔母さま宅に出向く前に車を出せば、フロントグラスには黄砂がべっとりと付着しているのでありました。おかあさんはおにーさんの車のガラスも拭いていましたにゃ (^+^)
わが車の乗りごこちはよろしく、運転するおかあさんの言葉では“えもいわれぬほど快調! (^_^)v”なのですが、って、一体ふだんはどんな状態なのか(失笑)
でも、だからといって、叔母さま宅前の一方通行の道に入ろうとすれば工事中で通行止め(嘆)
逆方向から長ーーーいバックで侵入するというのもにゃ〜 f(^ー^;
まずは、
“ところで、ホットカーペットのお具合はいかがですか?”
のおかあさんの問いに(日曜日の日記参照)、
“はい、とてもあたたかこうございますわ (^・^)”
など、叔母さまが応えるものだから、わたしは新しいホットカーペットの上でふたりのようすを観察することにしました =^_^=
おかあさんは搬入した食料に解説を加えつつも、叔母さまの“心の痛むこと”について語っていました。
あのことやらこのことやらは、わたしはもう知っているのですけれど =^_^=
全く関係のない世界の叔母さまは、ゆっくりと聞いては、年の功で(失笑)
“みんな何とかなっちゃうものなのよ (^.^)”
なんて云うものだから、輪郭だけ語ったおかあさんも“くすっ”なんて笑ってしまうのです。
それを香箱を作って聞くわたしに気づけば、叔母さまは、
“『何でも知っている かまど猫』ね〜”
と有名な句を例にとって。そ、何でも知ってるの (^+^)
おかあさんが掃除機なる武器を取り出せば勇気ある撤退もしますし (^_^)v
終わればお茶の時間を催促もします。
残念ながらその時間も短かったのですけれど。
帰り道になるところが叔母さまも同乗したのは、レセプト提出に医師会に出向いたためです。
車中の話題は、今度は叔母さまが主流で、やっぱりナイショ話で、耶蘇のおともだちのあれやこれらは、おかあさんには直接の関係もないものだから話しやすいのかもしれません (^+^)
帰宅が遅くなり、とっくに閉院した当院ではおにーさんが所在なさげに待っていました (^_^;
“大宮の医師会でも、事務長さんが時間外こそ! というように忙しそうにしたいたわ。ナントカ委員会があったみたい“
なんて、おかあさんは話していました。
云いつつおかあさんは持ち帰ったタッパーを洗い、わたしのお肉を焼き、わたしは催促の“にぃーーお゛!”を叫ぶ!
いつもの水曜日が無事に過ぎることを、おかあさんこそよろこべよにゃ =^_^=
3月4日(火曜日)
春はうららで陽気は凍えからは遠ざかったようです。
だけど、おかあさんは春の愁いで・・ わたしにはもしょもしょと語るのですが、わたしも公言できるものではなく。
各所、お互いに全く関係のないところのおともだちから、“ナイショよ”の諸々がその原因ではあるのですけれど。
昨日にひきつづき、院長室のレセプト作業もつづいていましたし、彼女たちへのお茶出しも、また、キッチンごもりもいつものとおりの火曜日です。
おさんぽに出れば、HOPビルの2Fはコマの入れ替えがあり、かなり大きなリサイクルショップになるようです。
赤ちゃんがきたのサイダさんに、
“セコハン屋になるんだー”
っていうと、彼は古語を理解し (^・^)
ついでに話せば、彼の愛読紙は毎日新聞で、“ナンバーワン”を嫌う傾向のようです。大樹や日の丸の親方を厭う姿勢はこのましい (^・^)
カメラのさくら屋は卒業の季節を迎え、記念写真に忙しそうでした。
イガラシさんはため息とあくびを同時にする離れ業を見せてくれました (^^ゞ
いつものように洋々堂に入ったときです。おかあさんは気遣わしげにカヨコさんのようすをうかがうのです。
何も変わらないいつもの洋々堂でありました。
その直前、わたしたちは駅前のマツキヨでHOPビル店には置いていないレノア(お洗濯の柔軟剤)を求めていました。
“花粉にも効くっていうし『おひさまのにおい』なんですって (^・^)”
おかあさんが披露すれば、カヨコさんも“わたしも (^・^)”と、お買い物の代行をしました。
“ふたつ買ってきて”というのは、これからしばらくも彼女は何人分も働かねばならないせいで(汗)
そのとおりマツキヨで求めれば、“ひとつは詰め替え用にしたらいかが?”と勧められました (^_^;
それを含めて、カヨコさんとは立ち読みしてもいっぱいいっしょに笑いました。いつもより以上に。
帰宅すれば院長室のお茶の時間で、さらにとおかあさんのキッチンごもりはつづくのでありますが・・
突如! マチコさんの乱入!!
