+どこに転んでも幸せな夜+

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 足元がふわふわする。

 実際、宙ぶらりんなのだ。と気付いた。あれだ、憧れのお姫様抱っこというやつだ。

 27歳にもなって、恥ずかしくも初体験した。

 

「オレら、先帰るわ。またな」

 二次会会場までの道のりを地図で確認していた全員が、その宣言に顔を上げる。
 俺らの、ら、が、腕の中に収まっているのを見つけて、みな一様にぽかんと口を開けた。

 そもそも周りのペースなんて考える奴ではないので、そのまますたすたと出口へと向かう。
 かろうじて、クラスメイトの一人が一瞬速く意識を取り戻して、お持ち帰り?と、冗談を投げかけてきた。
 あとで会ったクラスメイトの一人いわく。
 そのとき、中里は背中で笑ってのけた、らしい。  

 中里貴也は、普段は普通なのに、ときどき普通じゃない。
 あと、一対一なら普通だけど、相手が複数になるとどうも、態度が硬化する。
 相変わらずだった。

 その騒ぎの横でこっそり、履き崩した革靴を探していた安藤は、結局、みんなに見つかり散々、引き止められていた。
「うん。でも、オレ明日、学校だから」
 そう言われると、さすがのみんなも引き下がるしかなかったのか。
 明日も学校に行ける27歳って、ちょっと羨ましかった。

 安藤も、私たちの後を追うように出口に向かおうとして、途中で立ち止まり、振り返った。
 視線の先で、まだ女子たちから解放されない成田が軽く手を上げた。

「ごめん、もう帰らないと」
「えー」
 特大級の非難の声が上がり、それでも成田は笑顔を絶やさない。
 小さい子をなだめるのは得意なんだ、と、あとで成田が言っていた。そういうお仕事だからと。
「悪いけど。ちょっと安藤と話があるし、それに……」
 腕に触れていた元クラスメイトの手を、やんわりとほどいて言った。
「家で、お腹すかせて帰りを待ってる子がいるんだ」

 にっこり微笑んだ顔の理想と、言葉の現実とのギャップに女子たちは固まった。
 ごめんね、と横をすり抜けて、安藤に並ぶ。
 戸惑ったふうの安藤に、早く行こう、と成田が急かした。

「正気に戻られると怖い」

 

 

 * * *

 店の前に寄せられた車の、運転席に中里がいた。

「乗ってくか?後部座席なら貸してやる」

 ありがたい申し出に成田が喜び、隣で安藤が顔を曇らせた。

「飲酒運転はすごーく倫理的に嫌なんだけど……」
「酔ってないから、大丈夫だよ」
 うーん、と安藤が難色を示す。助け舟は意外なところから出た。
「ほんとだよ。中里は、酔ってない。ずっと、ウーロン茶ばっかりジョッキで飲んでたんだから」
 ちらり、と成田が助手席に目をやると、シートベルトで下にずり落ちないように固定された女性が一人。
 目を閉じて、すっかり眠りの世界にいるのが見えた。
「彼女と飲みものの好みまで一緒だったから、てっきりまだ付き合ってるのかと思ったんだけど?」
「あ、やっぱり?オレもそう思った」
「……付き合ってない」

 忍び笑いは二人分。明らかに分が悪いなと中里は思った。もう一人は戦力にならないのだ。
 でも、主導権はこちらにあったので、キーを回し、車のエンジンをかけた。
「意地の悪い奴らは乗せてやんない。置いていく」

 安藤と成田は顔を見合わせ、慌てて、車に乗り込んだ。

 

 

 きっかけは私の寝言だったらしい。

「みんな、仲良くしよー……」

 運転席で居心地悪そうに、中里がブレーキを踏んだ。
 忍び笑いは二人分。ここで下ろしてやろうか、と、中里が再びおどした。
 点滅して赤信号に変わる。夜の県道に車はまばらだ。
 高速道路を避けて、一般道を走っている。
 中里は後部座席への配慮だと言っていた。あいつらに必要なのは話し合いの時間だろう。
 けど実際は、サラリーマンの懐事情かもしれなかった。

「でも、そうだな。矢野さんの言うとおり、仲良くしようか」
 あっさりとした成田の肯定に、安藤がびっくりしていた。
「え」
「弥生ときちんとするよ。そうしないと、やっぱりオレは前に進めないらしい」

 長い沈黙があった。赤信号が青に変わるまで。
 ゆるやかに車が進み始める。
 会話の一部を聞いただけじゃ分からない。
 もっと深くて、複雑で厄介な問題があるのだろう、二人の間には。
 でも、安藤は、うん。とだけ返事をした。そうだね、と。

「せっかくだから、矢野さんと中里も仲良くしようよ。仲良し4人グループ結成」
「お前、ほんとに高校生みたいだな」
「いいじゃん。悩み相談とかして励まし合おうよ」

「……女子高生の彼女について、とか?」

 申し合わせたように、中里と成田が派手に笑い、助手席の息遣いを思い出して、慌てて口を押さえた。
 安藤が珍しく憮然とした表情をして、それ以外にも。と小さく反論していた。

「そういえば、お腹すかして待ってるって子は大丈夫だった?この調子だと家に帰るの、0時回りそうだよ」
「ああ大丈夫。一人でなんでもきちんと、できる子だから」
「なに。成田って子供いんの?」
「さあ?実はオレも聞いてないんだけど……どうなの?」
「オレの子供じゃないよ。友達なんだ」
 ふーん。とそれだけで納得してしまった二人に、成田は密かに尊敬の念を覚えた。
 たぶん今ごろ、二次会では元クラスメイトたちによる色々な憶測が飛んでいるかと思うと、なおさらだった。

「ちなみに、成田ってお勤め先はどこ?」
「ああ、幼稚園のね……」
「保母さんなの??!!」

「……保父さんなんだけどね。あえて言うなら」

 車は夜道をゆるやかに進む。
 私は、道中のほとんどの意識を手放していて、もったいないことをしたなぁ、と後ですごく悔やんだ。

 

 私は極度の心配症だ。
 高校生のときも、10年経って27歳になった今も。
 ちょっと先の石ころに、つまずいて転ぶのが怖かった。
 怖くて怖くて、いつも、はじめの一歩が踏み出せなかった。

(でも今夜は、どこに転んでも大丈夫)

 後ろにも前にも、隣にも、しっかり支えてくれる人がいて。

 ちょっと贅沢なくらい幸せな夜。

 

 

 

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