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ハンガー /
The Hunger /
Fome de Viver /
Les prédateurs /
Begierde /
El ansia /
Miriam si sveglia a mezzanotte

Tony Scott

UK 1983 97 Min. 劇映画

出演者

Catherine Deneuve
(Miriam Blaylock - 何千年も生きる吸血鬼)

David Bowie
(John - 200年前の貴族)

Susan Sarandon
(Sarah Roberts - 寿命研究をしている医師)

Cliff De Young
(Tom Haver)

Beth Ehlers
(Alice Cavender - ブレイロック家に出入りしている少女)

Dan Hedaya
(Allegrezza - 刑事)

Kent Miller
(棺桶の死体)

Fred Yockers
(棺桶の死体)

Susan Hunter
(棺桶の死体)

James Wassenich
(棺桶の死体)

Allan Richards
(棺桶の死体)

Hilary Six
(棺桶の死体)

Carole-Ann Scott
(棺桶の死体)

見た時期:2012年6月

要注意: ネタばれあり!

見る予定の人は退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

★ 完成品兄弟

スコット兄弟は揉めることも無く、次々とおもしろい作品を作り続けています。1937年生まれの兄リドリー、1944年生まれの弟トニーは映画界に入る前にたくさんコマーシャルの仕事を手がけています。そのためか映像、特に光に非常に気を使っていて、それだけでも見ていて楽しいです。私は映画は普段芸術作品とは見なさないのですが、2人の作品は芸術の分野に片足を突っ込んでいると思います。

仲はいいらしく、先に職業についていた兄が弟に仕事のチャンスを与えたようです。兄が先に渡米し、弟が後を追ったようです。2人はそれぞれ独立した監督で、コーエンやファレリー兄弟のように一緒に仕事をすることは滅多にありません。 珍しく天は2人にたっぷり才能を与えたようです。真似をするでもなく、妬むでもなくどんどんそれぞれが精力的に仕事をこなしています。家族の誰かが他を抜く才能に恵まれ、残りは割を食う話が多いのですが、アフレック兄弟とスコット兄弟は独立した仕事をし、お互いに揉めないようです。初期の頃兄が監督して弟主演の短編を作っています。

トニー・スコットの長編劇映画デビューは1983年のハンガー。兄の長編デビューは1977年。2人とも40歳前後から映画制作を始めました。それまでコマーシャルの仕事をやっていたと言うことは、出発点ですでに普通の映画人よりずっと映像技術に長けているということです。私もある CM 作りの現場の話を聞いたことがあるのですが、たかだか1分、2分の CM を作るのにかかるお金の方が、長編1本より高いこともあり、CM では画像が完璧であることが要求されるため、撮影は CM の方がずっと凝っているそうです。

スコット兄弟の作品はテーマではなく、映像が理由で見ることが多いのですが、おおむね満足しています。トニー・スコットの作品は今回見たハンガー以外に、
 ・ トゥルー・ロマンス
 ・ ザ・ファン
 ・ エネミー・オブ・アメリカ
 ・ スパイ・ゲーム
 ・ ドミノ
 ・ デジャヴ (画像がきれい)
 ・ サブウェイ123 激突
 ・ アンストッパブル
を見ています。5割強。

リドリー・スコットの方は
 ・ エイリアン
 ・ ブレードランナー
 ・ テルマ & ルイーズ
 ・ 1492 コロンブス
 ・ G.I.ジェーン
 ・ ハンニバル
 ・ マッチスティック・メン (画像がきれい)
を見ています。

ま、こういう経歴の人たちなので、初期の作品からいきなり完成品を出して来ます。

★ ドヌーヴ/ドルレアック姉妹

カトリーヌ・ドヌーヴはいつも注目しています。ファンではないのですが、今度は何をやるだろうという風な興味があり、何をやっても崩れない人なので、尊敬の念を抱いています。メイクによっては双子と間違えそうな1歳上の美人の姉がいたのですが、何かの事件に巻き込まれ、1967年の今頃無残な焼死体で発見されました。生きていれば今年70歳。生前はヴァンサン・カッセル親父さんの婚約者。つまりヴァンサン・カッセルはカトリーヌ・ドヌーヴの姉の息子になる可能性もあったわけです。世の中には際どい接近があるものです。

