観ました。(3/29)
『敵は海賊〜猫たちの饗宴』のDVD、ちょっとずつ観る気でいたのに、気がつけば、全3巻(6話)一気に観ちゃいました(^^;;)。面白かったです〜〜。大満足(*^-^*)。
前夜、ハーデス十二宮編を観たばかりだったので、主役二人の声だけで、もう、爆笑。アイオリアとシャカの掛け合い漫才〜〜〜。ヨウメイ役の中田譲治さんはジャックみたいな過剰なエロさがなく(^^;;)、ひたすらカッコよいし〜。原作に登場する罵倒語とか、小物とかをちゃんと出してきてくれてるのも嬉しいし。
ふう。やっぱり80年代(あれ、もしかして『敵は海賊』はギリギリ90年かな?)アニメって好きだな〜。流行に取り残された年寄りですので、昨今のCG画像に未だに馴染めないせいもありますが、とにかく、「フツーに安心して楽しめるお話」っていうのが嬉しいです。つまり、「脚本」とか「演出」とか呼ばれる部分が「最低限のオシゴト」をきっちりとこなしていると申しましょうか。『猫たちの饗宴』って制作当時はけっして評価が高かったわけではないし、実際わたし自身の記憶に照らしても「あの時代の作品としては平均点」だとは思いますが、もう『雪風』OVAを観たあとじゃ、トンデモナイ傑作に思えてしまう(爆)。
でも、前回の「人類やめた体型と非常識な服装のロリ顔巨乳娘」と「無駄に乳がでかくて露出度が高いエディス」の比較と同じく、昨今のアニメのレベルから言ったら、『雪風』だって、それほど「ヒドイ代物」というわけじゃないんだろうなぁ……
昨今の作品に馴染めない年寄りの偏見だとは百も承知ですが、アニメって、この20年の間に、映像の技術はすごく進歩して、作画の水準も最低ラインがものすごく高くなったと思うけれど、こと「脚本」とか「演出」の面では、どうなんでしょうね?
まぁ、わたしの場合、そもそも90年代後半以降の作品はほとんど観てませんし、その中でも『ウテナ』とか、『星界の紋章』とか、ちゃんとまっとうに面白く、かつ「80年代から時代が下がっただけの『進歩』」を感じさせる作品も、あるにはあるんでしょうが……。でも、もしかして80年代より全体的なレベルが下がってるんじゃなかろうか……。
制作者の数がそんなに増えてるとは思えないのに、TV(BS、CS含む)で放映している本数は昔より遙かに増えてるんだから、当然と言えばそうかもしれませんが……。
……と、いかん、どうもこの手のネタになると、「神林fan」よりも、「80年代アニメオタク」の自分の方が強くなってしまいますな(^^;;)。
買いました。(3/27)
アキバの石●電気にて。『敵は海賊〜猫たちの饗宴』のDVDボックス入手。ディスク3巻(1巻に2話ずつ収録)で12000円というお手頃価格だけあって、本体のみ、付録、解説一切ナシというジツに素っ気ない作りです(^^;;)。
今夜の処は、共にフライングでGETしたハーデス十二宮編を観るだけでいっぱいいっぱいなので、中身までは確認できませんでしたが……。なんか、パッケージのマーシャ・Mの服装になごんでしまいました(^^;;)。ダブダブした袖回りのブラウス(?)とか、ショートパンツかキュロットか曖昧な丈のボトムとか好きだな〜。そういや、ちょっと時代は数年遡りますが、『ウラシマン』のソフィアのジャケットも、袖が大きかったっけ。あのへんって、80年代の流行なのかな? ああいうシルエットの服を見かけなくなって、もうずいぶん久しくなりますが、そろそろ復活してくれませんかねぇ……。
#布地たくさん使うから、不景気な時代には向かないのかな(^^;;)。
まぁ、そんなわたしの好み以前に、「常識の範囲内の服装(露出度)とボディライン」に、しみじみと感動してしまう自分がカナシイ(^^;;)。以前、途中だけを中古ビデオで観たときは、そんなこと感じなかったのに〜〜〜。いや、OVAのエディスも、顔立ちは大人っぽいし、乳もまぁ「巨乳グラビアアイドル」レベルだから、既に人類やめちゃってる昨今のロリ顔巨乳娘連に比べたら「良心的」な方と言えるのかもしれませんが……でもねぇ……(シクシク)。
