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狼たちの処刑台 / Harry Brown

Daniel Barber

201 Min. 劇映画

出演者

Michael Caine
(Harry Brown - 年金生活者、元英国海兵隊)

Liz Daniels
(Kath Brown)

Emily Mortimer
(Alice Frampton - 警部補)

Charlie Creed-Miles
(Terry Hicock - 巡査部長)

David Bradley
(Leonard Attwell - ハリーの友人)

Iain Glen
(Childs - 警視)

Sean Harris (Stretch)

Ben Drew
(Noel Winters - 愚連隊のボス)

Claire Hackett
(Jean Winters)

Jack O'Connell (Marky)

Jamie Downey (Carl)

Lee Oakes
(Dean Saunders)

Liam Cunningham
(Sid Rourke - 酒場の親父)

見た時期:2010年8月

2010年ファンタ参加作品

「自分の手でオトシマイをつける」と言えばアメリカのお家芸。西部開拓時代から政府を額面どおりには信用しない伝統があり、少なくとも国は信用する側と信用しない側で二分されており、信用しない側は自分で銃を取って権利を守るという気構えです。

実はこれはアメリカの建国の歴史に関わり、チャールトン・ヘストンの銃の団体にも関わり、米国の憲法にも関わる話。物凄く短く詰めて言えば、アメリカには政府が信用できない場合を考慮して、自分を自分の手で守る権利があり、その手段の1つが銃というわけです。そういう理屈がアメリカ人の頭の中にあるので、簡単に検地刀狩りができず(検地はできるかも知れませんが刀狩りは難しい)、銃の規制をしようとするたびに頓挫しています。マトリックスを思わせる銃の乱射事件が起きても、インテリ層から最高裁判所の判事まで、熟慮に熟慮を重ねても、結局最後は自分たちの持つ権利を放棄できないという結論になり今日に至っています。

政府を単純に信用しない理由は恐らく建国の時の事情に関わるのでしょう。合衆国という名前が示す通り衆が集まってできた国。つまり色々な衆がいるわけです。歴史をざっと見ると英国の影響が今でも非常に強く、当時自己主張をしていたフランス(新オルレアン=ニュー・オルリンズ)やオランダ(新アムステルダム=現新ヨーク=ニュー・ヨーク)は今ではそれほど大きなロビーは持っていませんが、英国の息のかかった人は今でも多いです。(歴史を一っ飛びして)そこへ新興のロビーとしてイスラエルや中国も加わり、議会は舞台裏で大乱闘を起こすこともあります。

こういった外国勢と長年根気良く張り合っているのがアメリカをアメリカ人のためにと考える人たち。別にアメリカ・インディアンに親しみを持っているわけではなく、白人で、皆それぞれ先祖は欧州に行き着くのですが、「自分たちはここへ新天地を求めてやって来た、今ではここが故郷なのだ」と考える人たち。自分を守る権利を原則的に考える人たちです。言わばアメリカ国益派。

英国はアメリカの原則派でないもう1つの半分に影響を与え続けている国であり、アメリカの中では国際派、リベラル派などに関わる国。傾向としては自分でオトシマイという話にはあまり賛成していません。ところが狼たちの処刑台では皮肉なことに英国人が英国の中で自分でオトシマイをつける必要に駆られやってしまいます。それも元々お国のために海兵隊に属していた退役軍人。英国が国を挙げてアメリカの政治にコミットしているなら、英国の軍人も同じ列に並んでいるはずで、米国で行き着く先はリベラル派のはずですが、主人公はアメリカをアメリカ人の手にと考えて時には銃を手にするかも知れない人たちと同じ行動に出てしまいます。世の中というのはそう単純ではないんですね、知らなかった!

