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Belle de Jour - Schöne des Tages

Luis Buñuel

F/I 1967 101 Min. 劇映画

出演者

Catherine Deneuve
(Séverine Serizy - 主婦)

Dominique Dandrieux
(Severine、子供時代)

Brigitte Parmentier
(Severine、子供時代)

Jean Sorel
(Pierre Serizy - 主任医師、サブリーヌの夫)

Michel Piccoli
(Henri Husson - 夫の友人)

Macha Meril
(Renee - 夫の友人)

Geneviève Page
(Anais - 売春宿の女将)

Pierre Clémenti
(Marcel - やくざ)

Françoise Fabian
(Charlotte - 売春婦)

Maria Latour
(Mathilde)

Muni
(Pallas)

Claude Cerval

Iska Khan
(日本人の客)

Marcel Charvey
(Henri - 教授)

見た時期: 日本のテレビ、2012年7月

★ 何じゃ、日本の番組は

日本で公開されて暫く経ってからテレビで見ました。

何十年も経って野外無料映画館で上映したのでもう1度見ました。雨天だったので運良く屋内で見ることができ、さらに映画館が珍しくおいしい手作りのスナックを用意してくれ、楽しい一夜でした。150円ほど払ったのですが、手作りピザにトマト、チーズ、バシリクムを串刺しにしたもの2つもついていました。全部手作りなのに破格の値段。しかもピザはオーブンで温めてくれました。

雨天と言えば、ちょうど今九州、関西が鉄砲雨。最初はちょっと多めに降ったのだろうと思っていたら、翌日も、その次の日も大雨。ひどい状況になりました。ベルリンも今ちょっとこの季節には珍しく夜間毎日数時間雨。冬に近づく頃には1週間雨などということもありますが、現在は真夏。普通の年なら毎日快晴です。数時間でやみ、降るのはたいていは夜中なので、気づかない人も多いですが、時たま時間がずれて日中降ります。今年のベルリンは鉄砲雨ではありませんが、毎日雨というのはちょっと普通ではありません。植物に取ってはいいことですが、変です。その少し前にはロシアで鉄砲雨が降り、死者続出。そう言えば去年は紀伊半島が偉い目に遭っていますし、タイもとんでもない水害を経験。恵みの雨も降り方を間違えると凶器。

★ テレビとかなり違った印象

渡欧する前国内でテレビ放送があり、見たと思います。今回見終わって当時と全然違う感想になり、驚いています。見たことの無いシーンが結構長く、日本では CM の都合でカットでもしたのだろうかと訝っています。こういったシーンがあるのと無いので全く印象が変わるのは仕方ないです。2度目に見た後はアイズ・ワイド・シャットO嬢の物語と共通する雰囲気を感じました。お金が有り余り、何に使ったらいいのか分からない人たちの物語です。日本でテレビを見た時とは全く違う印象になってしまいました。

当時の午後9時から無料で誰でも見られるテレビで流すのはちょっと問題かなと思えるシーンもあるので、局が自主規制したのかも知れません。映画雑誌の表紙を飾ることも多かったカトリーヌ・ドヌーヴがこういう作品に出演するとは思わなかった日本人が多かったと思います。ブルニエはインテリ層に好かれる監督なので、ポルノ扱いはされないでしょうが、彼の意図を理解したとしてもお茶の間では消化不良を起こす人が出たかも知れません。

★ 時代遅れになる作品

今年無料映画館に出る作品には2012年に見ると古いと思わざるを得ない作品と、暫く時が経ってもそれなりに見ていられる作品が混ざっています。同じドヌーヴでもこの間見たハンガーはまだ十分鑑賞に耐えます。監督に時代を超えようという意図が感じられ、ドヌーヴもあの当時トウがたった女優と言われかねない時期なのに堂々たる存在感でそういう陰口を追い払ってしまえるような作りになっています。

それに対し昼顔は賞味期限が切れています。時代を超越できなかったのはまず衣類。ちょうどタートルネックのセーターが流行っていた頃で、ミシェル・ピッコリなどがそんな格好で出て来ます。女性の方はミリタリー・ルックが流行っていて、ドヌーヴも軍服を想像させるような服装。当時はそういうのが女性の間でも流行っていました。生地の素材を見ると高級そうなウールなのですが、今見ると失笑が漏れそうになります。あの頃の衣類はファッション・リバイバルが起きていません。

