喉が痛い…(2/28)
風邪ひいたかな?(^^;;)
とりあえず、昨夜書きそびれたことを一つだけ。
零ちゃんの水着は、ブーメランだと思ってたのに……(ちっ)。
OVA2巻観ました。(2/26)
かねてからの予告通り、全額カードのポイント払いで(笑)。ちょっと予定が狂って、石○電気じゃなくってビッグカメラのカードでしたが(^^;;)。
でも、一回目を観終わっての感想は……「3200円くらいだったら払ってもよかったな」でした(^^;;)。(ちなみに定価は5800円)
いや、マジで「なんだ、結構イケてるじゃん」と思ったんですよ。相変わらず原作のエピソードは大幅にはしょっていますが、それでも、単体のアニメとしてならば、1話の迷走しまくりの脚本から比べたら嘘のように、話がスッキリとまとまっていて、よい意味で「フツーのTVアニメ」って感じ。空戦シーンも、前回よりずっとわかりやすかった……というか、少なくとも、「ナニ? このヘンテコな動きは!?(注:実際の航空力学的観点からではなく、アニメの表現として)」というのもなくて、それなりに気持ちよくなれたし。
あの薄いグリーンのグラデーションの空は前回も綺麗だとは思っていたけど、今回はいっそう美しく、ヒコーキの動きが見せる「奥行き」というか「高さ」の感覚もよりクッキリとして、ワタシの中では、宮崎の空ともマクロスの空とも違う「妖精の舞う空」のイメージが固まってきました。
#これでブラッディロードが見えればなお良かったんだけどな。
いや、ジツをいうと「お話」としては、終盤のアニメオリジナル(というか原作のエピソードを脚色したというべきか?)部分は、モニタに現れるメッセージを読めなかったせいか、初見後の現在も雪風が何を意図していたのか解ってないのですが(爆)、「雪風がナニをしたのか」自体は被害に遭った方(^^;;)の反応等でハッキリ分かるように描いてあったから、前回みたいに「今何が起きたのかわからない」なんてことがなかっただけ、上出来と言えるのでは……。
後は、イントロで「滑走路の雪かき」が出てきたり、街中の本屋でサインをねだられたリン・ジャクスンが、自分の著作が「UFOとか宇宙人とか」の本と同等に扱われてるのを目の当たりにして苦笑したり、「THE
INVADER」の現物がしっかり出てきたり(到底その手のトンデモ本には見えない品の良い装丁なのが嬉しい♪)……と、前回ではことごとく「狙っているのはわかるけど、スベってるよ〜〜!」だった小ネタが、今回はピシッピシッとイイ感じにツボに入ってきたり……ホント、どうしちゃったんでしょう?(^^;;)
なんだ〜、「フツーのアニメ」を作ろうとすれば出来るんじゃな〜い♪<おい(^^;;)
元々の期待値がマイナスだったが故に、相対的な満足度が不自然に高くなっているというのは否定はしませんが(苦笑)。
が、それでも不満というのはあるものでして……
やっぱりエディスの乳がカッコワルイ〜〜〜。「MYエディスは貧乳美人だ!」というわたしのシュミはさておいても、そこらのグラビアアイドルみたいな、ただデカイだけのだらしない(相撲取りの腹と大差ないじゃん!)バストラインがイヤ〜〜〜っ!!(絶叫) 確かに多田美女はグラマーだけどねっ、もっとファッショナブルと言うかスタイリッシュと言うか、ちゃんとした下着とドレスやスーツのカッティングと縫製で作られる、ツンと美しいバストラインなのよ〜〜っ!!!