あー、もう出てるのかな(3/24)
『敵は海賊〜猫たちの饗宴』のDVDボックス、Amazonでは既に発売されてるみたいですね。
今日、ちと目白に用事があったもので、帰りがけに池袋まで足を伸ばしてビッグカメラを覗いてみたのですが、やはり……というべきか、置いてませんでした(^^;;)。これは、アキバに行くしかないかなぁ……今週、定時で上がれる日があるといいけど。
DVDと言えば、先頃出た『雪風』2巻、付録ブックレットの原作者インタビューがなかなか面白かった……というか、「ほう」と頷くところが何カ所かあったのですが、今週はそっちに話がふれるといいなぁ……。相変わらず別の作者の本ばかり読んでいて、まだしばらく神林作品には戻れそうにないもので(^^;;)。
The Miracle Worker(3/20)
20日夜(という出だしなのは、これを書いているのが23日の夜だからです)定時のチャイムと共にカイシャをダッシュして、シアターコクーンで上演中の「奇跡の人」を観てきました。一応「観劇好き」を名乗るからには、大竹しのぶがアニー・サリバン役でいるうちに一度は……という念願が叶って満足(*^-^*)。やっぱ、しのぶちゃんスゲーよ!
……って、表の日記と間違えて書いてるわけではないです(^^;;)。1年くらい前、『グッドラック』における零の「覚醒」について、「奇跡の人」は通じるところがある……なんて話をしたのですが、こうして、改めて通しで舞台をみると、自分でも思っていた以上にこの二つははまりそうだな……と感じまして。思わず、ロビーで売ってた原作の戯曲(ウィリアム・ギブソン作 額田やえ子訳)まで買っちゃいました。
で、戯曲を読みつつ、この芝居に『グッドラック』を想起させられる理由を考えてみると……一つは、アニー・サリバンの造詣。子どもの頃読んだヘレン・ケラーの伝記では「サリバン先生」と表記されていたせいで、中年のベテラン教師をイメージしていたのですが、ジツは当時彼女は盲学校を卒業したてで教師経験もない弱冠20歳。まぁ、その辺りはあと知恵で知ってはいましたが、まさか、あんなじゃじゃ馬ねーさんだったとは思わなかった(^^;;)。
「サリバン」の姓が示すとおりアイルランド系の移民で救貧院育ち、(5歳で失明したせいか?)14歳になるまで読み書きも満足にできなかった……と、なかなかソーゼツな生い立ちでいらっしゃいます。しかし、それらの「これでもか」というハンデを不屈の闘志で挽回し、ケラー家にやってきてからの数々の困難も、持ち前の強情さとねばり強さで己の信念を通す、若き女傑……とはいえ、演じるしのぶちゃんのキャラのおかげで、ぜんぜん「偉そう」には見えなくって、むしろとってもキュートでチャーミングな女性なんですけどね。そんなところをひっくるめて、なんとなく、エディスに通じるところがあるかもしれないなぁ……なんて。いや、エディス自身はどちらかというとお嬢さん育ちという気がしますが、負けん気の強さとガッツという点が、アニーに似てるかな…と。この場合、当然ヘレンは零ちゃんです(笑)。特にOVAの、査問会での抗弁やブリーフィング中に飛び出して行っちゃう様子に「AD児みたい」等の評を受ける彼なら、もう、バッチリ(^^;;)。でもって、作中の誰よりもヘレンを愛しながら、その愛のあまり彼女を甘やかし過ぎてしまう母・ケートがジャックね(爆)。
中盤のアニーとヘレンの格闘(マジで女子プロレス観てる気分になりました(^^;;))が、この芝居の目玉の一つですが、零とエディスも、精神的には思いっきり格闘していると思うし……。
#「コミュニケーションとは他者との格闘だ」ってなフレーズを『永久帰還装置』かどこかで見た記憶もあるぞ。
あとは、「人は『言葉』を媒介にして世界を認識する」という主題ですが、こちらも事前に予想していた以上に強調されていて、少なからず驚いたです。
たとえば、ケートとアニーの初対面の会話:
ケート: あの子にまずなにを教えるおつもり?
