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この15年の映画 2 1995年

考えた時期:2010年11月

これから書く事は全て主観、印象、感想ですが、1994年のフォー・ウェディングが出た後映画界の様子はガラッと変わったような気がします。それまでは一部のマニアが見る特定のジャンルの作品以外は比較的退屈な映画が多かったように思います。

注: 制作の年は雑誌やデーターバンクによって1年ずれが生じることが多いです。ファンタのプログラムと国際的に有名なインターネットのサイトでもよくズレが生じます。

フォー・ウェディングは出演したイケメン俳優の人生を一夜にして変えてしまい、そのガールフレンドだった絶世の美女の人生も大きく変えました。2人は英国出身で、有名な大学に関わっていました。それと2人の映画界でのキャリアにどれほどの関わりがあるのかは今もって分かりませんが、後になって考えるとこの2人の成功は一種のプロジェクトだったのかなとも思います。単に運が良かっただけなのかも知れませんが。

★ 1995年

1995年制作の多くの作品が転機を示しています。

☆ ワシントン上昇

青いドレスの女を見ました。主演はデンジル・ワシントン。この人が後に多くの作品に主演で出演し、オスカーを取るとは思いませんでした。青いドレスの女は後で考えると重要な作品かなと思えるマルコムXフィラデルフィアの後に作られた作品で、後にオスカーに近づいたドン・チードルも出ています。チードルはその頃まだ今のようなビッグ・ネームではなく、青いドレスの女はワシントンがトム・ハンクスのような主演ばかりを取る俳優と組まずに主演を張った作品です。

ワシントンはこの後成功街道を歩き、ヒーロー的な役が増えましたが、青いドレスの女はフィルム・ノワール的な作りです。実は既に80年代にオスカーにノミネートされたことがあったのですが、青いドレスの女の後まさにワシントンの世紀がやって来ます。

60年代に公民権運動が起きてから30年。90年代に入って黒人が大舞台に登場する時代が始まったように思います。軍人や大臣といった重要な地位につく人が増えます。まずは黒人を消費者の数に加えるために60年代に始まった動き。白人同様家にテレビ、電話、冷蔵庫を備えるようになって行く60年代から70年代にかけて、ソウル・ミュージックと共にかっこいい黒人歌手が登場。70年代以降中産階級に黒人が顔を出すようになります。テレビでカッコいい歌手を見、レコード店に飛んで行ってレコードを買い、レコード・プレイヤーを買って聞く、これだけでも電気製品が売れます。車を買う人も増えて行きます。モターのタウン、モータウン万歳です。

大学に入る人も増え、高学歴で医師など上流社会に近づく人も出始めます。下層階級だけの時代が終わり、中産階級に進出する時期も終わり、大きな成功を収める人が各分野に出るようになります。アメリカはそこまでに30年、40年を要しましたが、そういう時代が到来しました。デンジル・ワシントンがオスカーを取っても違和感を抱く人がいない時代に突入です。

☆ 暗殺者

この年に見た作品の1つにスタローンvsバンデラスの暗殺があります。スタローンが俳優として力量を示し、筋肉だけではないと思わせるシーンのある作品です。彼のこういう面は仲間には知られているのか、コップランドでは性格俳優の様相を呈していました。しかし制作側には歓迎されなかったらしく、その後もまた筋肉映画に出たりしています。彼には悲しい面を表わす力もありそうですし、コメディーも行けそうなので、年を取っても出る幕はたくさんあるように思います。

バンデラスはこの作品で煮えたぎる血を表現していて、なかなか迫力があります。彼はハリウッドに取り込まれ、性格に合わないような役が増えています。しかし役を貰えるだけでも自分は得な地位にいるのだと思っているらしく、文句も言わず来る役をこなしています。彼もユーモアがあり、たまにチラッとその面を覗かせてくれます。

☆ ケビン 1人勝ち

彗星のごとく現われた実力派ケビン・スペイシー。

映画界に入る前に劇場で成功を収めていたため、実力はありました。1995年に突然映画界に現われ、いきなり最初の2本で世間を圧倒し、95年から99年の間にオスカーを取ってしまいました。その後も快進撃を続けましたが、賞を独占しては行けないと反省でもしたのか(笑)、また劇場に戻っています。映画は小さい役を趣味的にこなすか、大きな役に気合を入れて来るかのどちらか。

この年スペイシーと同時に注目すべきはブライアン・シンガーとデビッド・フィンチャー。スペイシーの出世作を監督した2人ですが、その後もスリラーの佳作を出しています。シンガーはその後 Xメン2つ作ったりしていますが、彼にはユージュアル・サスペクツ のような捻りのきいた小さ目の作品を期待したいです。

フィンチャーはセブンでスペイシーと組みましたが、この作品は色々な面で凄いなあと思います。エラリー・クイーンを思わせる《理由のある連続殺人》物ですが、子供っぽいゲーム映画ではなく、人の人生のかかった大人向きの作品になっています。そして重要な悪役を引き受けたのがケビン・スペシー。彼が気合を入れて演じているので、他の俳優も映えます。