妹のカトリーヌは芸名として母方の姓を名乗っていますが、2人は普通の姉妹。親の代から芸能一家で、女優としてはティーンの頃から活躍。フランスの事実婚のさきがけのような人で、時には妙な男性と同棲していたこともあります。幸福だったのはどうやらカソリックで離婚できなかったマルチェロ・マストロヤンニとの生活だったようです。

若い頃はエリザベス・テイラー、オードリー・ヘップバーンと並び日本の映画雑誌の表紙を飾る女優枠の常連。若い頃の顔は CSI:マイアミの火器マニアのカリー・デュケインと良く似ています。

彼女は世界的な女性スターの中では上手に年を取った1人で、無理なダイエットもせず、適度にふっくらとして、適度に顔に皺もあり、威厳のある美しさを保っています。整形手術もやっていないか、やったとすればごく僅かのようです。その辺が私が尊敬の念を持つ理由。演技が上手いのか、下手なのかは分かりませんが、絵になる人です。フランスにはアラン・ドロンなど時々演技力はよく分からないけれどそこにいるだけで絵になる俳優がいます。

ハンガー出演中のドヌーヴは美しさでは最高。御年40歳。立派なものです。珍しく英国の作品に英語で出ています(と思います。私はドイツ語で見たので確認は取っていませんが、舞台がニューヨーク、パートナーは英語圏のデヴィッド・ボウイ)。 デビューから約20年後の作品です。

★ あらすじ

ドイツでは非常に有名な作品で、「欲望」という意味のタイトルがついています。邦題は英語そのままで「空腹」。どちらのタイトルがいいのかは分かりません。主人公は吸血鬼。パクリというほど真似はしていませんが、やや似ている作品を最近ファンタで見ました。ぼくのエリ 200歳の少女といい、主人公の前提条件だけそっくりです。残りの部分はハンガーは大人向けの作品になっており、ぼくのエリ 200歳の少女はティーンのロマンスになっています。

どんな前提かと言うと、主人公が魅力的な女性(少女)で、御年200歳を軽く越える年齢。恐らくは5000年ぐらいは生きているでしょう。吸血鬼で、人の生き血を吸って永遠の若さを保っています。現在の恋人は200年ほど前に英国の貴族をボーイハント。2人はちょくちょく獲物になる男を漁り、罠に引っかかった男は生き血を吸われて昇天。彼女の伴侶としてハントされた人は200歳まではずっとその時のままの若さを保っています。どうやら限界は200歳あたりで、そこから急に老けます。老けるとドヌーヴ演じるミリアムに嫌われ、木製の棺に入れられ、屋根裏部屋に放り出されます。ちゃんと死ぬことはできない様子。

伴侶は200年しか持たず、自分は何千年も生きていますが、それなりに充実した人生を送っている様子。すぐ後釜の恋人を探し始めます。

冒頭住んでいるのはニューヨークの豪奢な屋敷(撮影はロンドンだそうです)。同居しているのはミリアムとボウイ演じるジョンで、時々アリスという少女がジョンから音楽を習うために訪ねて来ます。3人はバイオリン、チェロ、ピアノでクラシックの音楽を合奏します。静かで楽しい毎日を送っていた2人ですが、ある日ジョンに老いの陰が見えます。200年目が来てしまったのです。そうなるとジョンの運命は屋根裏部屋の他の棺桶と同じ。

若さを保ち、ミリアムから愛され続けるべく最後の望みを持ってジョンはある病院を訪れます。サランドン演じるサラという女医が老いの研究をしており、老いの仕組みを解明したかも知れないからです。実際サラは猿を使って実験の最中。かなり結論に近づいています。ジョンは自分の老いについてサラに説明しようとしますが、サラは彼を邪魔扱い。まともに話を聞かず、15分と言いながら何時間も待たせ、体良く秘書に追い出させようとします。我慢強く待っているジョンですが、その間にもどんどん年を取り、やがて元の姿とは全く違う、今にも死にそうなよれよれの老人になってしまいます。

