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F/Belgien/Spanien 2015 81 Min. 劇映画
出演者
Max Brebant (Nicolas - 少年)
Roxane Duran (Stella)
Julie-Marie Parmentier (母親)
Mathieu Goldfeld (Victor - ニコラの友達)
Nissim Renard (Franck - ニコラの友達)
Pablo-Noe Etienne (ニコラの友達)
Nathalie Legosles (医師)
Marta Blanc (看護婦)
見た時期:2015年12月
★ ギャスパー・ノエ
この作品を語るにはギャスパー・ノエから始めるのがいいでしょう。
ギャスパー・ノエはアルゼンチンからフランスに来た監督で、ファンタおよび世界ではアレックスで超有名になりました。アレックスがファンタで上映された時は賛否が分かれ、一部の反対者はベルッチが暴行されるシーンに嫌気が差して途中退席をしました。私はいつもの原則通り「文句は最後まで見てから言う」ことにし、最後まで見ました。すると最後にこの作品を正当化できる決定的なシーンがありました。
ノエは監督作品の少ない人ですが、次作エンター・ザ・ボイドもファンタに来ました。この時は本人もベルリンに来ており、私は暫く話をする機会がありました。
ファンタの記事に時々「○○監督と話をする機会があった」と書きますが、ファンタに参加する700人ほどの観客には有名、無名、ベテラン、新人の監督と話す機会があります。主催者が招待し、スケジュールの都合によりベルリンだけとかハンブルクだけに来る場合もありますが、他の都市に来ることもあります。ベルリンのファンタにはほぼ毎回誰かしら来ます。時にはギレルモ・デル・トロとヘルボーイの主演とか、ジョン・ランディスなどという超有名人が来ることもありますし、全く無名監督がデビュー作と一緒に来ることもあります。
簡単な英語が分かれば長時間おしゃべりをすることも可能です。大抵はやや長めの休み時間を取ってあり、上映後まずは舞台で質問を受け、その後はロビーでサイン会をやったり、おしゃべりができたりします。私は大抵すぐ次の作品も見るので、長時間のおしゃべりは滅多にしませんが、質問を短く端的にまとめると、相手もすぐはっきり反応してくれます。気に入らない作品の監督とは話しに行きませんが、作品が気に入ったり、その監督の他の作品が気に入った場合には列があまり長くなければ話しに行きます。
私は妙なめぐり合わせで、監督の方から私に話しかけて来ることもあります。ヤン・クーネンがそういう1人でした。以前のファンタの会場の前で息抜きをしていたら、ドーベルマンを持って来たクーネンがいて、話しかけて来ました。
英語が母国語でないのはお互い様で、英語圏以外の監督とはお互い片言の英語で話します。ただ、同じテーマについて話すので、お互い多少言葉を間違えても何を言っているのかが通じます。
エンター・ザ・ボイドを持って来たノエに、私は「アレックスの方が良かった」と言いました。東京に住む外国人の様子は多少私も知っていたので、 エンター・ザ・ボイドに納得する部分もありますが、全体の方向にはあまり賛意を持ちませんでした。なので、率直にそれを言いました。
主演の女優に与えた役も主体性が無く、「一般的に欧米人はエゴイストが多く、白人を持ち上げる傾向のある日本でこういうのあり?」と疑問も持ちました。特にフランス人でこれは無いだろうと思ったのです。ノエが実はフランス人ではなかったと知ったのは後。
エンター・ザ・ボイドの主人公を演じた女優はエンター・ザ・ボイドでは好きになれなかったのですが、次にファンタに来たコメディー、マッド・ナースでは彼女の良さが生かされていました。ファンタの友達の間では賛否が分かれたのですが、私はお腹を抱えて笑いました。
そのノエと深く関わっているのがルシール・アザリロヴィック。彼女はボスニアの移民で、ノエと親しい人です。エンター・ザ・ボイドの脚本を担当しています。その他にも2人が協力している作品がいくつかあります。俳優のフィリップ・ナオンも2人と親しいらしく、アレックスでは大悪党を演じています。
★ 作品数は少ないけれど完成品
Èvolution は映像的にも物語の設定にも凝った作品で、デビッド・リンチやデビッド・クローネンベルク作品の完成度を高めたような感じの作品です。2人は思想性を前に出し過ぎて、映画全体にまで目が行かなかったような印象を受けますが、アザリロヴィックは変わった設定の話を上手に語り、上手に見せる力があります。Èvolution だけを見るとノエの作品よりまとめ方が上手です。
