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101レイキャヴィーク / 101 Reykjavík /
101 Reykjavik

Baltasar Kormákur

2000 Island/Dänemark/Norwegen/F 100 Min. 劇映画

出演者

Hilmir Snær Guðnason
(Hlynur- パラサイト・シングル)

Victoria Abril
(Lola- フラメンコの先生)

Hanna María Karlsdóttir
(Berglind- リヌールの母親)

Þrúður Vilhjálmsdóttir
(Hofi - リヌールのガールフレンド)

Ólafur Darri Ólafsson (Marri)

Baltasar Kormákur
(Thröstur)

見た時期:2002年10月

ストーリーの説明あり

ドイツ語のタイトルは i の上の斜めの線を点に変えただけ。ほとんど元のままです。

「たまには人の喋る言葉を習え」と言われて、しぶしぶ死語を習うのを止めて、グリーンランドを発見した赤毛のエリックの息子、アメリカ大陸発見者のエリックソン(文字通り《エリックの息子》という名前)の国アイスランドの語学の授業に出たのですが、今頃になってようやく役に立ちました。

★ 人口の少ない国

余談になりますが、エリックというのは殺人犯で、罰として追放にあったのですが、暫くしたら帰って来てもいいということで、グリーンランドを見つけて帰って来ました。フリースランドという国が北ドイツにあるのですが、そこは以前人口過疎地帯だったので、人を殺しても死刑にはならず、追放になることがありました。人を1人殺した人を死刑にすると、2人死んでしまうので、これじゃまずいというのでこのような刑を考え出したわけです。アイスランド人というのは元々ノールウェーなど近隣の北欧の国から入植した人たちなので、もしかしたら陸続きのフリースランドの住民と似たような事情で、考える事も似ていたのかも知れません。

★ 苗字の無い国

映画の話に戻って、出演者の名前にやたら付属記号がついていますが、ここに書いたの一応全部正しいです。名前の最後に -dóttir とついていると女性で、-sson とついていると男性です(例えばエリックソン、 ペットソン)。これは「誰々の娘」「誰々の息子」という意味です。本来アイスランド語には苗字とか名前とかは無くて、生まれた時に何か新しい名前を貰って、その後に 身内の名前などが延々と続き、最後に「誰々の娘」「誰々の息子」というのがついて来るというパターンが多いです。私の先生も「苗字なんてのは本当はないんだけれど、外国へ出る時にパスポートに何か苗字らしく見える物が無いと、他の国でもめるから、パスポートを申請する時に何か考え出すんだ」と本当なのか冗談なのか分からないような事を言っていました。そして先生夫妻にも -dóttir と -sson がついていました。アイスランドには1度行きたいと思いつつ、あまりにも高い物価に恐れをなして現在まで行くことができません。この映画を見て、町の様子などが具体的に分かりうれしかったです。

また話がそれますが、上に出て来た発見者親子の子孫はまだ健在なのだそうです。野次馬根性があるので、機会があったら1度ぐらいは行ってみたいです。

さて、ここからは本題に集中。映画の話に戻ります。クリスマスから大晦日にかけての話で、気温は氷点下30度ぐらいのはずなのですが、町の人が薄着をしていて、家の壁もそれほど厚く見えず、インソムニアではありませんが、白夜に近いはずなのに比較的明るいシーンが多いので意外に思いました。そして主演の1人はスペイン人。よくあのややこしい言語を覚えたものだと感心しました。文法がややこしく、発音はスペイン語に比べるとちょっと難しいところもあります。残念ながらドイツ語に吹き替えてあり、原語を聞くことはできませんでした。

★ 比較パラサイト論 − フランスのタンギーと比べる

さて、ストーリーはと言うと、ばらしてもそれほど楽しみが減るような筋ではありませんのでざっと紹介します。タンギーのアイスランド版です。30歳になる寸前のタンギーはフランスの首都パリの高級住宅街のすばらしいアパートに住んでいましたが、こちらの主人公リヌールはアイスランドの首都レイキャビク101地区(郵便番号)で生活保護を受けているぱっとしない30男です。タンギーには寛容な金持ちの両親が揃っていましたが、リヌールの両親は別居していて、父親はアル中です。とは言うものの寒い国ですからアル中と人に呼ばれるまで進んでいない人でもかなり強目のアルコールを飲みます。リヌールのパラサイトぶりは徹底していて、母親と同居。朝っぱらからテレビにポルノがかかることを夢見ながら、毎日を送っています。ベッド、風呂、食卓の間を行き来する他はたまに外出して、女の子と付き合っていますが、気を入れて付き合うわけでもなく、怠惰な毎日を送っています。母親はギューツ家(タンギーの苗字)と違い「なんて可愛い赤ちゃんなの、一生私の所にいてもいいわよ」などと早まった事は言いませんでした。それでも息子は家から出ていかず、仕事もしません。

