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ユーモアのセンス ‐ そんなものは無いから最初はくそまじめに始まります・・・

考えた時期:2002年12月

今や笑いの専門家と化した井上さんから、ドイツの笑いについて書いてみないかと提案を受け「なんと光栄な」と思ったのですが、ふと気がついてみると、足りない物がありました。ユーモアのセンス。かくいう私のこと。

★ 笑う方が専門

私も笑いの専門家ではあるのですが、専門的に「笑う側」でして、自分にはあまりユーモアのセンスが無いように思います。これは家系で、代々頭にクソ・・・がつくような職業にばかりついていました。井上さんは笑いの歩く百科事典として大活躍。それでメイルで連絡を受けてから、「やりたい」と「困った」の間(はざま)で大苦悩・・・はしませんでしたが、「どうしようかなあ・・・」ぐらいには悩みました。

結局あれこれ言っても何も始まらないので先に始めて、後であれこれ言うことにしてスタート。どこからスタートしたら良いのか分からないので、とりあえず身の回りから行きます。未熟ですが、よろしく。

★ 独断と偏見で落語が1番

私は日本の最高の伝統芸能は落語だとハナから信じている人間で、これはまだ1桁の年齢の頃から変わりません。人間は生まれて初めて知った物を、これが全てだと信じ切ってしまう習性があるようです。外国に来て、仕事や学校で日本の伝統芸能の話が出て、歌舞伎だの文楽だの言っている物知りがいると、必ず「落語を知っているか」と話し掛け、折伏をかけていました。仕事で取り上げたこともありました。しかし、話芸を外国人が日本語の知識無しに理解するというのは難しく、まして見る機会がほとんど無いというのは大きなハンディーです。

出演する側、落語家の方では、初代怪傑亭ブラックというオーストラリア人が高座に上がっています。現在のブラック氏はご両親のどちらかがアメリカの方、と聞いていますが、初代の方はオーストラリアから日本へやって来た人で、日本語を覚えるところから始めたと聞いています。ですから、明治時代にすでに国際化、グロバリゼーションは始まっていました。しかしこれは特別に落語に情熱を注いでくれた人の話。

では観客としてこれを外国人が理解することが不可能かというと、それは絶対にありません。日本で上野の寄席に行くと、ごくたまにですが、欧米人らしき人が座っています。そしてベルリンでは1度欧米人を寄席につれて行ったことがあるのですが、半分程度分かっていたらしく、一緒に笑っていました。もっともこの人は時々日本語でとんでもない駄洒落を飛ばす人なので、センスが良かったのかも知れません。

ベルリンに落語があるのか?・・・聞いて下さい。できたんです。日本の航空会社が以前から、こちらでは日本の植民地と呼ばれている、かの有名な都市で毎年お正月に寄席を開いていたんだそうです。首都がベルリンに移り、仕事関係で赴任して来る人もベルリンに移り始めたとかで、最近その寄席がベルリンに移ったのだそうです。私も1度だけ行ってみました。若い人に1人気を入れてやっている人がいましたが、全体的には手を抜いたような演技の人がいたりするので、がっかりしました。中の1人は以前テレビで見たことがあり、本当はもう少し上手だと記憶しています。ま、これはいずれにしろドイツに住んでいる日本人を対象とした催しです。

ドイツ人の観客をターゲットにした催しではベルリンで2年おきに行われる大きな文化的な催しがあり、その一環でたまに落語が来ることがあるんだそうです。普段は歌舞伎、文楽、能、狂言など、勲章をもらう常連のジャンルの芸ばかりで、めったに勲章はもらえない落語は、あまり呼んでもらえないようです。というわけで落語はまだほとんど知られていない文化と言えます。

