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Herr Wichmann von der CDU

Andreas Dresen

2003 D 71 Min.
ドキュメンタリー

出演者

Henryk Wichmann

見た時期:2003年4月

2003年ベルリン映画祭参加作品

マイケル・ムーアは深刻な政治問題を扱いながら、稀代まれなるユーモアのセンスを発揮して映画を作ってしまうので、世間から受けていますが、そういう人がドイツにもいます。アンドレアス・ドレーゼンという監督です。前に見た作品はオムニバス形式でエピソードが重なる劇映画 Nachtgestalten で、ドイツでは評判が良かったですが、私はあまり感激しませんでした。悪い映画ではないのですが、何かもう1つインパクトに欠けます。この時にもユーモアの痕跡は見えましたが、今一つ不発に終わった感があります。

今回はそれが見事に的に当たり、上手く行ったという気がします。ドキュメンタリー映画。撮影場所、時間などの打ち合わせ以外は台本なしです。登場人物は監督の指示で言葉を選んでいるわけではありません。マイケル・ムーアとは扱うテーマが違いますが、ドキュメンタリー映画をここまで楽しいものにした功績は認められるべきでしょう。

私が見たのは東側にある大きな映画館で、試写でした。今回タダ券が当たったのは友人。私たちがよくタダ券に当たるという話を聞いて「ならば我も」と実行に移す人が時々いて、その人たちも運良く当たることがあります。ところがその人がたまたまその日行けなくなってしまったので、「連帯、タダ券ネット」という団体はまだ設立しておりませんが、うちに券が回って来ました。

作品は大受けで観客は大笑い。ベルリン映画祭のパノラマという部門にも出品されました。

ばらしても困らない筋はと言うと、2002年夏の終わり、日本で言う衆議院に当たる選挙戦があり、ベルリンの近くの州ブランデンブルクで保守系の政党から直接立候補した若干25歳の若者の選挙(苦)戦の記録です。

撮影は2002年8月23日から9月20日までの約1ヶ月中ほぼ半分に当たる15日間で、監督、編集者の話ですと約70時間分のフィルムがあるそうです。ぼくの好きな先生では10週間で60時間分を撮影し、104分の劇場用映画に編集してありますが、こちらは15日に70時間分を撮り、71分。密度から言うとかなり気合が入っています。選挙戦というのは1年、2年前から準備をするものだと立候補した本人が言っていましたから、最後の1ヶ月、熱がこもるところを選んで撮影したようです。

まずはこの映画が作られる背景から。西ドイツには他にも色々ありますがバイエルン放送と、WDR(西ドイツ放送)という放送局があります。その局がアンドレアス・ドレーゼンに「何かドキュメンタリー映画を作れ」と依頼したことが発端になっています。こういう放送局はよく1時間物のドキュメンタリーを依頼し放送するのですが、今回は倍の時間になり、ベルリン映画祭に出品などと、通常とは違った展開になっています。

監督は何かいい素材がないかと考えた結果「小さな選挙区で選挙戦を戦う若い東ドイツの法学生」という選択をしました。そこに至るまでに多くの選択肢を考え、取捨選択しています。統一されて10年以上になるのに西だ、東だ言うのは、政治に関して東西に大きな違いがあるからです。東の人がこの政党に属するというのも珍しい上、東の人がこの政党に投票するというのも珍しい、西南ドイツの放送局がお金を出していますが、局のある地方は伝統的に保守派が強く、依頼を受けた東出身のドレーゼン監督はその政党を支持していないという幾重にも重なった珍しい状況が背景にあります。

選ばれたヘンリック・ヴィヒマンはベルリンで法学を学ぶ若干25歳の学生。少年時代から党活動に積極的だったとかで、党関係の少年活動家としては立候補経験も豊富。今度が初めてというわけではありません。それは彼がスクリーンで拒否にもめげず人に話しかける姿勢からも分かります。しかしよく考えてみると壁が開いた10年ちょっと前彼はまだ中学生。早熟ですねえ。

彼が属しているのは監督が全然支持していない主流保守派の政党。日本で言うと自民党のような大政党。タイトルにもなっています。私も現在この党の党首が戦争をする側を積極的に支持しているので「これだと政治に無関心な市民でもちょっと引いてしまうなあ」と感じているあの政党です。試写の当日、監督、編集者、候補者の3人が来てくれ、監督ははっきり自分の支持政党ではないと発言しています。

このヴィヒマンという若者はまだ学生で人に全然知られていないというだけでなく、直接候補なので、ドイツの選挙制度で行くと、党のロゴやロゴの入ったパラソルが使えるというだけで、チラシ、ポスター、葉書などは全て自己負担。運動員などというのは貸してもらえないので、自分とガールフレンドで自分の車を使ってポスターを貼って歩きます。印刷屋に追加注文を出しているシーンもあります。手弁当というのは普通ボランティアで手伝ってくれる人のことを言うようですが、彼の場合自分も手弁当です。