サラはすっかり年を取ってしまったジョンを同じ日に訪ねて来た青年とは思いませんが、ジョンを邪険に扱ったことでいくらか気が咎め、ジョンの自宅へ訪ねて来ます。しかしジョンは既に棺桶の中。ミリアムはその時からジョンは存在しないかのように暮らし始めます。ジョンはその前にアリスを殺してしまっていますが、アリスの血を吸ってもジョンの老いは止まりませんでした。

しつこくジョンの事を聞くサラを冷たい目で見てしらばくれているミリアムでしたが、なぜかサラに興味を抱いたミリアムは家の中に引き入れます。アリスの血もジョンの体も片付けてあり、家の中は元の通りです。

1983年にレズビアンの関係がどの程度社会から公認されていたのかは分かりませんがハンガーではあっさり2人は関係を持ちます。ミリアムに取っては大切なのは血の源で、相手が男でも女でも大差はありません。 普段はスープの出がらしのような印象を受けるのでサランドンは好きではありませんが、ハンガー出演中のサランドンは別人かと思うほど瑞々しいです。美しさと健康さが混ざり輝いています。どんな化粧品でも買えるスターでも中には体質の影響なのか、若さが長持ちしない人もおり、アジア人の目で見ると気の毒な印象を持つ時もありますが、その分一生の一時期驚くほど輝く人がいます。文学を見るとそこを捉えて絶賛する作品が時多々ありますが、欧州に住んでいると目の当たりにする時があります。

と言う事情でジョンをお払い箱にしたミリアムはサラと一緒に時間を過ごしますが、そこから話が逆向きに展開し始めます。それまで得ることだけで生きて来たミリアムは屋根裏部屋の棺桶の中にいる男たちが彼女の愛情を求めていたことを理解していませんでした。男たちの寿命が来たら「はい、次」。同じ事は彼女に振り回され、彼女に頼るだけで生きていた男たちにも言えます。ミリアムの関心がよそに移った瞬間男たちは存在の意味を失います。と言っても自分も吸血鬼になっているので、ちゃんと死ぬ事はできない。自分が輝いていた頃のミリアムとの思い出を胸に、干からびた老人になってしまった現在を呪いながら、死ぬ事は許されていません。棺の中で行き続けます。

ジョンの後釜のサラとミリアムの関係はやや違い、血を吸われるサラは自殺を試みます。これまでの、ミリアムが男に200年の若さを与える、男はミリアムに(喜んで)服従するという関係が、性格の違うサラで崩れます。サラは理性があり、これでは行けないと思ってか自殺。これまで通りのパターンで支配したはずのサラが寿命が来ていないのに自分から去って行くことがミリアムに取っては非常な驚きで、恐慌を来たします。そして1番最後のシーンは・・・。

★ 東西で違う解釈

日本人は生命は自然全体の中では永遠と思っています。私1人の生命は何年か後に終わりますが、植物も動物も、岩や水さえもがそれ1つは今終わっても全体ではずっと続いていくものと思って生きています。なので、順番に年を取って死んでいくことにそれほどの恐怖心は抱いていません。それどころが若い人を生かすためにと自分が犠牲になることにも大きな違和感を抱いていません。

宗教の違いなのか、世界観の違いなのか、欧米の人を見ていると、自分1人でもいいから長生きしたい、ずっと若くありたいという必死な気持ちが伝わって来ることがあります。日本人はみんなと一緒にそこそこ生きて友達や親兄弟が死ぬ頃に自分もという考え方。「順番通り」なら最後が100歳でも80歳でも構わないのです。

