+どこに転んでも幸せな夜+

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 お手洗いから戻ってくると、さっきまではあったはずの私の席が消えていた。
 頻繁に行われる席替えは、こちらの都合などお構いなしだ。

 誰かが図ったとしか思えない。
 でも、一番疑い深そうな第一容疑者は、白で決まりだった。
 そういう器用な策略ができるタイプではない。
 それなのに、結構おせっかいやきで。
 10年経ってもちっとも変わっていないことを、さきほど証明したばかりだ。

 幸いなのか、ストッキングは履き替え、化粧も直したばかりだ。

 しょうがない、と観念した私は、おとなしく一つぽっかりと空いた席に腰を下ろす。
 残念ながら、私の注文したウーロン茶は手の届かない所に行ってしまったので、テーブルの最寄りを物色する。
 まだ開けられてない、『巨峰の味』というジュースの缶を発見した。
 蓋を開け、適当なグラスに紫色の液体を注ぐ。

「……元気?」

 あんまりにも気まずそうにしているので、こちらから助け舟を出した。
 まあな、とそっけない返事が、相変わらずだった。

 安藤よりも、成田よりも、ここに、こいつがいるのが一番意外かもしれない。
 体育祭でも合唱コンクールでも、協調性のかけらほどしかないような奴だったから。
 と言ったら、中里が心外そうに、お前のほうが意外性抜群だ。と言った。

「極度の心配症は治ったのか」
「治ってません。致命傷を負ったまま、社会人になりましたよー」 
「それは、お気の毒に」

 気まずさと一緒にジュースを飲む。作りものの甘い巨峰の味。
 こんなシチュエーション。一緒に、高校時代の甘い記憶を思い出してもいいはずなのに。
 あんまりにも似合わなくて、逆に気分が悪くなった。

「二次会行く人、手ぇ上げてー」

 学校式点呼が始まった。
 二次会は無難にカラオケで落ち着いたらしい。すっかり気分は高校生だ。
 いちおう、隣の様子を伺う。
 絶望的なノドを披露する気はないらしい。やっぱり。

 ばたん、と席の向かい側、さっき私がいたあたりで。
 手を上げる代わりにテーブルに沈んだ身体があった。

「……安藤、大丈夫?」
 思わず、声を掛けてしまう。
 高校教師だとばれて、最後にはなぜか、女子高生の彼女がいることまでばれていた。
 いちおう、真っ赤な顔をして本人は完全否定していたけど、妙な説得力が逆方向に働いてしまった。

 散々みんなに弄ばれた有様には、さすがに同情したのか。中里が、お冷やとおしぼりを進呈した。
 ありがとう、と片頬をテーブルに押し付けたまま、安藤が笑む。
 中里と隣にいる私を見つけて、目をぱちぱちとさせた。

「もしかして、二人ってまだ付き合ってるの?」
「「付き合ってない」」

 二人の見事な声のハーモニーに安藤が喜んだ。瀕死のくせに。

「いいなぁ。相変わらず仲良くって」

 と言った安藤の視線の先には、女子の集団に囲まれて、苦笑いを浮かべる成田がいた。
 そういえば彼は、安藤が先生になったってことも知らなかったんだわ。と、そこで初めて、気が付いた。

 どうして?と思う。確か、仲良かったよね?
 二人の10年間に何があったのかなんて知らない。

 外見は高校生な安藤だって、今は生徒じゃなくて、先生になっていて。
 視線の先にいる成田は、結婚をキャンセルして、でも相変わらず女子に人気があって。
 そして、隣りにいる奴。

 私は極度の心配性だ。
 高校を卒業して、遠距離になんかなったら、絶対、うまくやっていけない自信があった。
 きっと、毎日不安で不安で死んでしまうと思った。
 中里を好きだった。だから、壊したくなくて、キレイな思い出のままで終わらせた。
 私は、あきらめたんだ。
 それからずっと、この終わった恋に進展はなかったから、中里が今、どうしているとか、詳しいことは知らない。

 10年経ったら、誰も、何も変わらないなんてありえない。

 そんなことは分かっているけど。
 すごく自分勝手だけど。自分のことを棚に上げているけど。
 安藤のあきらめた目を見ていたら、無償に腹が立ってきた。

「頑張りなさいよ」

 きょとん、と固まった気配は二つ。前方と隣から。

「もっと頑張りなさいよ。あきらめないでよ、まだまだこれからでしょ?」
 ……矢野さん?って、まるで出来の悪い生徒を見るような目つきで私を見ないでほしい。
 身を乗り出して、私は叫んだ。
「あんたに言ってんだっ安藤春日!」

「えっ……はい?」
 勢いに押されたのか、安藤の背筋がしゃきん、と伸びた。
 どうしてこんなに興奮しているのか、自分でもよく分からない。
「きっと間に合うわよ。カラオケボックスでも行って歌えばいいし。カラオケ嫌なら、やめて二人でどっか行ったっていいじゃない。別に今日でなくたっていいわよ。でもせっかくここまで来たんだから……」
 たかがクラス会。されどクラス会。
 少なくとも私にとっては、そう。
 なけなしの勇気を賭けて、来たんだから。
「今からだって、仲良くすればいいじゃないの……!」

 私はもう、内側から溢れてくる感情の歯止めがきかなくて、一生懸命口に出していたのだけど、ついにそれも限界がきて、今度は目からぼろぼろとこぼれ始めた。

 水分補給しなきゃと唐突に思った。
 グラスに巨峰ジュースの残り全部を注いで、空になった缶をぽんと投げ捨てた。
 どうせなら隣の奴にぶつかってしまえ、と願いを込めて。
 口をつけ、ぐいっと一気に飲み干す。

「わっ!馬鹿お前っ……」 

 隣から焦った声、と一緒に長い腕が伸びてきて、グラスを奪っていったけど、時はすでに遅く、中身はほとんど飲み干した後だった。
 ぐらっと、世界が揺れて。
 かろうじて繋がっていた意識の紐がほどけて、私は背中から倒れた。
 幸いなのか、たまたま後ろにいた人の腕に抱え込まれるような形になって、痛い思いはしなくてすんだ。

「……相変わらず、酒、まったくダメなんだな」

 呆れた調子の、中里の声が真上から降ってくる。
 相変わらず、って言い方が優しく聞こえて不思議だった。
 安藤が、畳に転がった『巨峰の味』の缶を拾い上げ、成分表示を見て顔をしかめた。
 ビールなんかよりよっぽどアルコール度数が高い。

 ちょっと復活した顔をした安藤は、缶をテーブルに置きながら、まじまじと正面の二人を見つめた。
 小さな身体がすっぽりと収まっている。まるで、測ったように。

「……なんだよ」
「いや、ちょっと感動して」
「……なにがだよ」
「こういうとき、咄嗟に動けるっていうのは、10年経っても身体のほうが覚えてるってことなんだなと思って、っていたっ!」

 安藤の頭に中里のチョップが炸裂した。
 続けて、言葉を発しようとするたびに、何度も炸裂した。

 私はぼんやりとした気配の中にいて。
 繰り広げられる二人のバトルと、もう少し向こうのほうを見ていた。
 一種のお祭り気分で、ここぞ、としつこい女子たちにも、丁寧に応対していた成田の顔が、こちらを向いていて。
 キレイな顔に驚きの色が浮かぶのを見つけて、私はやけに嬉しくなった。

 

 

 

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