思想性を出し過ぎる作品はエンターテイメント性や芸術性が殺げることが多いのであまり好きではありません。思想が自分の考え方と比べあっちの方を向いているとさらに関心が薄れてしまいます。アザリロヴィックの作品は背景の考え方に賛同はできないのに、映画として見ていることのできる作品で、見て損をしたという気持ちにはなりませんでした。
★ あらすじ − 限定された設定
物語の大部分は自然の美しい島、外部の人が入って来ない海に近い村の話です。岩場の多い海沿いの村があり、主人公の少年ニコラが母親と一緒に住んでいます。なぜかこの村には成人の男性が1人もおらず、医者などの仕事も全て女性がやっています。子供は全員男の子。ほとんどの女性が男の子を1人育てています。
住んでいる家は画一的で、箱のようなアパート風の家。中には机や椅子、ベッドなど最低限の物があるだけで、ラジオ、テレビ、電話、コンピューターの類は一切ありません。家具もソファーなどはありません。刑務所の囚人の部屋から鉄格子を取っただけといった感じです。
衣服も非常に簡素で、女性たちは皆同じ格好をしています。誰も化粧をしておらず、この役に選ばれた女優たちは皆北欧風の白人で、日焼けをすると皮膚が痛むようなタイプの色白の人たちです。
こういった景色、建物、人物が恐らくは太陽の輝くすばらしい景色のスペインで撮影されていますが、完成した映画はほぼ白黒に近く、寒々とした雰囲気になっています。いくらか英国のテレビ・シリーズプリズナー No. 6 と似ています。
男の子たちは小学生から中学生ぐらいの年齢で、年長者はいません。少年たちは一定の時期が来ると病院に連れて行かれ、妙な手術を受けます。家にいる時は定期的に薬らしきものを取らされていて、母親がしっかり見張っています。
主人公のニコラには同じ年代の近所の友達がいて、数人でたむろしたり、一緒に遊んだりします。ある日、ニコラは海に潜っている時に死体らしき物を見て、母親や友達にそのことを伝えますが、誰も相手にしてくれません。
好奇心の強いニコラは質問に答えてくれない大人、答えられない友達に飽き足らず隠れて大人の後について行き、妙な場面に出くわします。子供たちは本当なら眠っているはずの真夜中、母親はランタンを持って外出します。後をつけて行くと、他の家からも女性たちがランタンを持って水辺に向かっているのに出くわします。
成人男子が1人もいない村で、若い女たちが集まりなにやらセックスの代わりに5人でヒトデの形に横になっています。そして女たちの背中には妙な吸盤のような物があります。彼女たちは人間の姿をしていますが、どこかしら人間とちょっと違う体を持っているようです。
病院に預けられる少年たちには妙な手術が施され、その辺をうろつきまわっているうちにニコラは友達の1人が水槽に入れられているのを目撃します。どうやら女たちが少年たちの体に何かを埋め込み、それが生殖の一環のようなのです。
何がどうなっているのか詳しい説明はありませんが、これで子供たちが次の子供を生むために体を利用されていて、女たちは成人の男たちと全くかかわりの無い生活をしていることが示されます。子供たちが毎日飲まされている薬もこのことに大きく関わっているようです。ここに住む子供たちはこの島しか知らず、世界がどうなっているのかは全く知らされていません。
そしてもし女の子が生まれた時はどうしているのだろう、少年の年を過ぎた男たちはどうなるのだろう、水中にあった死体はなどと疑問が浮かんで来ますが、はっきりした答はありません。
ところが他の子供より好奇心の強いニコラは、女医の1人に助けられ、外の世界を知ることになります・・・。
気持ち悪い作品なので2度見る気にはなりませんが、1度ぐらいは見てもいいかと思います。ただ、監督がリンチやクローネンベルクのようにこのスタイルだけで勝負をかけるとあまりファンがつかないと思われます。時代が大きく変わって、高い教育を受けた文系のインテリ層は全く口を開かなくなり、一般人は失業や生活保護で映画館に行く余裕も無い時代に入りました。大手の映画会社は中国を褒めるようなシーンの無い映画は作りにくくなっています。そして中国人はこの種の映画にはほとんど興味を示さないでしょう。歴史の大河ドラマの方が受けるでしょう。となると彼女にはあまり大きなチャンスはありません。映画作りの才能はあるように見えますが。
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