そう、服装といえば……胸元&ヘソ出しハーフトップは妥協しましょう。太腿の付け根まで出ちゃうスリット入りロングタイト(っつーより、ありゃほとんどパレオだよ)にも1万歩譲る。だからせめて、下にはスパッツかタイツを履かせてよ〜〜っ!! どうしてもナマ足っていうなら、スリットは膝上まで(かがんだり脚を組んだりしたときだけ、ベラッとまくれてふくらはぎが見えるくらい)にしてっ!! なんかもう、「(脚を)見せるファッション」とか「活動的な色気」というのが根本的に解ってないで絵を描いてるわねってのがミエミエなのがイヤ〜〜〜(T_T)。
首から上の表情や、セリフや、声優さんの演技は「物怖じしないサバサバしたお姉ちゃん」って感じで、原作の小気味よい性格が残っているのに、首から下が裏切っているんですもの〜〜〜〜(涙)。
意識が蒸発しそう……(2/25)
スミマセン、先週半ばからシゴトが詰まってて、こちらの方に手が回りません(^^;;)。水曜あたりからは、少しは楽になると思うのですが……
ちなみに、新刊は、昨年5月に読了済みの「なんと清浄な街」は飛ばして、最後の1編「父の樹」を残すのみとなりました。唯一の書き下ろし「意識は蒸発する」は、今日、帰宅途中に読んだのですが……なんか、他の話に比べると、ちょっと薄味かも(^^;;)。でも、話の終盤、文字通り「意識が蒸発する」シーンは、なんか妙に気持ちよさそうだった……と思ってしまったワタシは、かなり疲れているのかも(苦笑)。
いや、今のオシゴトは、前の職場に比べると、時間あたりの集中力を要するもので、22時を過ぎると、もう脳みそが勝手に電源落として「本日の営業は終了しました」状態になっちゃうんです(^^;;)。なのに、今日はそこでちょっと無理してもう30分頑張ったから、もう脳内飽和状態というか、ギュウギュウ押し込んでガチガチに詰め込んだゴミ袋状態というか……。そんな状態で、帰りの電車の中でページをめくっていたら、話の終盤で、文字通り「意識」がシュワシュワと抜けて行っているんですもん。「ああ、わたしのオツムの中ももちょっと抜きたいかも〜〜〜」と思ったところで、ふと思った。
もしかして作者様も、この話を書いてるとき、似たような精神状態だったのでしょうか?
新刊入手しました(2/22)
去る20日、観劇の為にカイシャを早退けして某劇場に向かう途中(^^;;)、『小指の先の天使』を入手いたしました。一応平積みされてはいたのですが、隣に置かれていた『ローマ人の物語』(塩野七生)のシックながらも人目を引く表紙に比べると、ブルーを基調としたノスタルジックな写真の表紙はかなり地味で、うっかり見落としてしまうところでした(^^;;)。
#もしかしたら前日(19日)に既に入荷していたのに気づかなかった可能性も高い。
でも、来週頭までシゴトが立て込んでいるので、祝杯はもう少しお預けになりそうです(涙)。今週は土曜も出勤なので(更に涙)、例によって通勤のお供にちびちびと読んでいても、週明けには読み終わってしまいそうですが……そのときは「新刊発売&読了祝い」と称して呑むぞ〜〜。
どうしよう……(2/20)
昨夜でシメに入るつもりだったのに、逆にとっ散らかしてしまって収拾がつかない状態になっています(^^;;)。>戦車の話
うーん、結論……というか、落としどころはは既に決まっているつもりだったんだけど、なんでこう遠回りするかなぁ……
とりあえず今夜はそちらの話はお休みして(明日はちゃんと書けるのか?>自分)、新刊情報のみ。
bk1では、『小指の先の天使』
が、「予約受付」から「発売中」になった模様。
へー、そういう表紙で来ましたか……なんか、かなり意外(^^;;)。
オフライン書店の方では、今日(19日)残業帰りに寄った職場近くの店ではまだ置いてませんでした(^^;;)。この店は夜11時まで開いている上に、入り口近くの平台で「SFが読みたい!」&ランキング上位
本(『アラビアの夜の種族』とかJコレとか『あしたのロボット』とか『さらば愛しき鉤爪』とか)をまとめて積んであったり、文庫本コーナーではハヤカワのコーナーに神林長平フェア本+『時間調律師』(徳間デュアル文庫)や『永久帰還装置』(ソノラマ文庫@朝日ソノラマ)を一緒に平積みしたり……と、ハヤカワ系&神林作品の待遇がかなり良いだけに、入荷していれば、絶対目立つところに置いてくれると思うのですが……。明日には入荷するかしら?
