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ウィッシュマスター /
Wes Craven's Wishmaster /
Wishmaster

Robert Kurtzman

1997 USA 90 Min. 劇映画

出演者

Andrew Divoff
(Nathaniel Demerest - 悪魔)

Tammy Lauren
(Alexandra Amberson - オークションに出される品の鑑定士)

Wendy Benson-Landes
(Shannon Amberson - アレクサンドラの妹)

Tony Crane
(Josh Aickman - レーザー鑑定師)

Jenny O'Hara
(Wendy Derleth - 悪魔などに詳しい女性)

Ricco Ross
(Nathanson - 刑事)

John Byner
(Doug Clegg)

George Flower
(ホームレス)

Betty McGuire
(Merritt - ニック・メリットの母親)

Robert Englund
(Raymond Beaumont - 古美術収集家)
Kane Hodder
(メリット社のガードマン)

Tony Todd
(Johnny Valentine)

Chris Lemmon
(Nick Merritt - アレクサンドラの上司、オークションの会社を経営)
Ted Raimi
(Ed Finney)
Reggie Bannister
(薬剤師)
Angus Scrimm
(ナレーション)
Robert Kurtzman
(悪魔の犠牲者)

見た時期:2006年2月

1998年ファンタ参加作品

このところ1を見ないで2を見たという映画が続出していました。中には1、2、3を見ないで4、5を見たなどというのもあります。が、ウィッシュマスター1 を見ていませんでした。しかしついに見ました。アメリカでは予算があまり貰えず、ビデオになってしまったらしい、Wishmaster 2: Evil Never Dies をできたての1999年に先に見てしまったのですが、これが楽しかったので、元祖もいずれ見たいと願っていました。

2つは全く違う雰囲気の作品で、ユーモアの点からすると Wishmaster 2: Evil Never Dies の方が愉快です。元祖ウィッシュマスターの方は《元々なぜこういう事になったのか》という話も含まれるので、ジョークの連発はしていません。ウィッシュマスターの見所は、ぞろぞろ出て来るホラー映画の大スター、そして有名芸能人の身内。ジャック・レモンの息子、サム・ライミの兄弟が出ています。しかしファンタ・ファンはただのセレブの身内には目もくれません。ドン・コスカレリのファンタズムの VIP が2人と、あのフレディーとジェーソンが素顔で出演しているのです。こちらが目玉です。その他にも凝っている人には魅力の俳優が出て来ます。

後記: Robert Englund が監督業に乗り出すと聞いた時は思わず喜んでしまいました。

主演は悪魔を演じているアンドリュー・ディヴォフとアレクサンドラを演じているタミー・ローレン。なかなか良い配役です。ディヴォフはベテランの悪役で、楽しみながらの出演。ローレンはまだそれほど有名ではありませんが、新鮮な魅力を出していて、ドイツの大スター、ハイケ・マカチを若くしたような印象の人です。

この作品を個性的にしているのは、悪魔とヒロインの態度。典型的なこの種の映画の路線をちょっとひねってあるのです。《3つの願いをかなえてくれる》という話のバリエーションなのですが、悪魔が意地悪な上頭が良いので(間抜けな悪魔というのは珍しく、そういう設定で作ったアルミン・ローデ主演の 666 - Traue keinem, mit dem Du schläfst! はドイツで大受けしました)、願いを言った人はとんでもない目に遭います。

ヒロインのアレクサンドラは若くて美人なので色々な男性から注目を浴びますが、本人は自分の美貌にはさほど関心が無く、宝石の鑑定を職業に、余暇は子供バスケット・ティームのコーチをしながら満足して生きていました。

ある日彼女の所に盗品の巨大オパールが送られて来ます。それを彼女はレーザー鑑定に出します。すると鑑定をした知り合いの男性が死んでしまいます。大いにショックを受け事情を調べ始めた彼女は、その宝石が持ち込まれた店から、古い象をアメリカに運ばせた古美術収集家に行き当たります。この人がペルシャ(イラン)から運ばせた古い時代のアフラ・マズダという神の像が港で壊れてしまいます。クレーンを扱っていた作業員が二日酔いで機械の操作を誤ったため木箱が落下して、人が1人死んでしまうのです。その時こなごなになった像の中に大きなオパールがあったため、作業員の1人が盗み出して売り飛ばそうとしたため、巡り巡ってアレクサンドラが鑑定することになったのです。

イスラム教のペルシャで像と聞くと不思議に思う方もおられるかと思いますが、アフラ・マズダというのはイスラム教になるよりずっと前、紀元前1200年頃のゾロアスター教の神です。この宗教も元々は像などを作ることを好まなかったようで、寺や教会のような建物もだめとなっていたのですが、次第に「まあ、いいや」ということになり、像も作られるようになったそうです。長く続きましたが、イスラム教が起こってからはそちらに信者を取られ、一部がインドに移動。現在も続いていて、優秀な人材をインドに提供しています。しかし人口は非常に減り、マジで絶滅を心配している人もいます。

ゾロアスターの人に去られたイランの方はイスラム教に圧倒された形ではありますが、イラン人というのはあまり1つの宗教、宗派、主義にドーっと流れてしまわない人たちらしく、一応自分は○○教だと名乗っていても、他の派の人も横に存在できる様子です。あの有名な宗教革命の頃ベルリンで知り合ったイラン人女性が何人かいたのですが、報道されている逼迫した雰囲気とおおらかな彼女たちの様子の差に驚いたことがあります。