圧倒されるのはドヌーヴのヘアースタイル。姉で死亡したフランソワーズ・ドルレアックは茶色から赤毛と言えるような色の髪で、妹のカトリーヌはブロンド。しかし昼顔を見ると、脱色でもしたのか、髪がぱさぱさして見えます。それだけボリュームが増えてしまい、ロングヘアーと言うほど長くないのに、アップにすると物凄い大きさになります。髪の結い方自体は悪くないので髪の質が自然なら、結構上品に見えたと思います。

★ 意外な女優発見

日本で見た時は気付かなかったのですが、売春宿の女将さんの役でジュヌヴィエーヴ・パージュが出ています。彼女はジョン・フランケンハイマーのグランプリでイヴ・モンタンの奥さんを演じていた人です。確かフェラーリ社の社長の娘か何かの役です。夫に浮気をされてしまう役ですが、上品な雰囲気をかもし出していました。

★ 時代に追い抜かれたストーリー

軸になるのは昼間売春をやる有閑夫人セブリーヌの生活。彼女は上流のお嬢さんで、生き馬の目を抜くような人生経験は無く、精神的には子供のような面があるように設定されています。夫ピエールは若くて有能な医者。すでにある程度出世しています。収入が良く、上流階級の友人たちがいます。あの当時のあの階級では奥方は上流の男性を引き立てるための小道具以上の役割が無く、職業に就く人もボランティア活動をする人も皆無。時間とお金は持て余しています。

そういう設定の中、所々セブリーヌの小学校ぐらいの頃の思い出と、現在の妄想が挟まります。挿入部分が彼女がなぜ売春をやるのかを説明する仕掛けになっています。夫の目から見ると彼女は子供のようで、彼の前では子供っぽいわがままが通ります。その反面彼女も物を考える1人の人間だという風には受け取られていません。彼女の方でもそういう方面は発達しておらず、夫の前では子供の役を大した疑問も抱かず受け持っています。

2人は結婚してあまり時間が経っておらず、夫は大病院の部長ぐらいのポストの医師。仕事に忙しく、夜も勉強をしたりで、子供のような精神の彼女に付き合ってばかりはいられません。彼女も一応それは理解しますが、セックスが思ったように行かないので両方ともこのまま行くといずれ大きな問題と直面かなという手前。彼女は子供過ぎてセックスに気持ちが向かわないのだろうということになっています。忙しいこともあり、優しい夫は無理な事は言いません。

カップルで付き合う友人の中に彼女の内面をあっさり見抜く男アンリがいます。友人たちと軽口を叩いている時に男性が売春宿に行くという話が出、彼女は友人の1人ルネからある売春宿の事を知ります。こういう集まりに彼女自身の友人は登場せず、夫を通じた知り合いとその連れ合いの女性ばかりです。

何がサブリーヌを実行にまで突き進ませたのかは分からないのですが、アンリから売春宿の住所を聞き、出かけて行き、即日採用されます。同僚の2人の女性に比べ上品さが際立ちます。女将はあまり下品でなく、来る客も金持ちが多いのですが、場所は高級住宅街ではありません。

午後2時から5時の3時間しか働かないというパートタイム契約を女将は承知し、すぐ客にも気に入られます。お金は元から問題ではありません。60年代にはまだセンセーショナルなテーマで、ブルニエも彼女がなぜこういう行動に出たのかにスポットを当てています。

時々フラッシュバックのように出て来る子供の時の思い出によると、彼女は子供の時に大人の餌食にされたか、されそうになってショックを受けた女性。大人になり切れていないのも、夫とスムーズに行かないのもそれが理由だということになっています。それが理由だということにして彼女がマゾっぽい妄想を抱くようになっていて、冒頭から所々にマゾ・シーンが出て来ます。失笑を買うのはそこ。時代の変化のためと思われます。60年代はまだあからさまなサド・マゾシーンは撮りにくく、象徴的な描写に限られており、そこが時代の変化から取り残されています。ブルニエ流の象徴的な描写が時代を越えられなかったと言えそうです。