また間空けちゃいました(^^;;)(2/19)
早く終わらせないと、新刊が出ちゃうよ(^^;;)。そもそも20日はカイシャ早退けして芝居観に行くし〜〜。
……というわけで、長々引っ張ってきた「戦車萌え=スパロボ萌え」の話。
「戦車の魅力」についてシツコク質問している間に小耳に挟んだ話ですが、「戦車」のそもそもの開発コンセプトは、「塹壕に潜む敵を片づけるため」、まぁ、言ってみれば「超強力モグラ叩き」だったそうで……。
それを聞いて「うわー、やな話聞いちまった(-_-;;)」と思ったワタシは、やっぱり、根本的に「戦車のロマン」を解さない人種なんでしょうね(^^;;)。
所詮「兵器」とはそんなもの…かもしれませんが、それでも、「戦闘機」や「戦艦」は、一切の武装を解除しても、「音速で空を飛ぶ」「荒海も堂々と渡る」という「ひこーき」「ふね」としての根本の部分が残るのに比べたら、「戦車」はどうも生々しく感じられていけません(^^;;)。「人殺しの道具」の側面がより強い……という意味では「銃器」に近いものがあるかも。
ただ、「銃器フェチ」「刃物フェチ」等に比べると「戦車フェチ」って、もうちょっと牧歌的……と言ってはなんですが、非現実的というか、「夢見がち」な印象も受けるんですよね(^^;;)。
#実際には銃器フェチと戦車フェチはかぶっている例も多いかもしれませんが。
「戦車好き」の多くは、別に「今すぐ周囲の人間を踏みつぶしてやりたい」なんて思うほど、せっぱ詰まった恨みを抱いて殺気だっているわけではなく(^^;;)、ただ漠然とした「大きな力」に憧れているのではないかと。
で、その「大きな力への漠然とした憧れ」に近いものを探すと、往年(主に70年代)の子どもたちの「スーパーロボットへの憧れ」になるのかもしれない……と。
というわけで、まずは、「スパロボ」=「スーパーロボット」とは何ぞやという説明を念のために。
手短に言えば、70年代の「マジンガーZ」あたりから始まり、様々なバリエーションを産みながらも、21世紀に入った現在も生き残り続けている日本のアニメの主要ジャンル……と定義すればよろしいでしょうか(^^;;)。要するに「中に人間が搭乗して操縦する巨大な(主に)人型戦闘用ロボット」のこと。
ちなみに、わざわざ「巨大な」と断り書きをいれたのは、ロボット物のうち、『ガンダム』以下の大きさ(20メートル未満?)のものは、しばしば「リアル系」と呼ばれ、「スパロボ」とは別
系統として区分される為です(^^;;)。そのあたりを詳しく説明しようとすると、たぶんもう一つサイトが出来上がってしまうほどのテキストが必要になると思うので、それは省きまして〜〜(^^;;)。
とにかく、「スパロボ萌え」…というより、その原点、まだアニメが本当に「小さなお友達」を対象としていた70年代の「スーパーロボット人気」の極意は何であったのか?については、当時「作る側」にいてその秘訣を探った方の証言が最も簡潔にして要を得ていると申せましょう。
(前略)それで少しづつ聞き出して、分析すると子供は『自分は小さいんだ』、そしてあの時代は『上には兄ちゃんやねぇちゃんがいる』と。『父ちゃん母ちゃんもいる』と。『みんな自分よりでかくて力があって、それをひっくり返せる』っていう子供の変身願望なんだと・・‥。主人公がロボットに乗ることによってね、『強くなるんだ』と。それで『悪い敵やっつけるんだ』とね、まあ、そういうことが分かってきた」。
『アトムの遺伝子ガンダムの夢』第6回より