アニー: 最初も最後も、それに──その中間も、言葉です。
ケート: 言葉。
アニー: 心にとっての言葉は、目にとっての光よりももっと重要だ。ハウ博士はそう言ってらっしゃるんです。
とか、終盤、ヘレンに語りかけるアニーの独白(って、もしかして矛盾した表現だろうか(^^;;)):
(前略)教えてあげたかったわ──この地上に満ちあふれてるもの、何もかもを──ヘレン、この地上で一瞬あたしたちのものになり、そして消えてしまうものを、あたしたちが地上では何なのかということも──あたしたちがそれで未来を開き、過去を遺してきた光──言葉──そう、人間は五千年昔のことでも言葉の光で観ることができるのよ。人間は言葉によって、感じ、考え、知り──そしてわかちあうことができるの、だから真暗闇の中に沈んでしまったり、忘れ去られてしまう者は一人もいないの、お墓の中に入ってしまってもよ。あたしにはわかってる、一言だけ通じれば──全世界をあんたの手に入れてあげられるんだってわかってる。それがあたしにとって何なのかはわからないけど、でも、あたしそれ以下のことじゃ、納得しないわ!
エディスにはそんなに「零を治したい」って情熱はないと思うし(^^;;)、神林的な「言葉」っていうのは、一方では人間を操り返す不気味な存在でもあって、上記のアニーのセリフのようにそんなに素晴らしいばかりのものではない……とは思うのですが。それでも、「言葉と内面が結びついたときに世界のすべてが変わる」というのは、ジツに「神林的」感覚ではないか……と思うのです。
ところで、本日のタイトルの「THE MIRACLE WORKER」というが『奇跡の人」の原題なのですが、「WORKER」ってどういうニュアンスなんでしょうね? ヘレンだけじゃなくって、アニーのことも含めて言っているのかな?
時節柄…(3/19)
帰宅してTVをつけると、戦車とか、ステルスとかのニュース映像を目にすることが多い昨今、昨日だったか、一昨日だったか、「砂漠を疾走する戦車」の映像を見かけまして……そのスピード感にビックリしたですよ。あれ、時速どれくらい出てたんだろう。同じく「砂漠を走る車」でも、CMで見る4WD(パリダカで優勝とか入賞とかした〜ってヤツ)よりも速そうに見えた。4WDが、「砂をえぐりながら進む」とすると、戦車は、車のタイヤよりも接地面積が大きいせいか(?)、ほとんど砂煙も上げずに「砂の上を滑る」ような感じ。
いやぁ、戦車ってあんなに速く走れるモノだとは知りませんでした(^^;;)。一応「時速何キロ」とかって数値は聞いたことあるような気もするのですが、あんまりピンと来なくって(^^;;)。おかげで『完璧な涙』での戦車との追っかけっこのシーンの脳内イメージが、従来の3倍速くらいになりました。
今まではもっとこう、ホラー映画風の「ゆっくりと迫る恐怖」みたいなイメージだったんですけれど、実際はアクション映画系「ド迫力のカーチェイス」だったんだろうか。>『完璧な涙』の追いかけっこ
……なんて、本当は、そんな暢気なことを言っていられない状態なんでしょうが……。
ここしばらくのニュース映像、「空港の警備に出る戦車」等にはイヤ〜〜な気分を覚えたわたしも、「何もない砂漠を疾駆する戦車」は、素直に「カッコイイ」って思えたんですよ。「時速どれくらい出てるのかな? 航続(?)距離はどれくらいだろう? もしパリダカに出たら、完走できるのかな?」……etc.