★ あらすじ

かつては IRA 退治をやっていた英国海兵隊兵士ハリーは引退し、公団住宅で年金生活。重病の妻は入院中。普段は友人のレオナルドと酒場でチェスをやったりおしゃべりをする生活。ハリーのアパートはあまり豊かでない町の一角にあり、その辺の通りや公園は町の愚連隊に支配されています。愚連隊は若さ、暇が余り過ぎ、エネルギーは町を荒らすことに使っています。

この種の愚連隊はチャヴと呼ばれるそうです(知らなかった!)。私はそういう呼び方を知らなかったのですが、最近の英国の映画には何度か取り上げられており、怖さは知っています。

60年代、90年代にはハリー・パーマーとして大活躍している上、狼たちの処刑台では元海兵隊だったハリー・ブラウンは、脳ある鷹は爪を隠すで、普段は静かに見ているだけ。ところがある日、いよいよ妻の最後が近くなり病院に駆けつけるハリーは、チャヴのおかげで遠回りをせざるを得なくなり妻の死に間に合いませんでした。

これだけでもムカッとするどころでなく、かなり頭に来ているはずのハリーですが、ある日、友人のレオナルドがチャヴに酷い殺され方をします。妻だったらまだ我慢できるが友人まで殺されて切れてしまったのか、1人ならまだ我慢の限界内だが、相次いで2人も大事な人を・・・ということで切れてしまったのか、あるいは妻はチャヴに殺されたわけでは無いけれど、友人には直接手をかけたから切れてしまったのか、あるいはその全部が理由だったのか分かりませんが、ここでマイケル・ケインは堪忍袋の緒が切れて、チャールズ・ブロンソン、クリント・イーストウッド、フランコ・ネロ、ジュリアーノ・ジェンマになってしまいます。こういった映画の歴史に習ってハリーも寡黙。

上に書いた2つの理由に加え、ハリー自身が帰宅中に襲われたため最後の忍耐が使い果たされてしまったのでしょう。愚連隊はただの老人を襲ったつもり。しかし相手が悪かった。人殺しの手法は銃からナイフ、素手まで一通り知っているハリー。愚連隊、謝る前に死んでいた・・・。

妻も友人もあの世に行ってしまったハリーにはそれ以外親しい人はいません。じゃ、ってんでついでに愚連隊を全部片付けようということになり、早速武器を調達。ここから先は前半に比べいくらか箍が緩んだ演出という印象もありますが、愚痴は引っ込めようと思うぐらい前半の演出が成功しています。

もし警察がハリーが1人で町の掃除をしていると知ったらどうするか・・・、まだ若い、まだ仕事に幻滅していない警部補・・・。正当防衛の濫用、下手に検挙すると暴動になるかもしれない・・・という問題をスパッとは解決して見せずに現実味を持たせています。

私はこういう子供たちが大きな社会問題だと思いますが、 ではなぜこういう子供たちが生まれたのかというところについ目が行ってしまいます。ここまで来る前に親がどうだったかという話になると思います。育児放棄をしたのか、モンスター・チルドレンになることを許したのか、親自身がモンスター・ペアレンツなのかなどの点も一緒に考えないとだめでしょう。

上に書いたように英国人がこういう風になり、自分で自分の身を守らなければ行けなくなるのは皮肉な事ですが、ハリーの行動は無論自分の身近な人を失ったことと町の社会問題に取り組む程度の話で、アメリカ人が言うような憲法で保障された権利がどうのという話ではありません。皮肉だというのは、大西洋を渡ってアメリカに影響を与え続けた結果アメリカにああいう形の国益派の意見ができてしまい、それが何百年もしてまた大西洋を渡ってこういう形でブーメラン現象を起こしているところです。無論これはたくさんの中の1本の映画に過ぎませんが、英国を代表するベテラン俳優が、ある程度インテリジェンスを見せながら、それでも自分でオトシマイをつけざるを得ない男を演じている佳作です。

時々英国の映画や英国の息のかかっているアメリカ映画には暫くして起きる出来事を予見したかのようなテーマがありますが、英国ではこの作品の後実際に暴動が発生しています。制作側は「いずれ近い将来こういう事になるぞ」と考えていたのでしょうか。そうだとすれば「自国の事を良く自覚している」として褒めるに値するのか、「分かっているのに手をこまねいて、君たち一体何をやっているの」と批判するべきなのか迷います。

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