どんな形であれ、なんらかの『力』を欲するのは、人間の自然な欲求の一つなのかもしれません。ただ、その『力』の内実はというと、「空を飛ぶ」「海を渡る」「宇宙へ行く」と言った「そもそも人類には不可能なことを達成するための力」だけではない。もっともっと身近な「周囲の人間を圧倒する力」というものもあって、多くの人間が欲しがる「力」というのは、ジツは後者の方なのかもしれないな……と、なんか、今更のように思い至ったわけです。
……でも、それでもね。やっぱり不自然だと思うんですよ。確かに、「他者に抜きんでる力が欲しい」という願望はわたしにだって重々覚えのあることです。でも、その「力」って、「戦車」のような「強力な機械」さえあればアッサリ手に入っちゃうようなものなの? そりゃ「機械」を持っているのが自分一人だけの間ならそれなりの効果
はあるでしょうが、でも、誰もが同じものを手に入れられるようになったら? パソコンで考えればわかることですが、結局は「その機械(道具)をどう使うか」という、最後の最後の部分は自分自身に跳ね返ってくることで……
つまり、「機械の力」≠(not equal)「自分の力」ではないか、と、わたしは思うわけですが、神林作品というのは、まさにそのことを執拗に描き続けているのではないか……と。神林作品に登場する「機械」は、そのほとんどすべてが、きわめて強力で魅力的な力を持ちながらも、その力を使用者である人間(主人公)自身の力と同一視されることを徹底して拒んでいるんですよ。
……と、ここまで書いたところで体力切れ〜〜〜。あう、もう2時40分なので、寝ます〜〜〜。
取り急ぎお知らせ(2/14)
現在入手困難な光文社文庫の神林作品群が、昨夏の『宇宙探査機 迷惑一番』『蒼いくちづけ』に続き、『ルナティカン』『親切がいっぱい』『天国にそっくりな星』もハヤカワ文庫JAより再刊される模様。
第一弾は、『ルナティカン』。発売は来月上旬だそうです。
情報源は「SFが読みたい!2003年版」p.94、p.191より。
ニュース速報でした(^^;;)。
戦車とは、蹂躙することと見つけたり(2/12)
引き続き、「戦車萌えの謎」(って、謎に思ってるのはわたしだけか?(^^;;))の話……。
前回、「戦車萌えとは、スパロボ萌えである」という結論に達した……と言いましたが、そのココロについて各方面にカドが立たないような説明をするのが難しいので(爆)、今夜はちょっとお茶を濁して、思索過程を数歩後戻りします(^^;;)。
別に「戦車」だけでなく、「ひこーき」や「ふね」等の大きな機械、特に「兵器」と呼ばれる分野に属する機械に対するイメージは、実物よりもフィクションによって作られることの方が圧倒的に多いかと思います。お世辞にもメカフェチとは言えないわたしにしたところで、「戦闘機」や「戦艦」ならば、それらが魅力的に描かれていたフィクションの一つや二つは即座にあげられる。
では、「戦車」はどうだろう……と、わたしの脳内の「フィクションの中で接した戦車」の記憶を検索してみたところ……これが、ほぼ皆無(苦笑)。怪獣に踏みつぶされたり、「突如現れた謎の人型兵器」に秒殺されたりというシーンばかりでした(^^;;)。戦争映画はまったく観ないので、巷の戦車好きの方の間で話題になっている作品も、どれも未見ですし。
強いて言えば、あれは押井守版『うる星やつら』でしたでしょうか……
平和な茶の間を突如揺るがす地響き。
「地震か!?」と身構えるお父さん、お母さん。
振動と共に次第に大きくなるキュルキュルというキャタピラの音。
何事!?と、窓を見れば、通り過ぎていく巨大な鉄塊……!!
