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2003 F 85 Min. 劇映画
出演者
Cécile De France
(Marie - 女学生)
Maïwenn Le Besco
(Alex - 女学生、マリーの親友)
Philippe Nahon
(職人)
Franck Khalfoun
(Jimmy)
Andrei Finti
(アレックスの父親)
Oana Pellea
(アレックスの母親)
Marco Claudiu Pascu
(Tom - アレックスの弟)
Jean-Claude de Goros
(土地の警察署長)
Bogdan Uritescu
(土地の警察官)
Gabriel Spahiu
(車の男)
見た時期:2004年8月
ここから先あっさりばれます。
昨年のファンタでも恐ろしく忙しい人がオープニングに登場しました。作品の中ではそれほど言われていませんでしたが、主人公は多重人格。ですから1日24時間を何人もの男女と分割しなければならず、本来ならひどい不眠症にかかっていていいはずです。そういう話はファイト・クラブにも出て来ましたし、今年のファンタではマシニストがいい例。その他にも今年のファンタには多重人格者が出て来ます。
よく考えて見ると、ハイテンションには伏線が張ってあったのかも知れません。マリーはあまり男性に大きな興味があるように見えず、どことなく孤独な印象でした。その彼女が実は内側に恐ろしいモンスターを抱えていたのです。そのモンスターがアレックス一家を皆殺しにしていたのです。
冒頭に地方警察に保護され、看病を受けるアレックスが登場しますが、怯え切っていて、正気に戻れるか怪しいだけでなく、体はずたずたにされています。ショーダウンの部分にこのシーンが繋がりますが、そこで犯人がマリーだったことが分かります。おやじを見て怯えているマリーと無神経に家を歩き回って家族を殺して回るマリーに分裂しているのです。その時その時には1人になり切っていて、自分の中に別な人物がいることには気付いていません。アレックスにしてみれば、自分が家に招待した《親友の顔をした殺人鬼》が襲って来るので、世の中がひっくり返ってしまい、肉体的に受けた傷より(とは言ってもかなりの重症)精神的に受けた傷の方が深いでしょう。一生回復できないかも知れません。苦しみを分かち合えるはずの家族は全員死んでいます。
観客が監督の鮮やかなうっちゃりで投げ飛ばされるのは、ガソリン・スタンドの保安ビデオを見せられるシーン。あ、やられた!と思わず口から言葉が出そうになりました。ハイテンションがハイ・テンションなのは、暴力の凄さに原因がありますが、俳優の自然な演技もあり、すっかり騙されてしまいます。特にあのおやじと可憐なマリーが同一人物だなどと誰が思いつくでしょう。それほど別人に見えるのです。アレックスの恐怖もそのためテンションを増します。
分裂している人間を複数の俳優に演じさせるのはビル・プルマンあたりから一般的になり始めましたが、観客を騙すからフェアでないとい考え方もあります。しかし心理的な面を見れば、本人は全く別人に成り切っていて、マリーとおやじぐらいの開きはあるのでしょう。ですから私はこういう手法に反対しません。
厳密に言えばプロットにぼろが出ます。しかし設定の自然さ、俳優の演技の良さ、風景の自然さなどが上手に混ぜ合わさり、ぼろが目立ちません。どんな与太話でも上手に語られていれば・・・と私は良く言いますが、これは与太話ではありませんし、実に上手に語られています。こういう風に騙されてみたいといういい見本です。
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