十六夜会(特別寄稿)
このページの内容は、今までのような級友の誰かとか私とかの記憶を書いたものではない。内容も、あの頃の思い出などのような軽いものではない。そのつもりで読んでいただきたい。中学を卒業して50年近く経った今の時期、まだ早いという人もいるとは思うが、下の文にもあるとおり、人間はいずれ死んでいくのだから、こういうものを読んでおいて悪いはずがないと思うのだ。なお、これは全文、上田兄からのメールのコピーである。
講演:「現代医療とホスピス」(講師:阪大・人間科学部教授・柏木哲夫氏) の要旨 ’00.12.14
昨日、関電藤副社長から参加要請があったので、急遽同社主催の「かんかん (注) ホスピスに関する研究・実践の第一人者。 淀川キリスト教病院副院長を経て、現職。「死に学ぶ」等、著作多数。 ・20年余のホスピス(”巡礼者のための宿泊所”が原意)としての淀川キリ スト病院勤勤務の間に、約2500名の患者の最後を看取った。 患者の平均年齢は63才。2才から99才まで。平均入院日数は27日。 入院後1ヶ月で最後を迎えるということになる。 ・日本では年々90万人が死んで行く。その1/3(30万人)がガン患者。 5年生存率が50%を越えたといっても安心できない。ガンがまだトップ の座を維持している。 30万人の内、95%は病院で、わずか5%が自宅で死ぬ。 自宅での終末治療の体制強化は大きなテーマである。自宅で最後を迎えた いという患者は実に多い。ただし、現状のままでは延命治療体制も不充分で ある上、家族の負担があまりに大きい。結局、病院に逆戻りする事例も少な くない。 これにたいし、アメリカでは20%が自宅で終末を迎える。ただし、米政 府が医療費削減の狙いでその方向に誘導している要素もあるので、評価はむ ずかしい。 ・病院の機能は「検査・診断・治療・延命」の4つ。 日本の病院のレベルは検査・診断・治療は世界レベルで見ても一流。 とくに検査。胃カメラ・シリカルCT(CTで輪切りにするかわりに、ス パイラル状に切る。検出率が大きく向上する。)の分野などはダントツだ。 ・これに引き替え、「延命」は問題。 力ずくで延命するばかりで、直る見込みがない患者にたいする対処が不充 分だ。QOL(クオリティー・オブ・ライフ。人間らしい死に方)への敬意 が欠けている。 末期ガン患者に点滴を続けて延命させ、蘇生術まで実施するスタイルの一 辺倒でいいか。 これでは、患者の苦痛を長引かせるだけではないか。 医療技術の進歩に向けて医師がチャレンジすることの意義を否定している のではない。患者本人の苦痛、QOLと家族の苦悩とのバランスを細心に検 討した上で、結論を出す必要がある。 アンケート調査によれば、日本人の90%は”少々寿命が短くなっても、 人間らしく死にたい”と考えており、”苦痛の緩和”を中心とする治療を希 望している。 ・ところで、わが国でのホスピス第1号を淀川キリスト教病院でスタートさせ た経緯はこういうことである。 ’72年にワシントン大に留学した際、末期ガン患者のチーム・アプロー チに参加したのが発端。 直る見込みのない患者のために、医者はもとより、ソーシャルワーカー、 牧師、弁護士を含むチームが論議を重ねながら、終末治療に全力投球する姿 に感動した。有名なイギリスのソンダース博士の指導も再三仰いできた。 帰国後、このコンセプトを日本でも実現させようと運動を展開した。 年間90ヶ所で講演、1年9ヶ月で2億円の募金を得て、淀川キリスト教 病院(新大阪駅の近く。車中からだと、駅に向かって左側に見える(上田)) を日本におけるホスピス第1号としてスタートさせた。 対象はガン、エイズ(過去1名のみ)。アルツハイマー病もいずれ対象と したい。 ・現在、日本には81のホスピスがある。アメリカは3100(内、90%が ホームケア・ホスピス)である。正しくケタ違いである。 ・全国ホスピス連絡協議会の会長をしているが、まだまだやり足りないことが 多い。 まだ8県にホスピスがない。設備・治療の質もアップしたい。先進の欧米 にさらに学びたい。日本での知見を東南アジアへもシフトしたい。ホスピス 財団を発足させたい(これは近々厚生省のOKがでる。皆さんにも賛助会員 になってほしい)等々。 ・事業としての収益基盤はほぼ確立しつつある。わが淀川キリスト教病院でも 然り。’90年の制度新設で患者一人当たり38千円/日の定額補助金( 一般病院(9500拠点)の平均(20千円/日)のほぼ倍に相当する)に よる収支改善が大である。 クスリだけではなく、時間をかけて”患者に耳を傾ける”という重要な、 それでいて、これまで報われなかった業務にたいして、正当な対価が支払わ れるようになったことは革命的ともいえる。 今後はむしろ”カネ儲け”のみを目的とするホスピスが輩出することが心 配だ。