震え、壊れる窓ガラス。なぎ倒されていく家や庭木……
……というシークエンスを幾度か目にしたような記憶があるのですが、これって、ほとんどゴジラ等の怪獣と同じ扱いですな(^^;;)。でも、フィクションではなく、ニュース映像で見た「市街地の戦車」って、まさにゴジラ、「圧倒的な力で人々の生活を蹂躙する怪物<モンスター>」って感じで、その「禍々しい存在感」には、確かにある種の強烈な魅力があることは認めます。
ただ……どうなんでしょうね? 確かに、世に「ゴジラ好き」は数多いけれど、「戦車好き」って、「ゴジラ好き」の同類なんでしょうか? 「ゴジラに踏まれて死にたいっっ!!(ウットリ)」と「戦車に踏まれて死にたいっ!!(ウットリ)」とは同じかもしれないけれど、すべての「ゴジラ好き」が「踏まれて死にたい」と思ってるとは考えがたいし……(^^;;)。なによりも、「戦車好き」の多数は、「戦車に蹂躙される市民」よりも「戦車兵」の方になりたそうに見えるし。
でも、あんなのに乗って何が楽しい? 空を飛んだり、海を渡ったり、宇宙に行ったりできるわけではない。F1のように速く走ったり列車や車のようにはるばる遠くへ旅することができるわけでもない。建設機械のように、重い荷物を頼もしく持ち上げたりできるわけでもないし……。
と、またまた元の疑問に戻ってしまったのですが(^^;;)、読んでくださっている方には、もうお解りかもしれませんね。
「戦車萌え」=「スパロボ萌え」という意味、そして、神林作品『今宵、銀河を杯にして』と『完璧な涙』での「戦車」の描き方は「スパロボ萌え」とはかなり違っているということが。
『完璧な涙』の戦車は、押井版『うる星』的な「人間を脅かすモンスター」。「造物主から放り出された孤独な知性体」という、フランケンシュタインのような、禍々しくも哀しい存在。
『今宵、銀河を杯にして』のマヘルは、「兵器」というよりは「愛車」。デコボコの戦場址も、大木の倒れた森の中も進んでいける、「長い旅路の頼もしい相棒」。タマに発情して(爆)主人公達の手に負えなくなることもアリ(^^;;;)。
……というのが、わたしの両戦車観なのですが、先週末を丸々費やして「一般
的な戦車好きのツボ」を把握した(と思う)現在、どちらの戦車も、ジツに「神林的」なキャラクターだなぁ……と改めて思うわけです。
さて、明日……か明後日には、「カドが立たない説明」をひねりだせるかなぁ……。
戦車って、お好きですか?(2/10)
いきなりですが、いわゆる「フェチ」「オタ」と称される類の人種を引きつけ、しばしば「模型」や「玩具」として商品化される「機械」は様々ありますよね。ざっと列挙してみると、
■「ひこーき」(ジェット、プロペラ、戦闘機、旅客機…等々すべてひっくるめて)
■「ふね」(動力源、大きさ、用途・目的、時代……等一切ひっくるめて)
■「鉄道関係」
■「自動車・バイク」(神林風に言えば「クルマ」かな)
そして、昨今わたしのネット巡回コース(=『ボトムズ』系)で目に付くのが、「戦車」でして……。やれ、ワールドタンクミュージアムをオトナ買いして揃えたとか、近場じゃ売ってなくて手に入らないとか、結構な騒ぎになっていたのですが、正直に言って、わたくし、それが不思議でならなかったんです(^^;;)。
いや、わたし自身は手を出さないまでも、いわゆる食玩やガシャポンにはまる心境はわかるんですよ。妖怪シリーズとか、名作劇場シリーズとか、ボトガシャとか、聖闘士ガシャとか。でもって、メカフェチ的観点でも、「ひこーき」「ふね」「鉄道」「クルマ」への執着/愛着/萌えならば、多少は理解ないし共感できる。
でも、「戦車」の魅力だけは、ど〜〜〜〜〜〜しても、わからなかったんです。本家サイトの『ボトムズ』のATは、「一人用戦車」とは呼ばれるけれど、わたしの感覚としては「ジープ」に近かったし……。
神林作品にも、ご存じの通り、『今宵、銀河を杯にして』のマヘルや『完璧な涙』の戦車が登場しますし、「彼ら」のことは、わたしもとても好きなんですよ。でも、それは彼らの個々の「キャラ立ち」の賜物であって、少なくともわたしにとっては、「戦車」というものそれ自体への愛着にはならない。そのあたり、「雪風」への賛美や愛着が「戦闘機」というものそれ自体への憧れや興味へとアッサリ繋がるのとは、だいぶ様子は異なっている。いったい、それは何故なんだろう……と。
最初は、形状のせいかな、と思いました。「ふね」や「ひこーき」は大抵流線型をしているけれど、戦車はゴツゴツしているからかな、と。「ひこーき」と同じく「空飛ぶモノ」である「鳥」は、鷹でも鶴でも白鳥でも燕でも、ほぼもれなく「美」を感じさせるし、「ふね」と同じく「海のモノ」であるイルカやクジラやトビウオも、これまたみな「美しい」。ならば、「戦車」に近いモノはなんだろう? ゾウか? サイか? ……でも、各種の動物番組で観るゾウやサイは好きなんですよねぇ……。
約一晩考えた(一晩も考えるなよ>自分)あげく、どうにか到達した答えは、
「戦車」には、『憧れ』が感じられないから
でした。
「ひこーき」「クルマ」「ふね」には、「憧れ」が明確にあるじゃないですか。「より高く」「より遠く」「より速く」「より大きく」みたいな。そもそも、「空」や「海」は、「ひこーき」や「ふね」なしには、人間には行くことすら不可能ですし。人間の生活圏内を走る「鉄道関連」や、レース用じゃないトレーラーやトラックのような「クルマ」にしたって、「旅」=「どこか遠くへ」って「憧れ」に直結しているし。
その点、「戦車」って、何もかもが「中途半端」に思えちゃったんですよね。
「火力」「装甲」「機動力」が「戦車」の三大要素だそうですが、「火力」だけを極限に追求するならば、動かない大砲やミサイルには敵いませんし、「装甲」にしたところで、同じく動かない核シェルターには敵わない。「機動力」と言うならば、ジープやバイクの方が上だろうし……。「何でも揃っています」というのは、結局「何やっても中途半端です」というのに等しいと思いません?
