ここの背景画像は「素材工房Closet」さんからお借りしました。

ルイ17世の小部屋

La Chamble de LouisXVII

ひとつ、聞きたいことがあるんだけど…

ルイ17世の小部屋にようこそ。ここは、ルイ17世だけの小部屋です。短い人生でしたが、なるべく多くのことを紹介できれば、と思います。

   はじめに

   人に歴史あり

   年表

   家系図

ルイ17世 ●   「ギャラリー」

  関係深い人

  「父 ルイ16世」
  「母 マリー・アントワネット」
  「姉 マリー・テレーズ」

  既存のページから

  「人物スケッチ」
  「DNA鑑定」


●はじめに

2000年3月にルイ17世DNA鑑定の結果が出ました。今まで、幽閉されていたタンプル塔で死亡した少年は本当にルイ17世本人なのか、それとも身代わりを塔に置いて、本人は脱出したのではないか、という話が絶えませんでした。このことはフランス革命の七不思議のひとつでした。

結果は塔で死亡した少年はルイ17世本人と言うことでした。これで200年にわたる謎は一応の決着を見たわけです。しかしながら、この鑑定そのものにも疑問の声が出ています。謎はすっきり解決されたわけではありません。

また、仮に鑑定結果が正しいものとすると、こんなに小さな少年を塔に押し込め、惨めな暮らし(とても「暮らし」などとは言えないものですが…。)をさせてきたことにやり切れない思いが募ります。

「暴君の子として生まれたのだから死ぬのは当然だ」と民衆は言ったそうです。確かに、頼朝の例ではありませんが、幼子に同情して流刑にとどめた挙句、平家は滅ぼされた訳ですから、死は仕方がない結末かもしれません。でも、それならば、死刑にして欲しかったと思います。神経を冒され、汚濁の中で生きなければならないなんて、死刑よりも数段残酷で胸が痛みます。

母マリー・アントワネットは「この子は善良で可愛らしく優しい子です。」と、新しく養育係になったトゥルーゼ夫人に言いました。普通に育っていれば、さぞ愛らしい子供になったことでしょう。

フランス革命は当時生きた人々に対して、数々の試練や困難を与えました。少なくとも、後世名前が残った人々の中で、人間としての幸福を味わった人は数少ないでしょう。しかし、その中でも一番不条理で納得のいかない生を生きなければならなかったのはルイ17世ではないでしょうか。彼の不幸の始まりは、兄が早世してたまたま王太子になってしまったことです。彼自身は悪いことを一つもしていませんでした。

ホームに戻ります 小部屋のトップへ