ゾロアスター教は2つの世界の対立でできていて、それは善と悪に分かれています。映画に像として出て来るアフラ・マズダの神はしごく賢明で、善を代表しています。大きな宗教はよく2つの世界の対決という展開になっています。必ずしもそれが善と悪である必要はありませんが。

現代にも伝わっている有名な宗教がたいてい善と悪の対立する世界という概念を持っている理由は、ゾロアスター教からの影響があるからです。善と悪が対立して最後はハッピーエンドという展開になるはずなのですが、そこに至るまでに大勢の人が煽りを食って、とんでもない目に遭うという過程があるので、下々の人間に取っては迷惑な話です。元祖ゾロアスター教もその通りで、ライバルのアフリマン、別名アーリマンという邪悪な神がいて、対決姿勢です。

私個人はあまり二元対立という形は好きではありません。《これ》か《あれ》かと2つしか選択肢が無いのは、不和の元。《これ》、《それ》、《あれ》などと3つ目の選択肢のある生活に慣れているアジア人に取っては、2つというのはちょっと狭過ぎるのです。

ウィッシュマスターには神々の対立は出て来ませんが、アレクサンドラとナサニエルの間に大きな善悪の対立が起こります。

さて、映画に戻りますが、オパールの中には不死身の悪魔が閉じ込めてありました。この世ではナサニエル・デメレストと名乗っています。不死身なので死ぬことはなく、ただ悪さをしないように石の中に閉じこめてあったのです。それで長い間この世は安泰だったのですが、悪魔は死なず退屈していたのです。何とか外に出たい、権力を手中に収めたい。しかしこれまでは宝石に閉じ込められていただけでなく、善を代表する像の中に塗り込めてあったので、人の目に触れることが無く、影響力を使うことができませんでした。それが像が壊れて一皮向けたので、宝石を通して人を動かし始めたのです。そしてついにレーザー鑑定の時に宝石を破ってこの世へ再来。

最初はその辺の人に望みを言わせ、それを意地悪な形でかなえながら力を取り戻して行きます。望みをかなえてあげる代わりに、その人の魂を失敬。かなえてくれる望みもその人に幸せでなく不幸をもたらすのです。例えば「金が欲しい」と言った男に金を都合してやりますが、それは母親が死んだための保険金。母親が死ぬように悪魔が飛行機事故を起すのです。永遠の美しさを望むとマネキン人形にされてしまいます。永遠の生命を望む時にうっかり永遠の美しさを望むのを忘れてしまう美女もいますが、皆さん、悪魔と取引する時はくれぐれも抜け目なく。事故に遭って大怪我をして、痛みを止めてくれと望むと「ああ、いいよ」と殺されてしまいます。この人は欲張っていたわけでも、図々しかったわけでもありません。ただ事故に遭っただけ。それでもこの仕打ち。とても親切とは言えません。普通人ですらこういう目に遭うのですから、悪魔と取引をしておいしい話に乗る時は見返りを要求されるのだと肝に命じておかないと行けないという教訓。ひねくれ者の悪魔はこんな事を繰り返していますが、それでも完璧な存在ではないらしく、本人は最後にもっと強い力をつけて、人類を奈落の底に落としたいのです。悪魔は悪に精進。そのためにはアレクサンドラが3つの願いを言わなければ行けないという規則になっています。

人類の及ばない力を持った邪悪な悪魔と言われると、風前のともし火の人類はプレストンを前にしたショーンのようにガタガタ震えてしまいますが、良く見ているとホラー映画では悪魔の方も几帳面に規則を守っています。呪われた町では悪魔は招待されないと来ることができない、ウィッシュマスターでは望みを3つ言い終わらなければ行けない、正統派のバンパイアは昼間出歩けないなどと悪魔も1人勝ちのやりたい放題ではありません。なぜか都合よく悪魔に対抗する人がつけ入る隙が残されています。最近徐々にハリウッドでもハッピーエンドにならない映画が出始めていますが、10年近く前はまだ人間が勝つという前提が最初からプログラミングされています。当時の悪魔は観客から嫌われたくなかったのでしょう。

アレクサンドラがミーハーでなかったことが悪魔の不運。なかなか手ごわい相手だったのです。他の人が皆自分を金持ちにしたり、幸福にしようと願いを言うのに、アレクサンドラは全然そういう方向に動きません。ここでなぜバスケット・ボールのコーチのシーンが出て来たかが分かります。大金持ちではないけれど満足した生活をしていて、特に金が欲しいわけではない、人間関係もまあ上手く行っているという伏線が張ってあったのです。ですから彼女が望んだのは

  1. 悪魔の正体を教えろ
  2. 悪魔の世界から元の世界へ戻せ

というもの。このあたりで頭の良い悪魔なら本当は気付かなければ行けません。誘導尋問風にあれこれ彼女に利己的な望みを言わそうとしても全部かわされ、彼女からはこんな望みしか出て来ません。

3つ目の望みは何でしょう。頭を使って正しい事を言わないと人類は彼の奴隷になってしまうか、滅ぼされてしまいます。調査をしている時に専門知識のある女性教授から色々話を聞いていたので、人類全体に危険が迫っていることがアレクサンドラには良く分かっています。バスケットのコーチとして子供たちに「集中しろ」と教えていたアレクサンドラは、危機に際して神経を集中させます。

で、願ったのは(ネタばれページへ進む)。さあ、大変。

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