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 議会と王  

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4.議会と王
  1. 政治クラブこの頃、いくつかの政治クラブのようなものができました。流動的で複雑ですが、少し整理してみましょう。
  2. アッシニアと教会財政危機を乗り越えるために教会財産を没収し、その対策として後々までフランスを苦しめるアッシニアを発行します。また「僧侶基本法」を制定して僧侶を二つに分けてしまいました。
  3. 1791年の憲法待望の憲法が可決されました。旧制度を破壊した国民議会は、人権宣言の理想にのっとった新制体(立憲君主政体)を作り出すために活動しました。
  4. 国王の逃亡1791年6月、思いもかけない事件が起きました。国王が逃亡したのです。フランス国民を見捨てようとした国王の逃亡は、革命に大きな展開をもたらしました。国王がいなくても太陽が昇ることを知った国民から、「国王不要論」が出てきました。

iii. 1791年の憲法

一言で説明すると…待望の憲法が可決されました。旧制度を破壊した国民議会は、人権宣言の理想にのっとった新制体(立憲君主政体)を作り出すために活動しました。

待望の憲法が可決されました。しかしながら、民衆の立場に立ったものではなく、ブルジョワの支配を確立したブルジョワ的憲法です。

王の拒否権

絶対王政の下では王に拒否権などありません。国王の権力は無制限、絶対で、なにものもこれを拘束できないわけですから、拒否権など存在できないのです。しかし、絶対王政はなくなり、国民議会が成立し、しかも国王もちゃんといるわけですから、両者の関係を法的に規定しなければなりません。議会は審議に審議を重ね、
「王は一回だけ拒否権を行使できるが、六ヶ月後に議会が再度同一決議をした場合はこれを拒否できない」
ということを決定しました。

立法・行政・司法
立法 一院制に決定。
司法 司法権は独立。
行政 事実上、議会の支配下に置かれながらも行政権は王が握りました。具体的には、
・国王は六人の大臣(内務、司法、陸軍、海軍、外務、国税)を選任する。
・議員の中から大臣を選任できない。
・国王の決定は内閣の書名を必要とする。
・内閣は議会の監督を受ける。
・国王は、議会の同意なしに宣戦布告をすることも条約に署名することもできない。


選挙権

全ての市民は能動市民受動市民に分けられました。

選挙は、能動市民が選挙人を選び、選挙人が議員を選ぶ方式です。
選挙権は25歳以上の男子で、3〜9日の賃金に相当する直接納税者(能動市民)だけに与えられました。
また、選挙人は10日の賃金に相当する直接税を、議員は50日の賃金に値する直接税を納めなければなりません。
1791年の統計によれば、全人口2600万人の内、能動市民約430万人(全人口の16.3%)、選挙人5万人(全人口の0.19%)でした。
明らかにブルジョワ的な方式です。



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iii.政治クラブ
iv.国王の逃亡