★ 欧州の笑い

なぜこうも長々と日本の芸能の話をしたか。ドイツや欧州一般にはこういう何百年も続いた、師匠、弟子の関係でぴしっと受け継がれる笑いの芸能がほとんどみつからないと言いたかったのです。ほとんどと言ったのは、解釈のしようによってはゼロとは言えないからです。以前は宮廷に道化師というのがいて、それが長い間受け継がれていました。他にサーカスの道化師、市場に立つ道化師などがいました。ところが王制を止めた国が多く、宮廷の道化師という職業はリストラに遭って廃止。サーカスにはまだいますが、市場に立つ本物の道化師もすたれ、今では中世の市場の真似をして開く特別な催しにそれらしい人が現われるだけで、それも道化の格好をしてその辺をうろついているだけというのが多いです。こういう人たちは日本の師弟関係と似たような形で芸を習っていたこともありますが、現在ではそういう伝統はほとんど無くなりました。サーカスにだけはきちんとした学校があり、教える人と習う人という関係があるようです。

道化の役目は元々日本の落語や歌舞伎のように、一般の人の持つ社会に対する不満を風刺という形で表わし、人々が苦しみ、つらさを笑い飛ばせるようにという事だったようです。しかしそういうのも時代とともに変わり、日本でも歌舞伎を風刺だと取る人はあまりいません。欧州の道化も今ではただおどけるだけが多いです。

そういう中日本では落語といわゆるお笑いの世界でこの風刺の精神が背骨をぴんと張って生きています。ドイツではお笑いタレント、コメディアン、コメディー映画といった方向に進みました。日本では加えて漫画の世界がありますが、ドイツでもカートゥーンと呼ばれるコマ数の少ない漫画と気の利いたコメントという形に進みました。中世から現代までずいぶん短い、強引な説明になりましたが、これでざっと流れは分かるかと思います。

★ ドイツにユーモアは無い?

普通はドイツ人にはユーモアは無いという事で通っています。そういう印象が生まれる理由も20年以上住んでいると分かるような気がします。しかしやはりこの評判は訂正しなければ行けないでしょう。ベルリンという町はそういう官僚的、くそまじめな、おもしろ味の無いはずのドイツ人に対して長い間抵抗運動を続けて来ています。風刺という点では、キャバレーという映画を参考にしていただきましょう。ステージでシャンソンのようなスタイルで歌う内容は社会を風刺した物が多く、客はそのテキストを聞いて笑います。このスタイルは現在でも生きており、そういう劇場に行けば見ることができます。外国人には歌っているドイツ語を理解するのはそう簡単ではなく、流行語、俗語、隠語が多く入って来るので分かりにくいです。そして私は一見だらしの無い、引きずるようなシャンソン・スタイルの歌い方が嫌いなので、どうも足が遠のいてしまいます。これはナチが登場するより前からドイツにあったスタイルで、ナチのおかげで悪いイメージになってしまったようなところがあります。

ベルリン人は風刺が大好きな人たちで、芸を芸能だけに限らずに見ると、ツィレやエリック・オーザーという風刺画家が大成功した町でもあります。この人たちのユーモアは外国人でも笑えますし、今でも本が出ています。偉大な人たちなので、この人たちを取り上げる時は、特別にページを割いた方が良いと考えています。エリック・オーザーはベルリンの人ではないのですが、ベルリンで成功し、悲劇的な死を遂げています。オーザーの友人のエーリッヒ・ケストナーも日本では、子供向きの小説「エミールと探偵たち」で有名ですが、ドイツでは風刺でも知られています。この調子で話を進めると英国の探偵小説家 A.A.ミルン(探偵小説は1冊しか書きませんでした)も風刺の専門家。切りがありませんからこの辺で話をストップ。

本物のベルリン人というのは本物の江戸っ子と同じように今では希少価値になってしまいましたが、やはり3代ぐらいこの町に住み続けるとベルリン人として認められるようです。そしてその本物のベルリン人と話していると、コメディアンを呼んで来る必要はありません。まあ、そのおもしろいこと、とぼけていること、マジでアホな事を争っていること。そこへ最近ではユーモアを解するトルコ人が加わって議論が進むので(トルコ人はマイルドで暖かいユーモアのセンスがあります)、脇で見ていると、キャバレーなどにわざわざ行かなくても、町で入場無料のお笑いショーを見ているような感じになります。

でも町の様子だけではつまらないでしょうから、これから少しずつ、芸能界の方も探索してみます。

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