級友たちのこと
学校のことを書いた以上、級友たちのことにも少し触れておきたい。
名簿の上では、物故者としてひと括りになっている「今は亡き」級友のことも元の場所に戻して書いておく。多少、文章の長短があるが、お許し願いたい。あくまで独断であることもお断りしておく。
男性篇
赤 川 | 行 男 | サッカーの影響を強く受けたとみえて、今も京都府のサッカー界で赤川といえば知る人ぞ知る存在 | |
荒 木 | 邦 彦 | 音楽を趣味とした一人。宇治だけではあきたらず、今は滋賀県の男声合唱を指揮している | |
有 井 | 俊 介 | 造り酒屋の息子。酒の名は「×ごころ」。決して「シタゴコロ」ではない。口を押さえて喋る癖があった | |
井 上 | 喬 | 細い身体で陸上(特に長距離)が得意だった。彼に本番レースで敗れて悔しがった友は多い | |
伊 吹 | 文 平 | 中学時代は「指宿」といった。卒業後に数人で琵琶湖へ行ったな。ホラ、丸チンが濃縮を配ったキャンプだよ | |
上 田 | 英 一 | アメ車の名前に強かった。サッカーではいつもジャンケンをしていたので、同じチームになったことがない | |
宇 田 | 優 | 家は中学のすぐそばで父親は画家。その故か、画才は抜群。今もデザイン・ルームを主宰している | |
内 堀 | 和太郎 | 一見、強モテの雰囲気だが、仲間を思う心は人並以上。見かけによらず心優しいのだ、と書くと叱られるかな | |
浦 谷 | 浩 平 | 秀才である。その彼が今は何処にいるのやら・・・。人生万事塞翁馬とは彼のことを言ったもののような | |
遠 藤 | 敞 于 | この名前が「たかゆき」とはね。毎月「少年」や「少年クラブ」を学校に届けてくれていた。大声を何とかしろ | |
大 倉 | 淳 作 | 幼稚園からの付き合いだからもう60年になる。彼の家の鳩時計とピアノ、すでにあった水洗トイレを思い出す | |
太 田 | 家寿夫 | 伏見桃山の名医とか。近鉄の車中から見えるので、彼の家には週に一度くらいお目にかかっている | |
大 中 | 繁 明 | 何になりたいか、という問いにデザイナーと答えた。彼のデザインになるグラスは今も我が家のお宝である | |
岡 本 | 茂 俊 | 彼には全く会う機会がないが、彼の弟君には同窓会で世話になっているのだ | |
小 河 | 隆 一 | いわゆるガキ大将。御香宮の祭礼には、彼に連れられて行った記憶がある。「横禿げバック」 なつかしい | |
長 村 | 俊 行 | 喧嘩っ早かった彼だが、今もそうだろうか。自重してほしい、と心から思っている | |
加賀見 | 貞 夫 | 4by4の常連。それもいつもご夫妻で・・・ありがたい存在である。ずっと木幡の住人 | |
梶 原 | 泰 彦 | いつも優しい笑顔で「佐藤くん」と呼びかけてくれる。彼の家も訪れたことがあったが、場所が思い出せない | |
川 勝 | 之 彦 | 西田 | 銀行マン。同窓会にはまだ一度も出席してくれないけれど元気なのだろうか。正月によく遊びに行ったっけ |
北 川 | 嘉 則 | 家業の製茶業を継いでいる、根っからの伊勢田の住人。私のような駆け出しの伊勢田マンとは出来が違う | |
吉 川 | 太刀夫 | 電車の中で、彼の眼科医としての評判を聞くことがある。「良い先生だ」という。そうだろう。その意見は正しい | |
吉 川 | 弓 夫 | 図画の授業で、彼をモデルにして人物像を描いたことがある。ハンサムに描け過ぎていると言われた | |
北 畑 | 薫 | 大きくて、黒くて、スポーツマンだった。小学校の頃から一緒に通学していたように思う | |
木 村 | 嘉 昌 | 京劇での団体映画鑑賞で彼のニックネームは決定した。その時のタイトルは彼の名誉のために書かない | |
小 国 | 知 雄 | 桃山中学近くのミカンの木のある家、というのが、彼の家を最初に訪れた時の目印だった。良く集まったな | |
小 松 | 健 彦 | 同窓会はたまに参加する方が、大事にしてもらえる・・・などと言っていたが、もうそれを期待するのはよそうや | |
越 山 | 捷 利 | 彼のスポーツは野球。でもプロへは行かなかった。そんな彼が自動車の免許を取ったのが50歳以降とは意外 | |
佐 藤 | 道 雄 | 特に書くことはない。生きているのは確実である。このHPの作者である。誰かに私のことを書いてほしい | |
寒 川 | 忠 臣 | 当時はあまり親しく話す機会がなかったのに、今は月に1度以上メールをやりとりしている。お互い筆マメだな | |