実際彼はテーブル1つ、パラソル1つ、ポスター、人に配るチラシとボールペンだけで勝負。すっきりした感じを与える半そでのワイシャツとネクタイ。豪華な服装でもなく、映画を見ていると何となく頼りなさそうな印象を与えます。

しかしめくら撃ちをする未熟な候補ではありません。見ているうちに「しぶといなあ、私ならこの辺で悲しくなってやめてしまうのに粘るなあ」と感じます。この選挙区は万年革新派の陣地で、保守派が勝ったという例がなく、彼の前任者も18%、19%程度しか得票がないのだそうです。監督が「ブランデンブルクのドンキホーテ」と呼んだのも悪意というより現実を見ての事だと言わざるを得ません。彼が絶望的に不利だというのは事実です。そこに戦いを挑むという意味で「ドンキホーテ」と呼んだのでしょうが、キホーテと違い、ヴィヒマンは現実をしっかり頭に入れています。「それでもめげずに」という姿勢には私も支持をするしないに関わらず感心してしまいました。

彼の政治家としての発言には選挙権がない私でもちょっと反論したくなる時があります。はっきり環境保護の党に対して反対の姿勢を打ち出し、環境保護派の党が発言すると、妨害するような反論もします。私は環境保護の党がやっている事を全て支持というわけではありませんが、生活改善に貢献した、戦争回避に努力したというプラスの点は挙げていいと考えています。しかし、彼の政治的態度は実にはっきりしていて、「分かり易い、これは候補者になるにはプラスになるなあ、お主若いのにやるなあ」と変な所で感心しています。本人が内心どう思っているかに関わりなく、上司に当たる党首や選挙当時の首相候補に対してははっきり支持を示し、話し掛けた市民にも「あの人を信頼しなさい」などときっぱりした声で言います。25歳ですでにテクニックはきっちり身につけています。

随所に監督のユーモアのセンスが現われていて、観客は爆笑。本人が全然ユーモアのつもりでないシーンで笑いが起こります。ドイツ語には unfreiwilliger Humor という言葉があるのですが、本人がユーモア、冗談だと予定していない所で人が笑う時に使われます。まあ、ありていに言えばヴィヒマンは監督におちょくられているわけですが、この映画の良さはそこから先です。いくら状況が思ったように行かなくてもしぶとく粘るヴィヒマン、絶望的な状況なのに笑顔で人に話しかけるヴィヒマン、予定した人が来なくてずっこけてしまう時にも「まだ待とう」と言うヴィヒマン、自嘲的になっておらず、現実が見えないアホでもないヴィヒマンのキャラクターが伝わって来ます。選挙には負けますが、映画は引き分けです。

選挙結果は前任者より数パーセント引き上げての落選。インタビューの時に司会者から「一瞬でも勝てると思ったことはありますか」と聞かれ「伝統的に自分の政党は勝てない選挙区だから、パーセンテージを上げる事に集中した」と答えていました。笑われることを覚悟で試写のインタビューにゲスト出演しています。 さらにしぶといなあと思ったのはこの映画がベルリン映画祭に出品され、今からベルリン市内で公開され、彼の名前を覚える人が圧倒的に増える点。次回立候補するとパーセンテージはもっと上がるでしょう。私も彼のポスターを1回だけ見たのですが、この映画が無ければ忘れてしまったと思います。この人は今笑われても将来役に立つと計算しているなあ、と感じた次第。

後記 1: ヴィヒマンはラジオの司会者からは馬鹿にされたりおちょくられたりして、挑発するような質問も受けていますが、インタビューには引っ張りだこ。昨日は3時間も時間をもらい、映画の紹介の後、聴取者からの電話を受けつけるという番組にも出ていました。電話をかけて来る一般の人は同じ選挙区の人だったり、ベルリン映画祭で見たという人だったりで、彼を誉めたりかばったりする声が多かったです。政治の話を聞いているとやはり今一つ賛成し難い発言があるのですが、本人がめげずにどんな所にでも出て来るという姿勢は支持者を集めるのに役に立っているようです。4年後の選挙運動を、負けた翌日からやっています。お主、ただ者ではないな。

後記 2: 2002年の選挙を撮影し、2003年に映画が公開されていましたが、当時法学生だったヴィヒマンは7年の学生生活の末、2007年司法試験に合格。通っていたのはわりと温い西側のベルリン自由大学ではなく、厳しい東のベルリン大学。7年というのは修士を平均6年で終えるドイツでは1〜2年長いですが、途中で政治家として立候補していたことを考慮すると平均とさほど変わりません。2008年からは研修生のような立場。いつの間にか3人の子持ちになっています。

ドキュメンタリー映画の通り2002年の戦況ではわずかに得票率を上げたものの、相手側に対しては惨敗。しかし映画の効果はてきめんで、顔だけは全国区。

政治家としての活動は続けており、ブランデンブルクの地方区でいくつかの役職を引き受けています。どうやら中央政府を目指している様子。

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