なんてバカなこと思っちゃったし(^^;;)。でも、よくよく考えれば(考えなくても)「戦車」ってのは、「ただ走るためだけ」に砂漠のど真ん中に来るはずもなく、あくまでも「兵器」=「壊して、脅して、殺してナンボ」な機械でしかない。このワタシですら一瞬ときめかせたあの戦車も、今頃は、壊したり殺したりするための準備で忙しいんだろうなぁ……って思うと、「人殺しをするマヘル」を想像してしまって、なんともやりきれない気分になりますね。
プラハに行きたい…(3/18)
「買いました〜」で終わっているのもナニですので(^^;;)、月曜からの通勤の友は「カフカ短編集」です。なんか……想像していた以上に読みやすくてビックリです。ものによってはさりげなくSFマガジンに載ってても違和感がなさそう……。もっとも、ハヤカワ文庫にするならば、青背のSFよりは、FTの方が似合いそうです。それも、最近のベージュ色の背拍子になってから出てるような長々しいシリーズじゃなくって(^^;;)、ジェイン・ヨーレンの「夢織り女」とか、ベアトリ・ベックの「ガラスびんの中のお話」みたいな、80年代前半にコソッと出て、一時期品切れになったものの、最近のファンタジーフェアで久々に再刊……というタイプの短編集。そう感じるのは、「大人のためのメルヘン」と評された編訳者の池内紀さんの文章と編集の賜物もたぶんにあるのかもしれませんが。
で、「神林っぽい」と感じたところはあったかというと……ありました(^^;;)。「判決」という話。あのワケのわかんない父親と、その親父に逆らえない主人公に、『七胴落とし』のじーちゃんとか、『帝王の殻』の主人公の父親と主人公の関係をホーフツとさせられたり……。そういや、『過負荷都市』の方にも「怪物化するじーちゃん」が登場しますな(^^;;)。もっとも、あちらの主人公は、『七胴落とし』の主人公に比べると、ずっとじーちゃんになついているんだけど。
#似たような家族構成なのに、印象が全然違うのが面白いです。>『七胴落とし』と『過負荷都市』
……いや、もうちょっとココにふさわしいネタとしては、「『ルナティカン』の解説に望むこと」とか、「ワタシの好きな解説」とか、既にホコリをかぶったネタですが「戦車ってあんなに速いんだ(ニュースでやってたです)」とか、あるのですが、週はじめから残業で眠いので、今夜はこれだけ(^^;;)。
またまたご無沙汰しちゃいました(^^;;)(3/17)
シゴトはさほど忙しくはなかったのですが、ちょっと体調を崩していたり、別の作家や作品(松岡和子訳シェイクスピアとか藤水名子とか池内紀訳カフカとか佐藤亜紀とか)に浮気をしていたもので、神林関連に使うリソースがなくなってしまって……(^^;;;)。
あ、でも水曜日(12日)にシブヤの大盛堂(ハチ公前交差点の文庫専門店の方)で岩波文庫の「カフカ短編集」と「カフカ寓話集」を買ったときに、緒方表紙版『過負荷都市』も買ったです。いえ、別にシャレで「カフカ尽くし」を狙ったワケではなく……(^^;;)。
先週の日曜(9日)にカフカ原作『アメリカ』(池内紀版新訳では『失踪者』というタイトルになっています)の芝居を観たのですが、どことなく「あ、神林っぽい」って感じたんですよ。まぁ、「どこか異様な世界で次々と襲いかかる理不尽に主人公が翻弄される話」なんて、今に限らず昔から山ほどあるのでしょうが、でもその「異様」や「理不尽」の内容というか雰囲気が、こう……。
