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一言で説明すると…財政危機を乗り越えるために教会財産を没収し、その対策として後々までフランスを苦しめるアッシニアを発行します。また「聖職者基本法」を制定して聖職者を二つに分けてしまいました。 |
立憲議会と名前を変えた国民議会は封建性を廃止し、新しい政治原則を確立し、議会制度の基礎を築きました。立憲議会の第一の課題はもちろん、憲法の確立ですが、その前にやらなければならないことがあります。そもそもフランス革命の根本的原因である国家財政の問題は、未だに手付かずでした。
常に現実を見ていたミラボーは、「財政改革なしに憲法問題の前進なし」と言っていました。議会をヴェルサイユからパリに移し、ひとつの区切りをつけた議会は、財政問題に真剣に取りかかりました。
さて、国家が負っている負債を整理してみましょう。
1789月10月10日、進歩派の聖職者タレーランが、フランス全土の約一割、約30億リープルと言われた莫大な教会の土地財産を国家負債の償還に充てることを提案しました。
一般的に、貴族の領地は私有地として見られていましたが、教会の財産は公共のものとする考えが強かったので、上級聖職者以外からの抵抗は意外に少なかったのです。
1789年11月2日、議会は上級聖職者の抵抗を排除して、教会の財産を没収しそれらを国有化することに決定しました。
アッシニアとは、「支払いに当てる」という意味で通貨として流通させる予定はなく、証券は教会財産を担保にする五分利息付きの証券で、発行額も4億リーヴルを限度としました(1790年3月17日)。アッシニアを回収し廃棄するつもりでいたのです。
9月29日には無利子の新アッシニア紙幣が発行され、しかも発行限度は4億から11億リーヴルに引き上げられました。その後もアッシニア紙幣の発行額は増大に増大を重ね、価値は下落し猛烈なインフレーションを引き起こし、後々まで政府を苦しめていくのです。(アッシニア紙幣の偽造を防ぐために政府は科学者ラボアジエに助言を頼みました。)
これがフランス国家の現状です。
アッシニア証券
アッシニア紙幣
500リーヴルの
アッシニア紙幣
聖職者基本法 click! |
上下の差は明らかに縮みました。下級聖職者は革命のおかげで生活にゆとりができ、上級聖職者は贅沢な生活を切り詰めなければならなくなりました。彼らは、当然のことながら、反革命の立場を取るようになります。(ここをクリックすると概要にいきます)
パリ司教の年収 司祭の年収 助任司祭の年収 革命前 20万リーブル 700リーブル 350リーブル 革命後 5万リーブル 6000リーブル 1200リーブル 差 額 −15万リーブル +5300リーブル +850リーブル
議会は、「聖職者基本法」を制定するにあたり、全ての聖職者に憲法と「聖職者基本法」を守る誓約をすることを求めました。宣誓を拒否すれば直ちに罷免され、亡命するか地下に潜るしか方法はありません。聖職者の五分の三くらいは宣誓したと言われています。しかし、1791年3月10日、事情は一変しました。
ローマ法王が「人権宣言」と「聖職者基本法」を非難する親書を出したのです。この結果、宣誓聖職者と拒否聖職者はフランス全土でほぼ半々に分かれました。聖職者の分裂は信者をも分裂させます。フランスは二つに割れました。
H13.9.11.UP
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