年を取る事に大きく抵抗する人は女性も少なめ。最近は化粧品だの薬品だので若さを保つという宣伝が盛んではありますが、上手に年を取って行きたいと願う人が多いです。ドイツで宣伝や雑誌などを見ていると、徐々に適度に年を取って行きたいという願いを見たことがありません。絶対に若さを保つぞという意気込みの方が強いです。なのでスポーツをやる人も過度に走る人が多いです。何だか社会全体が絶対的な若さを求めているように思えて来ます。そしてそれが経済的にか、状況の都合でかなわない人は諦めて悲しそうな表情。

自然の流れを止めようとしない日本人は無駄なストレスを抱えずに済むので得だなとよく思います。私は今でこそ結構な年に見えますが、ちょっと前まで実際の年よりひどい時には20歳以上若く思われることがありました。東洋人はあまりはっきりした皺が出ないことと白髪がドイツ人より最低10年遅く出て来るからだと思います。加えて職業柄化粧やパーマをしなかったことで5年分ほどボーナス得点。これは私1人の話ではなく、似たような生活をしているアジア人の女性全般に言えます。

するとかなりの数のドイツ人が寄って来て「若さの秘訣は」「どんな物を食べているの」「遺伝子が違うんだろうか」などと聞きます。折からドイツではアジア食生活ブームが起きていて、雑誌を始めメディアも大注目していました。しかし私にはどうしようもない・・・。生まれた時から太陽に対する耐性が違い、紫外線に対して弱い皮膚はどうしようもありません。実は私は日本人としてはかなり皮膚が弱いので、日光浴をわざわざ自分からはやりません。こちらの人と同じように火傷状態になってしまうからです。それ以外は野菜や果物をたくさん食べる、水やお茶をたくさん取るぐらいのことで、それはドイツ人でもやっている人がたくさんいます。

大きく違うのは頭の中に〇〇歳ならこんな具合に見えるだろうという予想があること。40歳を過ぎればこういう風になってもおかしくないと30歳の頃から考えているので、ちょっと白髪が出たとか皺が増えたぐらいなら「気にしない、気にしない」。そのためカリカリしないのですが、それがもしかしたら若さを保つ秘訣なのかも知れません。こちらの人は恐怖心を持ってそういう変化を迎えるのですが、私は階段のステップのように受け止めるからです。しかしそんな事って日本人はほとんどみんなやっていますよね。

といった前提条件の違いを考えながらハンガーを見ると、ようやく理解できます。もし国内にいて、欧米人のと接触がほとんど無い社会で見たら理解できない点がたくさん出て来る、あるいはこれはホラー映画だからミリアムやジョンは特殊な趣味を持った人なんだという解釈になってしまったかも知れません。私は上にも書いたようにドヌーヴが年を取ることを恐れているとは思いません。しかし彼女のような芸能人は例外的で、普通は若作りするか、整形をやりまくるなど抵抗の跡が見えます。

タイ人やベトナム人を見ていても年齢対する恐怖は感じられず、リラックスしながら生きているように見えます。もしかしたら皮膚がどうのということより、年を取ることを恐れるストレスが人を老けさせるのではないかと思うほどです。女性に比べると男性はそれほどカリカリしていませんが、スポーツに懲りまくる男性がちょくちょくいることを考えるとやはり心のどこかで気にしているのかなと思います。デビッド・ボウイは普段あまり好きな人ではないのですが、ジョン役では大役を十分こなしていると思います。本職が俳優で無い事を考えると立派な業績です。また、この役に彼をふった監督も目が高いと思います。キャスティングの点では主演の3人が全員役にぴったりです。

★ 役割分担をしている依存

年を取るということについての考え方の違いの他に、もう1つおもしろいテーマが盛り込んであります。それはミリアムとジョンを始めとする男たちの役割分担です。ミリアムは従順に自分に従うタイプの男ばかりを集めていた様子。ジョンはミリアムが機関車で自分がその後ろに連結されている車両であるかのような態度です。彼女を愛しているのでしょうが、彼女から愛されることが唯一の生き甲斐。彼女の愛情が去った時はジョンの人生全体の破滅です。