北野武の作品を見ていると時々時代を超えたいのだろうと思えるシーンがあります。実際に20年後30年後に私がどう感じるかは分かりませんが、少なくとも北野は象徴的なシーンがあとで笑われないような配慮をしています。ブルニエはそこが下手だったと思います。

時代を越える試みは同じドヌーヴを使ったトニー・スコットは成功しています。ハンガーに出ていたボウイの息子が作った SF 月に囚われた男もある程度時代を超えることを意識して作られています。ボウイの息子が参考にしたと思われる2001年宇宙の旅もかなり長時間生き延びた作品と言えます。昼顔とほぼ同じ頃に作られており、続編の2010年の方が先に賞味期限が切れています。

さて、売春宿で働き始めてから彼女は以前より自分に満足が行くらしく、少しずつ変化します。変な客も多いので、時々予想外の体験もします。売春婦ですので相手からは蔑まれることもありますし、売春婦に仕えるような芝居を好む客もいます。ある時などは娘の葬式で死体の役を仰せつかるのですが、どうやら父親は娘と尋常でない関係にあったらしく、雇われて娘の役を演じるセブリーヌは裸の死体役です。このように彼女の客として来る妙な人間を並べ、当時の世間の表と裏を見せようとの努力はされています。

そんなある時アンリが客として現われたので、彼女がここで働いていることがばれてしまいます。

彼女が本当に困り始めるのはやくざマルセルが彼女を独占しようとしてから。マルセルは「自分と一緒になれ」と言い出します。セブリーヌは昼夜の二重生活でバランスが取れていたので要求を断わります。2つの出来事ですっかり怯えてしまったセブリーヌは売春宿の仕事を辞めたのですが、家まで跡をつけられ、マルセルが家に乗り込んで来ます。それでも断わった彼女ですが、家の前で夫がマルセルに撃たれてしまいます。マルセルは警官に追われて射殺されます。

重症の夫は盲目、全身麻痺で生き残ります。そこへアンリが訪ねて来て、夫に彼女が売春宿で働いていたことを告げると言い、夫の部屋に入って行きます。最後は夫が突然健康になって眼鏡を外し、立ち上がり、2人は幸せに・・・という妄想で終わります。

★ セブリーヌのような女性

セブリーヌのような女性を小説家サガンも描いたことがあります。昼顔のような事件にせず男女の仲を描くだけですが、熱い恋の主人公が金持ちの男性に囲われた若い女性。1度恋に目覚め、中年女性の若いツバメだった男性と同棲を始めます。サガンは金持ちで年の行った世代が、若い男女を囲う関係にスポットを当てています。セブリーヌと似ているのは、誰かの金がたくさんあり、職業に就くでもなく、世間の実態が頭に入っていないところ。その女性は結局また初老の男性と元の鞘に納まるのですが、昼顔が撮られた頃フランスにはまだそういう女性がいたということなのでしょう。セブリーヌも親が金持ちだったのかもしれず、その上夫が金持ち。当時職業婦人はまだファッション化すらしておらず、上流の男性も女性も妻が働くというのは一般的ではないと信じていた時代。

フランスも世界もその後大きく変わりますが、昼顔はその新しい時代に入る直前、前の時代の最後のところで作られています。サガンも50年代半ばからちょうどその頃までに意欲作を連続して発表しています。こういう階級、こういう人物を皮肉たっぷりに書いていたサガンですが、批判が現実に取り入れられ、女性の社会進出が進むに従い、自分自身は身を持ち崩して行きました。有名な作家や哲学者と親交があり、インテリ層から受け入れられていたにも関わらず、知性も才能も自分の人生にはあまり役立たなかったようです。自分がそれまで批判していた事が聞き入れられ、実現して行くと自分自身が破滅に向かう作家は時たまいるようです。

