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10日 入院生活6日目。朝から起こされ、採血。この結果しだいで退院が決まる。朝食を食べる。ちなみに今日のメニューは、ご飯、大根と揚げとねぎの味噌汁、酢の物、子持昆布佃煮、牛乳、もうだめだ。テレビを見るとサッカー一色。勝ったこともすごいが、サポーターの姿のほうが印象的。1つのことに対して、日本中がこんなに盛り上がる姿を見るのは初めてかもしれない。シャワーを浴び、荷物を整理する。検査結果がでて、ようやく退院許可が下りる。一度実家に返り、昼食を食べる。決してごちそうではないのだが、やっぱりおいしい。本や、病院、ケーキ屋によって熊本へ。久しぶりにメールチェックをしたあと、日赤へ。やっぱり受付は午前中。明日くることにしよう。歯科により、学校へ。みなさん、温かい言葉をかけていただく。明日は、3,4時間目に年休をいただき、日赤に行くことにする。ホームページを更新して、寝る。明日は、久しぶりの学校だ。
 9日 入院生活5日目。今日は日曜日なのだが、毎日日曜日のような生活している私には、あまり曜日の感覚がない。ゆっくり寝て、起きたあと朝食。そろそろ病院の食事にも限界を感じる。シャワーを浴び、1回目の点滴。今回はばっちり。メールチェックできないのだが、その分、退院後出したいメールをまとめて書く。昼食の後は、2時間ほど寝る。そのあと、目の前の一中に行く。とってもきれいな学校でびっくり。しばらくボーっとする。風もとても気持ちよかった。夕食をとり、最後の点滴。やっぱりうれしい。明日は、午前中に見てもらい、午後には退院する予定。早く病院を出たいところだが、そうは行かないようである。今日は、ワールドカップロシア戦である。日本中が盛り上がる中、サッカーにあまり興味がない私も、少しだけ気になる。テレビ局も、みんなサッカーを見ることを予想して、どこも総集編ばかりである。サッカーが始まっても、その総集編を見ていた。ある家のリフォームをするという番組である。これがなかなか面白い。毎週欠かさず見ている。限られた予算、時間、敷地面積、その他いろいろな条件の中で、依頼者の希望を最大限生かしたリフォームを実行する。番組の作りもうまいのだろうが、本当にドラマである。ついついみてしまう。第二のプロジェクトX、本当にお勧めの番組である。チャンネルをひねりながらサッカーを見る。なんと、日本が勝った。すごい。いよいよ、病院最後の夜のはず。昼間しっかり寝たのに、夜もしっかり寝ることができる。本当に幸せ。でももう十分満足。
 8日 入院4日目。予定通り月曜日退院となると、入院生活もちょうど半分を過ぎたことになる。いつもどおりの朝食。朝食の基本は、ご飯、味噌汁、漬物、ちょっとしたおかずに牛乳。それと、家から届けてもらった梅干。今日は、ちょっと悲しい朝食。基本的に味噌汁が嫌いな私は、すべてを食べてしまうことがない。頼りはちょっとしたおかず。今日は、煮豆だった。これではおかずにならない。梅干と、2切れの漬物を頼りに、どうにか食べる。んん、病院の食事はこんなものだとわかっていても、やっぱり悲しい。こんな調子の食事であるが、500カロリーから600カロリー。本当に健康な食生活。しかし、朝体重を量ると、昨日より増えていたような・・・、どうして?今日1回目の点滴を打ち、午後から髪を切りにいくための外出届を書く。外出できる。やっぱりうれしい。昼食。いままでで一番悲しいメニューだった。12時45分、外出。予想より時間がかかり、1時10分ぐらいに店に着く。この店の店長は、2月まで熊本のお店に勤め、4月独立。開店のころ、人吉に来る機会があったので髪を切ってもらった。今回2回目である。こんなに早く2回目の来店をするとは思ってもいなかった。顔をそってもらったあと、髪を切ってもらった。私は髪を切るのが嫌いである。それは、どう切ってほしいか説明しなくてはいけないからである。その点、この店長は、しっかり説明しなくても、こちらの気持ちを察して髪を切ってもらえる。今回も、安心して任せた。髪を切ってもらい、コーヒーをご馳走になったあと、コンビニへ。パンとジュースを買い、近くの公園へ。この辺りは、私が小学3年までいたところである。とても懐かしい。こんな店あったなあ、こんな道あったなあというところがたくさんある。とても感じるのは、道がとても短く感じること。昔は、もっと長く、遠く、広く思えた。そのまま東間小学校へ。一番印象に残るのはジャングルジムである。よく遊んだ。親戚がジャングルジムから落ちるところに居合わせたこともある。今となっては小さく感じるが、とってもスリルがあり楽しかったことを思い出す。