恥ずかしながらカフカについては「文学史に出てくる人」という認識しかなくって、直接に作品を読んだことは一度もなかったのですが(^^;;)、件の芝居がなかなか面白かったので、この機会に原作や他の作品も読んでみようかなぁ……と。劇場ロビーで売っていた『失踪者』はちと値段が高かったのと厚かったもので(^^;;)、もうちょっと金銭的・分量的に手軽なものはないか……とあれこれ検索をかけてみたら、引っかかってきた書評や評論(三省堂のとか紀伊国屋のとか)の内容が、やっぱり神林に対する評に通じるところがあるような気がする。「機械好き」とか「父親からの抑圧」とか……。まぁ、最初に「似ている気がする」って先入観を持っているから、それを裏付けるようなキーワードが余計に印象に残る、というだけなのかもしれませんが(^^;;)。
てなことを考えているうちにふと気づいたのですが、『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』収録の冬樹蛉さんの評:
あたかも、T城Uにけっして入れないという認識そのものが、T城Uに対するひとつの勝利だと気づいたかのように……。
『戦闘妖精・雪風 解析マニュアル』 p.129
このT城Uって、もしかしてカフカの「城」(主人公の測量士は城の伯爵に呼ばれたのに、どうしても城に辿り着けない……という話らしい)だったんだろうか? 今までわたし、「少女革命ウテナ」かと受け取っていたのですが……(^^;;)。どちらにせよ、文章の言わんとするところの解釈は間違ってはいないと思うんだけど……たぶん(爆)。
『ルナティカン』ハヤカワ版入手(3/6)
残業返りに立ち寄った職場近くの書店で、『ルナティカン』をフライングGET。藤原ヨウコウ画伯の表紙は、パッと見の印象は旧版の光文社版と似た雰囲気……って、思ったのは、先の『迷惑一番』や『蒼いくちづけ』と無意識に比較してしまったせいでしょうか?(^^;;) でもって、昨夏の『迷惑一番』に続いての『雪風』っつーより、深井零がらみの帯のアオリは……前回以上に強引で、JAROに引っかかんねーかと心配になってしまいました(^^;;)。いや、そりゃ、『雪風』のヒットに便乗しての再刊なのは確かなんだけど、もうちょっとこう、「『戦闘妖精・雪風』の作者が放つSFハードボイルド」みたいな、無難な線のコピーにできなかったんでしょうか(^^;;)。
まぁ、元々、『ルナティカン』や同じく光文社文庫の『蒼いくちづけ』や朝日ソノラマの『ライトジーンの遺産』といった作品は、出版社のカラーに合わせてか(?)ハヤカワや徳間系の作品とは微妙に毛色が違いますからねぇ……。SFマガジン系よりも、ミステリマガジン系のコピーの方が似合いそう、というか。もっとも、『ルナティカン』の場合は、最初っから「ハードボイルド系」を狙ったわけではなく、もっと「SFっぽい」……というか、ハヤカワ・徳間的方向で書き始めたつもりが、途中から主役と主題が変わっちゃったかな〜という印象が大きいのですが(^^;;)。
なので、そのあたり、解説の方も非常に苦労なさっているご様子で、それは重々お察しするですが……だからと言って『死して咲く花、実のある夢』の結末を思いっきりネタバレしているのはいかがなものかと(-_-;;)。 わたしゃ、つい一月ほど前に読み終わったばかりですが、3分の2の結末は事前の情報で入手していたものの、残る一つに「え? そうきたの?」ってちょっとビックリしたところを、思いっきりバラしちゃってる〜〜〜〜。
現在版元在庫切れで入手困難な作品とは言え、図書館や古書市場で見つけてこれから読もうとしている方や、もしかしたらOVA3巻発売時の第3次神林長平フェア(きっとやってくれるに違いないと、既に期待しています。>ハヤカワ様)で再刊されるかも知れないじゃないですかっ!