閉店以来、すれ違いっぱなしだったのです。
くす、こちらもおかあさんは心配していました (^^;)
院長室の作業は長引き、おにーさん院長の帰館(徒歩・階段1階ぶん上がるだけ)と ほぼ同時でした。
“また来月 m(__)m”
と、お別れして次の機会は桜の頃です。春の愁いはまだ続きそ ^_^;
3月3日(月曜日・おひなまつり)
あたたかく、春がまた一歩近づいたようです *^_^*
おひなまつりなので、おかあさんのまずのお仕事はおひなちらし作りでありました。
ご飯に寿司酢を加え、作っておいた具材を混ぜ込めば、ちらしの土台の出来上がりです。トッピングも昨日用意していましたにゃ (^+^)
桜でんぶに錦糸卵、菜の花のからし和えまでは毎年いっしょですが、他に今年は、穴子とスモークサーモンを添えていました。サーモンは薔薇の形にして、海老やイクラの時もあります。
ご飯を詰め、トッピングで飾るのは、スタッフ用には大きな器、自宅用にはそれより小ぶりのもの、ディスポの容器ふたつは朝から院長室にてレセプト点検作業に入っている業者さんの分です。毎月の月初の作業ですが、おひなまつりと重なったのは初めてだったでしょうか。
お昼休みに配り、その場で召し上がるスタッフもあり、院長室の人たちはどちらも主婦なので持ち帰っていました。
わたしは院長室のドアの閉鎖されているのを見ては、毎月のことながら気が気ではないのですけれど (-.-#)
院長室から漏れ聞こえるお昼休みの会話に、
“ごぼうは別に煮て”というように、大阪人のちらし寿司の作り方について聞こえれば、おかあさんもガマンがならず(失笑)
“え゛? どーやって煮るんですって?”
と彼女たちのお休み時間をジャマしに入るのでした (^^ゞ
(先月5日の日記参照)
“ほかにかぁ? かまぼこもうすく炊いて入れるぅ (^・^)”
それまでと違って関西アクセントで答えが返ると、おかあさんはなんだかうれしそうなのです。
“で、ヤマヲさん、アメ、持ってます?”
やはり!! のように彼女はバッグから小袋を取り出せば、
“あめちゃん、いるぅ? ひとつあげる、どれがいい?”
句節ごとに尻上がりになるアクセントで、バッグから取り出しましたにゃ。おおさかのおばちゃんは誰もが“あめちゃん”をバッグにあるいはエプロンのポッケに入れている! (^・^)
おにーさんは彼女の影響でイカリソースが食卓に上がったことは新鮮のようですけれど (^^ゞ
おひなちらしの後も、おかあさんはキッチンにて忙しいのですけれど(嘆)
Cool Jazz Colectionというムックが創刊されていて、マイルズ・デビスだものだから求めました。
あら? カヨコさんには意外だったようですけど f(^ー^;
“ジャズって夜の音だよね?”
何度このフレーズを聞いたことか (-.-#)
ゆうごはんのおひなちらしをおにーさんが堪能し、(彼は甘いでんぶがとってもお好き)、やがて寝静まってからおまけCDが開封かされました。わたしには、眠りにメリハリのできる、というか、妨げられないような音量で聞いてほしいものなだけ、ですけど (=^..^=)
3月2日(日曜日)
うららかな春の始まりのようです *^_^*
帰還したわが車はたいそうごきげんな乗りごこちなのであります。
ファームランドみぬまの見沼田圃から、東川口の角上魚類、電気屋さんのはしごからガソリンスタンド、ペットショップに叔母さま宅まで乗り継ぎました (^・^)
見沼田圃では梅が満開でしたし、春風は心地よくすら感じるのは、わが車のおかげでしょうにゃ (^・^)
食品の値上げについては耳にしますが、ファームランドみぬまでは8個入り卵が7個入りになっていました。14%の値上げ (^0_0^)
電気屋さんをはしごしたのは、叔母さまのところのホットカーペットが故障したので新しいものを求めに行ったのです。
ヤマダ電気に行ってみれば、たいそうな賑わいで、日曜日の常と思っていれば駐車場空きスペースに入れると、車体を叩く人がありました。
“トントン”ではなく、“ドカンドカン”です (?_?)
空き待ちをしていたそうでしたが、他のスペースにわたしたちは入れられましたけどにゃ (^^ゞ
かようにいきり立つ御仁があったのも、そのお店が改装のための閉店セールとやらで大安売りをしていたのでありました。
よって、ホットカーペットなどとっくに売り切れていたのでしょう。
コジマ電気で、“最後の一枚!”というようなものを求めました。半額以下 (~_~;
叔母さま宅の近くのお店だったので、お届け設置しました。
教会から帰ったところのようで、いつもだったらおともだちがわらわらといる、またはおともだちと昼食からお茶と長い外出の時間ではありましたが、さいわい、ひとりで紅茶なぞ淹れていました。
叔母さまへのおみやげは、途中で不二家のペコちゃんポコちゃんのプリンもありまして、こちらは容器のみがおかあさんにはシュミの対象です。もちろんわたしたちの分もありました (^・^)
叔母さま宅に車を横付けすると、ご近所さんがわらわらと集まったり、中には“るうちゃまもいっしょ?”など確かめに来る方もいちゃったりするのですけれど(汗)
叔母さま宅へ長居するほど、わたしたちの日曜日はヒマではありません。
帰途、同じコジマでもペットショップ・コジマでわたしの食料の調達をしました。
近づくやたらフレンドリーなゴールデンレトリバーに“うーーー(`_´)”、ケージのチビたちには“くかあっ!”をお見舞いしました (^-^)
わたしは動物を好みません (-.-#)
商品を並べる店員さんたちの合い言葉が“ナマステ”って、チベット語のように聞こえましたけど (^^ゞ
やたらの大安売りだったので大量に仕込みました。わたしたちの前にレジに並んでいた方こそ、あまりの大量に驚きました!