それにしても危険だ。今でも怪我をする子がたくさんいることだろう。そのあと山本先生に電話。もしかすれば学校にこられているかもと電話すると、やっぱり出勤されていた。すると龍しゃんもいた。酒井君も。いろいろと話したあと病院へ。だいぶん歩いた。ちょっと疲れたけれども、なかなか楽しかった。夕食をとった後、点滴。少しずつ恐怖感が強くなってきている。針がすっと入ってよかったと思っていたら、なんとなく進み具合が遅い。痺れを切らし、ナースコール。やっぱりもれていたそうで、確かに腕の辺りにたまっていたようで膨れている。そのあと、テレビ三昧。テレビで映画を見ることがめったにない私が、2時間見てしまった。そのうちになんとなく眠ってしまう。本当にゆっくり時間をすごすことができている。贅沢だ。
 7日 入院3日目。あんなに早く寝たのに、さっとは目が覚めない。本当に贅沢な生活だと思う。朝ごはんを食べ、1回目の点滴。その前に回診があり、担当医の先生に診てもらう。腫れも痛みもないため、月曜日の様子を見て退院の決定を下すそうである。予想より早く、6日間で退院できそうである。ただ、退院後も日赤に通う必要がある。でも、火曜日から職場復帰もできることだし、退院できることはとってもいいことだ。学校へも連絡。教頭先生に現状を報告。やはり、早く退院できることに、びっくりされていた。久しぶりにシャワーを浴びすっきり。やっぱり髪を洗うだけ、体を拭くだけとは違う。それにしても、看護婦さんたちの仕事量は半端ではない。いろいろな患者さん、そのほとんどがわがままというか、不安をいっぱい抱えた人だから、たいへんなことは間違いない。やるべきことは一人一人、日によって違う。そのような人たち相手にするなんて、本当にたいへんな仕事だと思う。いろいろなことをしなければいけないからこそ、ダブった質問をされることもある。このあたりを整理することは、とっても難しいんだろうなあと思う。それにしても、ひと時の暇もなく働かれる看護婦の皆さんに、心より感心させられる。昼食をとり、歯科の順番を待つ。早く終われば、髪を切りに行きたいと思った。待っても待っても呼び出しはなし。「ゴール」を読んだり、寝てみたり、ボーッとしていると、4時になりようやく連絡がある。治療時間はなんと5分。それをあてどもなく何時間も待たされる。それだけの時間の余裕があるのも事実だが、とっても悲しい。時間が本当にもったいない。その後ぶらりと外出。あるはずの本屋さんに行くと、つぶれていた。別の本屋さんもつぶれていた。どちらとも結構多かったのに・・・。コンビニにより、お菓子を買ってしまう。誘惑に負けてしまった。また、同級生と偶然会う。今回、こちらの友達には誰も知らせていない。お見舞いなど、いろいろ気を遣ってほしくないからである。会ってしまったものは仕様がない、状況を話す。でも入院先は内緒。歩きながら、こんなに長く人吉にいるのは、大学1年以来だと思う。今後ももうないのかもしれない。帰ってきて食事。そのあと2回目の点滴。点滴ももう9回目。血液検査をあわせると、10数回針を打っている。慣れるどころか、どんどん憂鬱な気持ちが強くなってくる。点滴の途中で、「ゴール」を読み終わる。ゴール1は、絶えずゴールを意識することの大切さを学んだ。今回のゴール2は、思考システムについて学ぶことができた。筆者が伝えたいどれくらいのことがわかったのか不安は大きいが、360ページを読ませる魅力があった。読破したことは今回の入院の成果の1つかもしれない。
 6日 入院2日目。昨日は、隣の方のいびきのため、夜中に起こされなかなか眠れなかった。これまで雑魚寝状態で寝た経験はあるが、これほどいびきで悩まされたのは初めてだ。朝食を食べ、1回目の点滴。ちなみに、1日2回の点滴を打つ。10時30分、久しぶりに鈴木先生に電話。本当に久しぶりであり、たいへん心配をかけていた。状況を説明。ずっと連絡してなくて、突然「入院」といわれると誰でもびっくりするだろう。しばらく暇ということで、自分にできることはどんどん仕事をまわしてもらうように話す。耳栓とシャンプーを病院の前の店で購入。そのあと、髪を洗い、体を拭き、着替えをして少しだけすっきりする。そのあと、またまた「ゴール」。なんたって360ページの分厚い本。その上、専門用語バリバリで、意味がつかめないところも多い。読み終わるのはいつになるのかわからないが、読み続けたい気持ちでいっぱいだ。昼ごはんを食べ、ついウトウト。皮膚科に行くようにという連絡で目が覚める。私は、ついつい手や足をかいてしまう。(かくというのは方言かな?)その辺りを見てもらう。前田歯科から携帯に電話。先週治療に行ったとき、強い薬が埋めてあるそうである。その薬をとらないといけないそうだ。ということで明日は歯科にも行かなくてはいけない。そのあと本を読んだり、眠ったりしているうちに、夕食。そして2回目の点滴。黒ちゃんと、福原先生に電話。1時間ほどテレビを見る。今日は昼寝も多くして、きっと眠れないと思っていたのだが、本を読んでいるとすぐに眠くなる。買った耳栓のおかげで、じっくり眠れた。眠りすぎるほどだ。