この関係を愛情と呼んでいいのかは脚本の方からも疑問が織り込まれています。少なくとも愛情の代わりに関心と置き換えられると思います。関心があることと愛情ではどこか根本の所で違います。愛情は関心の一部であるかも知れませんが、関心は必ずしも愛情では無い・・・。そのギャップが表に現われ観客が気づくような演出になっています。

ミリアムはそれまで欠けていた何かに気づいたところで終わり。ちょっと遅かったかなあというニュアンスを残します。彼女に取ってはそれまでの男たちは遊びに付き合ってくれるパートナーに過ぎなかった、悪く言えば子供がおもちゃを取り替えるように時が来たら「はい、次」だったようです。彼女側の言い訳を頼まれもしないのに買って出るとすれば、5000年ぐらい軽く生きていられる彼女に取って、1人切りで時を過ごすのは非常に孤独。なのでどうしてもお付き合いをしてくれるパートナーが必要だったのかも知れません。そう言ってしまうと身も蓋もありませんが、本当の友情や愛情が生じるには同じ時代を共に生き、同じぐらいの時に死ぬ運命でないとダメなのかも知れません。1人が永遠に生きられてしまうと確かに人生に期待する物が大きく違い、対等な愛情を期待するのは無理なのかも知れません。監督はそういう風には演出していませんが、他の作品例えば AI やテレビの SF (確かアウターリミッツだったと思います)にはそういうストーリーがあります。ハンガーは吸血鬼の話ではありますが、この点は SF にも共通するかと思います。

この視点から見てもボウイとドヌーヴのキャスティングは成功しています。ドイツに来てから何度も例を見ているのですが、日本も近年は所謂社会から期待される男の役割、女の役割の箍がはずれたため同じ状況なのかも知れません。ドイツは男女の役割分担という考え方が日本よりずっと前に崩れていて、箍が外れて自由になり皆が夢をかなえられて喜んでいるかと思いきや、行き場を失った人が多数出ています。勇ましく社会に出て行く女性がいる反面、誰かにこうしなさいと言って貰わないと身の振り方がはっきり決められない人もたくさん出ました。男の人も女性が強くなったということで職場などで同じ条件で張り合う男性が出たのと同時に、女手ひとつで育てられたため、母親の生活習慣を身につけ、人に譲る方を得意とした男性も増えました。男女とも行動パターンの選択肢が増えたので喜んでしかるべきですが、実際には強い女性に引っ張ってもらわないとやって行けない男性や、勇ましくメディアのモットーに合わせて社会進出してみたものの孤独で幸せではない女性など、副作用も出ています。箍を外した時に、「こういう選択肢には時には難しい条件がついて来る」という事を十分認識しておらず、深く考えもせず、当時一目散に新しい自由に飛び込んだためと思われます。それまでの社会システムに対する否定の気持ちがあまりにも強かったため、前のシステムの方が生き易い人から選択肢を奪ってしまったことになります。過渡期だという定義をして、半分ぐらいは伝統的な方法を取り、半分ぐらいはこれまでの常識を破る新しい方法にすればよかったのですが、当時の若者が壊すことに夢中になったあまり、30年後40年後の事までは考えが及ばなかったようです。それを1983年の段階で先取りしたように思えるのがハンガーです。

もしかしたら男女の選択肢が増える前にもジョンのような人に愛されないと生きて行けないという男性はいたのかも知れません。それが男性中心の社会システムの中に上手く紛れ込んで目立たなかったのかも知れません。原作はストリーバーのウルフェンで、私は読んでいません。しかしスコットが原作に忠実に映画化したのだとすれば、ジョンとミリアムの依存関係は良く書けています。ストリーバーは映画ハンガーの4年後妙な事を言い出し、世間からは変人扱いされてしまった人です。

いずれにしろ映像的に非常にきれいに作られており、キャストは皆自分の役目を正しく理解してすばらしく演じており、ちょうど容姿端麗な年齢の時に撮影されており、ストーリーはよく練れている作品です。今見ても古くなっていません。

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