大 島 | 芳 孝 | 塩山 | 彼を見付けるのに50年近くかかった。勧進橋あたりから市電と京阪を乗り継いでいた、と記憶する |
篠 原 | 遥 | 「蚊」の研究をしていると聞いていたが、住所を見ると「原子力」関係の仕事なのか | |
島 本 | 和 彦 | 大きい身体に細い優しい目。しゃべり方もまた優しい。その彼は医者。なるほど「天職」だなと思う | |
高 田 | 幸 信 | 乙訓郡神足からはるばると通学していた。当時の彼の憧れはジーナ・ロロブリジーダだった | |
竹 内 | 一 | 稲荷駅前の歯医者さん。中学のK先生が治療に来て「先生、有難うございました」と言われたのが嬉しかったとか | |
田 中 | 章 | あまり印象がないのだ。きっと私と違って真面目な生徒だったのだろう | |
谷 本 | 一 三 | たしか左利きだったと記憶する。ニックネームの語源は不明。ボルトの相方なのか・・・ | |
種 村 | 裕 侑 | 先代からの教育者。スポーツにも秀でていた。全体同窓会では教職員の席にいるので、しゃべれないのが残念 | |
角 田 | 進 一 | 学校の近くに住まいがあった。この字でカクタ・スミタという人を知っている。ツノダは彼だけ | |
寺 崎 | 紹 晃 | プロの歌手になったのは、同期の中で彼一人。O先生の教えが役に立った一人といえよう | |
東 條 | 武 三 | 東寺と十条の間に住んでいて東條とは出来すぎた話。また、得意の落語を聞かせてほしい | |
中 井 | 揚 一 | ちょっと口を尖らせてしゃべる癖があった。何故か見ただけで理科系の雰囲気を持っていた | |
中 原 | 一 朗 | 自宅へよく来ていた仲間の一人。そんな彼が当時住んでいた伊勢田に今は私が住んでいる。人生の不思議 | |
中 村 | 和 則 | 大人しかった点では私と同じ。その彼が後年、ホテルの宴会を取り仕切るようになるとは・・・ | |
中 村 | 溥 | たしか京町に住まいがあった。彼の父親は本当に建築関係の仕事だったのか。ニックネームではそうなのだが | |
西 谷 | 源 次 | 理屈っぽかったような記憶があるのだが、人違いだろうか。上板橋の住人だったと思う。あいまいで申し訳ない | |
野 崎 | しげる | クサ冠に伐。この字はメールだと打てるのに、ホームページで使うとダメ。幹事泣かせの名前なり | |
野 村 | 治 之 | 沢野 | たしか淀の一口(いもあらい)に住んでいたと記憶する。いもあらいを読めるのは彼のおかげ |
長谷川 | 昌 則 | 一人息子の彼は、いつもお母さんと一緒という印象が強い。今、何処にいるのかなあ | |
原 | 隼 | 入学当時は西村という苗字ではなかったかろうか。何故かそういう記憶があるのだが・・・ | |
樋 口 | 彰 吾 | そんなに音楽好きだったという印象はないのだが、今も職場の男声合唱団で歌う現役である | |
藤 井 | 徹 | 彼を見たら、他のニックネームは思い付かないだろう。そんな強烈な印象をもっている。今もそのままかな | |
藤 井 | 義 雄 | 小柄で、眉毛が濃くて・・・。妙に気の合った彼は、いくつになっても「義雄ちゃん」だった | |
藤 木 | 昭 | 色が白かったせいだけで、女性的にみられていたのは、彼にしたら耐え難かっただろう、といま思う | |
船 橋 | 裕 | クラスが一緒になったことはあったっけ。顔ははっきり覚えているのだが、話した印象があまり無い | |
松 井 | 宏 次 | 家は丹波橋の西の方だった。遊びに行っては、卓球で遊んだ。工場に卓球台があったのだ | |
丸 山 | 正 勝 | 我らの誇り、我らの希望の星だった。メニエールという名前を見るたびに彼を思い出す。今なら直るのに | |
山 田 | 昌 広 | 彼も淀からの通学組のひとり。たしか御牧村じゃなかったかな。違っていたらゴメン | |
山 田 | 祐 司 | 宇治川で鍛えた水泳が、今も彼の趣味?として生きている。三つ子の魂百まで。彼にぴったりの言葉 | |
吉 矢 | 生 人 | 小学校の頃、彼の家で花火をほぐして、ちょっとした爆薬を作ったことがある。危ないことをしたものだ | |
四 方 | 修 | 彼の住まいは最上(もがみ)。早口だったように思うが・・・。これも間違いか。書く自信がなくなってきた |
女性篇 は差し障りがあるといけないので、あえて作成せず。どうしても、という希望があれば、また考えることにする