 5日 4時に目覚ましをかけ、いろいろ準備を始めるが、なんとなく眠い。昨日10時には寝ていたのに、おかしい。やっぱり体の調子がよくない。1時間ほど寝たあと、再び準備を始める。読みかけの本や、服などを詰め込み学校へ。食欲がなく、朝食を抜く。学校へ行くと、すぐに校長先生と、教頭先生に説明。体のことをよく理解していただき、体を第1に考えなさい、クラスのことはどうにかすると言っていただく。数名の先生方に説明すると、皆さんびっくり。そりゃそうだろう。今日は、学年活動でリレー大会。いつもなら、力を入れて気合をいれるのだが,その力もない。私だけでなく、クラスの子どもたちものろわれているのか、予想もしないことが続いた。スタートでは滑って4位スタート。バトンもポロポロ落とすし、練習の成果が発揮されなかった。結果は3位。直くんも出ていなかったし、不本意な結果だった。教室に帰り、今日から入院することを告げた。子どもたちもびっくりしていた。入院なんて縁がなさそうな担任だからこそ、しょうがない。教頭先生、学年の先生、特にお世話になる先生と各教科の進み具合の打ち合わせ。これまで結構とばして授業を進めてきた。それも、時間をかけて面白いことをしたいという気持ちがあったからだ。そんなこともできないと考えると、本当に悲しい。ほかにもいろいろお願いし、ばたばたとしながら学校を出る。きっとばっちりやってもらえると思いつつ、たいへんお世話になることに、後ろ髪を引かれる思いである。そのあとヤマダ電機で、今使っているノートパソコン購入。郵便局によって、いよいよ人吉総合病院へ。ついたらすぐに問診。そのあとはいろいろな検査を受けた。レントゲンをとり、血液検査、出血検査。これは、耳たぶに針を刺し、血がいつとまるか調べる。途中点滴を打ち、とどめはMRT。よくテレビに出てくる大きな筒の中に入っていくやつである。痛みがある足の内部を詳しく検査する。20分ほどだったろうか、何種類もの電子音がなるなか、いつ終わるのかなあとちょっと不安な気持ちになりながら待つ。今回特に感じたことは、どれくらい待たされるのか、どれくらい時間がかかるのかわからないのは、いい気分ではない。時間がわかっていると、それまでいろいろなことができる。結局、その自由を奪っているのである。そうあせるなといわれそうだが、時間を無駄に使いたくないのは、病院のなかでも同じである。時間を見つけ、あちこちに電話。いろいろなところに迷惑をかける。しょうがないけれども、やっぱり気が引ける。6時より食事。期待はしていなかったが、やっぱりそんなものだろう。でも、ずっとこの食事を食べ続けるとやせることだろう。検査の結果は、筋肉の中のバイキンは1塊でなく、散らばっているという。ということで、時間をかけ薬で散らしていくそうだ。ということで、早かったら1週間、遅くても倍入院が必要ということだった。ちょっと安心。そのあと、母と祖母がきてくれる。感謝。10時より点滴を打ち、ずっと読みかけていた「ゴール」を読み、眠くなりそのまま・・・。
 4日 やっぱり体がだるい。1・2時間目、「校区外に行ってはいけないというきまりは守るべきか、守らなくてもいいか」という国語の討論の授業途中、なんとなく気分はよくなっていく。ただ、右ひざの上辺りが、はれてきた。どうしたのだろう。歩くと痛い。休み時間、ある子に話を聞く。どんどん痛くなる。3時間目は、算数。作業ということで、指示したあとは教室の隅でうずくまる。4時間目はパソコン室で社会。指示を出すだけで精一杯。困っている子がいてもそのまま。その場まで行き教えてあげることもできない。もうだめ。給食の準備を見守り、5・6時間目にどうすればよいか学年の先生にお願いし、子どもたちに指示を出して職員室へ。どうしようもないことを告げ、年休をいただく。そのまま西原クリニックへ。診療時間ではないのに、ベッドに寝かしてくれ、手厚く向かいいれていただく。2時過ぎに院長先生が帰ってこられ、内視鏡で足を見てもらい、血液検査をして、そのあと点滴。院長先生からお話があったのだが、白血球の値がとても高いのだそうだ。すぐに江南病院に行くように言われる。江南病院ではレントゲンをとり、足を見ていただく。ひざの上の筋肉の中にバイキンが入っているそうなのだ。