そこに登場しているのが、モーガン・フリーマン(オスカーに行き着いた)、世紀のイケメン、ブラッド・ピット、そしてもう1人オスカーに行き着いたグウィニス・パートロフが強い印象を残す役を好演しています。この3人はこの後一世を風靡します。

フィンチャーは初期にエイリアンという大型作品を撮り、その後は中程度の規模の犯罪映画が多いです。全てが大成功とは言えませんが、それでも彼にはセブンのようなタイプの作品が向いているように思います。

ユージュアル・サスペクツ で脇を固めた俳優もその後快進撃。当時私が注目したのはガブリエル・バーン、ベニシオ・デル・トロ、ピート・ポスルスウェイト、シャズ・パルメンテリ。その他ポラックやボールドウィンはその後それなりの成功を収めています。ユージュアル・サスペクツ から大きく羽ばたいた俳優が多いということです。

☆ 鬼っ子 タランティーノ

この年もう1つ注目すべき作品が出ています。タランティーノ主演、脚本、ロドリゲス監督のフロム・ダスク・ティル・ドーンで、デスペラードと同じ年に出ています。この一群に数えられるのは、クウェンティン・タランティーノ、ロバート・ロドリゲス、アントニオ・バンデラス、サルマ・ハエック、スティーヴ・ブシェミ、ダニー・トレホ。そして2人の監督とはその後距離が見え、別な方向に向かったように見えますすが、快進撃を始めたジョージ・クルーニー、ハーヴェイ・カイテルの顔も見えます。

特にタランティーノはレザボア・ドッグスパルプ・フィクションで業界でも一般でも成功をしたばかりの時期でした。ロドリゲスとはその後ずっと友人関係が続いているらしく、10年以上経っても協力関係があるようです。この2人は自分の趣味をかなりたくさん通しており、他からは見向きもされなくなっていた俳優を無理やり連れ出して出演させたりしています。自分がまだアルバイトをしていた頃見てあこがれていた人など。

2人の監督は人脈を大切にするようです。また大して有名でなかった俳優は自分の身の丈に合った実力を出す機会に恵まれるようになり、その後の作品でいい演技を見せる人が多いです。

☆ on を忘れたイーストウッド

クリント・イーストウッドの本名は日本に取ってはあまりありがたくなかった米大統領をなぜか思い起こさせる名前だったのですが、芸能界では on をカット。クリントとなっています。ローハイドを日本で放映していたため、私は彼をロディー・イェーツとして知りました。カウボーイ集団ナンバー・ツーの役で毎週出演していましたが、お金はそれほど儲からなかったようです。

その後アメリカではいい役が来なかったため、イタリアでマカロニ・ウエスタンに出演。アメリカからは食い詰めて欧州に渡ったと思われたようです。それが意外な大ヒット。数年してアメリカもシャッポを脱がざるを得なくなったらしく、似たようなハードな役を彼に与え、興行成績を上げます。

その彼が監督業に乗り出したのはセルジオ・レオーネ、ドン・シーゲルとのつながりから。私はここにチラッと深作、北野関係を重ねますが、同じパターンではないようです。初仕事はスリラーの恐怖のメロディのようですが、初仕事とは思えない手堅い作品です。サスペンスが効き過ぎて主演のジェシカ・ウォルターが後で困ってしまったらしいですが、それほど怖く出来上がっています。

これを皮切りにイーストウッドは彼のイメージと似た作品をいくつも出していました。俗に言うB級作品ばかりでしたが、それでも大きな映画の賞から栄誉賞を貰ったりしています。栄誉賞ということは「はい、ごくろうさん、帰っていいよ」という意味でもありますが、イーストウッドはこの後大化けします。

1992年の許されざる者を皮切りにクウォリティー上昇。A級を越える特級作品を出し始めます。その2つ目の作品が1995年マディソン郡の橋。あまりにもイーストウッドらしくなく、それでいて彼にぴったりで、思わず2度見てしまいました(ドイツで2度というと、2回料金を払うという意味です。)全部網羅はできませんが、彼の作品を見る機会があるとできるだけ見ることにしています。

同時に音楽にも造詣が深く(その点は60年代の日本の映画雑誌でも既に扱っていた。私もピアノとサックスとイーストウッドが写っている写真を見た記憶がある)、ドキュメンタリーや伝記を出すほどです。

イーストウッドは on は忘れたようなのですが、恩は忘れないらしく、自分を成功させてくれた監督とは生涯付き合いがあった/あるようです。女性とは付き合いが上手なのか下手なのか判断し難いです。ドイツではイーストウッドは女性から目の敵にされています。以前付き合っていた女性といざこざがあったためです。しかしその後付き合った女性とは逆にうまく行っているような印象で、結婚せずに彼の子供を作った女性とも別れても仲良くしていたように聞いています。芸能界と関係の無い女性との間の子供は一切メディアに出さず、完全にプライバシーを守っています。

☆ ブラッド・ピット

賞の類からは完全にオミットされているブラッド・ピットですが、おもしろい作品には恵まれるようで、俳優としてどちらが得か分かりにくいです。1995年彼はセブンでいい役を射止めていますが、同じ年 12モンキーズにも出ています。セブンでは同情を集める役ですが、12モンキーズでは狂気を表現しています。同じ年に2つの対照的な役に恵まれています。

