| * * * 奈保は電車のドアが開いた途端、逃げ出しそうになった。
足の裏、なんとか踏ん張らせて我慢した。
これに乗らないと学校に遅刻するの、決定的だったから。
座席がほとんど埋まっている状態で、立っている人は数えるほどもいなかった。だから気付かないふりをするわけにはいかなかった。
長身の彼が目に入らないわけにはいかなかった。
それでもできるだけ、顔を上げないようにして、奈保は空いている席を探した。
幸い一人分の空きスペースを発見した。
そそくさと腰をおろす。そしてほっと一息ついた。
あの、冷たい視線のプレッシャーから開放された気がしたのだ。
実際のところ、彼は外の景色に目をやっていて、こちらに気付いたのかどうかも分からなかった。
(昨日の人、だよねえ……?)
暗かったし、でもあんなインパクトがあって間違えるわけなかった。
優しくなくて、怖い、嫌な人。
こっちが、こんなに見ているのに気付かないっていうのは、無視ってことですか。
あー、そうですか。
奈保も昨日の苛立ちを落ち着かせて、無視していることにした。
あえて関わりたくなかった。
扉が開きます、ご注意ください。 女性の丁寧なアナウンスが流れて、ドアがまた開いた。
色々思考を巡らせていたせいで、次の駅に着いたのにも気付かなかった。
けれど、電車に重たそうな荷物を抱えて乗り込んできた、一人の白髪の女性には気がついた。
あ。と思って、奈保は腰を浮かした。
どうぞ。なんてかっこいいことは言えないので、視線で目配せをして席を促した。
すみません。とか、ありがとう。とかって笑顔を期待した。
そうじゃなくても、軽く頭を下げられたりとか、期待した。
すっごいムスっとされて、「結構です」って。
(え)
頭の細胞上手く繋がらない。しばしの間。
立ちつくしてしまった。高校最寄の駅に着くまで。ずっと。
おばさん、重たい荷物持って、ずっと立ってた。しかもずっと怒ったままだった。
「私まだそんな年じゃないわよ、失礼ね」 って。
私が空けた席には、そのまた次の駅で乗り込んできた別の人が座った。
奈保はずっと立っていた。
扉が開きます、ご注意ください。 丁寧な女性のアナウンスが何回目に聞こえてきたんだか。
無意識に、日頃の習慣で、いつもの駅で足が動いた。
降りなくちゃ、って足が動いた。
降りるとき、ドアのところで。
目が、合って。
さっきまでちっとも合わなかった、あの、冷たい目線が。
容赦なく。
(わ、言わないで)
耳をふさいで、早足で上見ないようにして駆け抜けちゃえって思った。
電車が悲鳴を上げて止まって、プシューってドアが開いた。
これじゃあ、音はかき消されて聞こえないはずだし。
慌てて外に出て、ドアが閉まって、安心して、奈保は振り返った。
振り返ってしまった。
ガラス一枚隔てた向こう側から、しかも高いところから見下ろすみたいに睨まれた。
そこで、彼が言った。
ガラス一枚が音を遮断した。
奈保の耳にまで届かなかった。
でも、でも、でも。
頭の細胞上手く繋がらなくて、上手く考えられないけど。
今、ここで立ち尽くしてる自分って、すごく、……すっごく!!
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