★ 神経逆なで型監督

フランスには神経を逆なでするのが好きな監督がいます。昼顔もそういうコンセプトで作られており、観客はドヌーヴと一緒にいつばれるかはらはらするようになっています。60年代ですとそれでうまく行ったと思いますが、売春という言葉がいつの間にか援助交際と変わり、日常会話に頻繁に出て来るようになった現在、時代に追い抜かれてしまったように思います。昼顔の3、4年前に作られた、同じく売春を扱ったヒッチコックのマーニーの方がある売春の話と主人公のトラブルの因果関係の扱いが上手で、ストーリーとしてはブルニエより時代を越えられたかと思います。心理学的にも一般の観客向けにはいくらかマーニーの方が納得しやすいように描写されています。ブルニエはいくつか象徴を並べておいて、観客に「あとは自分で考えろ」と言っているような面が感じられ、当時の観客向けにはやや不親切な作りです。そして今日見ると、心理学を応用した映画が巷に溢れ、観客は見慣れてしまったので、ブルニエ方式はアホ臭く見えてしまいます。制作の時点で「時代を超えてやるぞ」という意欲は持っていなかったのかと思います。

★ 夜顔

夕顔でなく、夜顔という一種の続編が別な監督で作られたそうで、ミシェル・ピッコリが同じ役で出演しています。ブルニエは83歳で他界。現在68歳のドヌーヴの役は他の人が演じています。ドヌーヴもドロンなどと同じで演技力で売る俳優ではありません。姿を見せる役者です。なので「何十年も経って再会した2人」という役は避けたのかも知れません。

さて、その夜顔ですが、私は見ていません。なので以下は文字で読んだ話を集めただけです。前作に負けるとも劣らない底意地の悪い作品だそうです。いくつかの評を見ると階級闘争がバックグラウンドにあるらしく、その層を憎んでいるか、どうでもいいかによって感想がかなり左右されるようです。

☆ あらすじ

昼顔から38年後、未亡人になり ホテル暮らしをしているセブリーヌとアンリが再会。アンリを避けたセブリーヌをストーキングして、強引に食事に連れ出します。嫌々付き合うセブリーヌはアンリが38年前夫に彼女の昼の仕事の事を伝えたかどうかを知りたがります。元箱入り娘のセブリーヌと卑劣漢アンリでは勝負は明白。ところが話をしているうちに男女差がはっきり現われ、形勢が逆転・・・。

☆ 新しい映画の古い監督、新しくなった女優、職人芸の男優

ブルニエは実生活では女性解放運動の洗礼を受けていない世代の人。長い間女性が男性のお飾りだった時代を生きていました。続編を作った監督も現在103歳で現役という、生まれた年がブルニエと10歳も違わない老人。なので女性に対する考え方は似ています。ドヌーヴは最初何を考えて俳優をやっていたのか分かりませんが、フランスで学生運動が盛んだった頃からの時代を見過ごさず、どんどん自立を深めて行った人です。彼女が続編に参加しなかったのは、役にドヌーヴの堂々たる存在感が合わなかったからなのかも知れません。彼女は自分が自立するだけでなく、フランスの女性にも教養をつけ、自立して考えることを要求する人に成長しているので、お飾り女性の38年後という役を演じようと思っても上手く行かなかったのかも知れません。あるいはそういう役に意味を見出せず断わったのか、あるいは監督がその辺を見抜いて元から声をかけなかったのか・・・。職人的俳優ピッコリは役を上手く理解できたらしく、続投しています。まだ見る機会が無いので、作品については何も言えません。

★ ん十年経ってそっくりさん

他のページにも少し書きましたが、CSI マイアミのケリー役の女優がドヌーヴそっくりのメイクで登場します。たまにもっと自然なメイク、ヘア・スタイルで出る事もありますが、普通はドヌーヴ再来かと言えるような姿で出て来ます。彼女が演じるケリーは火器オタクで、非常に専門的な知識の持ち主。恋愛ではちょくちょく合わない男と出会い、別れた後、同僚のエリックとルンルン。ところがそのエリックが殉職しかけ、危ういところで命は助かるのですが、記憶の1部が失われ、彼女とルンルンだった事も覚えていないのです。それでもエリックは改めてケリーに惚れ直し・・・という役。絶対に直球は投げないドヌーヴとは対照的なイメージをかもし出しています。

ドヌーヴに似た冷たい表情を見せながら、一途なエリックや、きちんとした仕事をするホレイショやアレックスと上手くやって行けるという役で、ドヌーヴより人間的な印象を受けます。しかし写真を見ると親子か、親戚かと思うぐらい似ています。

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