病院経営が総じて苦しくなるなかで、上記制度を悪用する新規参入者 が増える気配がある。 ・ここで、自分の理想とするホスピス像を図式化すれば、こうなる。 自信作としてご披露する。 H HOSPITALITY O ORGANIZED CARE S SYMPTOM CONTROL P PSYCHOLOGICAL SUPPORT I INDIVIDUALIZED CARE C COMMUNICATION E EDUCATION ・医療の最前線での経験に基づくケアのポイント等をお話ししておく。 ・精神的アプローチのポイント ・まず、患者のベッドサイドに座り込むこと。突っ立ったままでは 圧迫感が出る ・傾聴し、感情に焦点を当てる ・安易な励ましは禁物 ・説明は充分に ・理解的態度で臨む ・”全身を耳にして”患者の訴えを聞くこと。 患者との物理的距離の置き方も大事。”患者にはその日その日の距離があ る”という川柳をつくった位である。 熱心な医者・看護婦ほど患者に近づきやすいので注意を要する。 ”患者は弱者”なので、率直なコンプレーンが出にくい。看護婦の健康さ・ 若さすら患者に劣等感・圧迫感を与えることがある。 自分自身が肺炎で入院してみて、患者がいかに弱い立場に置かれているか を痛感した次第である。 ・”患者と健常者”という区分は間違っている。 ”今死んで行く人といずれ死んでいく人”という区分の方が適切ではないか。 違いは時期が切迫しているかどうかだけである(このコメントは実に重い (上田))。これなら双方に共通項が生まれる。 また、患者同志が慰め合い、励まし合うことの意義も大きい。淀川病院で も週一回の集会、誕生日プレゼントの贈呈等のチャンスを設けている。 ・”らしさ”の尊重。 最後に臨んでのたった1つの望みなどには、その人ならではの人生を賭け た強烈な個性・主張が出る。これの尊重が大切だと思う。 たとえば、”もう一度だけ弘前の桜を見て死にたい”と訴えた患者がいた ので、2泊3日の小旅行でこれを実現したこともある。 ・ユーモアの大切さ。 医師・弱者である患者の間にはカベができやすい。ユーモアがこのカベを 一気に突き崩す力を持っていることがある。 ・病室は明るく、広く、暖かく。一般病棟との分離は不可欠。 寝たきりの婦人が”一度でいいから立ちたい”というので、理学療法士が ベッドを改造し、両足をベルトで固定して、この希望を叶えたことがある。 ”立ってみると、自分の視野が広がり、心まで広くなった気がする”と感謝 された。 ・やはり、宗教の効用は大きい。 淀川病院の場合、50%が無宗教、17%がキリスト教、27%が仏教。 受容度は明らかに宗教を信じる患者の方が高い。 思えば、ターミナルの原義は単なる”終わり”ではなく、あらゆる宗教が 持つ”現実と来世・彼岸の併存を前提とした、その境界線(TERMINA)”のコ ンセプトを含んでいる。 ・ガンは告知した方がいい。時代も急速にこれを容認する方向に動いている。 親族の懸念があってもこれを説得して、本人に告知するケースも少なくな いが、総じて好結果を得ている。 人間はだれでも、家族も、当の本人すら予想しないような、意外な強さと したたかさをもって事態を乗り越えて行くというのが実態だ。 ・苦痛への対処(緩和医療)の考え方。 死亡する1ヶ月前あたりから、患者の苦痛・不快感は急速に増大して行く。 ただし、医療技術の進歩のお陰で痛みの90%はコントロールできるよう になった。主にモルヒネを使用する。24時間、適量を継続的に注入できる 、コンパクトで肩からかけて使える機械も実用化された。体力さえ残ってい れば、小旅行も可能である。 問題は残る10%の痛み。神経破壊性疼痛(神経が圧迫されるのではなく、 神経自体がガンにやられるケース)である。これには決め手が見つかってい ない。 それと全身の倦怠感、呼吸困難。とくに、”身の置き所がない”と患者が 訴える”だるさ”を和らげる手段はまだない。コミュニケーション上の支障 はあっても、意識レベルを落として対処するしか、今のところ方策はない。 ・安楽死についての私見。 ”積極的安楽死”に限って認めるべきか。患者自身の再三にわたる要請、 親族の強い希望、医者の主体的関与の3条件が必要。 ・日欧のガン観の差。 日本:”私はガンです”とガンが全人格を圧倒している感がする。 欧米:”私はガンを持っている”と自分の主体性が強く出る。ガンは全人 格の一部でしかない。 以上 MEMENTO MORI. |
読後の感想は上田兄の方に送ってもらいたい。また、これを読まれた方の中で、同じように講演を聴かれて、仲間にもその内容を教えてやろうとおっしゃる方は、ぜひ私宛に原稿を送っていただきたい。出来るだけそういう高尚なもので、私のHPの価値を上げたいと思っているので・・・。これを「人の×で相撲を取る」というのだろうか。