ここの背景画像は「Angelique」さんからお借りしました。
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はじめに ● 「人に歴史あり」 ● 「年表」
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ロベスピエールの業績を称え、彼の偉大さを認める人は多いようです。当然のことでしょう。一時は「恐怖政治」があたかも彼一人の意思で行われたかとように言われ、残忍な独裁者と嫌悪されていました。
しかし、歴史を丁寧に紐解いていくと、それは彼の政敵による悪意に満ちた中傷から端を発していることがわかります。彼が「良い市民と悪い市民」という極端な二者択一で人を裁いたことや、革命の敵を積極的な反革命のみにとどまらず、「あまり熱意のない」という消極的な人々にまで広げたことは否定しません。
テルミドール反動の三ヶ月前までの処刑者の数は、パリで一日2−3人でした。これは現在の交通事故死者数よりも少ないのではないでしょうか(確認はしてませんが…)。もちろん、公開され誰もが気軽に見に来れる残虐な処刑と、いつどこで誰が犠牲になるのかわからず目撃者も少ない交通事故とは、第三者が受ける恐怖の度合いが違います。当時のパリは恐怖だったでしょう。ロベスピエールを初め、公安委員達が恐ろしかったでしょう。
しかし、革命は平時ではないのです。革命そのものが異常事態なのであり、平和そのものの現在の日本の感覚と比べるほうがそもそも間違いです。
あまり知られていませんが、革命初期、彼は処刑と言うものに反対していました。ルソーを敬愛する人間にとってそれは極当然のことでしょう。
そのロベスピエールが血に飢えた狼のように言われるまでになったわけです。ここに歴史の大きな力を感じます。確固たる意思を持ち、自分の言うことを全て信じている、と言われるロベスピエールでさえも、歴史のうねりには敵わなかったのです。彼は積極的に恐怖政治を開始したわけではありません。議会の外にいた民衆の要望で恐怖政治を開始せざるをえなかったのです。それは彼が望んだのではなく、民衆の革命推進への渇望が生み出したものだったのです。
…とは言うものの、ロベスピエールを弁護する私自身、ロベスピエールを好きか嫌いか、と問われれば答えに窮します。彼の善良さ、真面目さ、清廉さ、組織力、政治力は認めても、「好き」になるには何か大きなものが欠けています。「愛嬌」がまるでないのです。例えば、ロベスピエールがアンリのようにリスが苦手だった、ということにでもなれば、あの神経質そうな顔がとってもお茶目に見えるのですが…。
この小部屋を作りながら、ロベスピエールのお茶目さを探していきたいと思います。
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