3 ウーロン茶を一杯、飲み終えるまでの間。
成田の隣の席を独占していた私は、知らない間に元クラスメイトの女子たちの結構な不満を買っていた。
ごめんね、と心ない謝罪をしておいた。
先ほどから彼女たちは、新しい酒のつまみを求めて、次々と話題を飛び移っている。
「まさか、成田くんが来るなんて思わなかったー」
「ねー。ほんと、びっくり」
同意見複数。本人まで届かないように声はひそめているものの、みんなの意思疎通度はかなり高い。
成田は、高校生のときも恰好のいい人だったけれど。今はなんというか。
歩くと、薄幸の美青年という代名詞がついて回りそうな。女性にとても好かれそうな男性になっていた。
ちらちらと彼の様子を伺う視線を送りながら、さらに声のトーンが落とされる。
「ほら、成田くんって、一度結婚とか、ダメになっちゃったじゃない?だから、ねえ」
あー。と、事情を知っている女の子たちが一様に苦笑いをして頷く。
逆にあまり事情を知らない女の子たちが、えっ何、どういうこと?と、目の色を変えて聞き返した。
私はそのちょうど中間地点にいた。
詳しいことは、あんまり知らない。
突然キャンセルになった結婚式のことは、随分前に聞いた。
たぶん、ここにいる誰かの雑談あたりから。
その悲劇の主人公が、あの成田だ、ということ。
相手は弥生ちゃんで。高校のとき、学校で一番可愛いと評判だった女の子だということ。
どうして?とは思ったけど、興味は一瞬にして消えた。
元クラスメイトの距離なんて、せいぜいそのくらいだった。
「二人とも美男美女同士でなんも問題なし、に見えたけどねー。なんでかなぁ」
「やっぱ、それ以外にも色々あるんじゃない?弥生ちゃんだっけ?あの子って、性格悪そうだったし」
「成田くん、カッコいいのにね。優しそうだし。もったいないことするねー」
「……でも、ラッキーかも」
冗談にせよ本気にせよ。
こんなふうに、今、目の前で吐き出される感想たちと、大体同じようなことを私も思った。
でもあのとき聞いたのは、ただの芸能人のスキャンダルと一緒で。
今、成田は目の届くところにいて。こうして、一緒のテーブルを囲んでいる状態で聞くと、やけに生々しく感じる。
聞こえたら困るような、でも聞こえてほしいような音量で。
女、という生き物は、そういうドキドキする感覚がたまらなく好きだから、口を閉じられないのかもしれない。
私は、お手洗いに行きたかったことを思い出した。
ストッキングの伝線、上手く隠していたつもりだけど、畳の繊維に穴をひっかけてしまった感触が来た、今。
そろそろいろいろ、限界だ。
ちょっと、と断って、立ち上がろうとしたときだった。
ガチャンッ!
と、鼓膜に痛い音が前方から来た。
一瞬、部屋中にしん、とした空気が広まり、周りの女子たちは凍りついた。私も含めて。
ビールジョッキの底とテーブルを、乱暴に、ぶつけた音。
鳴らした本人は表情を固めたまま、もう一度ジョッキを口へと運ぶ。
当人たち以外は、その音の矛先がどこに向けられたのか気付かなかったようで。しばらくすると、またざわめきが戻ってきた。
おしゃべりに水を差された彼女たちは、眉をひそめ、明らかに不満顔になった。
「……誰だっけ?」
誰に聞こえてもいい、という音量で、女子の一人が呟く。
とは言え、テーブルの向こう側で、一心に飲み続けている本人に聞こえる心配はなさそうだった。
タイミングがいいのか悪いのか。
大きな音をたててしまった人物は、正面から女子に複数形で睨まれても、特に変わった様子は見せない。
ただの、偶然だ。と、彼女たちを納得させてしまうぐらいに普通だった。
でも、私は、気付いていた。
白状すると、ここの席についた瞬間から、気付いていた。
女子たちは頭の中で思い出のアルバムをめくり、クラスの男子の名前を番号順に唱え始めた。
そのうち出てくるだろう、という希望的観測のもとに。
それじゃ時間がかかりすぎる、とつい、私はおせっかいをした。
「中里貴也」
あ、そっか。と女の子たちが、顔と記憶が合致した名前に手を一つ打った。
それで彼女たちの満足はみたされたようで、あのさーと次の話題に移っていく。
私は立ち上がった。今度こそ、お手洗いに行こうと思った。
そして、まん丸になった目と、目が合った。
ビールジョッキを持ち上げたまま。
テーブルを挟んで、向こう側の席にあぐらをかいて座っている人。
中里貴也。
(ああ、やっぱり聞こえてたのね)
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