☆ SF 路線、成功までの長い道

この年ビートたけしとも共演したのがキアヌ・リーブス。JM という SF です。リーブスはスピードで一夜にして成功を収めましたが、その後どの方向に行ったらいいのか分からなかったようで、試行錯誤しています。JM もまだ人々の IT 感覚が今ほどではなく、中で紹介されている内容について行けない人もいたのかも知れません。あるいは表現がスマートでなく、ダサいという印象になってしまったのかも知れません。いずれにしろ JM はリーブスの出世作でもなければ後押ししたい作品でもありません。マトリックスまでまだ暫く時間があります。

注: スピード2 はどうせ2匹目の何とかだろうと思って長い間無視していたのですが、意外や意外。ポセイドン・アドベンチャーのパクリも多々あるのに、はらはら、どきどきのまとまりのいいアクション作品です。スピードはリーブスの魅力で持っていました。スピード2 はそれほど男優で持たせているわけではなく、悪役もホッパーに比べると一段落ちるのですが(現在のダフォーと比べるとちょっと落ちる演技)、これまた意外にもブロックのコメディアンヌとしての才能が良く出ていて、魅力が感じられます。その後見たどのコメディーと比べてもスピードの2作は負けません。

☆ ウィリアムズ、成功まであと少し

この年に見たのはジュマンジ でした。彼は当時コメディアンとして認知されていたのですが、ジュマンジ が特におもしろいとは思いませんでした。子供を騙すのならあの程度でいいのかとは思いましたが。

ウィリアムズはかなりのインテリで、由緒ある大学も出ているのですが、スタンドアップ・コメディアンという職業を選んだため、その間の落差に苦しんだようです。コメディアンというのは実はかなり頭が良くないと務まらない職業なのですが、いざなってしまうと人に笑われる職業なので、見下されることも多く、自分のアイデンティティーがしっかりしていないと悩む人が多いようです。・・・といった普通の有能なコメディアンが抱える問題に加えて、彼は驚くような上流の出身なので、それ以上に葛藤があったのかも知れません。

コメディーとそれ以外のジャンルの両方でバランスが取れ始めたのはジュマンジ から2年後のグッド・ウィル・ハンティング/旅立ち あたりからでしょうか。これまでのような家族向けのコメディーに加え、90年代の終わり頃からスマートな SF に出るようになります。2000年代に入ると犯罪者の役もやるようになり、弱さやペーソスもスクリーン一杯に出すようになります。95年はこれまでのコメディアン時代とその後のシリアス/ドラマ時代のちょうど間にあたります。

★ 番外

95年は上にも書いたように新しい兆しの見える作品が出始めた年であり、同時にその後消えて行ったタイプの作品もまだ作られています。そんな中、どちらにも属さない一風変わった作品が1つありました。

ファニー・ボーン 骨まで笑ってと言い、ジェリー・ルイスが有名なコメディアン、オリバー・プラットがその息子を演じるコメディアン一家の話です。父親もいる晴れの舞台ラスベガスでデビューをしくじってしまった息子が意気消沈して英国に移り住みます。そこで天才的な若手コメディアンに出会うのですが、それが自分と半分兄弟。

才能のあるコメディアンと、無いコメディアン、親子の葛藤など扱っているファニー・ボーン 骨まで笑ってはおよそコメディーとは言い難いシリアスな作品で、演じた俳優はそれぞれ自分の人生、才能の一部分を投資しています。その上謎の事件もあり、内容的にはかなり濃いです。

ジェリー・ルイスはこの作品で有能な若手コメディアンにバトンを渡そうとしています。

リー・エヴァンスはこの後国際的に名を挙げ、私は特別彼を狙って見たわけではないのですが、フィフス・エレメント マウス・ハントメリーに首ったけを見ています。その7年後フリーズ・フレームにも主演で登場。コメディーとは全く関係の無い役でびっくりしましたが、95年のファニー・ボーン 骨まで笑ってが長編のデビューです。

オリバー・プラットもロビン・ウィリアムズと似て、コメディアンとは別世界の出身。両親は芸能界とは無関係。ファニー・ボーン 骨まで笑っての前に既に何本か映画に出ており、ファニー・ボーン 骨まで笑って以外の作品の方が有名です。しかしファニー・ボーン 骨まで笑ってに彼がいないと成立しませんし、彼の代わりに誰がと言われても俳優の名前がすぐ浮かびません。

大ベテランのルイス、映画界では全く新人のエヴァンス、映画に少し出ていたプラットの3人がここで出会ったのは不思議な縁。その後の成功を見ると、年齢、病気、そしてそれまでに既に大スターになっていたルイスは、ファニー・ボーン 骨まで笑っての後特別に大きく踏み出した様子はありません。エヴァンスは上にも書いたようにその後いくつも作品オファーがあります。本職は映画俳優でないため、映画が無いから挫折ということではありません。プラットはコンスタントに毎年複数本の作品に出演しています。

とまあ、今回は1995年を中心に書いてみました。今後不定期に年にスポットを当てた続編を書こうかと思っています。

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