タンギーは非常にお行儀のいい映画でしたが、101 Reykjavík はそれと反対のスタイルを追及しています。タンギーは家に居ついて独立しないという意味ではパラサイトでしたが、ちゃんと学校に行き、その後教職につき、自分のお金を稼ぎ、博士号も近いというエリート街道を歩んでいました。リヌールはそういう事にはそっぽ。服装なども清潔そうで女の子に好感を持たれるタンギーと違い、不精髭を生やし、似合わない眼鏡をかけ、全然ぱっとしません。上品さとはおよそ縁が無く、セックス・シーンもあからさま。この程度はドイツでもよくあるのですが、日本でノーカットで公開されるかは、日本の現在の法律に詳しくないので分かりません。このシーンがカットされても悔しがる必要はありません。裸の体がドンと出て来るだけで、ロマンチックでもなければエロチックでもなく、味気ないものです。

リヌールがその辺の女の子と適当に遊び、責任感のかけらも示さないのに始まり、話はエスカレートして行きます。母親が招待したスペイン人のフラメンコの先生ローラがクリスマスから暮れにかけて泊まりに来ます。リヌールはその彼女ともベッド・イン。他にブロンドの彼女がいますが、ローラもリヌールも全然気にしていません。リヌールが気にし始めるのはその後エスカレートしてからです。

★ タンギー路線から外れる

母親が「自分はレズビアンだ」と告白します。それだけならまだ気にしていなかったのですが、その相手というのがローラ。自分の遊び相手だと思っていたら、母親に寝取られてしまいます。いや、母親の恋人を自分が寝取ったのか・・・。母親はローラが酔った勢いで自分の息子と関係したと知っても怒った様子は無し。ついでにローラが妊娠したら却って喜んでしまいます。レズビアン・カップルで子供を希望する人はどこから子供を都合して来るかで普通は苦労しますから、偶然できちゃったというのは都合が良いと考える人も時にはいるわけです。

これまでいいかげんだけで通して来た息子が悩み始めます。生まれて来る子供の父親は自分で、自分の母親は赤ん坊の実母の恋人。自分は子供の母親と不倫をしている、実母は息子の恋人と寝ている、実母は赤ん坊の祖母であり、かつローラのパートナーということで父親役も引き受けると、まあややこしいこと。ちなみに母親はいいかげんな人ではなく、1人で働き、息子を育てた上げた人です。

これで人生に絶望したのか、責任を取ることをこれまで一切避けていたら、責任を横取りされてしまったからか、自殺をしようと思いつきます。雪の中で寝ていれば気持ち良くなって眠ってしまうだろうというので丘の上に横になっていたのですが、あいにく雨天になります(こういう寒い国で雨というのは、雪が降れないぐらい気温が上がるということで、それはつまり湿度も上がるということです。寒さに慣れた人たちに取っては非常に不快なぐずついた天気です)。雨になっては気持ち良く臨終とは行かず、結局自殺にも失敗。しかし彼の一言は振るっています。「人生というのは死を一時中断することだ」 − 死のうと思っても不運に付きまとわれ死ねなかったわけですが・・・。

騒ぎはそれだけではありません。いいかげんに付き合っていたガールフレンドまで妊娠してしまいます。こちらには恐いお兄さんがついていて、脅かされますが、相変わらずのらりくらりで言い逃れを試みます。

こんな事が続きながら大晦日を迎えます。さすがにこの出来事はリヌールに何かしら影響を与えたらしく、ついに5回も職安から呼び出しを食ってはすっぽかしていたのに、考えを変えて仕事をする気になります。終わり。

何も知らずに見ると呆れたり驚いたりするシーンが次々と出て来ます。多少アイスランドの事を聞いていたので、どのあたりが冗談か、どの辺から本気かの見当がつき、結局始めから終わりまで笑っていました。監督をやった人は普段は俳優なのだそうで、時々顔を出しています。

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