某チャットにて「戦車好き」の方にお尋ねしても、今ひとつコレといった答えが返ってこない。「男の子は建設機械みたいな重機が好きなんですよ」……って、だったら、「みたいな」じゃなくって、建設機械そのものに萌えればいいじゃん。でも、パワーショベルやクレーンが食玩化されて売り切れ続出……なんて話は、聞いたことがない。
「戦車」ならではの「憧れ」、他のどの機械でもなく、「戦車」でなくてはならないこと、ってなに? ……って、実はマジで一晩(土曜から日曜にかけて)、更新作業も放りだして考えたんです(^^;;)。
で、ようやく到達した答えは……
「戦車萌え」とは、「スパロボ萌え」と同質である。
……と。
もっとも、神林作品の「戦車」について言えば、『銀杯』も『完涙』も、どちらも上の定義に当てはまらないんですけれどね(^^;;)。でも、だからこそ、わたしは両作品の「戦車」が好きなのかもしれないなぁ……とも思ったです。
と、ここまで書いたところで、既に2時半になってしまったので、詳細はまた明晩〜〜。
節分だから…というわけではありませんが(2/3)
カウンタを5桁に増やしました。真面目に更新していれば(^^;;)、おそらく今月中に1万HITに到達すると思われますので、ちょっとした記念企画など準備中……。
書きそびれていましたが、先週……というか、先月末には、公式サイトやDEGITAL
BEAT(ってバンダイビジュアルのサイトなのかな?)でOVA2巻のプロモがアップされていたようですね。公式の方は、わたしの環境では×だった(Media
Playerも入れてるのにっ!(-_-;;))ので、DEGITAL BEATの方を見たのですが、ちょこっとだけ動くエディスはなかなかクールな美人さんでした。<キャラ表だけ見たときはもっとロリロリしたイメージだった…
気になる声の方は、公式サイトの情報によれば、「山田美穂」さんとのこと。検索してみたらこういう役をあててこられた方のようですが……最近のアニメにはとんと疎いもので、作品名・役名を見ても、まったくイメージがわかない(^^;;)。唯一わかりそうなのは、『星界の戦旗』ですが……『紋章』の方は観たんだけど、『戦旗』の方は未見なんだよなぁ……アトスリュアって、誰だったっけ?(^^;;)
──というわけで、『戦旗』原作をチェック……あー、あの、父親が地上人で、メイド侍らせてたヘンタイにーちゃんのデキのいい妹ね!
──ってことは、わりと「カッコイイおねーちゃん」系の声の方なのかな? なんにせよ、某往年の人気作の新作OVA(くっそー、わたしの高校時代からの愛しの彼女を返せーー!!)みたいにドシロートの巨乳グラビアアイドルとかじゃなくって、ちゃんとそれなりのキャリアのあるプロの方でよかったよかった(ホッ)。零役の堺さん、ブッカー役の中田さんをはじめ「原作をしっかり読み込んでくれている実力のあるキャスト」って、このOVAの数少ない取り柄ですものね(^^;;)。
あと、なかなか更新されない(^^;;)、早川書房のサイトにも、ようやく2月の新刊案内が出たようで、『小指の先の天使』は、20日発売だそうです。
ってことは、文庫の方の神林長平フェアも、その時期なのかな?
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