どんなバイキンが、どれくらい、どこまで入っているか検査が必要であり、なんと、今日にでも入院するように言われる。期間は短くて1週間、長かったら1年。すぐに入院なんてできるはずがない。少なくとも、クラスのことが心配である。その上、長期になった場合、実家の近くがいろいろと便利だろう。そこで、午前中に学校へいろいろと引き継ぎ、お昼前には人吉総合病院に入院することにする。すぐに人吉総合病院に連絡していただき、紹介状を書いていただく。点滴のおかげで、すこしだけ気分はいい方向へ。車の中で、学校、校長、学年主任に連絡。校長には連絡が取れず、家に帰って電話をかける。そりゃ、びっくりだろう。その上今後どう対応すればよいか、戸惑いも大きいはず。入院の準備、引継ぎの準備をしようと思うが、体がついていけず、寝ることにする。寝たいのだが、なかなか寝付けず、ようやく眠りにつく。
 3日 二日酔いと思ってもいたがしっかり寝てもすっきりしない。学校に行ってもついつい、先生方にきついことを愚痴る。もう無理ができない年だとか、本当は病気ではないかといろいろ言っていただく。本当に無理ができない年になってしまっている。しかし、病気とは考えたくなかったし、そうではないと勝手に思っていた。家に帰ってから、足の痛みを感じる。バレーの疲れ?これも年のせいで、疲れが時間がたって出てくるようになることに、悲しくなる。今日も早く寝る。
 2日 昨日というか、今日家に帰ってきたのが午前3時ぐらいだったろう。つらいところをぐっと踏ん張り、Bチームのバレー大会に向かう。結構早く会場に着いた。まだ準備を行っている状況であった。Aチーム以上に、参加することに意義があるというBチーム。相手もBチームだが、昨日ブロック優勝した学校のBチームだけに、うちの学校とは違う。1セット目は、予想通りどんどん相手に点数が入っていく。2セット目もズルズルいってしまうと思われたが、よく踏ん張った。とてもいい試合をした。相手はバレーの形ができているから、力の差は歴然なのだが、その力ほど点数は広がらない。なんとリードする場面もあった。Oパパの元気な応援が効いた。よい試合をした。子どもたちも満足だったに違いない。しかし満足することに終わることなく、次はどうにかして勝つぞという気持ちを持ってもらえたらと思う。問題は私自身の体調。試合が終わったころから、体がだるい。二日酔いなのかなあと思う体のだるさ。確かに3日間続けての飲み会。飲む量はそれほど多くはなかったと思うのだが、帰るのが遅かった。2日連続で早朝からバレーの試合。とにかく寝不足であるのは確か。もう1試合審判をしてほしいといわれたが、もうだめだと思いふらふらとなり学校へ。解散した後は、職員室に上がる気力もなく家へ。本当なら、市コン研例会に参加する予定だった。お米の話が聞けるととっても楽しみだったのだが、もうどうすることもできなかった。家へつき、横になってもつらい。つらくてつらくて眠れない状態だった。そのまま朝まで、寝ては起き、寝ては起きるという状態。
 1日 いよいよ6月。なんとなく体調がすぐれなかった4月、5月を乗り越え、もうがんばるぞと思うものの、やっぱり変な感じ。連ちゃんの飲み会のあとの早朝からの部活のバレー大会ということもあるのだろうか。会場は白山小。強いと予想していたが、やっぱり白山小は強かった。悲しかったことは、西原小らしさが出せなかったことである。互いのミスをカバーしあい、どうにかつなげて、相手のミスを誘う。そのためにも、元気いっぱい、笑顔いっぱいにやる。そんな西原らしさが出せなかった。西原らしさを出すためにも、基礎力をつける必要があると改めて実感。家に帰り、2時間ほど寝る。そのあと、PTA歓送迎会に参加。久しぶりに会う先生方とも話をする。楽しかった。2ヶ月という時間が、あっという間に埋まるのが不思議だ。すばらしい先生方だったんだと、改めて感じる。出口先生がこられていなかったことが残念。そのあと、急いで市コン研の飲み会に合流。NHKの桑山さんがこられていた。「おこめ」の取り組みへの思いは熱い。いつかNHKといっしょに仕事ができるといいなあ。2次会のラーメン、3次会の歌わないのにカラオケボックス。そのあと、長嶺で黒ちゃんと合流。んんん、うまく相手が聞きたいことに対して話ができなかった。今まで、話す相手は年上の人ばかり。それなりに気を遣っていた。気を遣っていたからこそ、話が成立していたのかもしれない。同級生ということで、私自身の気遣いが足りなかったのだろう。これが言い訳にならないだろうが・・・・。また、じっくり話す機会を持とう!!
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