“ウチには大勢いますから (^^ゞ”
と、仰っていましたが、そういう場合はたいていは安価なカリカリを求めるものですが、缶詰ばかりというのは、のらさんではないということなのかしらね (~_~;
帰宅しては、おかあさんと持ち帰った食料の仕分けをし、わたしの手も貸したいところですが、おかあさんは明日のおひな祭りのためのちらし寿司の手配にかかりました。
スタッフに加え、明日にはレセプト点検業者さんが入るのでこちらの分も用意しているのです (^+^)
“薄焼き卵を失敗しないコツはね (^_-)”、とおかあさんがわたしに云います。
ヘタなりの工夫は水溶き片栗粉を混ぜるんだそーです φ(..)メモメモ
叔母さまのところの故障したホットカーペットを来期まで待てなかったのには、おかあさんなりの理由があるようです。
彼女が一人暮らしを始めた学生生活は4月のこととて、学内の生活用品を賄う生協にも、街の電気屋さんにも暖房具を商っておらず、
“とてもとても寒い春・・だった・・暖房具はおふとんのみ (;.;)”
との18才の春がトラウマらしい(失笑)
あら?春みたい! ぽかぽか (^・^)
おにーさんは午前の診療はマスクをしたまま。花粉症の季節にて違和感もなかったことでせう(失笑)
(昨日の日記参照)
でも、当地での飛散は環境省発表によれば、1立方mあたり100個あたりです。的中すればくじに当たったようなもので (^^ゞ
お昼休みには、歯医者さんに緊急受診して、接着剤で補修してもらっていました。
最近の接着剤は有能で、直後に食事も摂れてましたにゃ。野菜スープやら、やわらかいものをおかあさんは用意していましたが、その必要もなかったみたい (f^^)
午後のわたしのおさんぽへは、駅の西口まで行きました。
春風は強く、わたしのたてがみをなびかせるほどに =^_^=
お豆腐屋さん、お魚屋さんの残る商店街を見るのが好きなのです。
八百屋さんだって、“ウチのものは安全!”と言い切るようなお店が残っているのですから、たのしい商店街です (^・^)
餅菓子屋さんには菱餅もありました。
ちょっと重いのでパス (・_・、)
お菓子屋さんの店先に、おにーさんの好きなお砂糖まぶしのおせんべいを見つけたので求めました。
店内には、商品を飾るべき棚に、薬屋さんのサトちゃんだの、鉄腕アトムのフィギュアが飾ってあったのには驚きました!
狼少年ケンのコップも飾ってあったのには、おかあさんはひたすら感動していましたにゃ。
ご主人のごシュミのようでした。もしかしたら故人かもしれません。なつかしいかおりがしました。
そのお店のラヂヲのようなものは、やはりラジオで (^^ゞ
“ラジオはいいわよ (^・^)
土曜日の朝は永六輔で、午後は久米宏が聞ける”
岩波新書のようなお店でした (・-・)
猫のわたしが訪れても、“ねこのさんぽね”って、さらーーっと受け止めたのもをかしいことでした =^_^=
東口に戻って、洋々堂に行けば、カヨコさんといっしょに『主婦の友』を検分しました。カヨコさんだっておかあさんだって読むは希薄でしょうに、廃刊となるそうですから、妙な執着を見せます。
わたしたちの手許には、“夢いっぱい! 昭和のレシピ”なんていう主婦の友の昭和30,40年代のレシピ集があります。
当時は、『主婦の友』は、おハイソな生活に目標がある時代だったことが偲ばれます。
夕方、ヤリちゃんも道明寺桜餅をお持ちになり、たのしいお茶の時間となりました。
こんなとき、わたしは正座してお菓子を待つのです。
てへ、和菓子系より、生クリーム系の方がわたしは得意なんだけどにゃ =^_^=
おにーさんは、元女子高生の話題にすべりこもうとするのは、元が現役の時代とは変わらない、っておかあさんは云います。
おかあさんとヤリちゃんが“ティファニーで朝食を”の本を話題にすれば、おにーさんは“スベ”っていましたから (^+^)
おかあさんの見せてくれるモノクロフィルムの画像は、わたしになじむものです。
わたしの共感ぶりに、“あんたは前世、戦場にあったのかい?”なんておかあさんは聞くのですけれど (^+^)