あの作品を引き合いに出して語るなら、大黒くんと別れ際の降旗少尉のセリフ「納得して、生きろ。疑ってはいけない。」を紹介するだけで充分だと思うんだけどなぁ……。そこはわたしも、事前にどなたかの神林作品の解説で知っていたし。もっとも、それで「予想したつもり」になっていたら、更にヒネリが加えられていて「やられた!」って思ったんたんだけど。
というわけですので、『死して咲く花、実のある夢』を未読、かつ、今後読んでみたいと思っていらっしゃる方は、ハヤカワ版『ルナティカン』をお手に取る際は、解説ページは「ネタバレがイヤだから読まない」「バレても気にしない覚悟で読む」のどちらかに予めお心を決めておかれた方がよろしいかと思います(^^;;)。
言い忘れてましたが…(3/5)
『小指の先の天使』
、先週木曜に読了しました。アンソロジー本『2001』収録の「なんと清浄な街」のみは昨年5月に図書館で借りて読んでいたので、後回しにして一番最後に読んだのですが……もしかして、この話、収録順ではそのすぐ後に入ってる書き下ろし「意識は蒸発する」とダイレクトに繋がっているんだろうか? それぞれの話の終盤に登場するキャラクターって、もしかして「同一人物」?
ところで、よくよく考えると「訪ねてくる人もなく、閉鎖された状態があんまりに長く続いていたから、溜まりに溜まっちゃったものがパンクしそうになっていたところに、折良く迷い込んできたヤツがいたから、そいつを使って1本(か2本か3本か……具体的な量
は不明ですが)抜いた話」……って、一個体としての人間のフィジカルな例に当てはめたら、ジツはとんでもなく下品な内容ではなかろうか(爆)。前回ウッカリ、「タイトル通りの現象が起きるシーンが気持ちよさそう」なんて書いちゃったことに、今更ちょっと狼狽えていたり……(うわあっ!)
ち、違うんです! あのときはメンタルな方面で、「ストレス解消」とか「リラクセーション」とかをイメージしていたんですよ〜〜〜(^^;;;;;)。
鼻に来た…<風邪(3/3)
スミマセン、またまた更新遅れています。
この週末は、土日とも休みだったし、昼前(11時半頃ですが(^^;;))にはちゃんと起きてはいたのですが……金曜にお迎えしたニューマシン(iBook
14インチ)との親睦を深めたり、雪風&☆矢ハーデス編2巻を繰り返し見ていたり、某オンリーイベントを覗きに数年ぶりに浅草橋の文具共和会館に行っちゃったり、ついでに久々に人形道楽の血が騒いで同じく浅草橋の某専門店を覗いたり……等々と遊んでいたら、またまた夜中になってしまいました(爆)。
というわけで、今夜も新刊情報でお茶を濁す(^^;;)。
チェックが遅れていてつい先程知ったのですが、3月の新刊情報が、早川書房のサイトにアップされていますね。『ルナティカン』は、7日発売・本体予価
580円、多田版『雪風』は、[21日発売予定]A5判並製 本体予価1,400円……だそうです。
A5というと、ここしばらく河出書房新社から出ていた多田由美作品集や『Sittin'
in the Balcony』と同じサイズ……なのかな? にしても、1400円はちと高いような。ページ数はそんなに厚くなるとは思えないんだけど……(^^;;)。ハヤカワだからしかたがないのかなぁ……。
まぁ、値段の方は妥協しますが、タイトルに機種依存文字使ってるのは許せん(-_-;;)。MS-IMEじゃローマ数字も丸数字も普通に変換候補に出てくるせいか、無造作に使ってくるWinユーザーはあまりにも多いから、既に脳内自動変換出来るようになってはいますけどね〜。個人の掲示板への書き込みや個人サイトならまだしも、企業で、しかも自社商品に対して使っちゃうというのはいかがなものかと……。
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